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167話

「テオドラさん」



 その声がかかるとほぼ同時、テオドラは声の方向を振り返る。

 視線の先にはアレクがいた。


 テオドラは彼をにらみつけ、周辺も含め、広く観察する。

 まずは、環境。


 ここは『はぐれ牙の洞窟』と呼ばれるダンジョンだ。

 そこかしこにダンジョンマスターの『一部』が潜んでいるという珍しいタイプのダンジョンであり、ダンジョンレベルは六十とされている。


 景色は、整備された洞窟といった風情。

 内部はほんのりと明るく、視界に困ることはない。

 壁は石で補強され、整った綺麗な白い石壁には、レリーフが彫りこまれている。


 レリーフの内容は、よくわからない。

 一説では『異世界の言語が記されている』らしいが、アレクでも読めないそうだ。


 ……だが、このレリーフはただの模様でも文字でもない。

 たまに襲ってくる。


 つまり――レリーフに刻まれた不可思議な文字に、ダンジョンマスターの一部が擬態しているのだ。

 テオドラはこのダンジョンを攻略するにあたり、まずはダンジョンマスターの奇襲に対して警戒を続けなければならない。


 さらに――

 アレクは、言う。



「足音が出ていますよ」



 ……そうだ。

 足音を出すな、と彼は言った。


 そして、足音を出すたびに、『足音』というように指摘をしてくる。

 ただでさえ周辺を警戒し続けなければならないダンジョンで、少なくない頻度で『足音』と指摘をし続けるのだ。


 しかもこのダンジョン、長い。

 道はほぼ一本道のようなのだが、時折おとずれる分岐と、先の見えない構造のせいで、今自分がどのあたりにいるのかがまったくわからない。


 だから、テオドラは今、精神的に極限状態にあった。

 どこから襲い来るかわからないモンスターに対する警戒。

 警戒中に容赦なく指摘される『足音』。

 そしてどこまで進めばダンジョンマスターの本体が待ち受ける場所にたどりつけるのかわからないような構造のダンジョン。


 表情はずっと不機嫌そうなままだ。

 アレクを振り返る視線には、獣のような殺意が宿っていた。



「……殺す……殺してやる……絶対に殺してやる……!」

「そうですか。ところで、そんな、ドスドスと歩かないでください。足音が出ていますよ」

「わかっている!」

「右前方から『はぐれ牙』が来ますよ」

「わかっている!!」

「あと足音」

「わかっていると言ってるだろう!?」



 常にブチギレ状態だ。

 目の下にはクマができ、呼吸は常に荒く、視線から放たれる殺気は半端ではない。


 襲い来るモンスターを、いらだちまぎれに叩き斬ろうとする。

 しかし、ここのモンスター、すなわちダンジョンマスターの一部、俗称『はぐれ牙』は、壁のレリーフに擬態しているような、薄くて小さく、高速で飛行するモンスターなのだ。


 いらだち紛れ、力任せに剣を振っても、当たらない。

 それがますます、テオドラの心を追い詰める。



「だああああああ! あああああ! あああああああああああ!」

「テオドラさん、足音」

「わかっている! わかっているから黙れ! 黙れよおおおお!」

「しかし足音を立てられると指摘しないわけにはいきませんので。俺に指摘されるのが嫌でしたら、足音を立てなければいいだけの話です」

「もういい! もうやめろ!」

「足音」

「やめろ! 私がなにをした! 私はなにも悪いことなどしていない! なのになぜ、こんな……こんな……!」



 どうやら、ストレスが次の段階に達したようだ。

 テオドラの心は鬱状態に入り始める。


 涙がこぼれてきた。

 剣を落として、膝をつく。



「なんでこんなことしなきゃいけないんだ…………! 私……私、ただ、神様を信じてただけなのに……! 神様……! 助けて神様……!」

「神様はもういませんってば」

「わかってる! 黙れ!」

「あとくずおれる時に音が出ていましたよ」

「貴様に情けはないのか!?」

「俺を、そして家族を殺そうとしたあなたに修行をつけるというのは、充分に情け深い行動だと思うのですが……」

「もうやだ! 会話したくない!」



 テオドラはいじける。

 そして、嗚咽を漏らした。


 その状態を見て。

 アレクは懐かしそうに笑う。



「ああ、昔の俺も師匠から見るとこんな感じだったんだろうなあ……」



 どうやら、コレを乗り越えたらしい。

 テオドラはアレクに対して、今までとは種類の違う隔たりを感じた。


 今までは、他者の精神を理解できない異常者だと思っていた。

 しかし、今では、理解したうえでそれでも色々やらせる異常者だと思っている。


 ようするに異常者だと思っている。

 変わらなかった。

 つまり、異常者と二人きり。



「もう殺してよお! もう殺して! お願いだからもう殺して!」

「ああ、その状態、俺もなりましたよ。いやあ、昔を思い出すなあ」

「和やかに対応しないで!」

「しかし、殺してしまってもいいのですか? 死ぬと入口からまたやり直しですが」

「…………」



 そうなのだ。

 この修行――ただ『奇襲に警戒しつつ足音を立てないようにしながらダンジョンマスターを倒す』というようなものではない。


 死ぬと最初から。

 どれだけ進んでも、死んだら入口からやり直し。

 セーブポイントを見張っている白い子に『また来たのか』というような目で見られる。


 そういう側面もあって――

 死のうが生きようが、心を折りに来るのだ。



「それに、俺があなたを殺すのには、まだ早い」

「もっと苦しめということ!? 反省してます……! 襲ったりしてごめんなさい……!」

「いえ、もちろん襲ったことは反省していただきたいのですが、『もっと苦しめ』だなんて思ってはいませんよ」

「じゃあ、なんで……? なんで殺してくれないの……?」

「それは次の段階ですから」

「…………」

「『師匠による奇襲』はまだです。それは、次のダンジョンから組み込まれます。むしろ今は初歩として、モンスターが接近したら警告して差し上げたりしているでしょう?」

「………………」

「やっぱり、段階って大事だと思うんですよね。俺の師匠は最初から難易度マックスで『さて何回死んだらできるかな?』みたいな感じでしたけど、俺は、やっぱり初見ナイトメアみたいなのはちょっといけないと思うんですよ。イージーとかカジュアルからしないと」



 意味がわからない。

 意味のわからないことが多すぎて、全体的にぼんやりと意味がわからない。



「そして、あなたに朗報が一つ」



 彼は、微笑んで言う。

 優しい声は、追い込まれた精神に浸透して、テオドラの心を震わせる。



「この修行が終わったら、休憩ですよ」



 休憩。

 そういえば――いったい、どのぐらい修行を続けたのだろうか?


 休んでいない。

 ずっと。


 それが、休憩?

 そういうの、あったの?



「……やすんで、いいの?」

「ええ。この修行が終わったら、休んで、いいですよ。ウチの宿は、食事も、ベッドも、お風呂も、他で見ないぐらい素晴らしいと、好評をいただいています」

「……」

「美味しい食事を食べて、ゆっくりお風呂につかって、たっぷり眠ってください」

「…………」

「お疲れでしょう? あなたは、ずいぶんがんばっていますからね」

「………………」

「だから、ここをクリアしてしまいましょう。大丈夫、あなたなら、すぐにできますよ」



 彼は笑顔でささやく。

 テオドラは、彼の背後から光が差しているようにさえ感じた。


 涙がこぼれる。

 これが――

 これが、救いなのか。



「さ、立って。ダンジョンマスターの部屋までは、もう少しですから」

「えっ!?」

「おっと、口をすべらせてしまいましたね。……まあ、聞かなかったことにしてください」



 テオドラは何度も何度もうなずいた。

 ――もう少し。


 もう少しで、終わる。

 そうしたら――


 お食事!

 お風呂!

 ベッド!


 テオドラの中で、急速にふくれあがる、食欲、睡眠欲。

 ――もうひとがんばりで、救われる。


 テオドラはそう思って、とっくに折れた心を奮い立たせる。

 そして――


 このあと十回ほど『最初から』になり、ダンジョンマスターを倒すころ――

 もう、彼女は『お食事』『お風呂』『ベッド』以外の言葉を忘れていたのだった。

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