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150話

『銀の狐亭』。

 王都の大通りから一本裏に入ったところにあるうらぶれた建物には、そのような看板がかかっていた。

 もう時刻は朝だ。

 しかしこのあたりは、どこか薄暗い。ちょうど建物の陰になっているのだ。


 アレクと『月光』は、薄暗いせいで幽霊屋敷の趣すらある建物の前に立っている。

『月光』は息子の経営する宿屋を見て、一言。



「もうちっとマシな建物にはできんかったのか」

「いやいや、このぐらいがちょうどいいんですよ。あまり立派でも入りにくいし、あまりボロすぎても入りたくない。このぐらいが、適切なんです」

「適切な割には繁盛しとらんようじゃが」

「繁盛が目的ではありませんからねえ。あなたから習った情報操作で、『死なない宿屋』が必要そうな人だけにこの宿の噂がとどくようにしてますから」

「……貴様と直接会話をするのは『はいいろ』のところで貴様が死んだり死に続けたりしておった時以来じゃが、人は変われば変わるもんじゃのう。昔の貴様は、真っ直ぐじゃった」

「お互いに歳をとったということですね」

「ふん。……行くぞ。案内せい」

「そうですね。ではどうぞ」



 アレクは笑顔で一礼する。

 それから、宿屋のドアを開いた。



「いらっしゃいませ。ようこそ『銀の狐亭』へ」



 中に入ると、そのような、物静かな声が聞こえる。

 羽ペンとインク壺のあるカウンター。

 背後には窓があり、光と風がそこから宿内に入ってくる。

 外はあんなにも薄暗かったのに、まるでここだけ区画全体で採光が計算されているようだ。

 左手には二階へのぼる階段があり、さらに奥には食堂とおぼしき空間が見えた。

 外部はうらぶれているわりに、内部は明るく、そして広く見える空間だ。


 視線をカウンターに戻す。

 そこにいたのは、白い毛並みの猫獣人だ。

 ぼんやりとした表情には幼さが色濃く残っている。

 見た目年齢だけならばまだ子供だ。


 アレクのことについて調べてはいたが、『銀の狐亭』や『南の絶壁』など、人混みのないところでなにかをされると、手が出ない。

 他の者の気配がないところでアレクの感知範囲に入ると、すぐに捕捉されるからだ。

 だから、何度か手下を使ったりして遠巻きに観察してはいたものの、アレクの宿の従業員と直接接触するのは、これが初めてだった。


 さて、昔いた手下――今はもう解散させられた『アレクサンダーもどき』たちの情報によれば、この白い毛並みの猫獣人は『ブラン』という名前だったはずだ。

 身分は奴隷だと、公式記録にはある。


 しかし何度か外で買い物をする時に、ヨミに対して『ママ』と言っていることが確認されていた。

 ヨミを『ママ』と呼称するということは、その夫扱いになっているアレクを『パパ』と呼称させられているということが予測できる。

 しかし血縁関係ではない。

 ということはつまり、この娘は。



「貴様か、噂にあったアレクのめかけは」

「そうですね。パパの妾のブランです」



 やはりな、と『月光』はうなずいた。

 古来、貴族などが奴隷や使用人の少女を『娘』のようにかわいがり、その実『妾』として扱っていた事例は枚挙にいとまがない。

 実際、アレクを産んだ時の『月光』も似たような立場に偽装していた。


 だから『月光』は『やっぱりそうか』と思うのだが。

 アレクが後ろから頭をひっぱたいてきた。



「なにすんじゃ貴様! 母親の頭をひっぱたくでないわ!」

「人の娘に対して開口一番に『妾か』とか言う人は、ひっぱたかれるどころか、首を落とされても仕方ないと思うんですが。セーブなさいますか?」

「いやいや。わかっておるわ。娘のように扱っておるんじゃろ? 表向きには。手元で美味しく育つまで待っておるんじゃろう? わかるわかる」

「裏向きにも娘です。美味しく育つまで待ってるわけじゃありません」

「なるほど。今がすでに美味しい時じゃと。いい趣味しとるな、貴様」

「違います」

「しかしあやつは妾だと認めたぞ」

「……ブラン」



 アレクもさすがにあきれた顔になった。

 ブランはしっぽをピンと立てて、はにかんだように笑う。



「あ、パパ、お帰りなさい。相変わらず気配ないですね」

「お帰りじゃなくて」

「ソフィさん、いらしてますよ」

「それは知ってるけど」

「みなさん夜通し騒いでらしたので、ちょっと食堂がひどいことになってます」

「そうか。それはいいんだけど、妾っていうのは……」

「そういえば母親って? その人は?」

「ああ、この人は俺の母親で……ヨミの義母にあたるのかな」

「ということは、私のおばあちゃん?」

「そうだな。お前は、妾じゃなくて俺の娘だから、そうなるな」

「ああ、例のおばあちゃんですね。なるほど、たしかに尻尾がたくさん……あれ? パパは九本だって言ってましたよね?」

「そうだけど、どうした?」

「十本あります」

「……本当だ」



 アレクがまじまじと『月光』の尻あたりを見る。

 むずがゆさを覚えながら、『月光』は注釈した。



「……『輝く灰色の狐団』解散当時、貴様の目の前で首を落とされたじゃろ。あれで一度死んでおる。その時に十本に増えた」



 というか、自分をあの棺に入れる時に気付かなかったのだろうか。

 あまり関心をもたれていないような気がして、少しへこむ。


 アレクは納得したように「ああ」と声を漏らした。

 一方で納得できなさそうに首をかしげるのは、ブランだ。



「……九本じゃないんですね。パパは九本って言ってたのに。……でもパパが間違いっていうのはないし………………切り落とすとか」



 ぼそり、と非常に小さな声でつぶやく。

『月光』の耳にはとどくが、アレクの耳にとどいている様子はないという絶妙な音量だった。

 思わず『月光』はアレクに告げた。



「貴様、手元にとんでもないものを置いておるな」

「?」

「いや、アレは『狐』と同族じゃぞ。あのきかんぼう娘と同じ気配を感じる」

「まあ獣人ではありますね。狐獣人と猫獣人の違いはありますけど。それに、たしかにちょっと頑固なところもありますかね」

「そういう意味ではないが……まあよい」



『月光』は肩をすくめる。

 アレクは首をかしげるが、大して意味のない発言だと判断したらしい。



「では、お待ちかねの、ヨミに会いに行きますか」



 そう言って、さっさと食堂とおぼしき方向へ歩き出した。

『月光』はブランを振り返る。


 彼女は眠たげな顔に戻り、ぺこり、と軽いのにどこか気品ある動作で礼をする。

 孫。

 いまいち実感はわかないが――



「……よく考えたら、各地に孫がいても不思議でないのう」



 そんなことを思いつつ。

 こちらをまったく顧みないアレクの背中を追った。

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