うみべにいくヨ!
季節感ガン無視ですね。脈絡なくてすみません。
太陽が空を埋め尽くしたような日差し。
蒸気を吹き上げるヤカンの中にいるような熱。
一ヶ月前の心地よさが嘘としか思えない急激な温度上昇。
「夏だ!」
天然の水域は太陽に呼応するように青みを増す。透き通る水面を通して見える地面は、幻想的といっても差し支えないほどの物だった。
「海だ!」
砂浜は熱気を孕みつつ、しかし爽やかな潮風によって心地よさを失わない。絵に描いたような気持ちのいい夏、そして海―――このロケーションでやることといえば、それこそ一つしかない。
「海水浴・だー!!!!!!」
葵の叫びが全てを表していた。
よく通る声が水面を滑り、やまびことなって返ってくる。海でもやまびこというのかは疑問だが。
「海だな」
「ああ、海だ」
そう。一護たち幼馴染は、海に来ていた。
忌々しいほどに晴れ渡った青空と、コントラストを添える真っ白い雲。外洋の並外れた綺麗さには負けるものの清水市の海は未だ蒼さを保っており、国内でも有数の海水浴場として有名である。
葵が叫ぶのも無理はなかった。元気な奴の八割は叫ぶという都市伝説もあるくらいだし、一年ぶりの海は中々に感慨深い。
「にしても、初日っから海たぁ随分と景気がいい話だよな。去年は八月入ってからだっただろ?」
「いいと思うぞ? 最初から楽しい思い出作れば、なんとなく幸先がいいし」
本日は七月二十日。
赤樹学園の夏休み初日にして、世間一般で‘海の日’と言われる祝日だ。ある意味、公に海水浴が認められている日と言えなくもないが、確かに夏休み初日から海というのは、あまり聞かない話だろう。
「そーだよでっかいの。提案したあたしに感謝しなさい」
ふふん、と葵が胸を張った。絶賛成長中と自称するだけあって、去年より大きくなったように見える部位が強調されまくっている。普段であればまったく平気だが、ビキニ姿でやられると中々に破壊力が高かった。
「ま、補習サボる口実にゃなったけどな。今回は風見が裏切りやがったせいで、このメンツじゃ一人だけどよ」
「えっへん」
鷹の言葉に今度は風見が胸を張る。スポーティーな葵に比べると可愛らしい感じだが、これまたビキニだ。何気に一護の知り合いでナンバーワンのプロモーションを誇っているのは風見で、わりあい見ているはずの水着姿ですら目の毒である。
(いかんいかん。雑念退散)
別名、煩悩ともいう。こっそり気持ちを入れ替えると、一護は視線を風見から砂浜へ移し――そして固まった。
「んぅ? お兄ちゃん、どうかしたの?」
ピンク色のワンピース型の水着に、白いTシャツ。葵や風見のビキニと違って派手さはないが、清楚でむしろ好ましい。Tシャツを羽織っているのは恥ずかしいからか。他の二人と比べてもまるで遜色ないのだが、そこは性格の違いという奴だろう。
「……なんでもない」
なんでもないのだ。そう、水着の雪音が視界に入ってフリーズしてしまったなどどこの誰が言えようか。兄としての沽券以前に、世間的な道徳に関わる。
「なーに固まってんだよ、一護」
そんなことを考えていたら頭を小突かれる。振り向くと鷹が呆れ顔で立っていた。
「海で水着とくりゃ泳ぐしかねぇだろ。ほれ、とっとと泳ぐぞ。今日は死ぬほど遊ぶって決めてんだからな」
いや、よく見ると葵も風見も不思議そうな顔をしている。どうも自分で思っていたよりもフリーズ期間が長かったようだ。
「悪い。そんじゃ待たせたけど、そろそろ泳ぐか」
「ブッブー。兄貴ふせーかーい」
だが、一護の提案はあっさりと却下される。腕で大きくバツを作り、葵はどこか誇らしげに言い放った。
「ストレッチ。これ、大事だょ」
「細けぇな」
「あたし水泳部だし。プロに従いなさい、プロに」
「幽霊部員なのにね~?」
「みー、そういうこと言うな!」
「まぁ葵のサボり癖はともかく、確かにストレッチは大事だな。軽くでもやっとこう」
「うん♪」
「そ、そうそう。流石に兄貴はいいこと言うねっ」
風見に痛いところをつつかれた葵が一護を持ち上げる。
あからさまに話題をそらそうとしている様子に苦笑しつつ、とりあえずは屈伸からスタート。確かに面倒ではあるが、念には念をということだし、ストレッチもある程度はやるべきだろう。
「ハ」
が、鷹はそれすらお気に召さなかったらしい。鼻を鳴らして肩をすくめると、パラソル下に設置した荷物をあさり始めた。
「……何してんだ? 鷹。昼飯には流石に早いぞ」
「要は体をほぐしゃ文句ねぇんだろ? なら、ストレッチやら準備運動やらかったりぃモンじゃなくて、もっと遊べることすりゃいい」
「?」
雪音と風見が首をかしげる。葵はもう少し積極的で、ストレッチを中断すると荷物をあさる鷹の手元を覗き込んだ。
「あ、そんなの持ってきてたんだ?」
葵の声に反応してか、後ろ向きで放られる物体。不意打ち以外の何物でもない一投を、反射的に一護は受け止めた。多少の痛みは覚悟したが掌からは弾力が伝わってくるのみで、痛み自体は欠片もない。
「……ビーチボール?」
だがそれも当然だろう。空気しか入っていない海の遊び道具、ピンポン球に匹敵する軽さを受け止めただけなのだから、痛みを感じるはずもなかった。
「商人の野郎に海へ行くっつったら、売りつけてきやがってな。ま、遊び道具は多けりゃ多いほどいいだろうし、持ってきたんだよ」
「珍しく準備いいね~?」
「たまにゃ貢献しねぇとな。ほれ、適当にチーム分けようぜ。ちょうどネットもあるしよ」
鷹の視線の先には確かにバレーボール用のネットが。しかも何故だか知らないが、本物のチームが使うような気合の入った代物である。
「っていうか鷹、お前まさか試合するつもりか?」
「あん? 当たり前だろ一護」
呆れた声だった。魚は泳げるのかという質問に答える方が、きっとまだ躊躇いがあっただろう。目の前の体力バカの思考にはボール回しとか、リフティングとかの概念は少しも存在しないらしい。
「準備運動代わりで本番やったら意味ないだろうが! それこそ足つるわ!」
「パスするだけじゃそれこそ準備運動にもならねぇよ。マジにならねぇにしても、試合をすりゃ嫌でも動くだろ?違うかよ?」
「……お前、こういう時ばっかりそれっぽいことを……ったく解ったよ。そんじゃチーム分けだな」
鷹は既にやる気満々だ。論破できなくはないだろうが、時間の無駄を省くために提案を受け入れる。言うことにも一理あるし、どう考えてもストレッチよりは試合の方が楽しいだろう。
「流石だぜ相棒。ンじゃ、いつも通りジャンケンな」
「よーっし! 燃えてきたぁー!」
◆◇◆◇◆
そして、三十分後。
「ジャーンケーン……ポォン!!!」
鬼気すらこもった葵の掛け声と共に、都合四度目のジャンケンが行われた。
幼馴染では組分けをする際、あいこ同士でペアを組む方式を採用している。そもそもの人数が五人、必ず一人余ることを考慮した昔からの伝統だった。
「うぇぇ!?」
「……また、かよ」
一護がチョキ。葵がグー。風見がパー。鷹がグー。雪音がチョキ。
つまり審判が風見。
試合をするのは一護と雪音チームと、葵と鷹チームとなる。
「なんで!? なんでこんな何回も!?」
その単純な結果に、葵が悲鳴じみた声をあげた。突き出した手がぷるぷると震えている。どうやらついに驚愕が臨界点を突破したらしい。
「おお。雪音ちゃん、凄いね~」
「えへへー♪ ありがと、風見ちゃん」
逆に雪音は満面の笑みだった。鼻歌でも始めそうな上機嫌さで小さくガッツポーズなんかしている。
「ちょっと兄貴! なんかイカサマしてんじゃないの!」
「俺かよ!?」
「だって信じられないょ! なんで四回も組分けして、全部兄貴とゆっきが同じチームになるのさー!」
「知るかー!」
突っかかってくる葵に負けじと一護も吠えた。
確率の問題とはいえ、三人以上のあいこも含めて一護と雪音は全て同じ手を選んでいる。その回数、都合七度――葵が八百長を疑うのも無理なかった。当事者である一護とて戸惑っているのだから。
「一護はハッタリかましてる感じじゃねぇし……となると雪音ちゃんか」
全員の視線が雪音へ注がれる。急に注目されて彼女は目を瞬かせた。
「雪音。お前、どうやってるんだ? 後出ししてる様子もないし」
「ほぇ? お兄ちゃんが出しそうな手に合わせて、私も手を出してるだけだよ? 特別なことは何も……」
「なにそれ! なにその究極奥義! なにその天性シンクロ! そんなの出来ること自体が特別だって認識がないんだょ! ゆっきーには!」
「え? え?」
葵の追及が今度は雪音へ向かう。今回ばかりはそれも当然だと思うが、どうやら不正な手段でコントロールしたわけではないようだ。もっとも葵の言うように普通では出来ないことではあるが。
「くぅぅぅ! なんか無性に悔しいょ! でっかいの、とっとと倒して次やるょ!」
「ったく、ヒートアップしやがって。めんどくせぇ奴だな」
「何か言った!」
「言ってねぇ言ってねぇ。ほれ、コート入れ。風見も審判だろ。ちゃんと見てろよ」
「うん~」
怒り心頭の葵を先頭に、鷹と風見がコートへ続く。
流石にそろそろ疲れてきたのでこの辺で自由行動に移りたかったのだが、あの様子ではまだまだビーチバレーは続きそうだ。
「えへへ。私達もいこ、お兄ちゃん♪」
「ん」
ならば開き直って、ビーチバレーで限界まで戦うのもありだろう。何しろ敵は鷹と葵、相手にとって不足はない。
◆◇◆◇◆
「……あー。疲れた」
ビニールシートに腰を下ろして呟く。まさか準備運動代わりと始めたビーチバレーを、本当に限界までさせられるとは思わなかった。途中で一回だけ審判になったが、それでも一時間半も出ずっぱりになっていれば過剰運動以外の何物でもない。
ちなみに他は全部雪音とペアだった。まさに恐るべき先見の明である。
「あぅぅ……」
しかし、その代償は大きかったようだ。
一護が一回だけ審判、他が雪音とペアだったということは、必然的に雪音は全試合に出場していたということになる。超人的な体力を持つ葵や鷹ならばともかく、長距離走より短距離の方が得意なタイプの雪音にはとんでもない重労働に違いなかった。
「大丈夫か? 雪音」
「……あ、あんまり大丈夫じゃないよぅ」
うつ伏せで休む雪音が応える。とはいえさっきは完全にノックダウンしており、話すこともままならなかったから今はマシになった方だろう。
「まぁゆっくり休んでればいいさ。海水浴に来て海に入れないとか、本末転倒な気もするけど、そもそも俺らは鷹達と違って一般人だからな。勝負事ばっかりじゃなくて、楽しく過ごせばいい」
視界を遠くへ向けると、二キロの遠泳勝負に出かけた鷹と葵が小さな点で確認できた。言うまでもなくハードな対決で、一護も誘われはしたが断って休憩を選んでいる。
「それこそ、あいつみたいにな」
「んぅ? あいつって………?」
雪音の視線が一護を追った。そこに神妙な表情で鉄板を見つめる風見の姿を認め、彼女は思わず苦笑する。あの天然娘が何をしているのかというと、バーベキューの鉄板でその辺に転がっていた貝を焼いているのだ。
「あ、あはは……風見ちゃん、おなかすいたのかな?」
「あいつは満腹の状態の方が珍しいだろ。昼飯には早かったから、自分で調達するように言ったけど……食えるのか? あれは」
「えっと、確か毒とかはなかったはずだよ。あんまり美味しいものじゃなかったはずだけど……」
「風見だしな。食えりゃいいんだろ」
胃袋ブラックホールの異名は伊達じゃない。味が最優先なのは間違いないにしろ、食欲を満たすためなら何でも食う女だ。それこそ毒があろうと腐っていようと問題なく平らげるに違いない。
「ま、鷹達が戻ってくるまではゆっくりしてよう。多分二十分は戻ってこないし、だいぶ休めるはずだ」
「うん……ごめんね、お兄ちゃん。付き合ってもらっちゃって」
「お馬鹿なことを言うなっての」
「ふにゃ!?」
一護は思いっきり雪音の髪の毛をかき乱した。彼女がまとう、申し訳なさそうな雰囲気もろとも吹き飛ばすように強く。
「俺がここにいるのは、お前に付き合ってとかそういうのじゃなくて単に疲れたからだ。変に気を使うんじゃありません」
ぐりぐり。
「いいか? 俺はお前が思ってるほど出来た人間じゃないの。お前は買いかぶりすぎだ」
ぐりぐりぐりぐり。
「でもって、お前自身は真面目すぎ。もちろん真面目が悪いわけじゃないし、お前のいいところだとは思うけど、もう少し風見や美羽ちゃんを見習って肩の力を――」
抜け、と言おうとして一護は手を止めた。掌に感じていた僅かな戸惑いの気配を、いつの間にやらまったく感じなくなっていたからである。
「ふにゃぁ~……♪」
恐る恐る視線を下げると、幸せいっぱいのため息が出迎えてくれた。
一言で言うと、とろけている。
日向ぼっこする猫のごとく、ブラシをかけられるわんこのごとく、一護に頭を撫でられて雪音は完全に骨抜きになっていた。
「……小動物め」
注意するのもバカらしい。すっかり毒気を抜かれ、一護は改めて雪音の頭に手を置いた。撫でるわけではなく、さらさらの髪の毛をしばし指の感触で楽しむ。
「んぅ?」
「気にせず休んでろ」
「……うん♪」
穏やかな時間。海に来て妹の髪で遊んでいるというのはどう考えても間違っているが、緩やかなこの時間は充分に得がたいものだった。普段から騒がしい空間にいることが多いだけに、こういう空気は非常にレアである。
「ね、お兄ちゃん」
「んー?」
どれくらい時間が経っただろうか。風見が貝を焼き上げるくらいの時間を経て、雪音が小さく言葉を発した。
「お父さん、どこ行ったのかな?」
「さぁな。毎度の出張だろ?」
昨日の光景を思い出す。
数日前に帰ってきたばかりの伊達家の大黒柱は、すぐにまた旅立った。我が父ながら神出鬼没の男である。
「そもそも何の仕事してるかさえ教えてくれないしな」
「うん……それに今回、長いって言ってたからちょっと心配だなーって」
「大丈夫だ。殺したって死なない――ん? 期間、聞いたのか?」
「ふに? うん。お父さん、一ヶ月くらいって言ってたよ?」
「…………は?」
雪音の言葉を脳内で反芻する。
一護の耳がおかしくなったのでなければ、確かに彼女は一ヶ月だと言った。漢字にすれば僅か三文字だが、時間に直せば実に720時間。夏休みの全てを網羅するほどの期間である。
「夏休み全部?」
「う、うん」
「あの親父、遊びに行ったんじゃないだろうな……」
「さ、さぁ……?」
「……帰ってきたら問い詰めてやる。それじゃ一ヶ月は二人きりだな……家事、分担するか?」
「や!」
さらりとダメ元で聞いてみたら、予想以上に強い拒否が返ってきた。
先ほどまでのご機嫌顔はどこへやら、ぷっくりほっぺたを膨らませて文字通りの膨れっ面である。
「拗ねるな拗ねるな。いいじゃんか。学校行ってないのに手伝いしてないってなると、なんかニートみたいで嫌なんだよ。たまには手伝わせてくれって」
「だめだよ! 私はお兄ちゃんのお世話してないと死んじゃう生き物なんだからっ!」
「なんだそりゃ」
「う~~~!」
「やれやれ……」
はてさて、この駄々っ子をどうしてくれようか。
頭をぽんぽん撫でてやりながら、蒼穹へ思いを馳せる。
いい天気だった。
始まったばかりの夏休み、妹様のご機嫌伺いから始めるとしよう――。




