113話
オッタがやってきたのは、王都中央部だった。
バルトロメオの隠れ家はこのあたりにある。
オッタは周囲を見回す。
建っている家々は四階建て以上の高層物件ばかりだ。
八角錐の屋根を持つ、赤や焦げ茶色のレンガで作られた家屋は、いかにも高級そうだった。
家々は王城と壕を中心として、周囲を取り囲むように並んでいる。
建つ家屋自体が、城を守る城壁めいて見えた。
様々な色の石が並べられた、モザイク調の石畳を踏みながら、歩いて行く。
オッタの横には、アレクもいた。
彼は特に荷物を持っていない。
エプロンを脱いだだけという、宿で働く格好のままだ。
これから奴隷七人という買い物をするのに、お金を持っている様子もなかった。
オッタは妙に注目されている気がして、周囲を見る。
すると、いい身なりをした通行人が、オッタをうかがうようにチラチラ見ていた。
……人間ばかりだ。
人間の王都だけあって、王城付近はそれなりの身分の人間が多い。
だからたぶん、いかにも冒険者という風体の猫獣人は目立つのだろう。
オッタは。
隣を歩くアレクに、言った。
「……このあたりは、苦手」
「そのようですね。悪目立ちなさっているご様子で」
「なんで、アレクは平気?」
「俺はみなさんに知覚されないように歩いているので」
「……?」
「見えていても、見えていないかのように扱われるように、歩いています。最初から俺を認識しているあなたには普通に見えるでしょうけれど」
「すごい」
「あなたもいずれできるようになりますよ」
「がんばる」
「ええ、がんばってください。……ところで、バルトロメオさんの根城はどの建物で?」
「もうすぐ見える。ちょっと入り組んだところ」
「なるほど」
「……もうすぐエンに会える」
「エン? 人名ですか?」
「そう。エンは、オッタより年上の剣闘奴隷。すごく強い。オッタが解放されるための金も、だいたいエンが稼いだ。すごい数の大会に出て、すごい数優勝してる。たぶん百ぐらい」
「そうなのですか。剣闘というものの平均レベルは知りませんが……聞くだに『いつ死ぬかもわからない』催しですからね。百もの大会に出られるという時点で、そもそもすごいことだ」
「エンはすごい」
「しかし、気になることをおっしゃっていましたね」
「エンのことか。おっぱいは大きいぞ」
「……俺は、そんなことに興味があるように見えましたか」
「だいたいみんなそこばっかり見てる。オッタも好きだぞ、エンのおっぱい」
「……まあ、その話はどうでもいいとして、エンさんは百ぐらい大会に出てるんですよね? そして優勝をしている」
「そう。あ、でも、百は言い過ぎかもしれない……えっと、でも、五十は出てる」
「五十以上はだいたい全部誤差ですからね。なににせよ、おかしい。剣闘大会というのは、五十以上も優勝して、それでやっと奴隷一人解放できる程度の儲けにしかならないのですか?」
「奴隷は高い」
「それはそうなんですが……少し、イメージと違うというか。思うほど大規模な催しではないのでしょうかね」
「……?」
「いえ。確認すれば済む話ですから、お気になさらず。……ところで、バルトロメオさんの根城はまだでしょうか?」
「見えた。あれ」
オッタが指差す先には、周囲にある建造物となんら変わらない、八角錐の屋根の、レンガ作りの家があった。
三階建てで、細長い印象を受ける。
だが、実際はそう細くないことを、内部で生活していたこともあるオッタは知っていた。
アレクは首をかしげる。
そして、オッタに問いかけた。
「バルトロメオさんは、自分の事務所と奴隷の訓練場を分けていらっしゃったので?」
「……?」
「奴隷とは一緒にいないことが多かったのですか?」
「言葉の意味はわかる。でも、なんで聞かれたのかわからない。バルトロメオは、いつも、奴隷のそばにいた。訓練をさぼったり、成果が出なかったりしたら、鞭で叩いた」
「……『飴と鞭』とは言いますが、本当に鞭で叩いていたんですねえ。今そんなことしたとばれたら、憲兵に指導を受けますよ」
「そうなのか?」
「あくまでも指導ですけれどねえ。現在、奴隷関係の扱いは五十年ほど前とかなり変わってきているようですよ。『個人の財産』ではなく『公共の財産』というのが、今の風潮でしょうか」
「つまり?」
「……ええと、まあ、とにかく、奴隷を大事にしないと世間が黙っていないということです」
「みんな奴隷に優しいのか」
「優しい……うーん……個人の主義ではなく、法律というか、社会の風潮というか」
「…………」
「……あなたと話していると、娘が今より幼かったころを思い出します」
「なぜ?」
「なぜと言われると答えにくいのですが。……ああ、ちなみに確認ですけど、オッタさんは成人していらっしゃいますよね?」
「してる。奴隷解放の条件は『自分を買い戻す資金を支払うこと』『犯罪歴がないこと』『成人していること』だから。オッタより子供もいたけど、色々あって、エンがオッタを解放するのがいいって……みんなでためたお金を」
「なるほど。まあ、剣闘を行っていたのはグレーって感じですけれど……『犯罪歴』はほとんどの場合が『逮捕歴』ですからね。ばれなきゃ犯罪じゃないのはどの世界も同じだ」
「オッタは悪いことをしていた?」
「いえ……まあ、あとで奴隷時代の犯罪が発覚すると、市民権を剥奪される場合もありますが……そういう打算もあったのでしょうね」
「……誰に?」
「バルトロメオさんに、ですよ。あなたがたとえば彼を摘発したとすると、あなたが剣闘をやっていたこともばれてしまう。拒否権はなかったでしょうから、情状酌量の余地はあるでしょうが、犯罪は犯罪だ。あなたの市民権は剥奪されるでしょう。つまり、あなたの自由を人質に、バルトロメオさんはご自身の無事を担保されていると、そういうことですね」
「……アレクの話は難しい」
「まあ、この話は俺が把握していればいいでしょう。……ところで、バルトロメオさんは奴隷と一緒にいることが多かったんですよね?」
「そう」
「だったら妙だな。……バルトロメオさんの根城と思しき場所に、人の気配が一つしかない」
「……バルトロメオしか、いない?」
「どうでしょう。俺は、知ってる気配なら個人まで特定できますが、知らない気配だと、『そこにいる』ことぐらいしかわかりませんので。バルトロメオさんかどうかは」
「……急ぐ」
オッタは駆け出す。
どういうことなのか、わからない。
だったら直接確かめた方が早いと判断したのだ。
木製のドアを乱暴に蹴り壊す。
腰の後ろの短剣を抜く。
一階には、誰もいない。
石製の螺旋階段をのぼって、二階へ。
木材で補強されてさえいない、内壁むき出しの空間。
ここで行った修行の日々を思い出す。
仲間と過ごした時間を思い出す。
……そして。
戻ってこなかった仲間たちを、思い出す。
石造りの、妙に広い、物のない寂しい空間。
オッタは、その中央にたたずむ、見慣れた背中を発見した。
女性だ。
軽装か、重装か、判断の難しい格好だった。
革に金属を打ち付けた鎧は、要所だけを守り、体の多くを露出させている。
短い薄紅色の髪。
手足は細いけれど、そこに秘められた強い力を、オッタは知っていた。
「エン!」
オッタは、彼女に呼びかける。
呼びかけに応じて、エンは振り返った。
勝ち気そうな顔つき。
ただし、表情には弱々しさが目立った。
白くしなやかな腹部。
包容力のあるバスト。
……それらはみんな、赤い液体で汚れていた。
彼女は右手に大きな剣を持っている。
そこにも、べったりと、赤い液体がついていた。
……オッタは、エンのむこうに、ちらりとなにかが見えたように思えた。
立ち位置をずらして、たしかめる。
するとそこには。
奴隷商人バルトロメオが、倒れていて。
エンは。
振り返る。
笑って。
顔を青ざめさせて。
「……なんで、今、戻っちゃったの」
苦しそうな声。
だから、オッタにも、わかってしまった。
――エンはバルトロメオを殺した。
その事実を前に、オッタは、言葉がまったく出てこなかった。