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155話

 道中、修業は過酷だった。

『たった一撃を与える』ことの、なんと難しいことか。


 というか火球が胸を直撃したのに服さえ焦げないというのはどうなっているのだろう。

 しかもこの修業、困ったことに、定時になるとアレクが迫ってくる。



『夕刻の終わりから夜が明けるまで、俺はあなたを殺すつもりで、歩いて追いかけますので、あなたは俺が近付く前に一撃当ててください。なお、拳が届く距離になったら死にます』



 最初に聞いた時は、親切かと思った。

 だって、攻撃を当てる対象が自分の方から近付いてきてくれるのだ。


 しかも、歩いてだ。

 サービスでしかない。


 ゆったり迫るアレクに、ゆっくり狙いを定めて、最大魔力の一撃を放つ。

 この修業はそれだけで終わる。勝った――そう思っていた。


 でも、全力でやっても服さえ焦がせない。

 そこで『月光』は素早く戦法を切り替える。


 逃げることにした。

 だって無理だから。


 アレクが迫ってくるのは『夜が明けるまで』という時間限定だ。

 だから夜明けまで逃げ切れば、とりあえず延命できる。


 しかも、相手は歩きなのだ。

 走らない。

 勝った。


 負けた。

 徒歩なのになぜか追い詰められる。


 どうにもアレクはエルフの森までの地形がすべて頭に入っているらしい。

 逃げても逃げても、いつの間にか壁や大きな樹などに追い詰められ、あとがなくなる。


 どうすれば逃げられるのか――

 そんな風に、逃げることばかり考えていた。


 気取られる。

 そして、アレクは言う。



『まさか逃げることばかりに頭を使われてしまうとは。目標を達成したいのでしたら、強くなるために立ち向かっていただかないと。しかし、あなたに逃げることを考えさせてしまう俺の方にも落ち度はありました。そこで、新しい条件を設けます』



 やめてほしかった。

 でも、アレクは条件を付け加える。



『夜明けまでに俺に有効打を与えられなかった場合、走ります』



 死ね、というのにひとしい宣言だった。

 しかも、ただ殺すだけでは飽き足らないらしい。

 アレクはついでのように、付け加えた。



『あと、走っている俺に捕まった場合、痛くします』



 この言葉が出た時点で『月光』は素早く行動した。

 命乞いをしたのである。


 勝ち目がない時には頭を下げるに限る。

 これはアレクに曰く『市民』な自分が、様々な危機を乗り越えてきた知恵の一つである。

 でも、通用しなかった。



『別に死にませんよ。セーブしたでしょう?』



 どうやら彼は、なぜ命乞いされているか理解できないらしい。

 さらに、こんなことまで言う。



『そもそも、あなたは少なくとも九度死んでいるはずだ。だというのに、なぜ今さら死が怖いのですか?』



 死と復活。

 このプロセスを繰り返してきたのは、なにもアレクだけではない。


 回数では彼に劣るだろうが、『月光』とて何度も死んできた。

 時には――たとえば『輝く灰色の狐団』を解散させる時などは、自ら覚悟し、己の命を冷酷に利用し、割り切った上で死んだことさえあったのだ。


 あの時割り切れた命が、なぜ今は割り切れないのか?

 その疑問に対し、『月光』は端的に答える。



「死ぬのが怖ろしいのではない! 苦痛にまみれて死ぬのが怖ろしいんじゃ!」



 首を落とされたことはある。

 でも、一撃ですっぱり首を落とされると、苦痛はそれほどでもないのだ。


 つまり――『痛くします』。

 この発言が『月光』に死を、というか死に伴う苦痛を怖れさせるのだ。


 アレクはなにかを考えこむ。

 嫌な予感しかしない。


 そして。

 予感は的中した。



『なるほど。人を必死にさせるのは、褒美や得だけではなく、罰もなのですね』



 なにか。

 気付いてはいけない人が、気付いてはいけないことに気付いてしまった。


 人はどれほど能力があろうとも、発想できないことは、できない。

 アレクは発想力のある方ではなかった。


 その彼に、自分が気付きを与えてしまったのだ。

『月光』は己の罪深さと、これから待ち受ける運命に震えた。

 涙すら浮かべた。


 でも、一度きっかけを得てしまうと、気付きは止まらない。

 アレクは暗闇の向こうにある深淵をのぞきこんでいる。



『……死にたくない、ではないのか。人が必死になった時にステータスが伸びやすいのは、死にたくないからではなく、生きたいからなのか。必死とはその実、覚悟ではなく希望なのか。つまり、死を前にしてそれでも生存をこいねがうことで人は実力以上の能力を発揮する、ということで……』



 ぶつぶつと、なにかをつぶやき続ける。

『月光』的には、怖ろしい怪物のうなり声にも等しい。



『わかりました』



 それは人が気付いてはいけないなにかに気付いた、人ならざる者の声だった。

『月光』はガチガチと歯が鳴るほど震える。



『生存、しましょう』



 笑顔。

 純粋な、新しい知識に喜ぶ好奇心旺盛な子供めいた表情。



『俺が、間違っていました。あなたに、気付かされました。もとよりお客様にほどこす修業は俺がやったものよりぬるめにしていますが、いたずらに難易度を下げすぎて効果まで下げてしまっていたようです。効率的にあなたの五百年を終わらせると言っておきながら申し訳ない』



 彼は深く謝罪する。

 でも、なにか違った。


 謝るところはそこではない?

 あるいは、謝るべきタイミングが今ではない?


 わからない。

 正体のわからない、言語化しようのない、果てしない違和感がどんどんふくらんでいく。



『何度も死に、時には自ら命を捨てることさえやってのけたあなたの生存意欲を引き出すのは並大抵のことではない。失念しておりました』



 深々と頭を下げる。

 隙だらけの姿勢。

 だというのに、『月光』は魔法を撃ち込むことができない。



『思えば数日徹夜でゲームをしていて、ハイになった時、妙なカンが働いたりするものです。その時、間違いなく眠気と疲労で操作性は落ちているのに、妙にスコアがよかったりする。つまるところ、限界を超えた能力が発揮されているのでしょう』



 わけがわからない。

 わからなくて、怖い。



『これからは、あなたを殺すまで、ずっとあなたを追いかけることにします』



 修行内容が更新される。

 それは己が蒔いた種が、歪に花を咲かせる瞬間だった。



『最初は徒歩ですが、だんだん、速くします。あなたが俺に有効打を与えた時点で、修業は終わりというのは変わりませんが、ずっと追いかけ続けることにします。そして――』



 彼は笑顔のままだ。

 まったく普段と変わらない調子で続ける。



『俺があなたを捕らえられる距離まで近付いたら、次回以降のあなたが生存を強く望むようななにかを行います』



 彼は告げる。

 とっておきの秘密でも打ち明けるように。



『なにか、の内容は、その都度変えます。ただ、あなたがかつて、俺にしたことが参考になっているとだけ、申し上げておきましょうか』



 かつてしたこと。

『説得』『交渉』。

 あらゆる痛みを、教えた。



『では、生き抜いてください』



 一歩踏み出す。

『月光』は無駄だろうなと頭の片隅でひどく冷静に思いながら言う。



「もう少し、その、なんじゃ…………軽めのやつは、ないかのう……?」



 引きつりそうになる笑顔でたずねる。

 その表情は卑屈なものに映るだろうか。


 それでもいい、と思った。

 その程度で許されるなら、誇りも矜持もいらないとさえ、願った。


 でも。

 彼は笑っただけだった。


 許しの言葉は、なにも、ない。

 なにも。

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