マヤになる! 5
そこは、祭壇の上だった。
「わたしは、戻って来たの?」
そうだ、以前にもわたしはこの祭壇に立っていた。確かに憶えていた。
「でも、ここは……」
この祭壇は、以前とは大きく違う所があった。わたしの前にある広場に、誰もいなかったのだ。それに、かがり火も殆どが消えて、炭の部分がかろうじて赤い程度だ。
「そうだ、あの少女は?」
今のわたしが頼れるのは、以前に手を引いてくれたあのマヤに似た少女だけだった。
わたしは、迷子が母親を捜しているように必死になって周囲を見回した。祭壇には光源になるものがほとんどなく、床にある二つの大きな記号だけが、夜光塗料で書かれたみたいに黄色く光っていた。
「あのマヤに似ていた少女はどこなの?」
そもそも、ここは何処にある祭壇なのだ? 壁の外の景色さえも、わたしは知らなかった。それどころか、わたしが誰なのかも判らなかった。
今のわたしは、メガネが無くても景色がはっきりと見える。まるで、別人の目のように。
「まさか。今のわたしは、全く別人の身体なの?」
言いようのない不安に足がすくんで動けなくなったわたしの前に、舞台の袖から捜していた少女が現れた。
この少女が誰なのかは全然判らなかったのに、彼女を見てわたしは何故か安堵した。
少女が手招きしているのを見て、元気を取り戻したわたしでないわたしは再び歩き出した。
「待っていて、今行くから」
わたしには、少女に手を伸ばした。すると相手もまた、こちらに向けて手を伸ばした。
足取りはとても重くて時間がかかったが、ついにわたし達の距離は手が届く所まで近付いた。互いを求め合う二人の手が、指をからませあった。
また、変な夢をみた。合宿の時に見た夢の続きみたいだった。
「どうして、こんな夢を今日に限ってまた見るのかしら?」
今日は、始業式の日だった。夏休みは、昨日で終ったのだ。
夏休みの間、黙々と服を仕立てていたわたしに母さんは何も言わなかった。毎日の勉強は欠かしていないから、文句を言われる筋合いもない。もしかしたら、わたしに突き飛ばされたショックが、まだ残っているのかもしれない。
出張から帰った父さんは、自分の家庭の変化に鈍かった。裁縫を女の子らしい趣味だとしか認識していなかった。
一人っ子のわたしは、誰にも邪魔される事なくマヤの服の再現に挑戦出来た。
まるまる一着分の服を自作するなんて、わたしは初めてだった。最初のうちは、型紙を裏返しにしていたりといったささいなミスからまるまる最初からやり直しになったりして布も時間も沢山無駄にしてしまったが、途中からはなんとかコツが掴めた。
ブラウスでもこの調子なのだから、もしワンピースまで自作しようとしていたら無駄になった布の量は桁違いに増えていただろう。これだけは、本物を買えて良かったとわたしは思った。
結局、ブラウスとスカートが完成した時には、夏休みはとっくに終っていた。しかし、流行の服を着るつもりじゃないわたしには、そんな事はどうでも良かった。
*
「Hyvaa huomenta!」
始業式の日、マヤが教室に入って来るなり異国語の挨拶をしながらカバンを持っている方の手を振った。
「Hyvaa huomenta」
エフェメラさんも、手を振りながらマヤの挨拶に応えた。そう、今のはエフェメラさんの祖国の挨拶なのだ。
エフェメラさんの故郷の話を聞きたかった生徒達は露骨に嫌な顔をしたが、マヤは完全に無視してわたしのすぐ隣にまで寄ってきた。いや、わたしもマヤに無視されているのだ。
マヤは何を言っているのかサッパリ判らない言葉を話していたが、エフェメラさんだけはちゃんと受け応えていた。言うまでも無く、これはエフェメラさんの母国語だ。どこの国の言葉なのかは知らないが、学園内でこれを話せる人は先生も含めてマヤだけだった。
異国語での会話が始まると、周りの生徒達は皆自分の席に戻ってしまった。
非常識な言動が目立つマヤには、友達らしい友達はいない。誰も彼女と係わり合いになりたがらなく、エフェメラさんだけが母国語で会話する時だけ付き合ってくれている。しかし、会話の中身は誰も知らないので、友好的な話しをしているのかは謎だ。
だけど、それを言ったらわたしだって友達はいなかった。内気で趣味も持っていないわたしは、なかなか話の輪に入れなくて、友達が出来ないまま一学期が終ったのだ。
会話に参加出来ないのに自分の席から離れられないわたしは、どうすればいいのか判らなくて困ってしまった。
エフェメラさんだって、マヤと同じようにわたしより数段上の存在だ。しかし、不思議とマヤのような羨望をわたしは持たなかった。いや、考えてみれば一学期の頃はマヤに対しても特別な気持ちは無かった。マヤにあこがれたのは、合宿の出来事のせいだった。エフェメラさんについては、校外で会った事が全く無いからそんな気持ちにならないのだろう。
何も出来ずにただ二人を観察していると、マヤの耳たぶに赤い跡がある事に気が付いた。そういえば、あのイヤリングはピアスじゃないから、耳に挟まれた跡が出来るんだった。
わたしの体験からいって、あの赤さならさっきまでイヤリングをつけていた事になる。もしかすると、夏休み最後の日から今朝まで徹夜で遊んでいたのだろうか。
そんな事を考えていると、教室に担任の女教師の白樺ミツル先生が入って来た。まだ二十代の先生は、手入れの行き届いた漆黒の長髪と精悍な顔つきがカッコイイと評判で、女生徒たちの人気が高い。
「マヤも、席につきたまえ」
エフェメラさんがマヤと呼び捨てにした事にわたしは驚いたが、マヤは普通にうんとだけ言って教壇の直前にある彼女の席についた。
「何、あれ?」
マヤの机の上に、何か大きい包みがいつの間にか置いてあった。平たい板のようなので、キャンバスか何かかもしれない。カバンを持っていた方の手を振って挨拶していたのだから、教室に入った時から抱えていた筈なのに見覚えが無い。
最初は夏休みの自由課題か何かかもしれないと思ったが、全ての宿題を提出した後にも机の上にあったので、そういう事でもなかった。
マヤが変わり者だったのは、最初から判っていた。始業式で生徒達が並んでいる光景を見ると、思い出す事がある。
それは、入学式の出来事だった。
入試も当然のように全科目満点だった彼女は、新入生の代表として壇上に登っていた。
しかし彼女は、自分が代表だという自覚が全く無かった。そもそも、入学式という事さえも理解していたかあやしい。
『あたしがこの学校に行きたいと思ったのは、この体育館の屋上が形、色、方角の組み合わせが完璧だったからです。この学校に行きたいと思ったあたしは、その道のりは大変なものでした。なぜなら、最寄の駅のすぐ前に遊園地があり、開園時間が早かったら寄り道していたでしょう。しかも、遊園地の隣にはでっかいオモチャ屋まであり、カードゲームが豊富に売られているのです』
ゼミのバスの時みたいに先生達に腕をつかまれて体育館から消えたマヤは、式場に帰ってくる事はなくて集合写真の撮影にだけ参加したが、校長先生と教頭先生に挟まれた位置に座っていた。
そんな事を思い出していると、いつの間にか校長先生の言葉が終って教室に戻るところだった。




