166話
「もう殺せ……殺せ……」
『魔術師殺しの洞窟』。
あらゆる場所がエメラルド色に輝く鉱石でできている、元ダンジョンだ。
緑色の輝きに照らされた中――
そこに、死んだ目で涙を流し、横向きに寝転がるテオドラの姿があった。
そのそばには、青く輝く球体――セーブポイントがあって……
近くには、アレクもいた。
「……あなたはフラグをきっちり立ててから回収する人ですねえ」
「…………」
反応する気力もなかった。
無様だ、とテオドラは自嘲する。
フヘッ、と笑った。
「拷問には屈しない……私はなにを話されても、情報は吐かんぞ……」
「あなたから聞きたい情報はこれといってないですし、そもそもこれは修行であって拷問ではないんですが……」
「嘘だ……絶対に私からなにか情報を引き出そうとしている……私にはわかるんだ……」
「それは見当違いですねえ」
アレクは苦笑していた。
テオドラは涙を流しながら彼を見上げている。
なんというか、普通だった。
彼の態度や表情、物腰は、一貫して変わるところがない。
テオドラたちが襲撃をしようと取り囲んだ時も。
その襲撃者たちの手足でジャグリングをしていた時も。
唯一意識をたもっていたテオドラと一対一で『対話』をした時も。
テオドラを宿に連れ込んだ時も。
そして、今も。
いつも穏やかに笑っている。
その笑顔は無表情となんら変わらないとテオドラには思える。
むしろ拷問を楽しむとか、そういう気配があった方がいくらか人らしいようにさえ感じた。
喜怒哀楽のない笑顔。
なすべきことをただ成しているだけというような、迷いのない態度。
「おのれ邪神の使徒め……」
「その設定、まだ続けます?」
「ごっこ遊びのように言うな! 我らは真剣なのだぞ!?」
「……なるほど。では俺もそういうスタンスでお付き合いした方がよろしいですか?」
「……どういうことだ?」
「邪神の使徒っぽい行動を心がけた方がいいのかなと」
「いや、今までの行動は充分に邪神の使徒っぽかった」
「しかし俺は普通にしていただけですので、もう少し邪悪なように心がけた方がいいのかなと思いまして。そういう婉曲なリクエストではなかったのですか? でも俺は『ひどいこと』が苦手なのでどの程度ご期待に添えるかはわかりませんが……」
これ以上があるのか。
こんな……『ただいるだけで衰弱死する洞窟で、衰弱死を早めるような行動をさせ続ける』というよりひどいことが、ありうるのか。
テオドラは震えを止められなかった。
アレクはなにかを考えこんでいる。
「俺からはただの設定にしか思えなくても、人が真剣に言っていることを邪険にするのはよろしくないですよね」
「……待って」
「俺は、人の抱いた目標を応援する立場であって、馬鹿にする立場にはない。今までは俺の性格などがなんであっても問題はなかったですが、俺のことを邪神の使徒と信じ込むあなたに対して、邪神の使徒らしからぬ行動をするのは、婉曲的にあなたを馬鹿にしているようなものなのかもしれません」
「いや、待って」
「ちなみに邪神の使徒とは、具体的になにをするものなので?」
「それは……邪神に強く影響を受け、守護神アレクサンダーを害するため、人々の嘆きと絶望を集める存在……なの……だが……」
「嘆きと絶望か……ふむ」
ふむ。
アレクはなにかを考えている。
彼の考えがかたちになってはまずいと、テオドラは直感的に判断する。
だから、慌てて話題を変えることにした。
「ところで次の修行はなんだ!?」
「お待ちを。今、次の修行を邪神っぽくできないか考えていますので……」
「いいや、待てない! 今すぐ次の修行について聞きたい!」
「おや、そうですか? ではお待たせするのも悪いので、ご説明させていただきますね」
「ああ!」
「実は、次の修行で迷っています」
「邪神はいいから!」
「そうではなく、どれから手をつければいいのか、迷っているのです」
「……どれから手をつける、とは?」
「あなたの目標は、俺を殺すことだ。しかし、そのためにやることが多すぎる」
「……」
たしかにそうなのだが……
いざ言われると、気持ちが萎えそうになる。
力の差がどのぐらいあるか、想像さえつかないのだ。
たとえば今、唐突に全力で斬りかかったとする。
しかし――きっと、触れることさえかなわないだろう。
先ほど、『豆で受ける』というような遊びをされたことからも、明らかだ。
強くなった実感がないわけではない。
でも、相手が強すぎて、どれだけ鍛えようが手応えを感じられない。
だから。
テオドラは、つい、疑問が口をついて出た。
「貴様は、なにをして、今のような強さになった?」
「はあ、俺ですか? 具体的になにをしたか例を挙げるとキリがないのですが……」
「総括的に述べろ。努力、とか、信念、とか……なにが今の貴様をかたちづくった?」
「趣味、ですかね」
「……趣味ぃ?」
「ステータスはカンストまで、スキルは覚えられる限りめいっぱい覚える。そうするとですねトロフィーがもらえるんです」
「……誰が貴様を表彰するのだ?」
「ああ、トロフィーというのはあくまでも比喩ですよ。ようするに、自分で定めた目標を達成すると、自分の中でなにかが解除されていく感じがすると、そういうことですね」
「……ただの自己満足ではないか!?」
「ああ、そうそう、それです。自己満足。今の俺が強いのならば、それは、俺が自己満足を積み上げていったからです」
話にならなかった。
いや、この男と会話にならないのは、ある程度織り込み済みだった。
だから、予想以上に話にならない、という感じだろうか。
なににせよ、テオドラは強烈な反発心を覚えた。
「……考えられん。強くなるのは、目標を叶えるためだろう」
「目標を叶えるのは自分のためでは?」
「…………」
「誰かに褒められたい。ストレス源を排除したい。それから――自己満足したい。目標を達成するという行為で得られる報酬こそが、目標を達成する理由だと俺は思いますがね」
「………………」
「あなたはなんのために、目標を達成したいんですか?」
「……それは」
神のため。
……会ったこともない、神のため、か?
いや、そもそも、自分が信仰に傾倒していった理由はなんだったか。
それは――
「養父のためだ」
「へえ」
「我らが『最上の父』のため……守護神アレクサンダーの代弁者たる父のため、我らはアレクサンダーに害する者を排除せねばならん」
「しかし排除できず、あなた方は神を失ったわけですね」
「……」
「養父のために目標を達成するのはなんのためですか?」
「はあ?」
「目標を達成すれば、あなたのお父様が褒めてくださるから、とか?」
「……違う。私はそのような、低俗な……自分のための目標などない。ただ、無私で、神と養父に尽くそうと、そういう……」
「無私、ですか」
「そ、そうだ。なんにでも対価や報酬を望むような、そんな、俗な感情を私は持ち合わせていない。すべては神のため。この身はすでに神に捧げ尽くしている」
「神が捧げられた末に困ったとしても?」
「……神だぞ?」
「いえ、人でしたよ、あなたたちの神は」
「……」
「思い悩んで苦しんで、ちっぽけなことを怖がって、いつまでもズルズル生きていた、ただの人だったように、俺には見受けられましたけれどね」
「……馬鹿な。神とは、この世界を救い、人を守護するため、その身を捧げた聖人だ。そこに悩みや苦しみなどあるはずがない。そもそも――神ならば、そんな、ただの人みたいな弱さは持ち合わせているはずがない」
「神と話したこともないあなたが、なぜそう言い切れるのですか?」
「それは……だって」
養父が、言うから。
我らの養父、教団の『最上の父』が、神のお言葉を告げるから。
「……とにかく、神託をもたらす守護神アレクサンダーは、そういうお方だ」
「つまり、あなたの養父がそういうものとして神を紹介していたわけですね」
「……言い方が引っかかる。まるで、我らの『最上の父』が嘘をついているとでも言いたげな口ぶりだが?」
「まあ、俺は嘘だと思っていますよ」
「……」
「今となっては、アレクサンダーさんご本人に確認することもかないませんけれどね。だから裏はとれませんが、かなり高い確率で、あなたの『最上の父』は、アレクサンダーさんと言葉を交わしたことはないのではないか、と俺は考えています」
「……」
「第一、言葉を交わしたことがあったならば俺の母を『邪神』扱いするはずがない。だって、俺の母だけが、ほぼ唯一、アレクサンダーさんの目標を叶えるためにその人生を捧げ続けていたのですから」
「馬鹿な……そいつは、神を殺そうとし……実際に殺したではないか!」
「死ぬことがアレクサンダーさんの望みだったとしても、それは悪いことですか?」
「……わ、悪いことに決まっているだろう!? 許されるわけがない! 神を殺すなど……」
「そうですか」
にこり、と彼は笑う。
テオドラはアレクから目線を逸らした。
直視できない。
目を合わせたらなにもかも見通されそうな気がする。
「では、神のため、修行を再開しましょう」
「……」
「あなたはなんとしても俺を殺さなければならない。そのためにあなたを強くする」
「……そうだ。貴様を粛清する。神殺しの貴様を」
「ただ一つ、注意をしておきましょうか」
「なんだ」
「本当に『自分なりの目標』も『自分に対するご褒美』もない人が、俺の修行を乗り越えるのは難しいと思います」
「……」
「こう見えて近衛兵候補生の方々を教練することもあるのですが、そういう時、『ただなんとなく』近衛兵を目指している人たちは、みなさん途中で修行をやめられましたよ。最後に自分の味方をしてくれるのは、世間体や奉仕の精神ではなく、自我だと俺は思います」
「私をそのような者どもと一緒にするな」
「これは失礼。まあ、自我がなくたって修行を超えられることもあります。実際俺は、そういう感じでしたし。俺の場合、自意識みたいなものはなくても、セーブポイントはあったんですがね」
「……」
「そして今、あなたにもセーブポイントがある。……参ったなこれは。本格的に、似ている」
「……なにがだ」
「いえ、こちらの話です。ともあれ、あなたのアレコレは俺にとって他人事とも言い切れないという話ですよ。昔を思い出す」
「?」
「次の修行を決めました。俺を超えるならば、まずは、俺と同じ道をたどりましょう」
「なんでも来い。私は決して屈しない!」
「前振りですね」
「前振りなどではない! 屈しない!」
すでに修行のたびに屈している自覚があるので、ことさら大きく叫んだ。
洞窟内でテオドラの『屈しない』という声がむなしく反響する。
アレクは笑っている。
それから、
「次の修行は、ダンジョンマスターを倒しましょう」
「……私は冒険者ではないが……ダンジョンマスターを倒すというのは、ほんの一握りの冒険者が一生のうち一度達成できればいいものではないのか?」
「まあ世間ではそうかもしれませんが」
「第一、貴様だって生涯で二つしか制覇していないのだろう?」
「……?」
「なんだその顔は」
「…………ああ、そうか。はい、そうですね。公式記録として残すなら二つぐらいにしておかないと『ありえないだろ!』とクレームが来るから、そういうことになっているんでした」
「待て、つまりもっと多く制覇しているということか!?」
「俺がいくつ制覇したかなんてどうでもいいじゃないですか。五十までしか数えてませんし」
「五十!?」
「そこから先はクエストレコードを見れたらわかるんですけどねえ。まあ、細かい制覇賞金の計算などは他の者に任せていますので。それに、人を見るうえで大事なのは記録や実績ではありません。その人の『今』ですよ」
「いや、記録や実績をないがしろにしていいというわけではないだろう!?」
「ないがしろにはしていませんよ。ただ、どのような実績があろうとも、疑われては意味がありません。そして俺は疑われます。俺としては覚えている限り、包み隠さず正直に語っているのですが」
「……」
「というわけで、とりあえず一つ、ダンジョンを制覇していただきます」
とりあえず一つ。
居酒屋で酒を頼むみたいな口ぶりだった。
「ちなみに、俺がやっていた修行をそのまま行います」
「なんだ」
「『足音を立てず、奇襲に警戒しながら、ダンジョン制覇』」
「…………狂っている」
「俺は初歩としてやっていた修行ですよ。大丈夫、俺は、俺の師匠ほど性格が悪くありませんから」
彼の師匠は、どうやら相当あくどい人物のようだ。
それとも『彼より人らしかった』と表現するべきなのだろうか。
「常に気を張り続けてください。三日目ぐらいで頭がおかしくなりますけど、それを超えたら大丈夫ですよ」
怖ろしすぎる注釈だった。
しかも体験済みらしい。
その『三日』を超えたら自分もこうなるんじゃないか?
こんな――人らしからぬ、ヒトガタのナニカに変貌するんじゃないか?
自分は果たして、本当に屈しないことが――たとえ屈したあとでも、また『屈しない』と己を奮い立たせることができる精神状態でいられるのか?
そう思ってしまって、テオドラは怯えた。