146話
『影』との戦いは、長く続いた。
戦闘そのものが手探りなのだ。
どうやら魔法は吸収するらしい。
物体は吸収されないものの、『通り抜ける』という印象で、手応えがない。
向こうからの攻撃も、剣や鎧などを通り抜けて、そのくせ肉体にはダメージがあるし、吹き飛ばされたりもする。
相手に干渉するには魔法的な技術を使わざるを得ず。
また、相手の攻撃を受けるのにも、魔法的な力が必要だ。
……よく、パーティー外の協力者には勘違いされることがある。
それは『不死身の英雄アレクサンダー』が『一切防御をしない』という勘違いだ。
アレクサンダーはたしかに死なない。
しかし、防御行動を軽視しているわけでもなかった。
彼にその理由をたずねると――
「いや、痛いから」
と、答える。
つまり彼にも痛覚はある。
人並みとは言えないほど鈍感かもしれないが、ともあれ、彼は避けることができる攻撃は避けるし、受けることができる攻撃は受ける。
防御を捨てるのは『とっておき』であり、『心臓に矢を刺されても突撃しない限り勝ち目がない』というような、『命懸けでのみ活路を開ける状況』だけなのである。
だから、しばらくはカグヤも安心してアレクサンダーたちの戦いを見ていられた。
こういった初見のモンスターとの戦闘には、いくつかの段階があるのだ。
まずは、調査。
遠巻きに見たり、こうして実際に剣をまじえたりして、相手の能力を推し量る。
現在、長く続く『影』との戦闘はこの段階にあたった。
斬って、射って、殴って、切り落として、あらゆる攻撃を試し、なにが有効でなにが無効かをたしかめているのだ。
だから、もしアレクサンダーが『とっておき』をやり出すとすれば。
「よし、だいたいわかった」
調査が終了して――攻勢に転じる時だ。
アレクサンダーは戦いに参加している仲間……サロモン、ダヴィッド、『真白なる夜』に対して指示を飛ばす。
「脳筋戦法に入るぞ! サロモンはありったけ魔法の矢をぶち込め。ダヴィッド、サロモンを守れ! 俺とシロで撹乱する! 物理効かないで魔力を吸収するなら、はち切れるまで喰わせてやれ!」
そして。
背後で待機していた、非戦闘メンバーを振り返って。
「イーリィはダヴィッドに回復集中! ウーばあさんとカグヤは逃げてろ! 以上!」
アレクサンダーが剣を伸ばす。
それは多くの人が『聖剣』と呼称し、ダヴィッドだけが「これが剣とか刀剣鍛冶なめんな」と不機嫌そうにその存在を語る、『魔力により刀身を伸ばす剣』だった。
戦いは激化していく。
カグヤは、アレクサンダーの命令を無視した。
横でウー・フーが髪をうねうねさせながら「え、行かないの? わし逃げたいんだけど」と不安そうな声をあげている。
カグヤは一瞥だけして、その場にとどまる。
激化する戦いの中、アレクサンダーにはもう背後を気にする余裕はなかったようだ。
敵は巨大な『影』が一体。
しかし敵の動作は俊敏だ。たった一体だというのに、アレクサンダーと『真白なる夜』が全力で攪乱してなお、ダヴィッドの方向にまで攻撃が及ぶ。
それは、影の左手にある五指が、触手のように伸び、うねり、こちらを貫こうと狙ってくるからだった。
人ならば『右手の剣で二人に対応しつつ、左手では他の五人に向け攻撃をしかける』という行動を頭で処理しきれない。
しかし『影』は正確無比に、一瞬でも気を抜けば死ぬような攻撃をしてくる。
「即死だけはすんなよ! 一瞬でも息があれば、イーリィがどうにかする!」
アレクサンダーが攻撃を続けながらそれだけ叫ぶ。
つまり、少しでも間違えば即死させられかねない状況なのだ。
こういう強敵相手には無類の強さを発揮する『真白なる夜』も、今は攪乱で精一杯だ。
そもそも、弱点を見抜く目を持っているだけで、弱点のない敵には効果がないのだろう。
激戦は続く。
そして――
ダツン、という不思議な音がした。
カグヤはパン作りを思い出す。
ちょうど、よく練った小麦を切り分ける時の音が、こんな感じだったのだ。
そんな拍子抜けさえするような音を立てて。
アレクサンダーが、『影』の左手首を切り落とした。
「ようやく攻撃が通ったか」
安堵したような声だった。
サロモンは反対に「この程度で終わってしまうのか」と落胆した声を発していた。
アレクサンダーが『脳筋戦法』と称した『限界まで魔力を喰わせる』戦法がようやく功を奏したのだ。
ここからは、逆転劇の始まりだった。
次々に解体されていく『影』。
手を失い、足を失い、胴体を失っていく。
すべてから切り離された頭部は宙を舞い、口とおぼしき部分から、槍のような触手をはき出して攻撃してきた。
頭部には今まで見えなかった、黒い球体のようなものがあることがわかった。
『真白なる夜』も「ああ、アレが弱点みたいですね。いやあ、ようやく終わる。よかった」とボロボロになりながらも穏やかに笑って告げた。
全員の攻撃が、『影』の宙を舞う頭部に集中する。
全員が同じところを見ている中――
やっぱり、カグヤだけは、違う場所を見ていた。
視界の中心は周囲にちらばったままの、『影』の体だ。
モンスターは死ねば消える。
ただし命が尽きるまでにうばった『皮』や『肉』などはそのまま残るという法則があった。
だから、誰も気に留めない。
『影』の体が切り落とされたまま残っていたところで、それは『影』本体を倒せば消えるものであり、ようするに『いつものこと』だ。
でも、カグヤはやけに『影』のちらばった体が気になった。
――天啓と言うならば、まさしくこれこそが天啓だろう。
それは予言でこそなかったものの、カグヤの中ではたしかな予感だった。
『影』の左手。
五指を触手として操ることで、主にダヴィッドやサロモン、イーリィたち後方支援を行なっていた者たちに猛威をふるったソレ。
じっと、ながめる。
するとわずかながら動いているように見えたのだ。
カグヤは、走り出した。
ウー・フーが「おい!?」とおどろきの声をあげる。
イーリィが「カグヤちゃん!?」と叫んだ。
二人の横を駆け抜ける。
アレクサンダー、サロモン、『真白なる夜』、ダヴィッドは気付かない。
今、それどころではなかった。
もう少しで激闘の決着がつくのだ。
体はボロボロで、精神力だって尽きかけている。
さっさと倒して楽になりたい――本人の意思とは別に、肉体がそんな悲鳴をあげていたとしても、仕方のないことだろう。
だからこそ。
完全なる不意打ちとして、『影』の左手が五本の触手を伸ばした。
カグヤは――
間に合った。
間に合ってしまった。
走り出した彼女を止められる者はなく、彼女はそのまま『影』の左手を抱きしめるように、体に抱え込んでいた。
伸びた五本の触手すべてが、彼女の小さな胴体を貫く。
紙のようにやすやすと引き裂かれる、幼い少女。
しかし肉体一つ分の抵抗は、たしかに『影』の五指による攻撃から『不意打ち』と呼べる効果を取り払った。
アレクサンダーたちは、背後から迫ってきた五指に、対応する。
不意打ちは失敗に終わり、アレクサンダーたちに傷一つつけられなかった。
……少なくとも、サロモンやダヴィッド、『真白なる夜』にこの奇襲で傷一つつかなかったのは、間違いなくカグヤの功績だ。
そして。
奇襲に対応し終わり、アレクサンダーたちは、ようやくカグヤの状況に気付いた。
「なにしてるイーリィ! カグヤを治せ!」
冷静ではなかった。
胴体が空っぽになった少女を見て『即死してはいない』と判断したのは、その証拠だろう。
この無意味な指示に、イーリィはすぐさま対応した。
貫かれたカグヤの体が治っていく。
空っぽになった胴体に、血肉が戻っていく。
意識は。
戻らない。
「……この……!」
アレクサンダーの剣が、ひときわ長く、太く、伸びた。
彼は白の天井を切り裂きながら、その剣をふるう。
「悪あがきしないで、大人しくやられとけ!」
城ごと斬り裂く一閃。
アレクサンダーが太く長く伸ばした剣は、逃げ回る『影』の本体、そこにあった黒い球体を真っ二つに切り裂いた。
光。
それから、風。
やられたモンスターを中心に、ダンジョン内部に不可視の波動が広がっていく。
モンスターの生成が止まったのだ。
だが、そんなことはもう、どうでもよかった。
アレクサンダーはカグヤに駆け寄る。
倒れたまま、彼女は目を開けない。
アレクサンダーは膝をつき、小さな体を抱え、ゆさぶった。
「おい! カグヤ! 起きろ! もう傷はねーぞ!」
返事はなかった。
ただ。
少女の顔には、腹部を貫かれ絶命したとは思えないほど、穏やかな笑みがあった。
「くそ、なんで……なんでこんな……!」
どうにもならないことは、全員がわかっていた。
……死人のまったくいない旅では、なかったから。
目の前にあるものが、『まだ望みがある』ものなのか、それとも『修復だけはされた空っぽの肉』なのかは、全員が察した。
そして、全員が判断した。
――もう、カグヤは死んでいる、と。
だから、声を発することのできる者はおらず。
――最初に、静寂を破ったのは。
「……うん? なんじゃ、どういう状況じゃ?」
死んだはずの少女。
全員があきらめた生命。
カグヤその人で――
――ただしこれは。
残酷な――少なくともアレクサンダーにとって、カグヤがただ死ぬよりも、もっと残酷な仕打ちの始まり。
目覚めたのはカグヤではなく、カグヤの皮を被った何者かでしかなかったと。
そういう喜劇の、始まりだった。