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157話

 王都に戻るのは、実に久しぶりのように感じた。

『銀の狐亭』、裏庭。


 夕方の明かりが差しこむ時間帯、『月光』は用意された湯船につかっていた。

 アレクはいない。

 王都に帰って早々、王城にアレクサンダーの様子を見に行った。


 隠し部屋の場所は教えてある。

 そして――そろそろ、アレクサンダーが目覚めるころだとも。


 アレクを一人送り出すことに不安がないでもなかった。

 もちろん、我が子ながら人の子とは思えないアレクの能力についてはよく知っている。

 たとえ目の前にいたって気付かれないまま観察を終えることだろう。


 しかし、アレクサンダーもまた、規格外の化け物だ。

 なぜ強いかさっぱりわからない。


 不死身だからというのはたしかに大きな理由だが、振っただけで剣を折る腕力や、強敵相手に見せる異常な胆力、それに魔法こそ使えないものの、聖剣をいつまでも長いまま維持する魔力など、底が見えない。


 ひょっとしたら、様子をうかがいに来たアレクに気付くかも。

 その結果、なにかがこじれて戦闘になりうるかもしれない。



「……やっぱりわらわもついていくべきじゃったかのう」



 一人、湯船に深く体を沈めて、思う。

 長旅からは先ほど帰ってきたばかりだ。


 休憩は必要だったし、アレクが『長旅でお疲れでしょう。休んでいてください』と言うのは、彼にしてはおどろくほどまともな提案で、逆に恐怖を覚えるぐらいなのだが……

 提案がまともだからこそ、嫌な予感がする。


 修行でアレクがまともなことを言うたびまともじゃない目に遭わされ続けてきた心的外傷のせいかもしれない。

 そのように迷いつつ、化け物二人が対面するような場所に今から一人で向かうのは怖いななどと葛藤しつつ、『月光』が風呂に入っていると――


 誰か。

 風呂に入ってきたのが確認できた。



「……」



 宿泊客には開放されている風呂なので、誰かが入ってくること自体に不思議はない。

 しかしながら、湯煙の向こうに見えるシルエットに、『月光』は固まった。


 頭頂部付近に大きめの耳が生えた、子供のようなシルエット。

 なぜか大柄な父親にも、一部が大きな母親にも似なかった存在。

 ひょっとしたら記憶違いの間違いがあって自分が産んだんじゃあ……などと不安になるほどの少女体型の正体とは。



「……ヨミか」



 湯煙を抜けて現れた人物に、『月光』は声をかける。

 その人物は中に誰かいると知っていたようで、軽い調子で返事をした。



「やっほー」

「……軽いのう、貴様は」

「あなた相手は特にね。重くするとどこまでも重くなるから」

「……はっ」



 言う通りすぎて言葉もない。

 ここで両親を殺した理由など問われても、返答に詰まる。


 もっとも。

 その話題を切り出されるならば、ここ以外にないというようなタイミングでもあるが。


『月光』がジッと見ている前で、ヨミは湯桶にお湯をすくい、体を流す。

 それから、湯船に入ってきた。


 狭くない湯船だ。

 場所はどこにでもあって、『月光』は中心あたりにつかっている。


 だというのに――

 ヨミはすぐそばに来た。



「……なんじゃ。もっとよその場所があるじゃろ。へりのそばなど、寄りかかれるぞ」

「別に、いいでしょ。ぼくがどこに入ったって」



 時を経て、ヨミはなんだか全体的に生意気な感じに仕上がっているようだった。

 子供のころは無口なりにもう少し素直だったような気がするのだが……


 それとも、自分に対してだけだろうか。

 ……やはり、色々聞きたいことがあるのだろう。


 いっそ切り出してほしいとも思ったが――

『月光』は、肩をすくめる。


 年下を待つのも情けない。

 年長者として、自ら話題を切り出した。



「『輝く灰色の狐団』のことじゃがな……」

「それはもういいよ」

「……そうか」

「うん」

「…………」

「………………」



 嫌がらせでそばにいるだけなのだろうか?

『月光』はヨミの行動の理由がわからない。


 なににせよ気まずい。

 この気まずさは、昔アレクサンダーたちパーティーに対し、ぺらぺらとカグヤの内心を吐露した時以来だ。


 あのころは若かったせいで学習が足りず、失敗したが……

 まさかあれから四百年以上経って、また同じような空気に巡り会うとは思わなかった。


 もう出ようか。

 しかしそれも逃げるようで格好悪い。


 あと、『月光』は人に尻尾を見られるのが好きではなかった。

 普通の獣人は羞恥心から尻尾のつけ根を見られるのを嫌うが、『月光』が嫌な理由はもっと他にある。


 死に損ねた証だから。

 無駄に生きた年数を数えられるのは、やはり、どう言いつくろおうとも好きではない。


 その年数を無駄にうろうろと、普通の人が数年で済ますようなことを数十年かけてやったりしてきたのだから、なおさらだ。

 ようするに尻尾の数は、己の無能の証なのだと『月光』は認識していた。


 なので尻をさらして風呂から出るのも、嫌だ。

 もういっそ後ろ歩きで出ていこうか――などとのぼせ始めて妙なことを考えていると。


 ヨミが。

 口を開く。



「尻尾、いっぱいあるね」



 ……やっぱり嫌がらせだろうか。

 しかも心でも読んでいるのだろうか。


 アレクの妻ならありうる。

 自分の知らないあいだにヨミが着々と嫌な成長を遂げているのを感じつつ、『月光』はいちおう言い訳みたいなことをしてみる。



「……実は、いっぱいはない。ちょっと枝分かれしとるだけで、根元では一つじゃ」

「それは生まれつき?」

「…………貴様は本当に、アレクからなんにも聞いておらんのじゃな」

「まあねえ。特にあなたのことは。だってあなたを見つけてから、アレク、まともに宿に帰ってきてないし」

「……そうじゃったな。すまんのう。独占して」

「別に」



 沈黙。

 ……なんだか妙に挑発的な言葉を漏らしてしまった。


 普段からこうなのだ。

 口調のせいで偉そうに見られるので、もういっそそういう方向で行こうと数百年前に決意をした。


 その決意は習慣化し、癖となり、常態と化した。

 つまり普段から偉そうという今の『月光』が出来上がったわけである。


 気まずさがどんどんレベルアップしてくる。

 いっそアレクが風呂場に意味なく乱入してくれたりしないだろうか。



「修行、したの?」



 ヨミから再び話題提供があった。

 基本的に向こうは会話を試みる方針らしい。


 目的は判然としないが……

 無視するのも気まずさが加速するだけなので、『月光』は探り探り応答する。



「……したが、どうした」

「なにやったの?」

「………………………………」



 応答する方針なのだが……

 思い返したくなかった。


 つらい修行を思い出して話題を続けるか、それとも無視を決め込んで気まずい空気でのぼせるまで風呂につかるか、二者択一である。

 息子夫婦が試練しかよこさない。


『月光』は悩んだ。

 そして、答えることにした。



「崖から飛び降り、豆を食った」

「ああ、いつものだね。遠出中は?」

「…………」

「どうしたの?」

「……いや。……なあ、その、もっと明るい話題にせんか?」

「ぼくたちのあいだに明るい話題、ある?」

「…………このあいだ、王都の南西部で犬が子供を生んだらしい」

「へえ」

「………………」

「……………………」

「……修業は、壮絶なものじゃった……」

「そ、そう……」

「わらわが、アレクを覚醒させてしもうた……人生最大のしくじりじゃ……すまん……」

「……」

「あやつは恐怖の使い方を覚えた。もう、おしまいじゃ……人は現実逃避をすることで心を守るものじゃが、今のアレクの修行ではそれさえ許されんじゃろう……正気のままでいることを強要される……なぜなら、目的を理解し、褒美をぶらさげられ、成功せねば罰が……」

「……それは人生最大のしくじりだねえ」

「わらわには、止められん。いや、それでも道中の修行はマシじゃった。こちらを殺そうとゆっくり迫り来るあやつに対し、手を変え品を変え己を鍛え、死に、殺され、そして死に、魔法を撃ち続けるだけじゃったからのう……」

「それが『マシ』なんだね……」

「真に怖ろしきは『十割殺し』習得の修行じゃ……『状態異常を相手にかけるにはなにが必要か? それは気合いです』などと言いだし、恐怖でなにも言えんわらわに目隠しをすると、指先から、順番に……痛み……痛みを、感じるな、と……精神で、肉体を凌駕しろ、と……」



『月光』は体を震わせる。

 ぽん、と肩に手が置かれた。

 ヨミの手だ。



「ごめん」

「……いや。アレがああなったのは、わらわのせいじゃ……わらわが、あんなモノ産み落としたせいで……」

「う、うーん……人生を否定しないであげてほしいけど……」

「あやつの人生を否定しておるのではない。わらわの罪を肯定しておるんじゃ」

「罪って……」

「思えば過去の英雄を産み落とした者どもも、似たような感覚だったのやもしれん……英雄アレクサンダーやサロモンなんかは間違いなく社会不適合者じゃったからのう……」

「あなたはカグヤなんだっけ? 英雄たちと一緒に旅をしたっていう……」

「……そうか、なにも聞いておらんのだったな。その話は半分正解で、半分間違いじゃ。まあ正確なところは置いておいて、カグヤの無念とアレクサンダーの願いを叶えるため生まれた者じゃな」

「正確なところを置いておかれるとさっぱり伝わらないけど……まあ、どうでもいいかな」

「あらゆるものに興味を示さんのは、昔から変わらんな」

「……そうかもね」

「わらわは『輝く灰色の狐団』滅亡の真相を語らされるかと思っておったぞ。よもや、それすら興味がないとは言うまいな?」

「それは聞きたくないんだよ」

「……なぜじゃ」

「あなたの口からなにを聞いても、言い訳にしか聞こえないから」

「……」

「あなたが死んでたら、アレクの口から真相を聞くことはあったかもね」

「……恨んでおるか、やはり」

「正直、あなたへの気持ちはよくわからない。本当に今さらだし。ただ、『輝く灰色の狐団』の話はぼくの中でもう終わったことだから。蒸し返されても困るんだよね。だから恨みがあるとしたら、あなたが『狐』とか『はいいろ』の名前で騒ぎを起こしたことだけ」

「……前も言ったが、すべてがわらわのせいではないぞ。『輝く灰色の狐団』はアウトローの中では伝説的じゃからな。尾ひれがつき、名前は不当に使われる。これはある程度名が通り、現在活動していないクランならば、仕方のないことじゃ」

「うん。わかるよ」

「実際、クラン名やクランの中心人物たちの名を悪用されているのは、『輝く灰色の狐団』だけではない。冒険者クランでは『轟く風の団』がよく名前を勝手に使われるし、同じように制作系じゃと『黄金の針』なんかが使われる」

「わかってるってば」

「……すまん。言い訳じゃな……本当のところを言えば、わらわは、『輝く灰色の狐団』に消えてほしくなかった」

「…………」

「あの名が永遠に失われるのは、『はいいろ』と『狐』の名が失われるようで、嫌じゃった。しかし……まあ、本人たちは、アレクに名前を受け継がせ、そしてひっそり消えることを望んでおるじゃろうな。武名も異名も必要ない……そんなものに頼らんでもみんなが幸福になれる世の中を望んでおったからのう」

「……そうだと思うよ」

「つまり――わざわざ『狐』や『はいいろ』の名を使ったのは、わらわのわがままじゃ。一人この世に遺された者が、置いて行かれて寂しいと、だだをこねただけのことじゃ」

「……」

「『狐』ぐらいは生き残ってくれると思ったんじゃがのう。ほとぼりが冷めたころ、こっそりと会って話ぐらいできればと…………いや、ヨミ相手に言うことではなかった。すまん」

「……その話、ぼく以外の誰に言えるのさ」

「…………アレク…………は、まあ、なんじゃ。心情を吐露する相手ではないのう。首をかしげられそうじゃな」

「それはさすがに……でも、当時のクランメンバーもたくさん『銀の狐団』にいるよ」

「孤児どもか。……みな、さぞ大きくなっとるじゃろうな」

「『翡翠のゆりかご亭』は行った?」

「ブリジットじゃろ? あやつに気取られるのも避けておったので、行ってはおらんな」

「今度行ったらいいよ」

「殺されそうじゃのう……今のブリジットは貴様らと同じぐらい強いじゃろ」

「まあ……色々あったからね」

「…………はあ、しかし……意外と会話ができるもんじゃな」

「そうだね」

「貴様は変わったと思ったが、そう大きく変わってもおらんな。心も体も、おもかげを残しておる。特に体」

「……あなたは、ぼくの体型になにか不満でもあるの?」

「いや、貴様がきちんと成長しとれば、アレクももう少し悩まんかったじゃろうと思ってのう。……反省じゃな。いつもいつも『きっと大丈夫じゃろ』と思って失敗する。まあ、慢心が理由というか、実力不足がけっきょくのところ、大きな理由なのじゃが」

「……」

「ああ、そうそう。……『はいいろ』の死については、謝らんぞ」

「……」

「わらわは、あの男の本懐を遂げさせた。これについてわらわは、なにも反省しとらんし、反省の必要さえ認めぬ」

「……そう」

「しかし、『狐』にかんしては詰めが甘かった」

「……」

「……すまん。せめて、『狐』にわらわの生存を教えておれば、生きる理由の一つぐらいにはなったかもしれん。あやつを一人ぼっちにしたのは、わらわの責任じゃ。これは打てる手を打ちきれておらんかったわらわに責任がある」

「謝らないで。あの人は幸せそうだったから」

「……そうか……しかし、わらわの周囲には、死を救いとして捉える者が多い。よくない連鎖じゃな」

「……」

「断ち切ってくる。やり残した最初の仕事をこなし、それを最後に、二度とわらわは幸福のために他者を死なせぬようにする」

「そう。なら、ぼくもあなたを許せるかも」

「やっぱり恨んでおったんか……」

「あはは。……ん」



 ピクリ、とヨミの耳が動く。

 唐突に立ち上がると、入口の方向を見た。


 急にどうした、と『月光』は思ったが……

 この反応は、見たことがあった。


 だから。

『月光』は笑う。



「……アレクでも帰ってきたか?」

「たぶん」

「あの生き物の帰宅などようわかるのう……視界に映っておっても、目の前にいないような気がする化け物じゃぞ……」

「気配とか音じゃないからね」

「……においもないぞ……あやつ無気味すぎじゃろ……ひょっとしてゴーストではないか?」

「生きてるってば……ぼくがなんとなくわかるのは……感覚かな? 精神的なつながりかも。……じゃあ、ちょっと迎えに行くね」

「いつもそうしておるのか?」

「ううん。いつもは手が空いてないから」

「……手が空いてる時ぐらい休めばよいのではないか」



 しかし『月光』のつぶやきはとどかず、ヨミは行ってしまう。

 かいがいしいというか、『よく懐いている』という印象だった。


 昔からそうだ。

 ヨミがアレクを『お出迎え』するのは、ある時から『輝く灰色の狐団』でよく見られた光景になっていたのである。


 ……失われた居場所を思い出す。

 それはかつて建国を成し遂げた英雄たちのもとではない。


 寂れた酒場。

 活気あふれる犯罪者クラン。


 そこには孤児や逃亡奴隷、食い詰め者や犯罪者が集まっていた。

 物静かな獣人の女性が、いつの間にか視界にいる。

 集団の中心、積み上げたテーブルの上で、魔族の男が叫ぶ声を思い出す。



「……家族に乾杯、か」



『月光』は手のひらにすくった湯を掲げる。

 それは指の隙間からこぼれ落ちて――

 大きな湯船にまざって、もう、戻らない。

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