108話
扉を開くと。
アレクのすぐ眼前に、青き巨人がいた。
コリーはアレクに剣を放り投げた。
珍しくぼんやりしていた彼は、ハッとした様子になって、剣を受け取る。
直後。
アレクの眼前に迫っていた、青き巨人の腕が振り下ろされる。
彼は渡された剣の刃で、青き巨人の腕を受け止めた。
止まった、だけだ。
斬れたりは、しない。
アレクは首をかしげる。
それから、手にした剣を見て、不可解そうな声を出す。
「これが聖剣、ですか?」
彼の疑問はもっともだろう。
だって――なにも、変わっていない。
ナイフの長さの、無骨な刃。
折れた両手剣といった様子のそれは、コリーにあずける前と、今とで、なにも変化がない。
けれどコリーは言う。
堂々と。
「それでいいんス!」
「どういう意味で?」
「かつての勇者アレクサンダーは、どんな素材の剣でも振るだけで折ったらしいんスよ。だから最終的に、ダヴィッドは刃を打たないことにしたんス!」
「はあ」
「機能だけ復活させたッスから、剣に魔力をこめてみてほしいッス!」
言われるがまま、アレクは剣に魔力をこめる。
すると、刃が伸びた。
……いや、そのように錯覚しただけだ。
伸びたのは、非実体の刃。
つまり、今に伝わる『聖剣』の正体とは。
「魔法剣、魔力を刃にする装置、ですか」
「そうッス。それが、伝説に記されていた聖剣ッス」
「しかし……」
アレクは、伸びた刃で青き巨人の腕をはじく。
……それからの動作を、コリーは目で捉えることができなかった。
いくつかの音が、圧縮されて耳にとどく。
すさまじい金属音。
同時に、青き巨人が吹き飛んで、壁に叩きつけられた。
それだけ。
青き巨人の、丈夫そうな体には、傷一つない。
アレクが、『聖剣』を見る。
刃の長さはロングソードなみになっている。
それにしては幅が広い。地面に突き立てれば盾にもなるだろう。
ほのかに燐光を放つ刃は、たしかに『聖剣』と呼べる貫禄がある。
しかし、アレクは美しい刃とは別な部分を見ているようだった。
「この剣の威力は、持ち主の魔力依存みたいですね。誰が持っても強い剣、というわけではなさそうです。まあ、たしかに魔法剣は見たことがありませんでしたし、勇者は強かったでしょうから、実体の刃よりはこういうものの方がいいのでしょうが……」
「それが、今の世の中に『聖剣』として伝わっているもので間違いはないッス」
「なるほど。……とりあえず、おめでとうございます、ですかね?」
「いえ、まだッス」
「……と、おっしゃいますと?」
「それが伝承にある聖剣で……こっちが、アタシの作った、生まれたての聖剣ッス!」
するり、と。
鉱石でできているはずの地面に、まるで抵抗なんてないかのように突き立てられた刃。
息を呑む。
ほのかに青い光を放つ刃は、たしかに実体があるのに、幻想的な空気をまとっていた。
それは刀身が半透明だからという理由も大きいだろう。
たとえば清流をそのまま剣のかたちにしたならば、このような見た目になるかもしれない。
大きさは、やや小ぶりだ。
刃の幅は狭く、平たい。
長さはアレクの腕とだいたい同じ程度だ。
にもかかわらずその剣のまとう存在感はあまりに強大だった。
見ているだけで吸い込まれそうになる。
美しさだけで人を制することが、この剣ならば可能かもしれない。
そう思わせるほどの不可思議な魅力が、その剣にはあった。
アレクはその剣を手にとる。
大した力をこめてもいないのに、ふわりと浮かぶように地面から抜けた。
すさまじい軽さ。
なにより、『地面に刺さっていた』ことを感じさせない、優れた切れ味。
剣に顔を近づけ、じっくりと見る。
透けた青い刀身からは、向こう側が見える。
視線を下げる。
柄と刃が一体化したデザイン。
丈夫さに優れるだけでなく、見た目の美しさにも寄与している。
柄は片手で持つことを想定された長さ。
ただ軽いだけではなく、重量バランスもいい。
『振って叩く』ではなく『突いて刺す』ことが主な用途だろう。
アレクは生まれたての聖剣をひとしきりながめる。
そうして、今まで忘れていた呼吸を思い出した。
「……素晴らしい」
「どうもッス!」
「透けた刃というのは、初めて見ました」
「それはこのダンジョンの鉱石を磨いてたら、透けていったんスよ。完全に透明じゃないのは色々な鋼を混ぜてるからッス。……たくさんの鋼を混ぜて、粘りと硬度を両立させるのは、刀剣鍛冶として伝統の技術ッスからね」
「……古い職人が得意とする技術、ですね」
「そうッス。でも、柄と刃を一体化させたのは、新しい技術ッス。古い職人は銘を刻んだり、他にも『柄は柄の職人が作るべきだ』とかの理由から、あんまり一体型はやらないんスよ。でもアタシは、一体型の方がいいと思ってるッス」
「……」
「他にも色々やってるッスよ。……古いものも、新しいものも、全部こめたッス。いいものは、いいものッスから。それが、今のアタシにできる限界ッス」
コリーは笑う。
顔は炭で汚れていた。
体は汗まみれで、息は荒い。
それでも誇らしげに。
コリーは、言った。
「その剣が『聖剣』かどうかは、『青き巨人』を倒せるかどうかで決まるッス。ダヴィッドの作ったそのゴーレムは聖剣なら倒せるって、そういうメッセージが遺されてたッス」
「……へえ、これが、ダヴィッド作のゴーレムなのか。意外と普通にゴーレムしてるな」
「はい?」
「いえ。……ところで、どうされます? あなたが打った剣ですから、あなたが試し斬りをなさるのがいいかと、俺は思いますが」
「いや。アレクさんに頼むッス」
「なぜ?」
「……アタシは、刀剣鍛冶ッスよ。剣を打つところまでが、仕事ッス」
「……」
「それに、アレクさん以上の使い手はいないッス。いい使い手に使ってもらうことが、剣にとっての喜びだと思うッス」
「……そうですか。では、ありがたく。……いや、実はね、俺も、この剣を使ってみたいとそう思ってしまったんですよ。新しい装備を使う時は、わくわくしますよね。それがこれほどの剣ならば、なおさらだ」
青き巨人が立ち上がる。
アレクは、青く透き通った剣を片手に、そちらへ向き直る。
一瞬の静止。
……その後の動作を、コリーの目で捉えることができたのは、アレクのサービスだろう。
あまりに静かな踏み込み。
すべるような動作で、青き巨人までの距離を詰めていく。
接近、間合いに捉え、剣を突き出す。
その動作はすべてがよどみなく、流れるように続いた。
剣の放つほのかな光が、青い軌跡を残す。
切っ先が巨人の胴部に吸い込まれる様が、コリーにはやけにゆっくりに感じた。
切っ先が触れる。
巨人の胴部がわずかにへこむ。
あとはもう、あらかじめ決められていたかのように。
剣は。
青き巨人の――聖剣でしか斬れないと言われたゴーレムの胴体に、突き刺さった。
「……やった……!」
呆然とつぶやきながら、コリーは膝をついた。
疲労と達成感で気絶しそうだ。
危うく魔力による自己強化を切らせかけて、慌てて意識を取り戻す。
視線の先では、青き巨人が、関節部から光を放っているところだった。
……どうやら『聖剣』が完成したことを認め、あのゴーレムの役目も終わったらしい。
……古い時代から、ただ一つの役割のために、今まで動き続けた。
ダヴィッドが作ったという作品。
……どういうことをすれば自立稼働するモンスターを作れるのかはやっぱりわからない。
でも、コリーは、そこに、ダヴィッドの魂を見た気がした。
一つの目的のため、一心に動き続ける。
それは優れた職人の姿と重なる部分があると、そう思ったのだ。
青き巨人が、首を動かして、コリーを見る。
表情などない存在。
でも、最後になぜか、ほほえみかけられたような気がして――
青き巨人は。
バラバラと崩れ落ちた。
アレクが剣を振る。
そして、ゆったりとコリーを振り返った。
「では、帰りますか」
「……あの、もうちょっと余韻とか、ないんスか」
「しかし、あなたの目的はまだ達成されていませんよね。聖剣をおじいさんに見せて、元気にして差し上げなければならない」
「……そうッスね。あんまりの達成感に、忘れかけてたッス」
「ですが、さすがにこれから寝ずに急いで帰るというのも、きついでしょう。休みながら帰って……そうですね、明後日ぐらいにおじいさんと面会ということでいかがですか?」
「……大丈夫ッスかね、じいちゃんの体調は」
「おじいさんの様子を診ているクランメンバーからの連絡だと、まだ余裕はありそうです」
「あの、そういった連絡はいつ受け取っていらっしゃるんスか? 実はアタシが奧で剣を打ってるあいだに、王都に戻ったりしたんスか?」
「スマホで」
「……は?」
「まあ、スマホは冗談にしても、通信機器のようなものですね。さすがに簡単な会話を数秒できる程度ですけれど、そういう魔導具を作成しています。回数制限があったり、大量生産できなかったりと、問題は山積みですが……」
「離れた相手と連絡できるんスか?」
「そうです。でも、距離制限もねえ。きつくって。やっぱり基地局を作るべきかもしれませんね。今だと電池が三秒で切れるうえに充電できないトランシーバーみたいなものですし。おまけに作るまでとにかく時間とマンパワーがかかるという。そして作るための人材育成も間に合っていない」
「疲れてる時にアレクさんと会話するのは、なかなか苦行ッスね……」
「俺も、もう少し説明して差し上げたいところなのですが、さすがに限界です」
「帰るッスか」
「そうですね。帰りましょうか。休み休み、王都までね。入口までは、ロードしましょう」
「……結果的には、王都でセーブしとけばよかったッスね」
「そうですね。まさかコリーさんが死なないとは、意外でした。俺の修業は安全マージンをとりすぎているのかもしれませんね」
「安全……?」
「なんでしょう?」
「いえ、なんでもないッス……眠いッス……空腹ッス……帰るッス……」
これ以上の会話はやめた方が心身のためだろうとコリーは判断する。
……とにかく、疲れた。
ロードをする前に、コリーは背後を振り返る。
そこには、ダヴィッドの用意した工房がある。
……聖剣を作った、場所がある。
素晴らしい設備だった。
でもきっと、もう来ることはないだろう。
……生まれ育った工房があるから。
これからの刀剣鍛冶としての人生は、きっと、そこで過ごすのだと。
そう決意して、コリーは帰路に就く。
王都への帰路へ。
そして、長らく空けていた、生家へ帰るための、道へ。