138話
「目的地? えーと……とりあえず西だな!」
……簡潔に述べてしまえば。
アレクサンダーはいい加減な男だった。
まず、旅の目的がてきとうだ。
『世界の果てを見に行く』。
具体的なプランがない。
また、旅というのは食事や睡眠をとる場所の確保など、細々したことを決めなければたち行かないもののはずだ。
しかし、アレクサンダーはそういう細かいことが苦手だった。
嫌悪している、とすら言える。
細かい作業をやるぐらいなら死んだ方がマシ、と冗談ではなく思っているらしい。
……もっとも、これはただのものぐさとも言い切れない。
『わからないこと』を楽しむ彼の性分によるところも、かなり大きい。
「きっちり準備して成功するのは当たり前だ。せっかく知らないものを見に行くんだから、なんにも備えないで、行き当たりばったりで、危ない目に遭ったりしながら進むのが、俺は好きなんだよ」
彼は常々そのように述べていた。
強がりや冗談ではなく、本気なのが、たちの悪いところだ。
死んだらどうする――というのは、彼の旅に同行するカグヤともう一人が、常々思ってしまうことだった。
もっとも、彼は自身の命の心配などまったくしていない。
命の危機など、ありえるはずがないから。
ともあれ、旅の中でカグヤは、早くも実務を担う役目を得ていた。
だって、アレクサンダーがなにもしないから。
地図さえ満足に描かれていない時代だ。
どういう道を通ればいいのか、どう行けばどこに出るのか、そもそも――行く先になにがあるのかさえ、まったくわからない。
予言者。
その肩書きを持っており、実際にいくらかの予言をしたこともあるカグヤではあったが、そもそも予言は万能ではなかった。
予言とは『知りたいことを知りたい時に知る能力』ではない。
『避けられない運命を少しだけ早く警告してくれる機能』だ。
旅には役立たない。
だからカグヤは、アレクサンダーを支えるために、様々なことを勉強するしかなかった。
山を見る力。
天気を読む嗅覚。
川の流れから、先の地形を予想する目。
どれも経験と想像力が必要で。
カグヤには両方とも不足していた。
大変だった。
長年監禁されていた体は、すぐに音を上げる。
世界は知らないことだらけだ。
草を知らなかった。
――あの場所には岩と土しかないから。
花を知らなかった。
――あんなところに花を運んでくれる人は、いないから。
川を初めて見た。
――あの場所には岩を伝う水滴しかなかった。
空を知らなかった。
あの場所は、ずっと、食事が乱暴に投げ入れられる時以外は、閉ざされていたから。
情報の奔流。
体力のみならず、精神もまた脆弱なカグヤにとって、この旅は大変なものだった。
でも。
楽しかった。
カグヤの体力が尽きて歩けなくなると、アレクサンダーがおぶってくれた。
――呪われているから、しゃべると不幸になる。
最初のころはまだ、そんな遠慮があったような気がする。
でも、時間が流れるにつれ、カグヤは呪いを忘れていく。
もう、カグヤが呪われていると言う人は、誰もいない。
だって、育った村にいた人たちは、もう誰もいないから。
モンスターに襲われた、らしい。
……アレクサンダーたちは、襲撃されている村を、助けたのだ。
でも、村人はすでに誰もいなかった。
死んではいない。
逃げたらしい。
……ひどい話だ。
呪われた子供は置き去りにして、全員で集落を脱出する。
「まあ、こんな時代だから珍しいことでもねーよ。そこら中モンスターだらけで、村なんていつ襲われるかわからない。一応壁みたいなもんはみんな作ってるみたいだけど、お前の村を守る『壁』は薄っぺらい木の板みたいなもんだったしな。逃亡準備はしてる方が自然だ」
アレクサンダーが村にたどり着いたころには、もう、村はもぬけの殻だったらしい。
死体もなかったので、『あ、これはみんな逃げたな』とピーンときたそうだ。
……だったら、なぜ、アレクサンダーは自分を助けてくれたのだろう。
もう誰もいないように見えたはずなのに、モンスターを蹴散らしてまで。
カグヤはたずねる。
アレクサンダーは笑う。
「お前がいたのは偶然だ。村に入ったのは、そりゃお前、勇者行為のためだよ。ほうほうのていで村人が逃げ出したわけだろ? ってことは『薬草』とか『剣』とか転がってるかもしれねーじゃん? おまけにモンスターとの戦いもできて一石二鳥ってやつだよ。わかるかな、一石二鳥。一つの石で二羽の鳥を落とすと超お得みたいな意味だけど」
言葉の意味はわからなかったが、アレクサンダーが正義の味方ではないことはわかった。
よくも悪くも、やりたいことをやるだけの人だ。
「でもさ、不便だよな、お前の予言も。だってモンスターの襲撃、予言したわけじゃないんだろ? 自分のいる場所に起こるイベントも先読みできないっていうのは、パッシブスキルっぽいっていうか、イベント用スキルっぽいよなあ。自由度が足りない」
アレクサンダーはこのように、たびたび不可解な発言をする。
カグヤより先に彼と旅をしていたイーリィなんかは、このアレクサンダーの奇矯な言動について、
「……いえ、もう、兄さんの意味不明発言はあきらめていますから。適度に無視するのが上手にやっていくコツですよ。気にしたら負けです」
などと、長年慣れ親しんだ感のあるコメントを、ため息とともにくれた。
……アレクサンダーとイーリィは、同郷の出身だそうだ。
同じ村で生まれ、同じ村で育った二人。
だから、イーリィはアレクサンダーを『兄さん』と呼ぶが、血縁はないらしい。
カグヤにはまだうまく呑みこめない関係性だった。
でも、そのうち慣れていくのだろうと、思っていた。
危険でつらい旅。
けれど、ずっと続くと思えた、旅。
なにより。
このまま、ずっと続いてほしいと思える、旅。
……変化がおとずれたのは、少しあとのことだった。
ある人物と出会ったのだ。