158話
「大丈夫そうなので、英雄を殺しに行きましょうか」
いよいよ目標の時は近い。
『月光』はアレクとともに目的地へ向かう。
夜だ。
等間隔に魔導具のランプが石畳の道を照らす。人通りはない。ただ、明かりの漏れた建物からは人々の騒ぎ声が聞こえた。
目的地は王城だった。
そびえ立つ巨大な石の建造物。
壕とかがり火に浮かぶ王都の中心。
見えてきた東門は跳ね橋がおろされていた。
番兵は存在しない。代わりに白銀の鎧を着た近衛兵を引き連れ、誰かが立っていた。
ローブをまとい、深くフードをかぶった人物。
こぼれる桃色の髪を見て、『月光』はぎょっとする。
城の外で、まるでこちらを出迎えるように立っていたその人は――
あろうことか女王ルクレチアだったのだ。
「いらっしゃあい。みんな、出払ってるわよお」
「わがままを言って申し訳ありません」
「がんばってねえ」
そんなやりとりだけして、女王ルクレチアはどこかへと歩き出す。
七名いる近衛兵が、アレクに礼をしつつ女王に続いた。
「……どういうことじゃ」
さすがに『月光』はたずねる。
アレクはいつもと変わらぬ笑顔で応じた。
「乱暴な展開も予想できるので、城を空けてもらったんですよ。巻きこまないようにね」
乱暴な展開。
……とりもなおさず、それはアレクサンダーと戦いになるケースを示していた。
たしかにそういう場合も想定できるだろう。二人とも奇人だから。
しかし、『月光』は注釈する。
「アレクサンダーは死にたがっておる。やつを殺そうとする限りにおいて、抵抗はされんはずじゃぞ」
「まあ、どういう流れになるかは出たとこ勝負みたいな感じですし」
なにか頭の中に計画でもあるのだろうか。
『月光』にはアレクの頭の中身などわからない。
だが、たしかに、英雄アレクサンダーとアレクが戦いになる可能性はゼロではないのだ。簡単にできる配慮をするだけならば、安全に気を払いすぎるということはないだろう。
城に入る。
内部に人の気配はない。
石造りのエントランス。
灯りの落ちた夜の城。
静かで冷たい空気には、言い知れない無気味さがある。
アレクは慣れた様子で歩んでいく。
『月光』も遅れないよう続いた。
しばし進み、地下へ降りる階段へとたどりつく。
……こうして見ると、異様な雰囲気がその階段からは醸し出されていた。
アレクは躊躇なく、暗くて先の見えないその場所へ進んでいく。
『月光』も続いた。
視界はまったく利かないが問題はない。
なにせ、慣れ親しんだ道だ。
階段をくだりきり、アレクがパチンと指を鳴らす。
その瞬間、光が灯って――
『月光』とアレクサンダーの隠れ家。
その入口が、姿をあらわにした。
それは狭い通路の左右に、金属製の格子のはまった部屋が並ぶ場所だ。
暗く、冷たく、かび臭い。
人こそいないが、その空間の名称は――
「地下牢」
アレクが言う。
……過去の英雄アレクサンダーも、この場所をそのような名前で表現していた。
もっとも、罪人がつながれているわけではないし、牢もすべて開放されている。
なにせ罪人たちが刑務に服する牢屋は、城とは別な場所に存在するのだ。
王族と罪人を同じ建物に住まわせるわけがない。
万が一牢が破られ、王族を人質にとられることになれば大変なことだし、そんなケースに対する警戒を年中続けるのも大変だ。
「しかし、過去の英雄がこんな場所にいるというのも、やるせない話ですね」
「……あやつのいる場所は、正確に言えばここではないぞ」
「そうですね。でも、似たようなものだ」
アレクは進む。
『月光』も続く。
二人は無言のまま地下牢の突き当たりへ来た。
そして、向かって右側の牢に入ると、石造りの壁の一部を押し込んだ。
すると壁が動く。
こちら側にせり上がり、石がこすれる音を立てながら、横へスライドした。
隠し扉だ。
押し込む位置や、押し込む際に使う力加減などから、偶発的に発見される確率は低い。
というか数百年誰にも見つかっていない。
もし見つけることができる者がいるとすれば、それは『偶然こんな誰も来ない場所に来て、偶然一番奥の牢屋に入って、偶然転んで偶然手をついた場所が、偶然扉を開けるスイッチの場所だった』者か……
あるいは。
城の地下牢というだけで『隠し部屋がありそう』などとよくわからないことを言い出す、異世界転生者ぐらいのものだろう。
「行きますか」
進むアレクについていく。
踏み入ったのは、真っ白い、細長い通路だ。
壁、天井、床、すべてが、ほのかに発光する、継ぎ目のない白い材質でできている。
その材質は不思議な感触だった。
たしかに硬い。
しかし、押せばなんとなしにへこむような、そんな感触がある。
カツンカツンと『月光』の靴音がよく響いた。
だからこそ、まったく無音で進むアレクの異常さが際立つ。
しばし進むと、開けた場所に出る。
そこは今まで進んできた通路と同じ材質でできた、立方体の空間だった。
最初、この部屋には宝箱が一つ、ポツンと存在するだけだった。
しかし、現在はだいぶ生活感が出てしまっている。
入口そばには、廃棄されたものを拾ってきたソファ。
かつてなんらかの……あまり印象に残らないなにかが収まっていた宝箱は、今では『冷却』の魔石を入れられ、食糧保存庫と化している。
奥にはかまどが存在した。
これは当初、地下の密閉空間ということでアレクサンダーを燻り殺せないかと思って導入したのだけれど、どうやらこの空間は煙や熱を排出し、内部の環境を一定にたもつ性質があるらしい。
そのせいで、今では普通に煮炊きするために利用している。
そして、部屋の中央。
……古い、廃棄された玉座に座った、この部屋の――いや、この国の主がいる。
アレクサンダー。
顔立ちは十代前半のような少年。
その実五百年を生きた化け物。
帯でぎちぎちに拘束されたその少年は、眠るような顔をしていた。
中性的で、穏やかな顔。
けれど――
不意に、その眉間にシワができる。
「……う」
うめき声。
『月光』は耳をふさぎたいような気分になる。
「……ア、アア……」
断末魔にもよく似た声。
けれどそれが産声なのだと『月光』はよく知っていた。
呼吸が始まり、生命が始まる。
脳を取り除かれ、心臓を貫かれ、それでも死ねない英雄が、また生命活動を開始する。
「っ、ぐ……う……」
身をよじる。
そして、何気ない、特に力をこめた様子もない『右腕をあげる』という動作で、そいつは自分を拘束する帯を引きちぎった。
ブツン、という音。
大きくもないその音によって、ついにそいつは目を開けた。
「……」
帯を引きちぎった右腕を、無表情でながめる。
たっぷり沈黙したあと漏らすのは、いつもの言葉だ。
「……生きているのか」
絶望はもうなかった。
ただ、強い虚脱感だけが、漂う。
彼は自分が終わらない懲役刑の最中であることを再確認する。
生命という獄につながれたその身がまだ自由になっていない現実を認識する。
「次を、くれ。なにをしてもいい。殺してくれ。死なせてくれ。どんな苦しみがあってもいい。どういう痛みでもいい。死ねるなら、なんでもいい。とにかく、俺を殺せ。殺してくれ。頼む、殺してくれ」
それは誰かに語りかけるように紡がれる、ただの独り言だ。
『月光』の存在を認識する前にもかかわらずささやかれる祈りの言葉。
あるいは、もとより人に向けた言葉ではないのかもしれない。
ともすればそれは、彼が生まれる前に出会ったという、神に向けた呪詛だ。
『月光』は自分が小さく震えているのを認識する。
――大丈夫だ。
今回は、殺すための手段がある。
だというのに。
喉が引きつって声が出ない。
いつもそうだ。
アレクサンダーが目覚めるたび、胸になにかがつかえたように、呼吸が詰まる。
「大丈夫ですよ」
そっと背中に手が当てられた。
『月光』は呼吸を取り戻す。
手の主へ視線を向ける。
アレクサンダー。
ただし、死を望まない、英雄でもない、現代に生きる我が子の、アレクサンダーがいた。
「あなたはできる。あなたのしたことは無駄ではない。――いえ、無駄に終わらせないために、あなたは修行を終えたのです」
彼は笑っている。
自分の施した修行の成果をみじんも疑っていないようだった。
『月光』は思い出す。
……そうだ。修行では、四百年間でさえ経験しえなかったような行為ばかりしてきた。
苦痛は自信に変換される。
恐怖は勇気に裏返る。
……思えば、いつも『駄目だ』というような気ばかりしてきた。
だって、無能だから。
特異な出自。
非凡なる『体を乗り換え生き続ける』という才能。
でも。
それだけしかなかった。
なにも持っていなかった。
才能もなかった。発想だってなかった。
でも、一人でやり遂げようとした。
それが自分の生まれた意味だと確信があったからだ。
他の、普通に生まれて普通に死んでいく人にこんな頭がおかしくなりそうな苦難をあたえるべきではないと考えていたからだ。
でも、できるという確信にいたったことは一度もなくて。
世界が終わるまで、このままアレクサンダーを殺そうとし続けるものだと思っていた。
なんで自分なんだと思い続けてきた。自分でさえなければきっともっと早くアレクサンダーを楽にできるのだろうと何度も思った。寿命はいらないから才能がほしかった。生きれば生きるほど自分の非才さに嫌気が差してきた。
いっそ、死んでしまえたら。
言い訳のしようもなく、手を抜くわけでもなく、誰にも責められないような死に方ができればと思ったこともあった。
でも、生命を自分から投げ出すことはできなかった。
だって、自分がやらなかったら誰がアレクサンダーを救ってやれるのだろう。他にいないからきっと自分がやらなければならないのだと、思っていた。
そう思って。
遠回りばかりしてきたけれど。
「アレクサンダー!」
『月光』は叫ぶ。
英雄は表情のない顔で『月光』を見た。
絶望を通り越した諦観の表情だ。
あの濁った目を向けられるたび『月光』は怯んできた。
でも。
「今日こそ貴様を殺すぞ!」
言えた。
自分一人ではけっして言えなかった言葉。
……才能がないなら、力を借りればいい。
そのことにようやく気付いた――否、無理矢理気付かされたから、出てきた言葉だ。
アレクサンダーが口の端を上げる。
それは、喜びの表情に見えた。
「いいぜ、やってくれ。殺してくれよ。なんにもできないお前が、俺を!」
アレクサンダーが拘束帯を引きちぎりながら立ち上がる。
あらわになる裸の上半身。
裾のすり切れた脚絆。
目覚めたばかりだというのに足腰にはまったく揺らぎがない。
やはり――弱ってさえ、いない。
『月光』の顔に冷や汗が一筋伝う。
自信はあった。
自分の自信ではない。サロモンの才能に対する信頼と、アレクの完成させた技術に対する信頼だ。
それでも、緊張するものは緊張する。
先ほどから息はあがり、背中にはじっとりと嫌な汗をかいている。
ここまでして駄目だったら?
不安は、重苦しく募っていた。
それでもやらねばならない。
『月光』がいよいよ決意し『十割殺し』を使用するべく念じる。
その時。
「その前に、少しいいでしょうか?」
アレクが、唐突に口を開いた。
アレクサンダーは不機嫌そうに彼をにらむ。
「……なんだコイツは?」
「彼女の息子のアレクサンダーです。母の行動の意図的に、どうしても一つ、聞いておかなければならないことがありまして」
「……なんだよ」
「いえ、素朴な疑問なのですが……」
アレクは悩む。
それは言葉を選んでいるような間だった。
しばしして、言いたいことの整理が終わったらしい。
悩んだうえでアレクが述べた質問とは。
「あなた、なんでそんなに死にたくないんですか?」
それは意外すぎる言葉。
生き続け、死にたがり続けた男へするものとは思えない質問を、彼は笑顔で投げかけた。