134話
「以前、お手紙を出して、今日はアレクさんに連れられてここに来たです」
テーブル席に座らされたソフィは、全員に囲まれ、視線を受けながら、言う。
相変わらず、視線があまり得意ではないらしい。
その表情はどこか恥ずかしそうだった。
「王都に来るまでもう少しかかる予定だったです。でも、アレクさんが迎えに来て、連れられて……荷車に乗せられて……あの人馬車より速いです……速度だけで気絶したです」
なにやら大変な目に遭ったらしかった。
しかし、ここにいる全員は彼の修業を乗り越えている。
なので『気絶するほどの速度で運ばれた』程度では、誰もなにも反応しない。
気になるのは、別なところだ。
全員を代表して、ホーがたずねる。
「つーか、アレクさん、一週間ぐらいかかるかもとか言ってたのに日帰りじゃねーか……まあそれはいいとして……ソフィ、来たのはいいけどよ、どうしてわざわざ王都に? 今、エルフの森が大変だっていう話だったじゃねーか。つーか、来るならあたしにも教えろよ」
「それはおどろかせようかなって……来た理由は、政治的なものです。人間族と色々……法律など、参考にするため、人材を派遣してもらったり、エルフの森と交易路を結んでいただいたり、そういうお話のために来たです」
「……なんか知らねーあいだに、偉い人になっちまったなあ」
「そんなことないです。忙しいのは忙しいですけど」
「……っていうか、その偉い人が一人でうろうろしてていいのか? 危なくねーのかよ」
「アレクさんに連れられて来たですから」
「ああ……護衛いらねーわな」
「あと、仕事が終わるまではここで過ごさせてもらうですし……」
「ああ…………護衛、いらねーわな……」
「ここから王城までは近衛兵の人をつけさせてもらうことになってるです。トゥーラさんについていただけるという話です。知り合いだからですね」
ソフィが首をかしげる。
トゥーラがおどろいた顔をした。
「えっ……………………自分、なにも、聞いてないでありますけど……なにも……例によってなにも……」
「ま、まあ、本来、わたしが来るのはまだもう少し先の話だったですから……ところで、なんだかトゥーラさん、目に見えてやつれてるです。平気です?」
「…………その、休暇をとろうかと、予定を」
「そ、そうですか……護衛は他の方に代わっていただいてもいいですよ? それにわたし、自分の身は自分で守れるですし……」
「いえ……ソフィさんの護衛は自分がやらせていただくであります。嘆いても仕方がないのであります。自分は現実を受け入れるのであります」
「なんだか必要以上に悲壮な決意が見えるですが……」
「いえ。……この宿に戻って、少し気を休めることができたでありますから。自分は平気であります。教官どのの修業に比べればこんなの、平気であります」
「アレクさんの修業に比べたらたいていなんでも平気です……わたしも、毎日毎日、制度作りや陳情処理で頭がおかしくなりそうですけど、そういう時はアレクさんの修業を思い出して、頭をとろけさせてリフレッシュするです」
「そうでありますな……なにも、考えなければ、つらいことは、なにも……」
二人して、死んだ目で笑い合っていた。
公務員組がガンガン精神を摩耗させていく姿は、周囲の者の涙を誘った。
そんな中、貴族ではあるものの比較的自由の身であるロレッタが首をかしげる。
それから周囲を見回したうえで、口を開いた。
「そういえば、ソフィさんを連れてきたというアレクさんはどちらに? 私の背後か?」
「いえ、アレクさんなら王城の方へ向かったです」
「そうなのか。まあ、多忙なお方だからな……」
「……ところで、その、言っていいのかわからないことですけど……」
ソフィの視線が、厨房で調理をするヨミへ向く。
ヨミが首をかしげた。
「どうしたの?」
「い、いえ……その、ええと……アレクさんがですね、妙な箱を、持ってたです」
「箱?」
「金属製の、とても丈夫そうな、大きな箱で……」
「……」
「その子供ぐらいならすっぽり入りそうな箱と一緒に、私は荷車に積まれてここまで来たですけど……箱から、声が、聞こえてきたですよ……」
「…………」
「くぐもっていてよく聞こえなかったですけど……女の子の声だったように、思えたです」
「………………」
「あ、あの、アレクさんは色々されてる方ですから、心配ないのかもしれないですけど、わたしは隣に乗せられていて、非常に怖ろしかったというか……アレクさんに聞いても答えがなかったですし……あのアレクさんが黙して語らないこととか、怖すぎて、怖すぎて……」
「う、うん、まあ……アレクはなんでもしゃべるからね」
「なに聞いても『はい?』って聞こえなかったふりをされるのが、ものすごく、色々と、怖ろしく……ひょっとしたら、奥さんであるヨミさんに言ってはいけないことなのかもしれないですけど……あの、もし知ってたらなにか、教えてほしいのです……」
「うーん……ぼくもねえ、あの人のやってること全部を知ってるわけじゃないから」
「本当に?」
「うん、本当、本当。まあでも、大丈夫だと思うよ」
「女の子を金属製の箱に監禁して運んでいたとしたら、それはどのような事情があっても『大丈夫』ではないと思うのです……」
「『女の子』ならね」
「……どういう意味です?」
「さあ? まあ、あの人のことだから『妖怪』でもつかまえたんじゃないの?」
「『妖怪』? たしかアレクさんもそんな表現をしたことがあるような……それはなんなのです?」
「アレクの世界のモンスターみたいだよ」
「異世界のモンスター、ですか……そんなものと一緒に積まれてきたというのは、やっぱり怖ろしいのです……」
「だから、その異世界のモンスターを逃がさないための箱なんじゃないのかな? ……まあ、とにかく、お疲れ様。ウチの人が怖い思いをさせてごめんね。でも、大丈夫だよ。全部片付いたと思うから」
「はあ……なんだかよくわからないですが」
ソフィが首をかしげる。
コリーが微妙な表情で口を開いた。
「……っていうかその箱、たぶんアタシが作ったヤツッス」
「コリーさんがです? でも、刀剣鍛冶のはずです」
「そうッスよ。でも刀剣の技術は『丈夫な鋼を作る技術』でもあるッスからね……『聖剣以外では斬れないものにしてくれ』ってオーダーだったんで、かなり気合い入れて作ったッスけど……まあ、かなりのお金もいただいたッスけど」
「『聖剣以外では斬れないもの』って……そんなもの存在するですか? 聖剣って伝説に出てくるもののはずです。実在しないものでしか斬れない箱と言われても……」
「あ、いや、聖剣はアタシが前作ったんスよ。ソフィさんが出ていったあとッスけど」
「……」
「で、その箱も、存在しないからアタシが作ったッス」
「……アレクさんも大概です。でも、コリーさんも、けっこう大概だと思うです。実は宿泊客の中で一番アレクさん側の人物はコリーさんではないかと、わたしは疑ってるです……」
「ははは。そんな、まさか」
「アレクさんは強さにおいて前例がないし、難しいことを簡単そうに言うです。コリーさんは刀剣鍛冶において前例がないし、難しいことを簡単そうに言うです。似てるです」
「いやでも、がんばったら誰でもできるッスよ。アタシの技術も今、後進に伝えられるよう簡単にまとめてるッスから……死ぬ気で打ち込めば数年で習得できるッスから……」
「その口ぶりがアレクさんそのものです」
「そんなことないッス」
「でも」
「そんなことないッス」
「……」
「そんなことないッスからね」
「…………コリーさん、認めた方がいいです。楽になるです」
「いやだ! アタシはまだ人をやめたくないんスよ!」
「手遅れです……」
「アタシは普通の人ッスから……普通ッスから……」
「普通とはなんなのか、わたしには難しくてわからないです」
「普通……普通……なんスよ……」
ソフィと会話したコリーの目から光が失われていく。
トゥーラに続いて、コリーまで生気が消えた。
誰しもがソフィとの会話をためらう。
次に会話した者も、あんな風にされるのではないか――
その場にいた全員が胸中でそんな不安を抱いた。
そういった空気の中。
ソフィの正面にいたホーが、口を開いた。
「まあとにかく、今は色々忘れて楽しもうぜ。みんなつらいみてーだけどさ、たまに集まった時ぐらい、そういうこと気にせずにさ。あたしたちはみんな、仲間じゃねーか」
「……ホーさんは恥ずかしいこと、平気な顔で言える人ですね」
「えっ、いや、その……い、いいだろ!」
「相変わらずかわいらしくてホッとするです。ホーさんはずっとそのままでいてほしいです」
「なんだよ。妙に穏やかな顔で見るんじゃねーよ」
「ホーさん、今日は一緒に寝るですよ」
「は? 部屋はまだあんだろ? まあいいけどさ……」
「やった。ああ、どさくさにまぎれてホーさんを森に連れ帰りたいです……」
「や、やめろよ……なんか目が本気で怖いんだよ……」
おののくホー。
しかし目から光は失われていない。
全員が、ホッとした気持ちで、ソフィとホーのやりとりをながめる。
ロレッタもまた、二人のやりとりを見ていた。
二人の仲がいいのは周知の事実だったが――
なんだか以前にはなかった危険な雰囲気が、主にソフィ側からかもしだされていた。
先ほどの『森に連れ帰りたい』発言も、冗談ではなく、少し目を離したら本当に実行しそうな危うさが感じられたのだ。
みんな色々あった。
そういうことだろうと、ロレッタは思う。
「……私もそろそろ、帰らねばな」
小さく、つぶやく。
……そうだ、いつまでも子供ではいられない。
大人になるのは不安だらけで、社会に出た仲間たちを見ていると『子供でいたい』と嘆きたくもなる。
いつまでも強くて頼れる誰かの下にいたい。
……そういう思いがあったけれど。
そろそろ――卒業してもいいころだろう。
今まではできる限りのことをしてきた。
これからは、できないばかりのこともしていこう。
卒業。
……まあ、不可逆というわけではないさ。
つらくて不安で心がすり減ってくじけそうになった時は――
また、『銀の狐亭』に来よう。
ロレッタは密かにそう思いながら、騒ぐ仲間たちを見やる。
夕方は夜になり、夜はさらに更けていく。
なんだかんだとわめき散らしても、朝になればみんなまた、日常に帰って行く。
うまく、言葉にできないけれど。
きっとそういうことなのだろうと、ロレッタは笑った。