一話「異世界」
眩しい……。
電気を点けたまま寝てしまったていたのか?
夢と現実の間にいるような寝ぼけた頭では寝る前の状況すら上手く思い出せない。
光の刺激が寝ぼけた頭を少しずつ覚醒させていく。
「……ん?」
電気を点けたままだとか、カーテンが開いたままだとかではない。
上半身を起こした俺の目の前には広大な大地があり、薄い緑の草がその地面を覆っている。
…………。
言葉が出ない。
状況が理解出来ない。
な、なんなんだ?
家じゃない?
そんな当然とも言える疑問が浮かんでは消える。
こんな非常識な現実を俺は知らない。
だとすればこれはもしかして……。
これは夢……か?
夢だと仮定し考えてみる。
……いや、有り得ない。
過去に夢を見ていた時もここまで意識がハッキリしていた事は経験上無い。
指を動かしてみる。
何の問題もなく動きそれが正常な事だと認識出来ている。
夢ならば勝手に身体が動いていたり、ここまで細かい感覚は持ったことがない。
服を確認する。
寝る時にいつも使っている上下白のジャージだ。
擦り合わせるとカサカサする素材じゃなく柔らかい素材な為、パジャマとして愛用している。
一つの可能性が脳裏をよぎる。
これはもしかして神隠しなるものではないか。
寝る前は自宅に居た記憶があるし、起きたら訳も分からず草原に居る。
周りには誰も居ないというか隠されてる訳でも隠れる場所もない為誘拐という訳でもなさそうだ。
そもそも誘拐なら運ばれる際に一度起きるはずだ。
「よっこらせっと」
おっと。
ついオッサンみたいなかけ声を出してしまった。
考える事を一度中断し立ち上がる。
後ろを振り向くと木々の奥に建物が見える。
はっきりとは分からないが数が多いように思える。
となればあれは町なのだろう。
人が居れば何か分かるかもしれない。
となるとやる事は決まった。
まずはあそこに行ってみるとするか。
上を見れば海の様な青い空が広がり、雲がそこを泳いでいる。
前を向けば緑の絨毯が広がっている。風に運ばれる自然の香りがまるで自分と自然が一体化したような錯覚を起こさせる。
ちょっと言い過ぎたか。
一体化なんぞ感じないし普通に雑草の匂いがするな。
町の方向にはの木々の存在も確認出来る。
幸運だったのは見渡しの良い小高い丘の上で目を覚ました事か。
もう少し低所だったのなら、木々に隠れて町が見つけられなかったかもしれない。
不幸中の幸いとはまさにこの事だな。
しかし何で俺は靴を履いているんだろうか。
いや、外を歩くには当たり前なんだけど状況を考えるとおかしいよな。
しかしおかしいと考えるならそもそもここに居るのがおかしいんだよな。
おっと、また答えの出ない疑問にぶつかってしまった。
そんな事は考えるのは後だ。
今はもっと別の事を考えよう。
歩きながら俺は自身の事を振り返る。
名前は来宮優一。
優しく、そして優れた人間になれ……という由来の元に両親が付けたものだ。
残念ながら優れた人間にはなれなかったのでせめて優しくはあろうと思っている。
教育に力を入れていた両親には申し訳ないが、頑張っても大した結果が出せない人間だっているのだ。
幼い頃は塾に通い、音楽教室に通い、スポーツジムにも通った。
結果としては全て全滅。
学校の成績は平均を下回り、習った楽器は全然上手くならない。ついでに楽譜も既に読めなくなっている。
運動神経もそれほど良くはなく、それが改善されることのないまま大人になった。
救いと言えば良くしてくれる友人が割と多かった事か。
困った時もなんだかんだで助けてもらえたしな。
年齢は二十歳。
この間誕生日を迎えて酒は飲める年齢にはなったがほとんど飲んだ事はない。
同級の友達が飲み会に誘ってくれてはいるが、いつも自分で車を運転して現地に向かうから結局飲まずに帰るってのがパターンだ。
そして昨日。
寝る時は確かに自宅に居たはずだ。
わざわざ知らない場所に行ってから寝るなんて意味不明な事をする楽しい性格はしていない。
いつも通り起きて。
いつも通り仕事をして。
いつも通り真っ直ぐ自宅に帰り。
いつも通りご飯を食べ。
いつも通り寝る。
これといって変化もなかった一日だったはずだ。
昨日だけではなく、今までの人生の詳細な記憶もちゃんと持っている。
小学四年生の運動会で猛特訓の末リレーで一番……は取れず五人中四番だった。
中学三年生の高校受験では猛勉強の末ライバルを蹴散ら……せず本命に落ちた。
高校三年生の大学受験では猛……やめよう。悲しくなってきた。
そんな事を考えながら一時間程歩いただろうか。
町も大分近くなったんじゃないかという所で石の階段を見つけた。
階段の数は十五から二十程度だろうか。
登った先にはただ石の床が四角形を描くように広がっている。
四隅の外側には花の蕾のような形をした石の飾りがある。
何だこれ?
祭壇か?
……どこかで見たような気がするな。
んーダメだ。思い出せん。
頭を捻りながら階段を登り祭壇らしきものの真ん中に立つ。
もう一度町の方向を向く。
頑張って歩いた甲斐あって距離は大分縮まっている。
残念ながら結局ここまで誰とも合わなかったな。
町に近づくにつれて誰かと出会うかと思っていたが勘が外れた。
そもそも人どころか動物にすら遭遇していない。
「あっ!」
俺は今非常に重要な事に気づいた。
誰かに会ったとして、何て聞くんだ?
このままだと最初に聞くのは間違いなく「ここはどこですか?」だ。
だがそれを日本でされた場合間違いなく俺は相手を怪しむだろう。
正直に「気づいたら近くの草原で目を覚ました」と言ってもいいが怪しまれるとその後の行動に支障をきたすかもしれない。
不審者を見るような目で見られると嫌だしな。
実際不審者なんだけど。
これは何か策を用意しておいた方がいい気がする。
それにずっと歩いてたしな。
疲れを感じてなかったから忘れてたけど休憩も大事だ。
自慢じゃないが体力には自信がない。
その俺が疲れていないなんてきっと緊張状態が続いているんだ。
よし休もう。
俺は階段に腰を下ろし、休憩を兼ねて考える事にした。
対策が出来上がった。
一つ、基本記憶喪失であることとする。
一つ、名前は覚えていることとする。
一つ、その他困ったことがあれば「うっ! 頭が……。」で乗り切る。
最後は演技力次第だな。
きっと何とかなるだろう。
色々考えたけど実は知っている場所でした! 何て事ならいいんだが、歩いてきた限りその可能性は低そうだしなぁ。
さて、休憩も取ったし出発するか。
靴を除いては寝た時の状態だったし食べ物も飲み物もない。
時間が経てば経つ程状況が悪化するだろうし。
そういえば気にしてなかったけど今は何時くらいなのだろうか。
太陽を見る限り昼……ちょっと前くらいか。
今は大丈夫だが腹も減る頃合だし少し急ぐとするか。
町が近づいてきた。
既に人も確認出来ている。
話せてはいないが。
どうやら俺は町から出ている道からは逸れた場所に居たらしい。
そしてその道からは馬車に乗って移動している人々が見える。
馬車といえば漫画やゲームの世界ではよく目にするが、実際に目にするのは初めてだ。
乗り心地は悪いんだろうが、やはり一度は乗ってみたいと思うのが男だろう。
おっと、ワクワクするのは後回しだ。
丁度門番らしき人達も見えるし近づいて話しかけてみるか。
「すいません。ちょっといいですかね?」
「ん? あぁ、町に入りたいのか。見た所商人って訳じゃなさそうだしキミは冒険者か?」
冒険者?
なんだそれは。まるで本当にゲームのような感じじゃないか。
まぁいい。
困ったら作戦通り記憶喪失設定で切り抜けよう。
「いやぁ、冒険者かどうか分からないんですよね。気づいたら近くの草原で倒れてまして」
「倒れてた? もしかして魔物に襲われたのか? それはどの辺りだ?」
「えっと……ここから向こうに二時間弱歩いた所の広い草原です。倒れた時に頭を打ったのか記憶がないんですが、怪我はしてないし服に目立った汚れもないし魔物には襲われてないと思います」
心配そうな顔をして聞いてくる門番さん。
最初に居ただろう方角を指で示しながら話していく。
怪我もないという事も伝えると門番さんの顔に安堵の色が浮かぶ。
しかしまた聞きなれない単語が出てきたな。
魔物。
この門番さんが嘘をついているようにも見えない。
こんなサラッと中二病が好きそうな単語を使うなんて普通の人間なら恥ずかしくて無理だろう。
「ふむ、あの辺りはついこの間兵士が魔物討伐したエリアだな」
「そうなんですか。ところで町に入るのに身分証って必要ですかね? 向こうにいる人達はなにやら見せているようですが」
「いや、町に入るだけなら問題ないぞ。あれは馬車の中の荷物のチェックしてるんだ。悪い事するヤツはまず居ないだろうが念の為ってやつだな」
門番さんは笑いながら話す。
周りを見ても皆似たような感じで話している。
雰囲気もそうだけど話しぶりからしても犯罪者は少ないのか?
まぁいいか。
この人に色々聞かせてもらうとしよう。