139話
「やっべえ食い物ねーじゃん」
カグヤが、アレクサンダーとイーリィに同行して旅を始めてから、しばし経ったころ。
荷物の確認をした彼が、そんな風につぶやいた。
あたりはなにもない平原だ。
たぶん、遠いところに川はあるのだろう。
しかし視界に入る範囲にはないし、北側には、はげた山ぐらいしかなかった。
動物も、見当たらない。
アレクサンダーのこのつぶやきに、イーリィは「だから一週間も前からずっと『どこかで食べ物の補充をしないと』って言ってたじゃないですかあ!」と頬をふくらませていた。
このように、アレクサンダーはあまり人の忠告を聞かず突っ走る傾向にあった。
その忠告を受けるたびにアレクサンダーが言っていたことといえば――
「まあなんとかなるって」
という、非常に無責任なものだけだった。
イーリィはやや口うるさいところがあるので、その話を打ち切るためだけにアレクサンダーが口にする常套句である。
しかし、イーリィの口うるささの原因は、八割ぐらいアレクサンダーの考えなしの部分に起因することを、カグヤは知っていた。
その考えなしアレクサンダーも、さすがに食べ物がないという現状を前には、思案をした様子であった。
三秒ほど――彼にしてはかなり長いこと悩んでから。
「近くの村で分けてもらおう」
そのように結論した。
もちろん、この時点で『近くの村』なるものは視界にない。
それに、イーリィたちに聞いた話によれば、今の時代、村々は決して協力関係になかった。
モンスターも、村のものではない人も、すべては『外敵』とみなされるらしい。
世界にはモンスターがあふれていた。
実際、カグヤも、アレクサンダーたちに同行してからという短い期間で、何度モンスターに襲われたかわからない。
モンスターたちは決して強いという印象はなかったけれど、数は多いし、人だけを執拗に狙ってくるので、厄介だ。
自然、村の外に出るには命懸けになり、人々の集落は自給自足がメインとなる。
そういった時代に『食糧を分けてもらいに来る他人』など、歓迎される理由がなかった。
イーリィも、カグヤと同じ見解だったらしい。
彼女はアレクサンダーに「そんな都合良くいかないですって。兄さんは本当に、もっと後先考えてくださいよ!」と『口うるさく』言う。
アレクサンダーはやっかいそうに顔をしかめた。
それから。
「まあ、なんとかなるって」
気楽そうに言って、歩みを進める。
他者をおもんばからない歩調に、カグヤもイーリィも慌ててついて行くしかなかった。
○
「ほら、村あったぞ。え? 知ってたのかって? 知るわけないじゃん。ただの偶然だけど結果的にあったんだからいいだろ?」
彼が指さす先には、たしかに村がある。
高い木製の壁で囲まれた、さほど大きくない集落だ。
内部にはやぐらが立っているのも見えた。
そこには見慣れない武器……ようするに、アレクサンダーが持っているような『剣』でも、イーリィが持っているような『杖』でもない武器を持った見張りが立っていて、周囲を警戒しているようだった。
というか。
思いっきり、その見張りと目が合った。
カグヤはあまりものを知らないが、それでもわかる。
絶対歓迎されないやつだ。
「んじゃ、行くか」
アレクサンダーだって、今、見張りが思いきりこちらをにらんだのはわかったはずだ。
それ以上に、カーンカーンカーンという警鐘の音が聞こえているはずだ。
だというのに、足取りも軽く、彼は集落へ進んでいく。
集落の方では、やぐらの上に多くの人がいた。
一列に横並びして、見慣れない武器を構えている。
みな、若く、男性だか女性だかわからない顔立ちをしていた。
よく見れば、アレクサンダーやイーリィよりも、耳がとがっているようにも見える。
「止まれ! それ以上近付くと、害意ありと見なすぞ!」
張りのある声は、男性のものだった。
アレクサンダーは笑う。
「おー、やっぱり言葉は通じるのね。それに、エルフに弓、と。計算違いはモンスターとダンジョンぐらいか。……はあ、マジでバグなんだなあ、モンスターって」
わけのわからない発言だった。
イーリィから『適度に無視した方がいい』と言われているものだろう。
もっとも、発言だけではない。
行動だってわけがわからない。
止まれと言われているにもかかわらず、まったく気にしたそぶりもなく近付いて行く。
「警告はした! 言葉が通じない者、モンスターとみなす!」
村側は、攻撃を開始する。
彼らが用いているのは、しなる木材に、細い糸をピンと張った不思議な武器だ。
そこに短く細い槍のようなものを装填し、木材のしなりと糸で飛ばす仕組みのようだった。
カグヤが知るものだとスリングショットが一番近いだろうか。
ただし、威力も速度も、おそらく飛距離も、スリングショットよりはるかにすさまじいようだった。
――弓と、矢。
カグヤの知らない、後に『獣人族』と定義される種族があまり使わない道具の名前が、それだった。
複数の矢が、アレクサンダーを襲う。
彼は、背中に背負った大剣を抜き放つと。
「悲しいねえ」
剣を大きく振りかぶる。
力をためるように、体を思い切りひねる。
そして。
「俺の脅威を、モンスター程度と一緒にされるなんてさあ!」
思い切り、大剣をなぎ払った。
その風圧だけで、飛んできた矢は、ばらばらと地面に落ちた。
集落から戸惑う気配が感じられる。
アレクサンダーは、大剣を肩にかついで叫ぶ。
「っていうか食糧分けてもらいに来ただけだっつーの! いきなり矢を射かけてくんなよ!」
地団駄を踏む。
……アレクサンダーは、この世界が今陥っている状況を充分に知っているはずであり、食糧の貴重さだってよくわかっているはずだった。
それなのにこの物言いである。
カグヤはそろそろ、アレクサンダーの人格に疑問を覚え始めていた。
「食糧は分けられない! 帰れ!」
アレクサンダーの要求に対する、村側の返答がこれだった。
彼はどのように反応するだろうか。
カグヤはこのあとの展開に嫌な予感を覚えつつ、アレクサンダーを見た。
彼は。
肩をすくめた。
「わかったよ。まあ、そうだな。こんな時代だもんな」
意外にもあっさりした引き際。
けれど、村の主張を認めたうえで、彼は、なお語る。
「でもさ、あんたらも、そんなとこに閉じこもってて、もったいないと思わないのか? あんたらぐらいの弓の腕があれば、もうちょっと活動圏を広げられるだろうに。特に、そこの髪の長いあんた」
アレクサンダーが視線を動かす。
そして、今までしゃべっていたのとは、別な――村人の中でもっとも髪の長い者を見た。
その、とがり耳の、金髪碧眼の人物が男性か女性か、カグヤでは判別がつかない。
美しいことだけは、たしかだ。
ただし、仏頂面を浮かべて唇を一文字に引き結んでいるので、かなり気むずかしい印象だ。
緑色の、むやみに丈の長い衣装を身にまとい、簡単な革の胸当てを左胸につけている。
体つきは細く、長い。
その人物は、なにも言わずに、アレクサンダーを見下ろしていた。
表情さえ変わらない。
だというのに、アレクサンダーは楽しげに笑う。
そして、言葉を続けた。
「あんたの矢が、一番、俺にとどきそうだった。……俺があんたぐらいの腕の持ち主なら、こんな狭い村暮らしに飽き飽きして飛び出すけどな。っていうか、俺は、実際、飛び出した。性格の違いかねえ。どっちがいいってわけじゃないけど……あんたがこんな場所でくすぶってるのは、もったいないと、俺は思う」
「……」
「なあ、もしよかったら、あんただけでも、どうだ? 俺と一緒に、世界の果てを見に行かないか? この世界には面白いものも、不思議なものも、なんでもある。広く、わけのわからない世界――一箇所にとどまってるのは、あんまりにももったいないだろ?」
「…………」
声をかけられた側は、無言、無表情のままだ。
ただ――村側は、なんらかの危機感を抱いたらしい。
先ほどから、村の総意を代弁している男性が、慌てたように叫ぶ。
「耳を貸すなサロモン!」
その一言が、皮肉にも、きっかけになってしまったようだった。
サロモンと呼ばれた人物は、見張りやぐらから、村の外へ飛び降りる。
音もなく、草地に降り立つ、サロモン。
ふわり、と長い金髪をなびかせながら、彼は、ぼそりと口を開く。
「……面白いものならば……」
「あん?」
「……面白いものならば、目の前に、ある」
弓を構える。
女性のような見た目の、しかし男性だったらしい人物の矢は、ぴたりとアレクサンダーに狙いを定めた。
アレクサンダーは楽しげに笑う。
そして、大剣を構える。
「高所の優位を捨て、遠距離の優位を捨て、壁の優位を捨て、俺とおんなじ地平に立ってもらったところで申し訳ないんだが――俺にはあんたと戦う理由がないんだけど?」
「……我に勝てたら食糧をやろう」
「よっしゃ、やろう」
サロモンの発言に泡を食ったのは、村の方だった。
やぐらの上から「サロモン!? おい!」という悲痛な叫びが聞こえる。
苦労人だということが一目でわかった。
カグヤはイーリィに視線を向ける。
イーリィもまた、頭を抱えて「ああまた兄さんの悪い癖が……」と嘆いていた。
苦労人たちの嘆きの中、アレクサンダーとサロモンが向かい合う。
そして。
「……さあ、面白いことを、やろう。――闘争だ、強敵よ!」
サロモンが、攻撃を開始した。