119話
「オッタさん、それでは、これからの修行は私がやりますねー……」
相変わらず眠そうな調子で、ブランはそう言った。
『銀の狐亭』、一階の食堂だ。
時間は今、夕方だろうか。
今朝、アレクの修行を終えて、帰ってきて、一眠りした。
そして今、起きて、オッタは夕食のような、『その日に最初に食べるご飯』という意味では朝食のような、そんな食事をとっていたところだった。
テーブル席には、オッタの他に、ホーがいた。
彼女も今し方起きたばかりのようで、眠そうに目をこすっている。
ブランは、テーブルの横に立っていた。
奇しくも先日、アレクが『見切り』の修行を説明した時に立っていたのと同じ場所だ。
オッタは硬めのパンをかじる。
それを飲みこんでから、ブランに向けてうなずいた。
「アレクが言ってたな」
「はい。私が殴って殺しますから、死なないでくださいねー」
「わかった」
オッタは再びうなずく。
その様子を見ていたホーが、あきれたように目を細めた。
「……意味はわかるんだが、あんたらの会話はひでーな」
「ひどいのか?」
「いや、あんたに言ってもわかんねーだろうから、気にすんな」
「わかった。オッタは気にしない」
「……そうまであっさり興味を失われると、それはそれで……」
「?」
「いや、いい。いいんだけどさ……」
ホーはもごもごと口を動かしている。
食事中だし、奥歯になにか挟まったのかもしれない。
オッタは視線をブランに戻す。
それから、問いかけた。
「アレクはたしか、ブランに攻撃しろって言ってた」
「そうですねー」
「大丈夫なのか? オッタは、ブランぐらいの子に攻撃するのは、かなり抵抗がある」
「パパの言葉を疑わないでください」
「……今日も危ないな、オマエ。見ろ、オッタの尻尾がブワッてなった」
「とにかく、大丈夫です。本気でやらないと、私に攻撃は通らないですから」
「そうなのか。アレクみたいだ。アレクは刃が通らなかった。大剣さえ腕で受けた」
「パパは強いですから。……攻撃した事実は気に入りませんけど。修行ですし」
「修行じゃない時だ」
「……」
「すごいぞ。オッタのつま先から耳のてっぺんまで、ピーンてなった」
「…………まあ、いいです。オッタさんはお客様ですから」
「オッタが客じゃなかったらどうなっていた……」
「えへへ」
ブランははにかむように笑った。
オッタには、その可憐な笑顔が、大口を開ける凶暴なモンスターの顔に見えた。
「……オマエを子供だと思ってはいけない。オッタは理解した」
「わかってもらえましたかー。それじゃあ、ご飯が終わったら修行開始ですね」
「どこでやる?」
「裏庭でやります。えっと、パパからは、『有効打をもらうまでやめないように』って言われてるので……終わる時間はわかりません」
「わかった」
かくして修行前の簡単な説明は終了した。
……かのように、オッタは思っていたのだが。
ホーが。
口の端をひくつかせながら、声をあげる。
「待て待て待て」
「……どうした。またホーも一緒に修行するか?」
「やだやだ……あ、いや、そうじゃなくってな。裏庭って、時間になったら風呂ができるだろ」
「そうだな。オッタも初日に入った。あれはいいものだ」
「でも、あんたら、裏庭でいつ終わるかわからない、死ぬような修行するんだよな?」
「そうだ」
「そうなると、あたしは風呂に入りながら、あんたらの修行風景を見せられることになるんだが」
「なるほど。ホーは賢い」
「この程度で賢い扱いされるのも、それはそれで馬鹿にされてる感じなんだが……とにかく、そうなるのはわかるだろ?」
「わかる。……でも、よくわからない。なにか問題あるのか?」
「人が無限に死んでいく姿を見せられながら風呂なんか入れるか!」
「……?」
「おいおい、なんで『理解できない』みたいな顔するんだよ。わかるだろ」
「待ってほしい」
「あたしの方が待ってほしいわ……なんなの……なんでこの宿はあたしが少数派なの……?」
「わかった。オッタはホーを待つ。どのぐらいだ?」
「……いいよもう。なんだよ。あんたはなにを待ってほしいんだよ」
「考えるから待ってほしい。……ホーは、オッタたちの修行を見ながら風呂に入れないということだな?」
「そう言ってるだろ」
「……つまり、見なければ入れる?」
「よし、わかった」
「オッタは全然わからない」
「あたし、オッタの次に来た客がまともだったら、すげえ仲良くなりそうな気がする。今、ものすごい、普通の会話がしたい」
「話がしたいのか。オッタなら付き合うぞ」
「普通の話がしたいんで遠慮しとくわ」
「そうか。オッタは『遠慮しとく』という言葉の意味がわかるぞ。ブランと違って」
「……どういうことかわかんねーけど、まあ、なんだ。とにかく風呂の時間はどうにかしてくれってことを言いたかったんだよ、あたしは」
「……ブラン。ホーはこう言ってるぞ」
オッタはブランへ視線を向けた。
ブランは眠たげな顔で、少しだけ首をかしげた。
「なるほどー……でも遠出するのも、セーブポイントが宿ですからー……パパが帰ってくるまで移動もできませんし」
「つまり、オッタが風呂までに修行を終えればいいのか」
「そうですねー。それができたら一番です」
「あ、そうだ。もう一つ、いい方法を思いついたぞ」
「なんでしょう?」
「ホーも同じ修行を一緒にやればいい」
オッタの耳に「えっ」という声がとどいた。
ホーの声だ。
「待って、待って待って。なんでそうなる。なんでそうなるか、まったくわかんない」
「そうか? オッタにしては頭を使ったと自分で自分を褒めたい」
「お前が自分を褒めたい時、あたしはお前を責めたくなる」
「でも、オッタ、がんばったんだぞ」
「……とりあえず思考を開示しろよ。話はそれからにしてやるから」
「そうか? まず、オッタは修行をやめられない。エンを倒さないといけないからな」
「まあ、そこはいいよ。あたしだって『迷惑だから修行やめろ』なんて言わねーから。修行すること自体はなんら反対しねーよ」
「で、ホーは、なぜか知らないけど、修行を見ながら風呂に入れない」
「……なぜかは、わかれ……」
「……難しい。でも、わかった。考えてみる」
「いや、いい。それより話を進めてくれ……」
「わかった。……オッタは、考えた。ホーを風呂に入れないのも、悪いかなと思う。でも、修行はやめられないし、場所は変えられそうもない。だから、オッタと一緒に修行すればいい。修行後の風呂はいいぞ」
「いや、もう、あたしがゆずるよ……我慢するから……今日は桶にお湯張って体洗うだけにするからさ……」
「そんなことはさせられない」
「修行させられるよりマシだよ!」
「なぜだ? 修行は強くなれる。得だ。体を洗うだけの風呂は、ここの風呂に比べて気持ちよくない。損だ。ホーは損したいのか」
「まさかオッタから損得勘定を持ち出されるとは思わなかった」
「今回はかなり頭を使った。オッタは一つ成長できた気がする。がんばった」
「頭の使いどころ……っていうか、あたしが一緒に修行したって、けっきょく『風呂に入れない』っていう問題は解決してねーだろうが」
「ホーの前だと、オッタはがんばれる。だから、早く修行を終われるかもしれない」
「……」
「そういうことだ」
「まあ、そこまで言われても『どういうことだ』って感じなんだが……あ、そうだ。ブラン」
ホーが呼びかける。
ブランは、眠たげな顔で首をかしげた。
「なんですか?」
「そもそも、アレクさんはオッタの修行しか命じてないだろ? ってことは、あたし用の修行はないってことだ。今朝終わった『殺意の洞窟』での修行だって、オッタは『回避すること』が目的だったけど、あたしは『髪で全部の矢を受けきること』が目的だったしな。アレクさんは効果のない修行はやらせない。だから、今回、あたしは修行をしない。そうだろ?」
「あ、実はですね」
「よし、この話は終わろう。あたしちょっと外行くわ」
「待ってください」
ブランが、立ち上がろうとするホーの肩に手を置いた。
ホーの浮かせかけた腰が、椅子に再び着いた。
抵抗はできないようだった。
ものすごい力でおさえこまれているのだろう。
ホーはそれでも、暴れる。
涙を浮かべ、叫びながら、髪をぶんぶんと振った。
「やだやだやだ! 待たない! 外行く! おそといくの!」
「パパが、こんなこともあろうかと、ホーさん向けの修行も言付けて行きました」
「ないよお! そんなの、ないもん!」
「でも、オッタさんが『ホーも一緒に』って言ったら修行をつけろって、パパが」
「なんでそんなひどいことするの……? アレクさん、ホーのこと、きらいなの?」
「そんなことないと思いますよ……私の方が好かれているとは思いますけど……」
「どうでもいいよ! やだ! 修行はやだ!」
「こういう時、パパならきっと、こう言うでしょう。『考えてみましょう』と」
「それやられると、常識とか、現実とか、すごい、ぐらぐらしてくるから、やだ……」
「しかし、考えてみましょう。逆に、修行をしない理由はなんですか?」
「つらいから」
「なるほど。つまり、修行をしない理由はないということですね?」
「いや、つらいからって言ってるだろ!? 話通じる人連れて来てくれよ! ヨミさん! ヨミさんはいないのか!」
「ママは市場へ買い物へ行きました。その料理、私が作ったんですよ」
「あ、そうなのか。だから今日はパンが硬いのか」
「……むう。がんばったんですけどね……美味しくないものを食べさせてしまったでしょうか」
「いや、ヨミさんが料理上手すぎるだけで、普通に店で出せる味だけどさ……」
「そうですか? ありがとうございます」
「おう。じゃあ、食事も終わったし、外行くわ」
「まあまあ、落ち着いてください。これからのあなたの予定は『修行』ですよ」
「人の心があるなら、許して」
「修行のつらさは、私もよくわかります。小さいころから、『危険があっても対応できるように』ってパパにずっと修行をつけられてますから」
「だろ?」
「はい。ホーさんの気持ちは、よくわかります」
「な?」
「でも、パパが『修行させてあげて』って言ったから、修行はさせます」
「オッタ! なんとか言ってくれ!」
「大丈夫。オッタもついてる」
「そうじゃねーよ!」
求めに応じたつもりが、そうじゃないらしかった。
オッタは首をかしげる。
だって。
他にかけるべき言葉が、思いつかなかったから。
ホーはまだなにか言いたそうな顔をしていた。
でも、次第に、目から光が消え、うつむいていった。
そしてついに。
「わかった……やる……やるよ、修行……」
かすれた小さな声で、つぶやく。
頬に流れる一筋の涙の意味は、オッタにはわからなかった。