124話
「おかえりアレク。今日は大仕事だったねえ」
ベッドに入ったヨミに出迎えられながら、アレクは部屋に入った。
『銀の狐亭』従業員寝室。
大きなベッドが一つあるだけの、殺風景な部屋だ。
ノワとブランは、いなかった。
最近は、夜の食器洗いや清掃を望んでやるようになっている。
いいことだと思う反面、巣立ちの近さを感じて、寂しい気持ちもある。
ともあれ。
アレクは出迎えに応じる。
「ただいま、ヨミ。……でも、また一つ前進できた。生まれで人生が決まる人を、また減らせたよ。あとは――」
アレクは、分厚い本を手にしていた。
『カグヤの書』。
……オッタと出会った日に獲得したものだ。
すでに長い時間が経っている。
多忙なアレクだったが、まだ読み切っていないというわけではなかった。
読み返している。
何度も、他の資料と比べながら。
そうして、ある答えにたどりついていた。
「……こっちも、前進だ」
「カグヤの書? ……前進したってことは、わかったんだ」
「ああ。カグヤ。五百年前、勇者アレクサンダーとともにモンスターだらけの地上に平穏をもたらした、いわゆる『勇者パーティー』の一人。獣人族の移動王国の、初代女王。予言者」
「……」
「そして、今で言う――『輝き』」
「……やっぱり、あの人の正体は、予言者カグヤだったんだねえ」
「似た存在が二人いたから迷ったけど、どうにもカグヤの方で間違いないっぽいな。……しかしまあ、なんだ……自分の母親の名前が、古代の文献をあさらないと出てこないっていうのは、なんとも面倒くさい話だなあ」
「あはははは」
「ただ、あの人が五百年前から生きている理由については、まだわからない」
「予言者の能力が不死身だったとかじゃないの? 勇者パーティーに数えられてる人は、みんな変な能力持ってたんでしょ? 鍛冶神ダヴィッドの『ゴーレム作製』みたいな……」
「そうなんだけど、文献だと、カグヤの特殊能力は『予言』になる。不老不死はむしろ、勇者アレクサンダーの領分だ」
「……調べても謎が減らないねえ」
「まったくだよ。……こんなものより、あの人が今つけてる日記がほしい」
「どうして?」
「あの人は、自分の子供と、その子供の父親のことを記した日記を持っていた。それを見れば、お前があの人の実の娘かどうかわかるはずだ」
「……あー……そういえば、あったねえ、そんなの。袖から出したやつ」
「今も肌身離さず持ってる可能性は高いだろうな。……先代『はいいろ』が浮気性でさえなきゃ、こんな苦労はなかったんだが」
「パパはねえ。色々と『来る者拒まず』だったから」
「……お前、昔は先代のこと、わりと嫌いだったのに、最近ものすごい擁護するよな」
「嫌いなところもあったけどねえ。好きなところもあったから。それに、思い出は美化されるものだからねえ」
「……このあいだ見せてもらった回想録、あんまり美化されてなかったような気がする」
「美化してたよ?」
「……そうなのか。だいたい俺が見たそのままだったから、美化されてないのかと思った」
「それはね、アレクの中でも、パパが美化されてるってこと」
「なるほど。それはあるかもなあ……よくよく思い返せば、記憶にあるよりずっと下品なおっさんだったような気もする」
「……五百年前の記憶は、どんな風に見えるんだろうね」
「…………」
「美化されるのかな。それとも、風化しちゃうのかな」
「……さてな。全部あの人を捕まえればわかることだ。そして、その時は近い」
アレクが拳を握りしめる。
ヨミが首をかしげた。
「……前進、したの?」
「ああ。ようやく、影がつかめた。世界が真っ黒になっていく中で、一カ所だけ染まらないところが見えた」
「どんな顔して会おうね?」
「……目下、一番の問題はそれなんだよなあ。あの人にどういうスタンスで接すればいいか迷う。責めればいいのか、怒ればいいのか、それとも……」
「たぶん、いざ会ったら、どうしたらいいか、なんとなくわかると思うよ」
「そんなもんか?」
「うん。求めるものがわかるっていうか、自分がどうしたらいいかわかるっていうか……」
「経験則か?」
「『狐』の時にね」
「……なるほど」
「パパのあとを追わせてあげるべきだと、ぼくは思ったんだよ。……だからきっと、わかるよ。アレクにも。その時になったらね」
「自信はないな。……俺にも直観があればいいんだけど」
「オッタさん? あの人の直観は『スキル』じゃないの? 戦闘系スキルならなんだって覚えられるんでしょ?」
「スキルではないなあ。……少なくともスキル欄には『直観』っていうものはない。才能っていうか……プロフィールかな、強いて言うなら」
「ふうん?」
「……ま、とにかく。お前を信じるよ。その時になったら、自然とどうしたらいいかわかるんだろう。お前の言うことはだいたい正しいからな」
「うん。だから修行ももう少しゆるく」
「……ゆるいけど」
「アレク、ちょっとこっち」
「なんだよ」
「いいから、こっち」
手招きされる。
アレクは、首をかしげながらヨミに従った。
彼女の眠るベッドの横に、座る。
すると、ヨミが、ぺちぺちとアレクの頭を叩いた。
「……なんだ?」
「固い頭を柔らかくしているのです」
「俺の頭はステーキ用の肉じゃないんですが」
「えい、えい、えい、えい」
「やめなさい」
「えへへ」
ヨミが身を乗り出して、アレクの頭に抱きつく。
アレクは、困惑した顔になった。
「今日のお前は子供みたいだなあ……」
「ブランとノワがいないからね」
「……そういえば、寝室で二人がいないのは、久しぶりか」
「うん。……ねえ、たまに、二人でどこか行こうか」
「そうだな。今はまだ無理だけど」
「遠出じゃなくてもさ。……街に買い物に行ったり」
「なるほど。それなら手軽にできそうだ」
「思い出がいつか美化されるなら、思いっきり輝くような、思い出を作ろう」
「……ああ」
「記憶がいつか風化するなら、『覚えてないけど、楽しかったなあ』って言えるような毎日を過ごそうね」
「……そうだな」
「うん」
ヨミがアレクの頭をぎゅっと抱く。
アレクは、抵抗せずに、されるがまま、黙っていた。
目を閉じる。
耳にとどくものは、ほとんどない。
時間さえ止まったかのような静寂の中――
ただ、耳にとどくヨミの鼓動だけが、時間の経過を教えてくれた。