112話
骨が軋む。
全身に妙なうずきを覚えて、オッタは目を覚ました。
周囲を見回す。
ここは――知らない場所だ。
板が打ち付けられた室内。
自分が寝ていた場所はどうやらベッドのようだ。
他に家具は化粧台だけという、どこか殺風景で、なんとなく異様な部屋。
部屋には小窓があり、入口は一つきり。
手足を見る。
拘束されていたりは、しない。
全身に妙な痛みがあった。
体の芯に残る痛痒。
しかし傷はなく、ケガも見当たらない。
「おや、お目覚めですか」
男性の声。
オッタはベッドから飛び退き、部屋の隅に背中をぴったりつける。
服装は記憶にある自分の服だ。
しかし、反射的に手を伸ばした場所に、武器は、なかった。
警戒を露わにした視線で、声の主を見る。
それは年齢不詳な男性だ。
……過去と現在が、頭の中でつながる。
そうだ、ダンジョンの最上階で、この男性から『カグヤの書』を奪おうとした。
それで。
……手も足も、出なかったのだ。
気を失って――
この男性が、自分をダンジョンから連れ帰ってくれたのだろうと、オッタは思った。
状況を理解して、オッタは警戒を解く。
「オマエが、オッタを助けたのか」
「助けたというか……まあ、そうですね。途中で気を失ってしまわれたので、俺がここまで運ばせていただきました」
「ここは?」
「俺の経営している『銀の狐亭』という宿屋ですよ。この部屋は、客室です」
そう言われて、男性の服装を見る。
ダンジョン内部で身につけていた、銀の毛皮のマントと、仮面は装備していない。
代わりに厚手のシャツにエプロンという、商店の主人みたいな格好だ。
武装もしていないのだろう。
……そうだ、こうして向かい合っていても、なんら危険を感じない。
まったく強そうに見えない。
足音どころか、扉の開閉音すらなく部屋に入ったのに。
声をかけるまで、気配をまったく悟らせなかったのに。
男性に対して、オッタの感覚器はまったく反応してくれない。
耳も、尻尾も、平静をたもっている。
「……オッタは負けた」
「そうですねえ。まあ、そもそも勝負だったかというと、俺の方はそんなつもりはなかったのですが……」
「なんで、オッタを助けた? 放っておけばよかったのに」
「まあ、俺の提案したゲームが原因での気絶のようですし。あと、レベル八十のダンジョンから帰るのは、なかなか手間ですからね。トラップの多いダンジョンは特に、帰り道が憂鬱でしょう? あなたの狙っていたお宝は、俺が先にもらってしまったわけですし、この程度のサービスはね」
「……『カグヤの書』」
「まあ、抵抗はしましたが、事情によっては、『カグヤの書』を譲ってもいいですよ。俺は中身の閲覧が目的なので、それさえ済んだら用済みですからね」
「……事情」
「ちなみに、『過去と未来のすべてを記した予言』が目的だったのならば、残念ながら、『カグヤの書』はそういうたぐいのものではありませんでしたね。ただの日記帳でした」
「……」
「だからタイトルが『予言書』ではなく『カグヤの書』だったんでしょうね。『予言』のあたりは伝説に尾ひれがついた結果でしょう。まあ、事実は当たらずとも遠からずという感じでしたが」
「?」
「……いえ。とにかく、内容に興味があるのでしたら、あとで貸し出しますよ。それ以外が目的であれば、その都度判断しますが」
「オッタは、金がほしい」
隠しても、仕方ない。
オッタは素直に目的を告げることにした。
男性は苦笑する。
それから、頬を掻いた。
「これはまた、ストレートな」
「……ほしいものがある」
「なんでしょう」
「奴隷。七人」
「……なんでまた、そんな数を。どこか大店の経営者で、従業員がほしい――というようにも見えませんが」
「オッタは、奴隷出身。仲間を、助けたい。そのために、金がいる」
「……なるほど。しかし、ご自分を買い戻したならばおわかりかとは思いますが……奴隷は一人購入あるいは解放するだけでも、結構な金額ですよ。俺の感覚だと、わりといい自動車ぐらいの買い物です」
「……?」
「……失礼、俺の世界の言葉でした。とにかく、安い買い物ではない。『カグヤの書』一冊で何人購入できるかはその奴隷たちの値段によりますが、七人全員ぶんの金額はまかなえないかと」
「……とりあえず、早く、少しでも、全員でなくても、買わなければいけない。いつまでも剣闘なんかに、みんなをかかわらせておくわけにはいかないから」
「剣闘?」
男性が首をかしげる。
オッタは、うなずいた。
「剣闘。武器を持って、奴隷同士とか、奴隷とモンスターとかを戦わせて、それを観客が見る、興行のこと。オッタは解放前、剣闘奴隷だった」
「……剣闘奴隷ですか。剣闘という興行は法律で禁じられていますね。死者が出やすいので……まあ武器なしで殴り合う競技はありますけれど。奴隷を無理矢理戦わせるというのは、存在しませんねえ」
「オッタは、バルトロメオっていう、闇商人のところにいた。バルトロメオは、剣闘大会に使うための奴隷を育てて興行に出すことで金を稼いでる」
「……剣闘大会、ねえ……そんな催し、気付けないわけがないのに、気付けなかった。……隠蔽方法があいつと近いのかな」
「?」
「いえ。あなたの事情に興味が出てきました。俺の追っているものに近付けるかも。ということでどうでしょう、提案があるのですが」
「なんだ?」
「その奴隷七人、俺が購入しましょう」
「……?」
「そのバルトロメオさんのところにいる限り、あなたの大事なお知り合いたちは、剣闘大会に出され、命を落とすかもしれない毎日を過ごすのでしょう? ですから、俺が、あなたの助けたい奴隷を全員買います。まあ、出会ったばかりで信用しろというのも無理な話かもしれませんが、少なくとも剣闘奴隷よりはマシな扱いを約束させていただきますよ」
「…………」
「あなたは、俺のもとから、ゆっくりお金を稼いで、奴隷たちを購入ないし解放すればいい」
「……でも、オッタじゃ、奴隷七人ぶんなんて、稼げるかどうか」
「なるほど。では、修行をつけましょう。ダンジョン制覇をできるぐらいの実力がつけば、稼げる金額が上がる」
「そうなのか」
「はい。助けたい奴隷の無事は保障されるし、あなたも安定した金策手段を手に入れることができるし、悪い話ではないと思うのですが」
「わかった」
「……やけにすんなり認めますね。もっと説得が必要かと思っていたのですが」
「?」
「あんまりにも得な話を持ち掛けられたら、普通、警戒しませんか? 嘘なんじゃないかって」
「嘘なのか?」
「いえ、本当ですけど」
「……よくわからない。オッタは、オマエは危なくないと思う。オマエと話してても、尻尾がふくらまない。きっと、オマエはオッタに悪いことはしない。そう感じる」
「直観、ですか。……冒険者の中には験や感覚を知識、常識よりも優先する人は珍しくありませんが……あなたは特別、ご自身の直観を信じているのですね」
「オッタは何度も、尻尾がふくらむのに助けられた。オッタの尻尾は、優秀。何度も助けられた。オマエと話してても、尻尾はふくらまない。バルトロメオと話してると、よくふくらんだ」
「バルトロメオさんは、あなたにとって危険な方なので?」
「……バルトロメオは、危ない。修行の時も、興行に出るのを嫌がった時も、鞭で叩いた。みんなのためってアイツは言ったけど、オッタには嘘だってわかる」
「……なるほど。なんとなく、バルトロメオさんのひととなりが想像できますねえ」
「オマエは危なくないと、オッタの尻尾が言ってる。だから、オッタはオマエを信じる」
「わかりました。では、俺が奴隷を買って、あなたは俺の修行を受け、強くなって、お金を稼ぐ。これで行きましょう」
「わかった」
「早速行きますか」
男性がきびすを返す。
オッタは首をかしげた。
「もう、金はあるのか?」
「手付け金ぐらいなら。今日の今日、全額支払うという展開にはならないと思いますよ。金額の大きい売買契約は、総じて時間がかかるものです」
「……それは、オッタにも、わかるぞ。オッタも、自分を買う時に時間かかった」
「そういえば、ご自身を買われた時のお金は、どのように稼がれたので? 剣闘ですか?」
「オッタは弱かったから、稼げなかった。だから、みんなで稼いだお金で……オッタは解放できる中で一番年下だったし」
「まあ、奴隷解放は色々決まりがあって面倒くさいですからね。大きな障害は、ほぼ三つでしょうか。『自分を買い戻す資金があること』『犯罪歴がないこと』『成人していること』」
「……子供の方が、早く自由になるべきだと、オッタは思う」
「あなたはどうにも、前時代的な奴隷制度の中で生きてきたようですねえ。最近の奴隷契約はむしろ、主人の側を縛るためのものなのに」
「……?」
「身寄りがない子供に、仕事と住居、食事を与える保護制度が、現在の奴隷制度です。なので途中で放り出されないように『成人まで解放されない』という決まりがあるんですよ」
「……よくわからない」
「あなたにとって『奴隷』とは?」
「……戦わないと、鞭で叩かれる。修行しないと、鞭で叩かれる。戦っても、実力が足りないと死ぬ。実力をつけるための修行でも死ぬ。……でもみんな、主しか知らないから、主のために、命懸けでがんばる。オッタはそれが、なんか怖かった」
「古い時代そのままの奴隷ですねえ。……早く解放しなければ」
「?」
「こちらの話です。では、行きますか。俺はバルトロメオさんの居場所を知らないので、案内をお願いしますよ」
「わかった。でも、一ついいか」
「なんなりと」
「オッタは、オマエの名前を知らない」
そう言われて。
男性は、初めて、まだ名乗っていないことに気付いたようだった。
苦笑を浮かべつつ。
「これは申し訳ありません。俺の名前はアレクサンダーです。アレクでもアレックスでも、お好きなようにお呼びください」
五百年前の勇者。
予言書の書き手たるカグヤとも縁の深い人物と、同じ名前を名乗った。