マヤが好き! 9
わたしがいたのは、多分ラブホテルの一室だろう。実際に入った経験が無いから、よく判らないけど。ここでチナは、テレビの前のソファーに座っていた。チナの格好はセーラー服に見えるが、派手な色合いなので私服だろう。
チナは、テーブルに乗っているスポーツバッグのファスナーを引いた。中に入っていたのは、数冊のFRマガジンと大きな封筒の束だった。FRマガジンの栞を挟んだページを広げると、そこにはエピクリマ大陸の記事があった。正確には読者投稿コーナーだが、チナが大量に投稿したので編集部が半ページだけだが特集を組んでくれたのだ。
エピクリマ大陸の記事は、回を重ねるうちに次第にページ数が増えていった。前にマヤが見せてくれた記事が最新号だったので、この夢は一年前の出来事なのだろう。
封筒の束は、読者からの手紙が入っていた。手紙の宛先は編集部だったが、大きい封筒は局留めでチナに送られていた。
『そうか、今のチナは住所不定だから、編集部経由で記事の感想が送られて来るのね』
もしかしたら、家出する前から局留めを密かに使っていたのかもしれない。
チナは、殆どの手紙は差出人の名前を見ただけで封筒に戻した。ただ一つ、マヤからの手紙をのぞいて。
チナが広げたマヤの手紙には、エピクリマ大陸の巫女の服が間違っていると書いてあった。マヤの夢に出てきたむ巫女の格好についても詳しく書かれていた。それはマヤの夢が、記事に感化されて見たものではない本当の前世の夢だという証明だった。
微笑を浮かべながら手紙をチナが読んでいると、シャワールームから中年男性が出てきた。男は、バスタオルを腰に巻いているだけの裸だった。男に呼ばれたチナは、手紙をバッグにしまって立ち上がると。次々に服を脱ぎ捨てた。
『まさか、彼女って?』
男に誘われるまま、チナはベッドに入った。ここがラブホテルという時点で、どうして気付かなかったのだろう。家を出たチナは、援助交際をして生計を立てていた。何の免許も資格も無い彼女は、結局お金を稼ぐ手段がこれしか無かったのだ。
二人で同時にホテルを出るわけにはいかないので、チナがシャワーを浴びている間に客が先に帰った。全開で吹き出すお湯を浴びていたチナが、手に力を込めて体を洗いながらボロボロと涙を流していた。
「違う、違う、違う。こんな世界は、絶対に違う」
やっぱりチナは、好きでこんな事をしているわけではなかった。チナは、自分にそんな事をさせている世界を憎んでいた。
*
わたしは、再びマヤの家の庭に来ていた。マヤは屋敷の中にいるのか、姿は見えなかった。しかし、誰もいないなら、わたしがこの家にいる意味はない。何処かにマヤがいないかと見渡していると、門の影に見覚えのある少女がいた。
『チナ? ここに来ていたの?』
チナの手には、マヤの封筒が握られていた。封筒の裏に書いてある住所を見て、チナはここを訪ねて来たのだ。しかし、チナの表情は何か変だった。まるで、悔しそうな表情で肩を震わせていた。
「……違う。こんなの違う。なんでこんなに不公平なのよ!」
どうやら、マヤと自分の境遇を比較して不公平に感じているらしい。父親からあらゆる虐待を受け、今では体を売って生活しているチナには、マヤの立派すぎる屋敷が別世界のように見えている事だろう。
「私と彼女で、何が違うっていうのよ!?」
封筒をひしゃげる位に強く握りしめながら、チナは屋敷を睨んでいた。確かにマヤは、チナとは面識が無かった。家まで来たが、チナはマヤと会わなかったのだ。
屋敷の玄関が開いて、マヤが出てきた。マヤの来ている黒づくめの服は、ファッションではなく喪服だろう。黒い帽子を深くかぶっていて、黒いレースで顔もよく見えない。手にしているハンドバッグまで、黒い。
「彼女がマヤ?」
チナは目を皿のように開いて観察していたが、マヤが門の方に来たので慌てて曲がり角まで下がった。すると、わたしの位置も葬儀場の時みたいに勝手に移動し始めた。
チナは、マヤの後をつけだした。わたしも二人に引きずられるように一緒に視点を移動させられた。
電車を乗り継いでマヤが来たのは、山奥にある墓地だった。墓地の近くで花を買っていたマヤは、墓前に線香と一緒に供えると数珠を持ってお経を唱えた。十分くらいしてお経を唱え終えたマヤは、墓石に向かって話しかけた。
「ねえ、お父さん。お父さんを殺した人は、あたしが殺しちゃった」
マヤの告白を立ち聞きしていたチナは、物騒な言葉を聞いて目を見開いた。
「あたしには、変な力があったんだ。この力って、とっても凄いんだから。悪い人を殺したのは何とも思っていないけど、自分の力は何の為にあるのかが判らなくて不安だった」
マヤは、水の入った桶を両手で持って墓石の前に突き出した。桶に意識を集中させると、中から飛び出した水が宙を舞って墓石に振り注いだ。噴水みたいに吹き出した桶の水を見て、チナは危うく大声を出しそうになった。
しかも、水流の反動なのかマヤの上半身が後ろにそってかぶっていた帽子が地面に落ちると、チナはまた驚いた。
「ええっ!? 私?」
チナに見られている事など知らずに、マヤは墓石にまた話しかけた。
「でも、やっと判ったの。見てよ、これ」
マヤがハンドバッグから取り出したのは、FRマガジンだった。
「あたしね、このエピクリマ大陸の巫女に見覚えがあるのよ。絶対あたしは、巫女の生まれ変わりなんだから」
雑誌をしまうと、マヤは帰って行った。墓石の影から出てきたチナは、マヤの父の墓の前に立った。
「貴方は、いいお父さんだったみたいね。どうして、あんな奴が生きてて貴方みたいな人が死ななきゃいけないのよ。やっぱり、こんな世界は違うのよ」
チナは、墓石を濡らしている水に手を浸した。すると、チナが突然手を抑えてしゃがみこんだ。
「ううっ。これって…」
腹の所で抱え込んでいた右手を上げると、手首から先が金色に輝いていた。
「まさか、これって私の力?」
一分位じっと手を見て何か考えていチナは、ふいに立ち上がって光る手を前方に突き出した。マヤがさっきしていた事を真似しているのか、チナも精神を光に集中させた。すると、光が少しずつ形を整えて野球のボール程度の大きさに変わっていった。
「えいっ!」
光の球を、古くなって捨てられた墓石の山に向かって投げると、墓石が光球にえぐられて穴が開いた。それ程大きい穴ではないが、もし人間に使ったなら急所でなくても充分に命を奪えるだろう。
「やったわ! これはきっと、巫女の力ね!」
自分にも超能力があると知って、チナは飛び上って喜んだ。今まで見た事のない笑顔で、チナは墓石に向かって振り向いた。
「ねえ、マヤのお父さん。彼女はいずれ、あるべき所に私と一緒に帰る事になるわ。私には、判ったのよ。マヤがどうして私にそっくりなのかを」
チナは、マヤを追うように墓地を去って行った。
*
わたしは、見覚えのある場所に帰ってきた。あの、エピクリマ大陸の祭壇だ。今度のわたしには、ちゃんとした体があった。
「そういえば、彼女はどこなの?」
マヤに似た少女を捜して周囲を見回すと、彼女は上にいた。
「まさか、本当に行ってしまうの?」
少女は、わたしの目の前で宙に浮いていた。いや、彼女の力ではない。彼女と愛し合った存在に呼ばれて、上へ上へと引き寄せられているのだ。
「彼女の恋人って、誰なの?」
わたしが天井を見上げると、天井の裂け目から大きな目がこちらを覗き込んだ。黒い空に浮かび上がった目は、何か別の動物を連想させた。
「あれは……クジラ?」
あの大きな目が、わたしにはクジラに似ているように見えたのだ。だけど、本当はあの目が誰なのか、わたしは知っている。
天井には、新しい裂け目が次々と生まれていた。その中の一つからは、空に浮かぶ白い船が見えた。いや、あれは船なんかじゃない。
そうだ、エピクリマ大陸が滅びたのは……。




