11話
「――見るべきは敵ではない。全体の流れだ。戦いとは敵と向かい合う以前から始まっているもの。互いの立ち位置、相まみえるタイミング、敵の並び、地形、そして対峙した瞬間にわかる互いの気迫の差。威力ではない。重要なのは確実性だったのだ。速くなくとも、強くなくとも、勝負を一瞬で決めることはできるし、その逆もまたありうる。敵の体のみならず、環境全体をもぼんやりと見通す目こそが戦いにおいて最も重要であると、私はまた一つの気付きを得た」
三日後。
ロレッタはダンジョンのモンスターを全滅させた。
彼女は途中から自分がなにをしているか、もう意識さえしていなかった。
世界の意思みたいなものと会話をしながら、ひどく客観的に自分の動きを見ていた気がする。
操り人形を動かしている感覚に近い。
極限の疲労、極限の眠気、極限の空腹から、彼女は自分の魂が体を抜けてどこか高いところにのぼっていく感覚さえ覚えていた。
だから、修行の終わりは、アレクが告げてくれたのだ。
ダンジョン内部にある、土と鍾乳石でできた広間。
そこで、ロレッタはアレクの腕に抱かれ、目を覚ました。
「お疲れ様でした。あなたは目標を達成しましたよ」
彼がどのような方法で、その事実を知ったのかは、わからない。
気配をつぶさに観察していたのかもしれない。
あるいは、なにかまた未知の魔法でこちらを監視していたのかもしれない。
でも。
お疲れ様でした――そう言われた時、ロレッタは、ひどく安堵したのを覚えている。
思わずアレクに抱きついて、ボロボロと涙をこぼす。
「私は、やった……やったんだ……長い、長い戦いだった……永遠とも思える時間を、たった一人で、モンスターと戦い……空腹も、眠気も、とっくに峠を越して、もう、なにも、なにも感じなくなって……っ!」
「はい、はい。がんばりましたね。みなさん、この修行のあとは、たいていそんな感じですよ。宿屋までは、俺が背負って連れて帰りますから、寝ていてください。帰ったら、お風呂を沸かしますからね」
「ああ……帰れるんだな。ようやく、モンスターもいない、光の薄い洞窟でもない、温かいお風呂とベッドのある宿に、帰れるんだ……」
ほとんど父にすがる子供の心境だった。
体は芯から疲れ果てていて、もう指先さえ動かない。
だというのに、意識は落ちるのを拒んでいた。
アレクの背におぶわれる。
なにか巨大で優しい生き物の背に乗るような、安心感があった。
きっと、アレクの妻であるヨミも、こうして背負われて落ちたのだろうとロレッタには思えた。
ずんずん進んでいく。
まだ少女と呼べる年齢の女性とはいえ、人一人の重量を背負っているにしては、軽い足取りだ。
ロレッタは見えてきた外の光に目を細める。
切望した景色があった。
だだっ広い砂地。
冒険者たちがこちらを見ている。
彼らは一様に涙を流し、拍手をしていた。
温かい光景。
それは同情や憐憫かもしれなかったが、拍手をする人々の中に、ロレッタは確かに優しい光を見た。
なんてまばゆい景色だろう。
ロレッタは、うつろな頭で、思い出す。
「……貴族の家に生まれてから、このような温かい人に囲まれたことはなかったな」
「やっぱり貴族だったんですね」
「…………貴族、だった。ほとんど叔父夫婦に家督を奪われている状態だがな」
「……」
「私は――そうだ、私は、指輪を取り戻さなければならない。『花園』調査中に叔父が落とした家督を継ぐ者のための、指輪………………」
「ああ、『調査』は貴族の方がマッピング担当で行くこともあるみたいですね。……では、おじさんに頼まれたので?」
「違う……母の遺品で……冒険者の父が……私は、父の無念を……」
「……お疲れですね。お眠りください」
優しい声音。
全身に染み渡り――不意に、強烈な眠気に襲われる。
魔法だろうか。
まあ――どうでもいい。
ロレッタは優しい眠りに落ちていく。
辛い戦いは終わった。
これでまた一つ強くなれただろうか。
これでまた一つ、強かった父に近づけただろうか?
彼女はふと、そんなことを考えた。