マヤが好き! 11
わたしたちは、誰もいない夜の学校にやって来た。勿論、目指すは体育館だ。ここから屋上は見えないけれど、二人がそこにいるのは明らかだった。
なぜなら、体育館の上には白い物体が浮いているからだ。一見すると船みたいで、サイズも飛行船と見間違える程度だから、周囲の通行人も何人かが見上げる程度でそんなに気にされていない。エフェメラさんが以前タブレットで見せた船の正体は、これだった。
しかし、あれは船なんかじゃないし、これからどんどん大きくなってこの島国を覆う程に成長するだろう。そうだ、あれの正体は、エピクリマ大陸を沈没させた氷山なのだ。
「屋上を確かめる」
エフェメラさんが、フライデイを飛ばした。エフェメラさんのタブレットPCには、白黒画面で屋上の景色が表示されていた。隠れる場所のない屋上の中心に、二人はいた。
「マヤッ!」
わたしは、体育館に向かって駆け出した。
「屋上に上がるには、外階段から行かないと」
そもそも普通に屋上に上がる手段は、存在しない。もし行くなら、踊り場の上のひさしから行くしかない。
「和美さんっ!」
追いついたエフェメラさんが、わたしの腰を抱えて持ち上げてくれた。
「えいっ!」
エフェメラさんの腕の動きに合わせて、わたしは手を伸ばした。ひさしに手を掛けたまま必死に足を持ち上げて、なんとかよじ登った。その気になればわたしごと屋上に飛び上れるエフェメラさんだが、今はわたしを下から見守っていた。わたしが決着を付けろと言いたいのだろう。
ひさしから雨どいを登って辿り着いた屋上で、まるでわたしを待っていたかのように、チナはこっちを向いて立っている。マヤはチナの両腕でにお姫様抱っこされていた。チナの右耳のイヤリングの飾りも、マヤの左耳のダイヤも、近くの繁華街のネオンに反射して玉虫色に輝いている。
「マヤッ! わたしよっ!」
しかしマヤは、チナの腕の中で黙ったままだった。メガネの奥の目も虚ろで、まるで何にも考えていないようだった。
「チナッ! マヤに一体何をしたのよっ?」
わたしに怒鳴られても、チナはすまし顔を崩さなかった。
「別に、何もしていないわ。ただ、彼女は絶望しただけよ。自分の水を操る力が、エピクリマ大陸を沈めた破壊魔王の氷山の名残りだと知ったから」
少し上半身をずらして、チナはマヤの顔に自分の顔を近づけた。
「でも、悲しむ事はないわ。だって、二人は前世で深く愛し合っていたんですもの。巫女は、故郷を破壊魔王に捧げる程に。破壊魔王は、永遠の命を捨てて人間になってしまう程に。こんな世界もエピクリマ大陸のように氷山を落として、あの頃を再現させるのよ」
チナは、マヤに向かって優しく微笑んだ。
「そんなの無理よ。だってわたし達は、もうわたし達でしかないんだから! 巫女でも破壊魔王でもない。恋人同士でもないのよ!」
そうだ、わたしがマヤを好きになったのは、あのバスの出来事からだ。前世からの因縁なんて、どうでもいい。
「わたしは今のマヤが好きっ! 絶対に渡さない!」
両手の拳を握り締めたわたしは、チナを睨みながら両足に力を込めて前進した。
「前世が巫女でも破壊魔王でも構わない! マヤが普通じゃない力をもっていたり、それで人を殺していたって、別にいい!」
わたしは、マヤに対する思いのすべてをチナにぶつけた。
「そういう貴女はどうなのよ? マヤが好きなんじゃなくて、前世の破壊魔王が好きなだけでしょ!」
わたしからマヤを奪おうとするチナを、絶対に許さない。はたから見たら当り散らしているように見えたかもしれないが、それでも構わなかった。
「貴女は確かに気の毒だし、前世に救いを求めるのも判る。だけどマヤは、そんな事の為に生きているんじゃない! マヤはねえ、そばにいればそれだけで気高い気持ちにさせてくれる人なのよ。それ以上をどうして望むのよ!」
チナとわたしは、絶対に理解し合えないのは判っていた。それでもわたしは、歩くのも叫ぶのもやめられなかった。
「一体、どういう方法でマヤに氷山を作らせたのか、わたしは判らないし知りたいとも思わない! マヤを好きにはさせない! それだけよ!」
既にわたしは、手を伸ばせばマヤに届く所まで前進していた。不思議な事に、チナはここまで攻撃をしてこなかった。両手がマヤで塞がっているからだろうか? それとも、もうわたしにはチナの攻撃は効かないと知っているのだろうか?
マヤを取り返そうと、わたしは手を伸ばした。その手をチナは、右手でマヤを抱える姿勢になって左手ではじいた。
「痛っ?」
チナに手を弾かれたのが、信じられなかった。わたしの能力には、チナの光の力も通じないというのに、普通に叩かれるとは思わなかった。この力が、自分でコントロール出来ないせいだろうか?
「貴女の力なんて、まだまだ未熟なのよ」
チナは、冷たく笑った。
「そんなんでマヤを取り戻すなんて、無理よ無理。諦めなさい」
たとえそうだとしても、わたしに諦めるなんて選択はない。わたしは右手で邪魔なチナの左腕を掴んで思い切り引いた。
「えいっ!」
「何を!」
チナも、逆にわたしの手を引いて振りほどこうとした。
「離れなさいよ!」
「マヤを取り戻すまで、離さない!」
わたしの腕力は、マヤやエフェメラさんとは比べ物にならないが、チナとはいい勝負が出来るらしい。押したり引いたりを繰り返して、結構な時間が経っていた。気付いたらわたし達は、屋上の片隅にまで移動していた。縁に段差があるので今はまだ大丈夫だが、これ以上寄ったらバランスを少し崩しただけで転落するだろう。
「うーんっ!」
チナが、突然こっちに向かって倒れるように押してきた。右手を離せば簡単に受け流せるが、わたしはそんな事はしたくない。それに、今なら左手がマヤに届く。
「マヤッ!」
わたしの左手が、獲物に飛びつく蛇のように真っ直ぐとマヤに伸ばされた。惜しくも腕は掴めなかったが、上着の弛みを指で挟む事は出来た。わたしの上半身はかなり無理な体勢を強いられたが、それはマヤを抱えているチナの方も同じだ。
「このおっ!」
チナがマヤを渡すまいと、体を大きくひねった。チナの頭がわたしの目の前に無防備にさらけ出された。両手が塞がっていたが、まだ手はある。
「やあっ!」
わたしの頭突きが、チナのこめかみに命中した。こっちも痛かったが、ここは我慢だ。
「うぐっ」
ついにチナは、バランスを崩して膝をついた。すかさずチナから右手を離して、わたしは思い切りマヤの腕を引いた。
「えいやっ!」
チナの腕から、ついにマヤが離れた。わたしは、マヤを取り返したのだ。
「マヤァッ!」
わたしは、思い切りマヤを抱きしめた。
「もう、絶対にマヤを離さない!」
「そんなの、認めないっ!」
立ち上がったチナが、わたし達に掴みかかろうとした。
「もう、しつこい!」
両手にマヤを抱いたまま、わたしはチナに蹴りを入れた。蹴りが上手くチナの腹に入ると、彼女は後ろにバランスを崩した。チナの後ろには、空しか無かった。
「えっ?」
チナの体は、屋上から一メートルも離れた所で舞っていた。まるでスローモーションで宙を漂っているように見えたチナは、これから転落死するというのが信じられない位に優雅だった。そんなチナの、口元が笑っていた。
「どうして?」
チナがわたしから顔をそむけた一瞬、彼女の左耳が見えた。チナの耳たぶは、赤く充血していた。それを見た時、わたしは化かされていた事を悟った。どうりで彼女の攻撃が当たるわけだ。わたしは、彼女のすべてを受け入れているのだから。
「マヤーッ!」
今までチナだと思っていたのは、マヤだった。マヤはチナと服を交換し、イヤリングも付け替えていた。そしてチナのふりをして、わたしにわざと負けたのだ。
どうしてマヤがそんな真似をしたのかは、知らない。今はただ、マヤを助けるだけだ。
「いやーっ!」
マヤに向かって屋上から飛び降りたわたしは、必死で手を伸ばした。校舎の屋上から落ちた時、わたしの力はマヤも守っていた。きっとそれは、マヤと手を繋いでいたからに違いない。地面に激突する前に、マヤにタッチしないと。
「届いてーっ!」
指先に柔らかい物が触れたと感じた瞬間、わたしの目の前が真っ暗になった。最後に耳に聞こえたのは、何かが墜落したかのような轟音だった。




