164話
「というわけで、彼女はテオドラさんです。『俺を殺す』という目的らしいので、これより修行をつけようと思います」
夜。
陰惨だったとしか表現できない結末のすえ、テオドラは敵のアジトに連れ込まれた。
その名も『銀の狐亭』。
外から見るとさびれた雰囲気で、こちらを攻めたグループは襲撃に成功したのかと勘違いしそうになる。
しかし内装は綺麗だった。
花瓶一つ、割れていやしない。
カウンターは普段からそうであるようにそこにあった。
階段だってチリ一つ落ちていない。
食堂にいたっては、宿泊客とおぼしき人たちが、仲よさそうに、和やかに食事をしている。
『なにもなかった』。
どう見たって、そうとしか思えない宿屋の日常が、そこにはある。
「おかえりアレク。じゃあ、その人、お客さん?」
パタパタと近寄ってきたのは、黄金の毛並みの狐獣人だ。
ヨミ、という名前だったと思う。
まるで『今まで料理をしていました』といわんばかりにエプロンで手を拭きながら来た。
いったいなにを料理していたのかと想像してしまう。
テオドラはアレクの肩に担がれていた。
ズタ袋のような扱いだ。
実際、心身ともにボロの袋と大差ない状態だった。
疲弊しきっている。
まとっていた闇に融ける衣服は、袖と脚部がなくなったずいぶんな軽装になってしまった。
体には傷一つない。
でも、精神は疲弊しきっていて、立って歩く気力もない。
その状態で。
生かされたされたまま。
敵の首魁夫婦の目の前にいる。
これから待ち受ける自分の運命に、テオドラは恐怖を覚えていた。
気を抜けばすぐにでも、全身が震えて、ガチガチと歯が鳴りそうだ。
だからテオドラは言う。
アレクの肩にかつがれたまま。
「こ、殺せ……」
「はい?」
アレクが反応した。
テオドラは、強がって叫ぶ。
「殺せ! 命など惜しくはない! 我らは信仰によってのみ生きる! 神を殺した者を殺せないのならば、この命などない方がマシだ! 殺せ! 早く!」
死ぬのが怖くないわけはなかった。
でも、生きていた方が怖い目に遭いそうだった。
というか、遭った。
今も手足が生えていないような気がする。
それでも、神を殺した敵に弱さは見せられない。
……だからそのせいで。
「しかし、あなたは『お前を殺すためならなんでもする』と俺に言った。だから俺は、あなたに修行をつけて差し上げるべきかなと思ったのですが」
……なんか、そういう話にされてしまった。
テオドラは一瞬、押し黙る。
その隙を突くようにアレクが言葉を続けた。
「だいたいにして、度重なる『お願い』の中で、最後まで説得しきれなかったのはあなただけでした。そのステータスにない精神の強さは見事と言う他にない。あなたであれば、あるいは俺より強くなれるかもしれません」
「…………殺してくれてもいいのだが?」
「駄目ですよ、そんなことを言っては。命は、一人が一つしか持っていない大事なものです。軽々しく死んでは、いけません」
「……………………」
「生きねば」
彼の声音は真剣そのものだった。
先ほどまで人の手足でジャグリングをしていた者の言葉とは思えない。
「ですから、修行をしましょう。いいじゃないですか。『俺を殺す』。どんなものであれ、目標を持つのはいいことです。そのために懸命に努力する心は、美しいものだ」
「……だ、だいたい、貴様はいいのか!? 私は貴様を殺そうと言っているのだぞ!?」
「目標がなんであっても差別はいたしません」
「不可能だと思っているのだろう!? だから安請合いするのだろう!?」
「不可能などというものは、この世にありません」
「……」
「実現できないというのは、試行回数が足りないということです。百回で駄目なら千回やればいい。千回で駄目なら一万回やればいい。一万回で駄目なら十万回。十万回が駄目なら百万、千万、一億と、何度でも繰り返せばいい」
「……」
「大丈夫ですよ。どんなレアでも、一億回ガチャを回せばまず出ます。ただ、なぜ人は一億回ガチャを回さないのかといえば、それは資金が足りないからです」
「…………」
「しかし、俺の修行をする限り、あなたの命は無限だ。だから、大丈夫。いつかきっと絶対に、俺を殺すことはできます」
声音は励ますような、優しいものだった。
だからこそ、テオドラは思う。
この男は頭がおかしい。
自分を殺そうとしている相手を心底から励ましている点が、まずおかしい。
そして『命を大事に』と言っておきながら、『命は無限だ』と言う、その破綻がおかしい。
こんな異常者に敵対してしまった。
しかも捕らわれてしまった。
――『料理』される。
先ほど漠然と抱いた不安は、テオドラの中で確固たるものに育ちつつあった。
「……殺せ……殺せ……殺してくれ……頼む……殺せ……」
震える声でそれだけを繰り返す。
すると、視界内で微笑む少女がいた。
あどけない顔立ちの狐獣人。
どのようにしてか店にまったく被害を出さずに襲撃メンバーを撃退した――
なにより。
テオドラは、墓所でのアレクの言葉を思い出す。
『俺の家を襲おうとしている人たちを救えなかった』
『……妻も母も敵には容赦がない。娘にはまだ容赦を教えていない』
『……困った。殺さないように言ったことは、逆に失敗だったかもしれない』
『かわいそうに……』
かわいそうに。
このアレクをして、『あの人たちと戦う人はかわいそう』と言わしめる、ヨミだ。
そのヨミが微笑んでいる。
テオドラは呼吸困難になりかけた。
「あっ……がっ……」
「ああもう、アレク、駄目じゃない、そんなに怖がらせたら……」
ヨミが頬をふくらませる。
アレクが揺れる。たぶん、頭を掻いたのだ。
「怖がらせてなんかいないけど……」
「アレクはただしゃべるだけでも必要以上に怖いんだから」
「そんなことあるのかなあ……?」
「あるよ。モリーンさんとかアレクに褒められたあと『あの、今のはいったいどういう意味だったのでしょうか? わたくしなにか悪いことを?』って聞いてくるんだよ?」
「それは俺の側だけの問題なんだろうか?」
「とにかく、テオドラさんはいったん、ぼくに任せて」
ヨミが提言する。
アレクをして『相手をした人はかわいそう』と言わしめる、ヨミが。
テオドラはすさまじい速さで首を横に振った。
そして、慌てて叫ぶ。
「結構だ! 私はこの人でいい! この人で!」
ヨミは一瞬、固まる。
しばしまばたきを繰り返し、ため息をついた。
「そうなの? アレクがいいだなんて、変わってるなあ……」
アレクはヨミの旦那ではなかったのだろうか?
関係性を思うに少々不可思議な発言を残し、ヨミは宿の奧へ戻っていった。
きっと『料理』を再開するのだ。
……テオドラはこみ上げそうになる涙を必死にこらえる。
神を信じて生きてきた人生だった。
……悪業を働いていないとは言わないが。
それでも。
それでも口をついて出る言葉があった。
「……私はなにか、悪いことをしたのだろうか」
だから、こんな、バチがあたっているのだろうか。
養父様に教えられた通り、信仰に身を捧げ続けたというのに。
「かみさま、たすけて……」
「あなたの神はもういませんよ。だから俺を粛清するのでしょう?」
「……」
「まあ、実際にあなた方の神を殺したのは俺ではないというのは、先ほど申し上げた通りなのですけれどね。原因を作ったのは俺みたいなところがありますし……粛清対象は俺にしていただけるとありがたい。……あんなのでも母親ですし」
「…………」
「ところで質問なのですが」
「……なんだ」
「あなた方の神は、死を望んでおいででした」
「……」
「それでもあなたは、神の復讐をなさるので?」
「……」
それは。
そんなの――
神の望みだなんて。
考えたこともない。
「まあ、修行をしていく中で考えていただければと思います」
「……私は騙されないぞ。きっとこれから、私にひどいことをするつもりなんだろう? 拷問には屈しない。殺せ!」
「拷問なんてしません。したこともありません」
「嘘だ! では、先ほど我々にしたアレはなんだ!?」
「『説得』『お願い』ですね」
「……」
「母によれば、拷問は、果てに拷問を受けた相手が死ぬ行為のことを指します。そしてあなたは生きている」
「……」
「だいたい、大勢で俺一人を取り囲んでおいて『拷問を受けた』もなにもないでしょうに……被害者はこちらですよ?」
その大勢を笑いながらあしらった者が言っていいことではない。
しかも『殺さないように』気を払いながら……
「では、明日から早速修行を始めるということでよろしいですか?」
アレクはどうやら本気だった。
自分を殺す者を育てる――
そのつもりでいる。
「……もし私を説得して粛清をあきらめさせようとしているならば、無駄だと言っておく。私は絶対に、貴様なんかには負けない」
「その心意気で結構。俺があなたを説得できないというのは、先ほど理解していますし」
「……それでも私を鍛えるのか?」
「俺は、俺と同じぐらい強い人がほしい。あなたが俺を殺せるぐらい強くなるならば、それは俺の目的にも適っている」
「……は?」
「まあ、俺も俺のために生きていくことにしたのでね。そういうことです」
どういうことかはわからない。
だが――本気であることは、本当だろう。
ならばかまわない。
どのような思惑があるかはわからないけれど、その申し出に乗ってやろう。
敵の手を借りるのは癪だが、もとより神を殺した相手への復讐だ。
手段を選ぶつもりもない。
卑怯でも情けなくても、なんでもやろう。
そう、テオドラは考えた。
「……貴様の思惑はわからないが、私を鍛えたこと、後悔させてやる」
「では修行をするということでよろしいですか?」
「絶対に強くなって、神を殺した貴様を粛清してやる……!」
「まあ、そういう感じでいきましょうか」
こちらが決死の決意を語っているというのに、この手応えのなさ。
性格的にも、戦力的にも、こんな生き物に勝てるのかテオドラは早くも不安を覚える。
だが、ともあれ――
テオドラの、神殺しの者を殺すための修行が始まる。