154話
自分で考案しておいてなんだが。
改良された修業の効果は絶大だった。
「あきらめたいのに……あきらめさせてくれない……」
小さな目標。
ささやかな褒美。
それは修業で心がくじけそうになるたびに、心を奮い立たせてくれてしまった。
強い想いは生存本能を凌駕する。
人は未来の褒美を想って、今、限界を超えることができてしまうのだ。
「何度も『もう充分じゃろ』と思ったのに、手を止めようとするたびに……目標が……褒美が……もう嫌じゃ……願いなんぞ抱きたくない……夢なんぞ見ていても苦しいだけじゃ……」
夜。
半日かけて豆を食べ尽くした『月光』は、ぐったりと倒れこんでいた。
冷えた地面が心地よい。
そばには風呂敷包みと、ぼんやり光るセーブポイントがあった。
包みにはまだなにか入っている。
その横で微笑むアレクの姿は、『月光』の目に亡霊めいて映った。
浮かべる笑顔は生者を巧妙にあの世へひきずりこむ悪鬼の微笑だ。
いや、あの世に引きずり込むというか――
あの世とこの世のはざまで、出たり入ったりさせられている感じというか。
自分の生命がよく跳ねるボールも同然に扱われている気がする。
死者と生者を行ったり来たり。
命が出たり、入ったり。
「……褒美をはよ……わらわに……生の実感を……」
「ああ、そうでしたね。『目的をはっきりさせる』というノウハウはあらゆる修業に広く使用できそうです。ありがとうございます。俺一人ではたどりつけない、新しい発見でした」
「うむ……」
褒美が安いなあ、と『月光』は思う。
しかし、安いものだって、悪いものではない。
……その『安いもの』さえ、今まで満足に与えられなかった人生だったのだから。
「……わらわの人生、報われておらんのう……思い返せば嫌われ役ばっかりじゃ……」
「こうしてあなたとまともな会話をして思うことなんですが、あなたはチョロくて尽くすタイプですよね……」
「わらわは、貴様とまともな会話をできた感触がないのじゃが……言われてみればその通りじゃな。ぐうの音も出ぬわ アレクサンダーに尽くし、『はいいろ』に尽くし……しかもアレクサンダーはだんだんおかしくなるし……」
「……そんな人を一人で放置してきて大丈夫なんですか?」
まともな質問だった。
たしかに、英雄と称される力の持ち主が、精神に異常をきたした状態で王宮の中にいるというのは心配に値するだろう。
しかし、『月光』はうなずく。
「最近はずっと脳を取り除いておるでな。まだ動けんじゃろう」
「……脳を取り除くって……それを『死んでいる状態だ』と判断する人も、少なからずいそうですが」
「その程度でよいならば五百年前に殺せておるわ」
「しかし、それでは自己再生しないアレクサンダーさんは、もう動けないのでは?」
「実のところ、再生はする。遅いがの」
『月光』は語る。
これは、五百年前――イーリィの生きていた時代には、観測しえなかった事実だった。
「失った腕がいきなり生えたりとか、そういうのはせん。ただ、どのような傷や欠損であろうが、普通の人が切り傷を負った際にいずれふさがるのと同様、治る」
「そんな特異性がなぜ五百年前は明らかにならなかったので?」
「イーリィがいつもそばにおった。アレクサンダーが機能を停止するほどの欠損、イーリィが放置せぬわ」
「……なるほど。しかし……脳の喪失であっても本当に治るので?」
「そうじゃな。もっとも、再生すべき部位が大きいほど時間はかかる。脳の欠損が『ふさがる』までは……おおよそ半年じゃな」
「……脳が生えてくるというのは、すさまじいですね。記憶障害などは……」
「不思議と、なさそうじゃ。まあ最近は混乱してずっと同じことしか言わんでな。判断は難しいところじゃが……最初期、かなり正確に、自分が動けんかった時のことも把握しておった」
「……肉体が壊れていても、意識は動いているのか。……『プレイヤー視点』かな」
「なんじゃと?」
「いえ。ともあれすさまじい五百年でしたね」
「……わらわが『アレクサンダー殺し』の活動を始めてからは、四百年少しじゃがのう。脳を取り除いても治ることに気付けたのは偶然じゃったが……げにすさまじきはアレクサンダーという存在よ。あんなモノ、本当に殺せるのか?」
「大丈夫ですよ。これから始める修行を終えて、『十割殺し』を習得すればね」
アレクが言う。
『月光』は息をつく。
「ようやくか。まさか基礎からやらされるとは思わなんだ」
「まあ、そのお陰でわかったことがあります」
「なんじゃ?」
「あなたすごく弱いです。あらゆるステータスが全然伸びません」
あんまりにも淡々と言われたせいで、聞き逃しかける。
しかし、どうやら、とてもひどいことを言われたようだと理解できた。
「……ま、まあ……カグヤの体は、かつてアレクサンダーたちと旅をしていた時分も、大して鍛えあがらんかったからのう。わらわの方は、そこまで『戦い』に明け暮れてはおらんし」
「いえ、どう過ごしたかとかは関係なくてですね。ステータスの伸び率が純粋に悪い。適性ごとに『戦士』とか『魔術師』とか呼び分けるのだとすれば、あなたは……」
「……」
「…………『市民』?」
「市民!?」
「つまり、戦闘ユニットではないかと。生きた年数と数奇な環境のお陰で、それなりのものにはなっていますが、それだって、普通の人が普通に二十年も努力すれば手に入る程度のステータスでしかないですね」
「…………」
「スキルも特筆すべきものが『憑依』しか見当たらない。魔術師系の技能をそこそこ習得しているご様子ですが、なんか別に『これ』というほどのものもなく……あなたがタクティカルシミュレーションのユニットだとしたら、愛がないと使用はキツいですね」
意味はわからないが、とにかく弱いと言われているのはわかった。
まあ長い時間をかけても一つの目標すら達成できない身だし、才能や実力がないという指摘は甘んじて受け入れるべきなのかもしれないが……
なんか。
悔しい。
「し、しかしじゃな……わらわの『憑依』はどうじゃ? これはアレクサンダーに曰く『チートスキル』じゃぞ? 強いんじゃろ?」
「その『憑依』でアレクサンダーさんは殺せましたか?」
「…………………………」
「試してはいるご様子ですが、まあ、それが答えですかね……あ、でも、『生き残り続けることができる』というのは、ゲーム的には役立たずでも、ゲームならぬ世界ではすごいことだと思いますよ。だって『不死』の能力は基本的に存在しないんですから。ね、すごい」
アレクがフォローにまわった。
そこまでひどいのか、と『月光』は笑う。
「…………それで…………市民のわらわに、『十割殺し』は習得できるのか…………」
「それはぬかりなく。ステータスが低いなら伸ばせばいいのです」
「しかし伸びぬのじゃろ?」
「すごく『伸びにくい』だけで、まったく伸びないわけではありません。そもそも、才能がないけれど到達したい目標がある時、人がする行動は決まっていますよね」
「……なんじゃ?」
「努力」
「………………いや、あきらめるという手段もあるじゃろ」
「あきらめますか?」
「……あきらめたりは、せんが……」
あきらめないが、心は折れそうだった。
『月光』は光のない目でアレクを見て、かすれた声で言う。
「わらわはなにを努力すればよいのじゃ……」
「そうですねえ。『十割殺し』は状態異常の一種なので、相手のRESよりこちらのINTが高ければ高いほど入りやすくなります」
「……つまり?」
「魔法威力を伸ばしましょう」
「どうやって」
「俺に有効打を与える修業ですね」
それが簡単なのかどうなのか、『月光』にはもはやよくわからない。
でも『アレクの修業』という時点で無茶なのだろうなということは予想できた。
「ただちょっと遠出する用事がありますので、旅をしながらになります」
アレクは言う。
『月光』は首をかしげた。
「遠出、とは? 王都ではできん修業でもあるのか?」
「そうですね。『十割殺し』の基礎理論を開発したのは、実は俺ではないので」
「……貴様以外にどんな頭の持ち主が、『十割殺し』などというおかしなものを創作しようというんじゃ」
「心当たりありませんか?」
「ないわそんなもん……ん? 待て。つまり――わらわが心当たりあるような相手か?」
「そうですね。俺はあなたの人生の全部は知りませんが、最低でも一人、『十割殺し』を開発する理由があった人が、あなたの記憶にはあるはずだ」
アレクの口ぶり。
自分の――この肉体の『記憶』。
その中で。
たしかに一人、いた。
……けれど、開発意図がわからない。
だって彼は――
「あやつは、アレクサンダーを『殺す価値もない』と見限ったはずじゃぞ」
「答えにたどりつきましたか。そうですね。でも、事実として、その方はアレクサンダーさんとたもとを分かったあと、『十割殺し』を開発すべく余生を費やした。……ちなみにネーミングは俺がしております。彼の魔導書にはその技術の名前まではありませんでした」
アレクは笑う。
そして。
「きっと、基礎理論の開発者――サロモンさんが最後まで完成させていたならば、もっと格好いい名前をつけたことでしょうねえ」
遠くを見るように、視線をどこかへ向けた。
そちらの方向は北東。
「次の修業は『エルフの森』に向かいながら行います。目的地はその近くにある山頂の洞窟で――そこに、『十割殺し』の基礎をまとめた魔導書と、開発者であるサロモンさんの遺体が眠っているんですよ」
『月光』はようやく理解する。
どうやら、これから始まる旅路の果て――
そこには、意外な再会が待ち受けているらしい。
……果たしてサロモンが『月光』との対面を『再会』と思うかは、わからないけれど。