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少女像の前、星空の下

作者: ぐま

着信を告げるバイブ音が胸ポケットで唸る。

由紀はスライド式の携帯電話を胸ポケットから取り出して概要を見る。

メールが一件。すぐに開くと、出会い系サイトからのメールだった。普通の女子高生なら削除してしまうところだろう。だが、由紀と普通の女子高生の違いは、会員かそうでないかの違いだった。

慣れた手付きでURLを選択してウェブの画面を開く。

メールには、コメントがついていますという簡素な文字が踊っていた。

彼女のプロフィールはいたってシンプルで、尚且つ出会い系サイトでは滅多に見られない文章が書かれている。


『性的な交流はしたくありません。四十代後半の方求む』


たったそれだけの文章だが、コメント欄には沢山のコメントがついていた。それは、彼女の顔写真に惹かれた者だったり、冷やかしの者だったりと多種多様だ。

最新のコメントを見る。アイコンにされている顔写真は確かに四十代後半位に見えた。本文は由紀のプロフィールと同じくらい簡素な文章で、素っ気無くまとめられている。


今夜七時、駅前の少女像の前で会いましょう―――。


由紀は表情筋をぴくりとも動かさずに携帯電話を仕舞った。そしてくるりと方向を変え、元来た道を戻る。現在時刻は六時四十五分。十五分くらい、苦にならない。

仕舞った携帯電話をまた取り出して、母親へメールを送った。

今日は帰りません。友達の家に泊まります。

返事は来ない。勘当されたも同然なのだ。今更行動ひとつひとつに口を突っ込まれることなどなかった。


ぼんやりと少女像の前にしゃがみこむ。六月の手前、まだ梅雨入りはしていないけれど、じめじめとした空気が気持ち悪い。

由紀は肩口で切りそろえた黒髪をかきあげ、首元に空気を循環させた。

携帯電話が示す時間は七時五分。すっぽかされたとしても別に気にしない。所詮冷やかしだったのだろう、と由紀はぼんやり考えた。

しゃがみこんだまま、空を見上げる。濃紺の空に小さな星が瞬いている。由紀は眉を寄せ、すいと顔を逸らした。

綺麗なものは、嫌いだ。

コメントをつけた男は相変わらず来ない。由紀は腰をあげて、溜め息をついた。地面に尻をつけないようにしていたため、ふくらはぎが痛む。

じんじんと痺れるような痛みに、由紀は顔をしかめた。黒いスカートの裾をはたいて、歩きだそうとした。


「あ、由紀ちゃん、だよね?」


まさに第一歩を踏み出そうとした瞬間のことだった。

アイコンと同じ顔の男がこちらを見ていた。実に軽薄そうで――簡単に言えばチャラい。焦げ茶色の髪は伸ばしっぱなしのようで、無造作にまとめられている。髭は申し訳程度に生えていたが、無精髭なのか意図して生やしているのかすらわからない。派手な柄のシャツに、よれたジーンズという出で立ち。チャラいというより、もはや胡散臭かった。


「由紀です、どうも」


それでも逃げようとも思わないのは、あのサイトでは珍しい自分をアピールしないコメントが気になったからだろう。


男は椎名と名乗った。

長い前髪を鬱陶しそうにかきあげて、ちらりと由紀を見る。由紀は淡々とした態度でとなりのビジネスホテルを指差した。

椎名は若干拍子抜けしたような表情をしたが、すぐに引き締め由紀の肩を抱く。いかにも遊び慣れているオトナ、といった風情だ。ごつごつと骨ばった手は暖かく、何故か安心する。


ビジネスホテルのいいところは予約しなくても入れるところだなあ、と椎名は笑った。キーを受け取り、エレベーターに乗り込む。由紀はエレベーターの壁に背中を預け、椎名の背中を眺めた。


「お?由紀ちゃん、おじちゃんのこと見つめてどうした。好きになっちゃったか?」


振り向いた椎名がそんなことを言うので、由紀は目を細め首を振った。椎名の口元が引き攣り、がっくりと項垂れる。オーバーなくらいのリアクションがおかしくて、由紀はくすりと笑った。


部屋に入ると、ツインのベッドがひとつとテレビに冷蔵庫がひとつずつ。オレンジがかった照明に照らされて、なんとなく暖かそうに見えた。


「由紀ちゃん…ぎゅーってしても、いいか」


後ろからそっと肩に手をかけた椎名の声に、由紀の体はふるりと震えた。声もなく頷くと、耳元でありがとうと囁かれる。

甘ったるい、まるで恋人にするようなその態度に、頭がクラクラした。

椎名は後ろから優しく、けれど強く由紀を抱きすくめる。由紀の肩に顔をうずめて、深く息を吐き出した。


「由紀ちゃんあったけえなあ…」



「そりゃあ、生きてますから」


そうなんだけどさ、と椎名は笑う。よく笑う男だ、と由紀はぼんやり考えた。


二人でベッドに腰掛ける。音がないのが落ち着かないのか、椎名はテレビをつけた。がやがやと騒がしいバラエティー番組が流れている。二人の頭の中にはまるっきり入っていないけれど。


「由紀ちゃん、今日は帰らないでいいの」


椎名の問いかけに由紀はこくんと頷いた。椎名はそっか、とだけ呟き、由紀の頭を撫でる。そのまま肩に触れ、抱き寄せた。

由紀は無抵抗で、それどころかうつらうつらとしている。


「おいおい由紀ちゃん?眠いのか?」


「…すこし、だけ…」


温度の高いその声に、椎名は頭をかいた。まだ八時前なのにな、などと呟いて、由紀をそっと抱き抱える。無防備に抱えられる少女はもうすでに目を閉じていた。そんな由紀に、いたずら心が芽生える。


「由紀ちゃんよお、そんな無防備で、食われても文句言えねえぞ?」


耳元で囁くと、由紀はぱちりと目を開く。驚いた椎名の胸を掌底で殴りつけ、ベッドから飛び起きた。


「いってえ!?え、由紀ちゃん!?」


由紀はぎろりと椎名を睨みつけ、じりじりとドアまで下がる。

姿勢を低くしいつでも動けるように足に力を入れている様はまさに猫のようだ。

この場合、狩るのではなく逃げるための姿勢なのだけれど。


「そういうことがしたいなら他の女に声かけてください」


ドアノブに手をかけた由紀に椎名は焦る。ちょっとしたいたずらのつもりだったが、思いのほか地雷だったようだ。


「ああっとタンマタンマ!冗談だよ、冗談!第一俺そういうことできないから!」


そこまで強く言うと、由紀の顔が怪訝そうなそれに変わった。ドアノブから手が離れて、姿勢も元の立ち姿に戻る。

本当に気を許したわけではないのか、椎名に近寄ろうとはしない。


「まー、俺みたいな歳になるとそう珍しいことでもないんだけどな。いわゆるインポテンツってやつ?勃起不全なんだよねえ」


いやーまいっちゃうね、と頭をかけば、由紀は面食らったような顔で二回ほど瞬きをした。椎名の出で立ちもあって、本気で犯されると思ったのだ。


椎名が軽く手招きをすれば、今度こそ素直に近寄る由紀。先程のようにベッドに腰掛けて、そっと椎名の肩に頭を乗せる。


「…あの、ごめんなさい」


「ん?ああ、いいっていいって。俺が悪かったしな」


由紀ちゃんは悪くないぞー、と頭を乱暴に撫でれば、由紀は困ったように笑った。


「んじゃあ、そろそろ寝るか」


シャワーもさっと浴び、お互い話すこともなくなった午後十時。椎名の提案に反対することもなく、由紀はベッドに入った。清潔なシーツと柔らかいベッドの感触を楽しみながら、もぞもぞと寝転ぶ。椎名もそれに倣い、由紀の隣に寝そべった。


「由紀ちゃん、抱き枕にしてもいいか」


軽く肩を抱いて、椎名は囁いた。由紀はこくんと頷いて、椎名の胸に顔を擦り付ける。

本当に猫みたいだな、などと思いながら椎名は強く抱きしめた。小さくて温かい体を抱きしめると、心から安心した。


「由紀ちゃんは抱き心地がいいなあ。やらかくて、サイズもぴったりだ…。由紀ちゃんみたいな女の子は、抱きしめたくても簡単にはいかないからねえ」


胸の中にいる少女が今どんな顔をしているのかは椎名にはわからないが、なんとなく、照れているのではないか、と思った。

艶のある黒髪をそっと撫でて、頭頂にキスをする。

すると、由紀の体がぴくりと跳ねた。


「ああ、キスは嫌だったか?」


「…いえ、大丈夫です…」


椎名の胸から顔をあげた由紀は戸惑ったように視線をさ迷わせる。そして、意を決したように口を開く。


「…あの、もう一回…」


囁きにもならないほどの呟きは、しっかりと椎名の耳に届いていた。椎名はより一層強く抱きしめ、由紀の額にキスをする。

リップ音を立てて離れると、由紀は椎名の首筋に顔を擦り付けた。


しばらく経ってから、椎名が口を開いた。


「…由紀ちゃん。あー、その、由紀ちゃんさえ嫌でなければの話なんだが…」


うつらうつらとしていた由紀は、重いまぶたを懸命に持ち上げ椎名の言葉を待つ。

椎名はそんな由紀をいじらしく思いながら、話を続けた。


「由紀ちゃんさえ、嫌でなければ…その、なんだ、また、こうやって会えないか?」


髪を撫でながら椎名は小声で呟く。しんと静かなホテルの一室にはその声すらよく響いた。

弱々しいくらいのその響きに、由紀はきゅっと眉根を寄せ、小さく頷いた。

途端、また強く抱きしめられる。温かい体温に包まれ、由紀は深い眠りに落ちていった。


「…寝ちゃったか」


既に小さな寝息をたてている由紀の頭を撫でる。椎名はひとつだけ、由紀に言ってないことがあった。


「由紀ちゃん、…こんなやつが、君の叔父だと知ったら…君はどう思う…?」


抱きしめたまま、耳元に唇を寄せてそっと囁く。

寡黙で警戒心の強いこの少女を、一人の男として愛おしく思うと同時に、罪悪感も込み上げる。

そんな感情すべてに蓋をするように、椎名は瞼を閉じた。


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