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125話

「それではしばらく戻りませんので、あとのことはお願いしますね」



『銀の狐亭』一階食堂。

 まだ夜が明けたばかりという時間帯、突如現れたアレクはそんなことを言った。


 旅装である。

 銀の毛皮のマントに、大きなリュック。

 加えて、腰には二つの剣を差していた。

 無骨なナイフと、柄だけでも美しい、鞘から青い光の漏れた、不思議な剣だ。


 ロレッタは、アレクの言葉がモリーンに対するものだと理解する。

 なにせ、今、食堂には、ロレッタとモリーンしかいなかったからだ。


 先ほどまで、一緒にダンジョン探索に行っていた。

 そして今は収集品の分配を行っていたところだ。


 だから、四人席のテーブルの上には、様々な品物が乗っていた。

 宝石や装飾品は誰が見てもわかるお宝だろう。

 しかし、その一方で、なんの変哲もない樹の根や、なんだかよくわからない小さな人形みたいなものがあったりもする。


 モリーンは、よくわからない小さな人形を、しげしげと見ていた。

 笑ったり、人形の手を握ったりとたわむれている。

 かわいらしい少女だと、ロレッタは思う。


 純白の髪に、純白の肌。

 体つきもラインが美しいので、黒い、体にぴったりしたローブも似合っている。

 ロレッタより年上なのだが、ロレッタよりも幼く見える少女だった。


 ともあれ、アレクの話だ。

 モリーンは、あらかじめ聞いていたらしい。

 彼女は承諾したようにうなずいている。


 だが、ロレッタは、アレクがしばらく戻らないという話は初耳だった。

 興味が勝り、ついたずねる。



「アレクさん、どこへ行くのだ?」

「実は俺もわからないんですよねえ」

「……行き先不明の旅に出るのか。あなたには細君も娘さんもいらっしゃる。なにがあったのかは知らないが、あまり思い詰めないように気をつけていただきたい」

「いえ、別に自分探しの旅ではないですよ。ちょっと捜し人の一人が見つかったようなので、事実確認にね。詳しい行き先は、連絡をくれた獣人族キャラバンに着いてからわかります」

「そういうことか。……しかし『捜し人の一人』か。ずいぶんといそうな言い方だな」

「俺個人としては二人います。実の母と……まあ、義理の姉、かな?」

「姉? ……ああ、ホーさんのご母堂か」

「はい。知り合いの捜し人まで含めると、かなり膨大な数になりますね。彼ら彼女らの、生き別れの親兄弟、奴隷時代の仲間、復讐の相手……人の事情は十人十色ですからね」

「なるほど。そういえば宿屋主人と教官だけがあなたの職務ではなかったのだったな」

「はい。というわけで、一週間ほどを予定していますが、もう少しかかる可能性もありますので、そのあいだ、ロレッタさんの修行は完全にお休みにさせていただきます」

「おとといあたりから修行が休みになった背景には、そういった事情があったのだな」

「そうですね。説明をしておくべきでした。申し訳ありません」

「いや、気にしないでくれ。私の方こそ、引き留めて申し訳なかった。ただ、あなたがしばらく戻らないというのは、いかにも異常事態のような気がして、気になってしまったのだ」

「そうですか? みなさんの修行で、けっこう外出することも多いですが」

「『しばらく』というのはないな。だいたい『三日で戻ります』など、期間を確定させていることが多い」

「……ロレッタさんは、たまにおどろくほど細やかな観察眼を見せますよね」

「あなたの修行のお陰だろう。あなたの発言をうっかり聞き逃すと、無駄に死ぬからな」

「なるほど。いくら修行しても『死んでも生き返るしいいか』とならないあたりも、あなたの美徳ですね。必死に生きていらっしゃる」

「褒めないでくれ。あとが怖い」

「俺がいないあいだのことは、妻と娘と、モリーンさんに託してありますので。セーブポイントはちょっと俺の方で使う可能性が高そうなので、あまり死にそうなダンジョンに行くのはおすすめしないでおきます。あと、トラブルがありましたら、妻か、オッタさんに」

「お気遣い痛み入る。では、よい旅を」

「はい。いってきます」



 一礼して、アレクが去って行く。

 足音、扉の開閉音、歩き去って行く気配。……そんなものはなかった。

 相変わらずだ。


 だからロレッタは、周囲を見回して、視界にアレクが映らないのを確認する。

 それから、モリーンにも確認する。



「アレクさんは出て行かれたのだな?」

「そうですわね。わたくしの視界にもいらっしゃいませんわ」

「足音ぐらい立ててくれてもいいと思うのだが……」

「眠っていらっしゃる方も、この時間は多いので……アレク様なりの気遣いだと思いますわ。わたくしも夜と朝方は、足音と気配を消すようにと言われますもの」

「それで、あなたもまだ修行を続けているのか」

「ええ。それに、わたくしの目標のためにも、強くなる必要がありますもの」

「目標?」

「はい。わたくし、宿屋の経営を目指しておりますのよ」

「そうか。なるほどな」

「宿屋主人ですものね。歩いても足音はなく、動いても気配はなく、料理をしながら一瞥さえせずにお風呂を沸かすことができて、なにかトラブルがあっても腕尽くで解決できる……そんな存在にならなければなりませんわ」

「たしかにそうだな」

「ええ。まだまだ、強くならないといけませんわ」



 モリーンは笑う。

 ロレッタは、あくなき目標を負い続ける彼女の姿勢に敬服し、目を伏せた。

 そんな、余人が聞けば首をかしげるか顔を背けるかする会話をしていると――



「大変! 大変!」



 転げるように、受付奧にある、従業員室から出てくる小さな影があった。

 ロレッタとモリーンはそちらを見る。

 視界に映ったのは、獣人の少女だ。


 黒い毛並みの、まだ幼い猫獣人。

 普段は無邪気で、姉妹同様どことなくぼんやりした雰囲気の少女だ。

 しかし、今はその表情にも、動作にも、焦りをあらわにしている。


 ロレッタは腰を浮かせて、出迎えるようにその子の方へ歩んだ。

 少女は転がるように駆けて、ロレッタにすがりつく。



「大変であり……あられ、ありり……ますの、ロレッタさん!」

「どうしたのだ、ノワちゃん、そんなに慌てて……」

「大変なことがおきます!」

「予言か……獣人族には今もたまに予言者が出るとかいう噂は聞くな」

「えっと、違くて、お客様にお知らせいたされて……いたし……いたれり……」

「無理して丁寧に話さなくていいから、とりあえず本題に入ってはいただけないだろうか」

「ママが病気なの!」



 時間が止まった。

 それは大げさにしたって、少なくとも、ロレッタとモリーンの呼吸は止まった。


 ロレッタは。

 聞き間違いかと思ったので、たずねた。



「ママというのは、ヨミさんで間違いないかな?」

「他にいないの。ママが病気なの」



 断言だった。

 ノワやブランの事情を考えると『ママが他にいない』という発言は微妙なところのような気もしたが、ロレッタはあえて口に出すことはなかった。


 とにかく、ヨミが病気らしい。

 しかしロレッタは、まだ事情をうまくのみこめなかった。


 ロレッタと同じように立ち上がっていたモリーンも、不思議そうな顔をしている。

 そこで、ロレッタはモリーンに話しかけた。



「モリーンさん、あなたは今、ノワちゃんがなんと言ったように聞こえた?」

「……ええと、聞き間違いかと思うのですけれど……『ヨミ様が病気』と、そのように」

「そうか。私もそう聞こえた。しかし考えれば考えるほど、不可解だ。なにかの暗号ということはないだろうか? 従業員だけに通じるような……」

「あるいはまだ、わたくしたちは眠っているという可能性も考えられますわ。こうしてロレッタさんと同じ夢を見るということの方が、ヨミ様が病気ということよりも現実味があると申し上げましょうか……」

「そうだな。あるいは、世界が滅んだという報せの方が、まだしも信じられる。たとえ世界が滅んでも、この宿屋と従業員だけは滅びないだろう」

「……とにかく、真相の究明が必要ですわね」

「そうだな。もう一度ノワちゃんに聞いてみて、同じ答えが聞こえたら、信じてみることにしよう」

「わかりましたわ」



 モリーンがうなずく。

 ロレッタはもう一度ノワの方を向き、質問した。



「すまないがノワちゃん、もう一度お願いできるかな?」

「ママが病気!」



 ロレッタとモリーンは顔を見合わせる。

 そして。



「大変なことではないか!?」



 長い思考と、二度の質問の末――

 ようやく、事態を飲みこんだ。

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