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115話

 オッタはその日の夕方から、早速修行を開始した。

 やった修行は二つだ。


 崖から何度も落ちて死ぬ。

 お腹がぱんぱんになってはち切れるまで豆を食べる。


 どちらも死にそうな修行だった。

 というか、死んだ。


 それでも生きているのは、『セーブ&ロード』のお陰だった。

 アレクの出す不思議な球体に『セーブする』と宣言する。

 と、死んでも生き返る。


 色々注意点を言われたが、とにかく、『セーブする』さえしていれば、球体があるあいだは死なないということだけ覚えた。

 獲得した記憶や経験、お宝なんかも失わない、のあたりは今後役立ちそうなので記憶に残る。


 なお、エンと勝負するまでのあいだ、オッタが過ごすのは、アレクの宿屋だ。

『銀の狐亭』。

 朝に運び込まれたその宿屋で、オッタはしばらく過ごすこととなる。


 修行から、宿への帰り道。

 あたりはすっかり暗くなっていて、魔導具による街灯の明かりだけが、ポツポツと道を照らしていた。


 オッタは、街の中央部よりいくらか手抜き、というか安っぽい感じの石畳を見ながら歩く。

 大きな四角がたくさん並んだ、灰色の道。

 色々な人の足が、せわしなく視界に飛び込み、消えていく。


 オッタは人混みが好きではなかったはずだ。

 でも、今はなんだか、妙に楽しい。


 ……今日の昼間。

 エンと戦わなければならなくなったばかりなのに。


 まったく、気分は沈んでいなかった。

 むしろ高揚している。


 どんなかたちにせよ。

 大好きな人と言葉を交わしたり、拳を交わしたりするのは、楽しい。


 オッタは気付く。

 自分はきっと、誰かと一緒にいるのが好きなのだろう。


 奴隷から上がってから、ずっと一人だった。

 でも、今は、エンとの約束がある。


 それに。

 隣を歩く人もいた。


 オッタは顔をあげる。

 そして、隣を歩くアレクへ質問した。



「アレクの宿は誰かいる?」

「……ええと、宿泊客はいるか、という話でしょうか?」

「そう」

「今は一人ですねえ。それも身内です。まあ、料金を払うと本人が言っているので、お客様ということで間違いはないのでしょうが」

「……つまり?」

「お客様は一人です」

「アレク、実は貧乏か?」

「貧乏……まあ、宿は流行っていませんけど、貧乏というほどではないですよ」

「でもアレクは宿屋。宿屋が、繁盛してないのに、宿屋のアレクは、貧乏ではない?」

「俺の仕事は宿屋だけではありませんからねえ。むしろ儲けの面では宿屋は趣味と言いますか」

「……宿屋さんが仕事なのに、趣味なのか?」

「ええと、まあ、はい。好きでやっているんですよ。宿屋」

「なるほど。好きなことをやるのは、いいこと。オッタも奴隷じゃなくなったら好きなことをやった方がいいようだ」

「……受け売りみたいな話し方ですねえ。それは、エンさんに言われたので?」

「そう。でも、オッタは困る。みんなといるのが好きだから、それは奴隷に戻らないといけなくなる。奴隷じゃなくなったら好きなことをやると、奴隷に戻ることになって、でも奴隷が好きなことなら……」

「あなたと話していると、『一足す一がなぜ二になるの?』と質問する子供の相手をしているような気分になります」

「オッタは馬鹿丸出しか?」

「そうですねえ。悪いこととは思いませんが、世間に出て不利にはなりそうですね。あなたの無垢な好奇心は間違いなく美徳なので、俺としてはそのままでいいと思うのですが」

「…………つまり?」

「たとえば、オッタさんが『一足す一はなぜ二になるの?』と聞かれたら、どうします?」

「…………オッタはそんなの知らない。わりと困る」

「でしょう? 俺も、困ります。ですから、話題を切り出す前に、話をされた相手が困りそうかどうか、自分で予測しながら話してみてはいかがですか?」

「……なるほど。人を困らせるのはよくない。オッタはがんばる」

「はい。失敗しながら、覚えていけばいいと思いますよ。まあ、でも、困らせてもいい相手には、考えないでしゃべってもいいとは思います」

「……困らせてもいい相手? 嫌いなやつか?」

「違いますよ。好きな人です。信用する相手は、困らせてもいい」

「なんでだ?」

「困らせても、あなたを見捨てないから」

「……」

「そもそも、あなたが嫌う相手は、あなたのために困ってくれそうな人ですか?」

「……違う。たぶん」

「だったら、困らせるのは、好きな人だけに。あなたを置いてどこかへ行かない人だけにしましょうね」

「わかった」

「ただし、相手を困らせたぶん、自分も相手のために困る覚悟は必要ですよ」

「…………」

「だから、まあ、『この人のためなら困ってもいい』という相手には、遠慮せず話しても、いいかと思います」

「……アレクは?」

「俺ですか?」

「アレクは、オッタのために困ってもいいのか? オッタは、アレクへの恩を忘れない。だからアレクのために困ってもいい」

「そうですねえ。まあ、社会に出る修行ということで。俺のことは、実験台として使っていただければと思いますよ」

「……つまり?」

「困らせても、いいですよ」

「わかった」



 オッタは笑う。

 そして、アレクの周囲をぴょんぴょんと跳ね回る。


 妙に嬉しかった。

 でも、その気持ちを上手に表現できなかった。

 だから、跳ねる。



 そんな会話をしているあいだに、目的地にたどりついた。

『銀の狐亭』。

 アレクが経営する宿屋だ。


 石造りのボロい建物だ。

 奴隷時代のオッタはそれなりにいい場所に住んでいたことを、最近知っている。


 一度、気絶中に運び込まれた場所だが……

 あらためて見て、オッタは素直な感想を漏らした。



「アレク、貧乏だな」

「おや、確信をもたれてしまいましたか」

「……オッタはとても悪いことをしたのかもしれないと、思う。アレクはひょっとして、奴隷七人を買う金を出すのに、とても無理をするはずだったのか? 使わないで本当によかった」

「楽に捻出できるお金ではありませんが……一両日で用意できる金額ではあるのでご心配なく」

「エンとの話し合いが終わったら、オッタがこの宿で働いてもいい。タダでいい」

「いえ、そこまでは困っていませんので……あと、従業員は今のところ足りています。ああ、でも、風呂番が足りない感じはしますねえ。出張を頼まれることも多いですし……あと一人くらいいればいいのですが」

「風呂番?」

「はい。俺と、妻と、娘の一人、合計三人です。まあ、特殊なスキルなので、今まで修行をつけた方の中にも、風呂番ができる人はいらっしゃいませんでしたねえ」

「いないのか」

「皆無です」

「なら、オッタがやる」

「あなたでは無理ですね。魔法の適性がない。先ほどの修行であなたのステータスの傾向はだいたいわかりましたし」

「…………むう。しかしオッタはアレクの役に立ちたい」

「そういうのはすべて終わったあとでいいですよ。さあ、中へどうぞ。俺はちょっと用事があるので、ここまでですが」

「そうなのか」

「はい。……まあ、あなたは大丈夫と言いましたけど、エンさんの行方について、ちょっと。それから――」

「それから?」

「――こっちはエンさんの意思を尊重して、黙っておきましょうか。とにかく、色々とやることがありまして。今日はもう修行はありませんので、ゆっくりお休みください」

「ご飯はあるのか」

「食事は宿泊料金とは別途でいただきますが、食堂で食べられますよ」

「ご飯あるのか。オッタは食べるの好きだ」

「そうですか。ウチは、食事には自信がありますよ。あと、お風呂とベッドにも」

「でも流行ってないのか……」

「……宣伝が足りないんでしょうねえ。ともあれ、ここでいったんお別れです。それでは」



 アレクが軽く頭を下げてから、去って行く。

 オッタは彼を見送ってから、『銀の狐亭』へと入った。


 気絶中にここに運ばれたので、中に入るのは初めてではない。

 でも、自分の意思で中に入るのは、これが初めてだ。

 やや緊張する。


 木製のドアを開けて、中に入る。

 すると、受付カウンターらしき場所に、人がいるのが見えた。


 真っ白い猫獣人の少女だ。

 どこか眠たげな目をしており、表情もどこか夢見がちに、力が抜けたものだ。


 その少女が。

 入って来たオッタを見て、言う。



「……いらっしゃいませ。『銀の狐亭』へようこそ」



 物静かな声だ。

 眠そうというか、感情がうかがえない。


 でも、オッタは彼女を見て、妙に嬉しい気分になる。

 その少女とオッタには共通点が二つもあったからだ。


 まずは、人種。

 毛色こそ違うが、獣人族で、しかも同じ猫獣人だ。


 そして――こちらは、もう共通点とは言えないのかもしれないが。

 オッタは、少女の左手首に、あるものを発見する。


 よく目をこらさなければわからないほどうっすらとだが、黒い線のようなものが見えた。

 それは手首をぐるりと一周するように、肌に直接描かれていた。


 それを見て。

 オッタは、言う。



「オマエも奴隷か?」



 左手首にある黒い紋様。

 それは、奴隷契約の際に刻まれる魔法の刻印だった。

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