168話
「って私はなにをしているんだ!」
かわいいパジャマ姿で、テオドラは叫ぶ。
着ている、というか着させられているものは、『かわいい猫のイラストがいっぱい描いてある布でできた、布のベルトで結ぶだけの寝間着』である。
ローブに近いが、ここまでかわいい布で作られたものはなかなか見ない。
『なかなか見ない』といえば――
食事。
お風呂。
ベッド。
たしかにアレクの言う通り快適なものだった。
食事は見たことのない、なじみのない、しかし疲れた体に染み渡るようなものだった。
お風呂なんて、そんな高級施設、初めての経験だった。
ベッドも、シーツをはがしたって内部構造がわからないような、未体験の装置である。
楽しんだ。
浮かれた。
骨抜きにされた。
夜に寝て次の夕方までぐっすりだ。
だからこそ思う。
「……私はなにをしている……! 粛清対象の家で、これほどまですやすや眠るなど……なんという屈辱、なんという自堕落!」
テオドラはベッドの上で頭を抱えた。
それからバッと顔をあげて、周囲をキョロキョロ見回す。
――あった。
枕元には、魔法剣。
人の守護神アレクサンダーが使ったとされる聖剣の、真なるレプリカ。
邪を絶つ聖具を、たしかに発見する。
テオドラはそれを握るなり、走り出した。
部屋を飛び出しつつ、刃を出現させる。
足音を立てないように気をつけながら、階段を駆け下りていく。
そして、ちょうど、階段下を通る人物を発見した。
テオドラは階段から跳ぶ。
そして、その人物――洗濯物を抱えたアレクへと、斬りかかった。
「覚悟おおおお!」
「おや、おはようございます」
アレクはそのように気の抜けたあいさつをすると――
抱えていたタオルで、テオドラの魔法剣を受け止める。
「私の剣をタオルで!?」
「せっかく洗った洗濯物がシワにならないように気をつけつつ剣を受けるのは、なかなか集中力が必要で楽しいですよ」
「楽しむな!」
跳びずさり、階段まで戻る。
そして、アレクを見下ろしつつ、剣を突きつけた。
「おのれ邪神の使徒め! この私を堕落させようという策略、卑怯なり!」
「そんなつもりはありませんが――」
アレクがなにかを言おうとする。
と、そのタイミングで、彼の背後を通る人物がいた。
それは赤い毛髪の女性だ。
身なりがいい。おそらく、貴族の出身なのだろう。
その女性は、階段上で剣を抜いているテオドラをたしかに見た。
しかし、なぜか興味なさそうに視線を逸らし、アレクを見る。
「アレクさん、そろそろ私も風呂を実践したいのだが、いつならできそうだ?」
「そうですねえ、テオドラさんの修行がある程度いいところまで行ったらやりましょうか」
「わかった。それまでに復習しておく。あちらの方の修行もほどほどにな」
「ええ、いつも通りほどほどに」
「……もうなにも言うまい。あなたもあまり根を詰めすぎないようにな」
そう言って、去って行く。
テオドラは混乱した。
自分は剣を抜いている。
切っ先をアレクに向けている。
なのに――
完全にスルーされた?
それどころか応援された?
これはいったいどういうことなのか。
混乱するテオドラの視界を、新たに通る人物がいた。
それは、白髪に黒い衣装の、魔族の少女だ。
彼女はちらりとテオドラを見る。
そして。
なぜか、視線をアレクに戻して、話を始めた。
「アレク様、少々よろしいですかしら?」
「はい、いいですよ。なんでしょうか?」
「……あの、ロレッタさん、ちょっと……お風呂作り向いていらっしゃらないと思うのです」
「おや、どうして?」
「ロレッタさん、こっそりお一人でお風呂を作りの練習をしていらっしゃるのですが……あの方はなんと申しますか、複数のことを同時にするのが苦手でいらして……『湯船、水、二つ合わせて炎になる』と申しますか……」
「ああ、お湯を沸かすタイミングで完全炎上してしまうんですか」
「……まあ、そうですわね。文字通りそれまでの作業を灰燼に帰すので、ちょっと見ていてかわいそうと申し上げますか……」
「マルチタスク力を鍛えるのにいい修行でも探しておきます」
「は、はあ……それではその……えっと、そちらの方の修行も、ほどほどに」
「いつも通りやりますよ」
魔族の少女は苦笑して去って行った。
テオドラはまたしても不思議に思う。
状況をわかっていないのだろうか?
『まさか宿屋内で本気で店主に斬りかかる客などいない』とみんな思っている?
だとしたら、なんと平和ボケした場所なのだろうか。
邪神とその使徒のいる場所とは思えない。
ともかく、テオドラは再び斬りかかるべく、腕に力をこめる。
だが――
「よおアレクさん、ちょっといいか?」
今度は、白髪で褐色肌の子供が、アレクに声をかけた。
アレクは応じる。
「いいよ。なにかな?」
「オッタだけどよー……あいつ、どうにかしろよ。マジで」
「彼女がなにか?」
「いや、あたしとソフィが寝てるじゃん? すると、いつの間にか部屋に入ってきて、一緒に寝てるんだよ」
「……はあ」
「暑くてしょーがねえわ。ソフィとオッタであたしを挟むんじゃねーよ。あたしがつぶれてなくなるわ。もしくはソフィの胸で窒息するわ。でもオッタ、あたしがなに言っても聞かねーから、アレクさんから注意してやってくれよ。だいたい、他の宿泊客の部屋に侵入するってどうなんだ」
「なるほど。俺からあとで言っておくよ」
「ああ、頼むわ、マジで。んじゃ、ほどほどに――」
褐色肌の子供が、去ろうとする。
さすがに、テオドラは叫んだ。
「おい貴様ら! 私の姿が見えないのか!? なんで誰もかれも私を無視する!?」
「――あん?」
「この状況を見てどうして普通に去って行く!? 私は今、この宿の店主に刃を向けているのだぞ!? おかしいと思わないのか!?」
「猫柄の『ユカタ』ですごまれてもなあ……」
「服装ではなく状況を見ろ!」
「……なんか特殊な状況なのか?」
「剣! 斬りかかってる! 襲いかかってる!」
「十日に一度は見る光景だしなあ……」
「なんだその頻度!? やはりここは秩序のない邪神とその使徒のアジトなのか!?」
「……おいアレクさん、あいつめんどくせーぞ」
褐色肌の子供が、本気でめんどくさそうな顔をして言う。
アレクは苦笑していた。
「まあまあ……彼女はほら、宗教関係の人だから」
「ああ、宗教関係なら仕方ねーな」
納得されてしまった。
テオドラは叫ぶ。
「宗教関係者というざっくりしたくくりで私を見るな! 私は建国の英雄アレクサンダーにお仕えする、敬虔なる信徒だ!」
「はあ? なんじゃそりゃ? そんな宗教あんのか?」
「『そんな宗教あんのか?』とか言うな! 細々秘密裏に立派に活動している!」
「建国のアレクサンダーって五百年とか四百年とか前のやつだろ? ちょっと神様名乗るには新しすぎねーか?」
「神に新しいも古いもない! 彼の行いは素晴らしく、彼は聖人だ!」
「聖人なのか神なのか英雄なのかはっきりしろよ」
「聖人で神で英雄なのだ!」
「……めんどくせーなあ、あんた」
「……邪神の使徒め!」
話が通じなさすぎるので、テオドラはちょっと不安になってきた。
不安に任せて斬りかかる。
階段を飛び降り、剣先がアレクにとどくまでの、ほんの一瞬のあいだ――
たしかに。
アレクと褐色肌の子供は、アイコンタクトをした。
その視線の交わし合いでなんのやりとりをしたのか、テオドラにはわからない。
ただ――
アレクが一歩下がった。
褐色肌の子供が、一歩前に出た。
刹那、褐色肌の子供の、白い髪が、うねる。
それは錯覚などではなかった。
うねった白い髪は、それ自体に意思があるかのように、テオドラにからみついてきた。
一瞬で拘束され、武器をうばわれる。
……無力化、された。
こんな子供に。
「…………」
絶句である。
言葉も出なかった。
頭も真っ白だ。
子供はため息をつく。
そして、ゆっくりとテオドラの拘束を解き――
「まあ、がんばれ」
それだけ言って、食堂方向へ歩いて行った。
テオドラはがくりと膝から崩れ落ちる。
そんなテオドラに影が差す。
顔を上げれば、アレクがのぞき込んでいた。
「いやあ、よかった、よかった」
「…………追い打ちか、邪神の使徒め」
「いえ、俺がいくらやっても、あなたはあきらめてくださらなさそうですからね。ホーに頼んで正解でした」
「……」
「あなたの次の修行は、『気配を絶ち、俺からの奇襲を警戒しながら、ダンジョン制覇』となります」
「…………」
「俺に斬りかかる修行は、まだです」
「いつかやるのか!?」
「やりますよ。俺の修行を受けた方は、たいてい俺に有効打を与えています」
「……」
「先ほど、あなたを無力化したホーもやりましたよ。まあ、やるタイミングは人それぞれで、早めにやる人も、遅めにやる人もいますが」
「…………」
「これからまた修行ですが、お食事はどうされます?」
彼は微笑んでいる。
テオドラは、アレクをにらんだ。
「……私は屈しない」
「はい」
「貴様がいくら手練手管を尽くそうとも、堕落などしない」
「はい」
「だから、いくら食事をしようが、風呂を振る舞われようが、寝心地のいいベッドで眠ろうが、私の意思は変わらない。私は神を殺した貴様を必ず粛清する」
「はい」
「…………」
「………………」
「…………ご飯、いただきます」
「はい」