152話
「みなさんに聞き返されるので滑舌を鍛えるトレーニングなどもしているのですが、最初の修業は『崖から飛び降りる』です」
「いや、滑舌のせいではなかろう。貴様の発言が意味不明だから聞き返されるんじゃ」
『月光』は率直な意見を述べる。
しかしアレクは首をかしげた。
「意味不明でしょうか? 混乱や誤解を避けるために、していただく行動だけ、可能な限り簡潔に述べているのですが」
「簡潔に述べればいいというもんでもなかろう。考えてもみよ。『修業する。内容は崖から飛び降りる』って意味不明じゃろうが。それは俗に自殺が目的の時にする行為じゃ」
『月光』はあっさりと言い切った。
この発言におどろいたのは、そばのカウンター席に座っていたロレッタだ。
「さ、さすがアレクさんのご母堂だ……みんながそう思いながらも怖ろしくて言えなかったことを実にあっさり言ってしまわれるのだな……」
感心したような声をあげていた。
『月光』は額をおさえてかぶりを振り、大きくため息をついた。
「というかアレク、貴様、普段からそんな調子か?」
「そうですねえ。求められればご説明させていただくという方針でやっております。だってどのみちやることに変わりはないですし、従っていただける限り、効果も保証しておりますし」
「わらわがせっかく人の気持ちがわかる子になってほしいと修業をつけたのに、貴様は人の気持ちをわからん子に育ってしまったようじゃな……」
「悪いけどあんたの修業で人の気持ちがわかる子は完成しない。あれで完成するのは物理的に人の痛みが理解できる子だけだ」
「口調が戻っておるぞ」
「失礼。とまあ、このような方針ですが、崖から飛び降りる理由をご説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
「そうじゃな。はようせい」
「まず、俺は修業に大事なのは耐久力だと思っております。これから行なっていく修業で死亡することは少なくないのですが、そういう時に『なんかよくわからないうちに死んじゃった』とか思われると、修業にならないのです」
「なるほどのう」
「加えて、俺の修業、というか人を鍛えるという行為は、死を覚悟し、死力を賭していただかないと効果の落ちるものが非常に多い。なので『死を目の前にしてそれでも先へ進む精神性』を鍛えたい」
「ふむ」
「ですので修業の第一歩として、『落ちて死ぬことで肉体が耐久力の必要性を学習し、耐久力がよく伸びる』『自分から底の見えない絶壁へ飛び込むことで、死ぬということを意識し覚悟しそれでも先に進む精神力をはぐくむ』ということができる『崖から落ちる』という行為が最適なのです。ご理解いただけたでしょうか?」
「うむ、理解した。しかし……」
「気が進まないようでしたら、無理強いはしません。『やらされている』という気分でやっても意味がありませんからね。あくまで、ご自身の意思でやっていただかないと」
「そうではない。貴様の話を聞いて、いくつか疑問ができた」
「疑問?」
アレクが首をかしげる。
『月光』は「うむ」となにかを考えこむような顔でうなずいた。
「まず、その方法は本当に効率的なのか、という疑問じゃな」
「いくつものパターンを、基本的に自分で、時には人で試して、最適化はしておりますが」
「そこが、貴様一人の限界じゃな」
「と、おっしゃいますと?」
「この聞くからにヤバイ修業はすべて貴様が一人で考案し、実行しているものじゃろ? ヨミが力を貸すとは思わん。まあ、わらわのいない年月がヨミを変えてしまった可能性も否定はせんが……」
「ヨミはどちらかと言うと協力はしてくれませんね」
「つまり他者の意見が足りぬ」
「なるほど」
「そしてわらわならば、人の精神や痛みについて、客観的で、専門的な意見を述べることができる。つまり、わらわの意見で貴様の修業はよりよくなるというわけじゃ」
「興味深いですね。続きをお願いします」
アレクが身を乗り出す。
『月光』はちょっとだけ姿勢を正し、咳払いをしてから。
「では。貴様の『崖から飛び降りる』という修業の要点は『高所からの落下により耐久力を上げる』ことと『死を目の前にしても恐れない精神性をはぐくむ』ということじゃな?」
「はい」
「そして貴様が育てているのは、冒険者であろう?」
「はい」
「ならば、覚悟の種類が違う」
「……種類、とは?」
「『崖から飛び降りる覚悟』は『能動的な覚悟』じゃ。目の前の『死』に立ち向かう勇気、と言い換えてもよい。じゃが、それは本当にダンジョンで活きる覚悟か?」
「どういうことでしょうか?」
「ダンジョンでは、あらゆるものが『いきなり』襲い来る。その時に『よし、行くぞ』などと思って死地に飛び込むのでは遅い。危機的状況に突如放り込まれ、瞬間的に覚悟を固めねばならん状況は数多い」
「……なるほど。アクティブスキルではなく、パッシブスキルが必要というわけですね」
「どういうわけかわからんが、きっとそうじゃろ。……というわけで、わらわは貴様の提案した『崖から落ちる修業』を二段階に分けるべきと考える」
「ふむ」
「一段階目は、今まで貴様がしていたものでよい。自ら覚悟を決めるというのは、精神の準備運動として大事じゃ。しかし、慣れてきたころに今度は『受動的』あるいは『自動的』に覚悟を決める力をはぐくむような修業にするべきじゃな」
「なるほど。たとえば?」
「『自動的に覚悟を決める精神構造を生み出す』には、『いつ死ぬかわからない』という状況が必要になってくる。つまり、自分で崖から飛び降りるのではなく、誰かに、一定ではない間隔で崖から落とされることが必要というわけじゃ」
「ほう」
「しかし、崖の方向を向いてただ突っ立っているだけというのも、待ち時間がもったいない。そこでわらわが提案する修業じゃが――」
「……」
「『修行者をロープで崖にぶらさげ、適当なタイミングでロープを切る修業』」
「……ふむ」
「これじゃな。そして、修行者にはこのように申し渡すのじゃ。『そのロープをのぼりきり、崖の上までたどりつけたら、修業は合格だ』と」
「…………」
「こうすることで、集中力をかき乱し、より実戦に近い状況で『覚悟を決める』ことができるようになる。ダンジョンでこちらが警戒するのをモンスターが待ってくれる道理はない。食事の準備をしておったり、他のモンスターとの戦闘中じゃったりすることは多いからのう」
「……」
「どうじゃ、わらわの提案は」
「素晴らしい。完璧だ」
アレクが拍手をした。
その周囲ではヨミが頭を抱え、ロレッタが顔を青ざめさせていた。
『月光』は妙な高揚感を覚えた。
賞賛されている。
思えば、人から褒められることの少ない人生だった。
自分の知識を役立て、提案し、それを激賞されるというのは、気持ちがいいものだ。
尻尾が震える。
アレクはひとしきり拍手をし――
そして、告げた。
「では、あなたの最初の修業はそれでいきましょう」
「…………は?」
「いえ、ですから、あなたの最初の修業は、あなたが提案してくださった、より実戦的な精神をはぐくむ修業でいきましょうと、そう申し上げたのですが」
「…………………………?」
「なんで意外そうな顔をなさっているので? あなたに施す修業の説明中でしたよね? このタイミングで新しい、より優れた修行法を提案してくださったならば、その修業をあなたにつけるのは当然だと思うのですが……」
アレクが困惑している。
『月光』はしばし考えた。
そして。
その通りだなと思った。
「……しまったあああああああああ!?」
「どうされました」
「いや、いやいや、いや……わらわがやるのか、それを」
「そうですが」
「…………うむ、ああ、そうそう。言い忘れておったことがあるんじゃが」
「なんでしょうか」
「この修業は効率以外がまるごと欠落しておる」
「修業とはそういうものですよ」
「その……わらわは、修業を受ける立場になったことがないんじゃ。『輝く灰色の狐団』も人手不足だったゆえ『即戦力に鍛える方法』ばかり考えておった。『はいいろ』も『狐』も、人の精神面はさっぱりわからんでな。どう追い込んだら効果的かという相談を受けることが多かったんじゃ」
「なるほど、その経験のお陰で、今の素晴らしい修業が生まれたんですね」
「しかし、わらわは気付いた。大事なのは効果や効率ではない。一人の人を長く鍛え続け、ある程度の才能の持ち主ならば誰でもモノになるような『汎用性』が必要なんじゃ。あまり追い込みすぎると死人が出るでな。そのあたり、わらわは最近とても気をつけておったぞ」
「ああ、だからあなたの育てた『アレクサンダーたち』は一番から三十五番まで全員生存していたんですね」
「うむ……全員貴様に再教育されてしもうたが……」
「なるほど。たしかに修行中に死んでしまっては意味がない。それはよくわかります」
「じゃろう」
「なので、俺の修業ではセーブをします」
「…………そうじゃな」
「だから安心ですよ。死ぬまでやっても死にません」
「………………そうじゃな」
はい。
状況がどんどん詰まれていく。
『月光』は逃げ場を探して周囲を見回した。
ロレッタは目を逸らした。
ヨミと目が合った。
『月光』は居住まいを正す。
それから、ヨミの目をしっかり見て、口を開く。
「ヨミ」
「はい」
「貴様には悪いことをした。わらわは『はいいろ』の願いを叶えたが、その結果両親を、少なくとも確実に片親を失うことになる貴様のことは全然まったく考えてもおらんかった」
「はい」
「今は大事な目標が目前ゆえ、そちらを優先するが、目標さえ達成できたならば、貴様への償いに残る人生を費やしてもいい」
「はい」
「じゃから、どうか、目標達成までにわらわの精神がもつよう、アレクになんか言ってやってはくれんかのう……?」
「いや、うーん……ええっと……どう言ったらいいかなあ……」
「頼む……頼む……」
「端的に言うと、ぼくはこの人を止められないんだよね……」
「…………」
「だから、がんばって。同情はしてあげるから」
同情なんかいらなかった。
そんなものもらったところで、パン一つ買えない。
どうやら、救いはないらしい。
『月光』は静かに状況を受け入れる。
この落ち着いた気持ちには覚えがあった。
そうだ――たしか、三回目の死亡時。
とある地方豪族に取り入ろうとして、『尻尾が多くて無気味』という理由で焼かれた。
その時、はりつけ台の上でこんな気持ちだったなと、『月光』は回想する。
「行きますか」
アレクが言う。
『月光』は静かなまなざしで彼を見た。
そして、理解する。
手の者から修行内容についての報告があがってこなかった理由がわかった。
アレクの修業。
それを目撃したところで、処刑にしか見えないだろうなと。
そういう真実を、静かに噛みしめた。