表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マヤにしてっ!  作者: 白沢 雄
39/44

マヤが好き! 8

 気が付くと、わたしは暗い部屋にいた。どうやらここは、どこにでもある普通の安アパートの居間のようだった。窓からは、夕日が血のように赤い顔を半分地平に隠していた。

『これも、夢なの?』

 景色ははっきりと見えるのに、自分に存在感が感じられない。エピクリマ大陸の夢のようには、自分の存在を認識出来ないのだ。自分の声さえも、どこかぼやけて聞こえる。

『わたしの体が、ないの?』

 そうだとするなら、ここにはわたしの居場所が無い夢なのだろう。

 部屋を見回すと、タンスの下で少女がうずくまっていた。何かに怯えて震えているかのようだ。

 乱暴に玄関のドアが開く音がすると、少女はビクッとして起き上がった。わたしは、少女の顔を見て驚いた。マヤそっくりなのに、背が小さい。まるで、中学生の頃のマヤみたいな印象だった。いや、マヤはこないだまで長髪だった。

『それじゃあ、彼女はチナ?』

 わたしは、チナの過去を見ているのだろうか。

 男は、床を踏み抜くんじゃないかという程に激しい足音を立てて居間に入って来た。ろれつが回らなくて、何を怒鳴っているのかよく聞き取れない。夕方だというのに酒臭い男は、定職についていなさそうだった。恐らく彼は、チナの父親なのだろう。

 少女は、涙目で恐る恐る父親を見上げた。

 殴り飛ばされた。思い切り、手加減なく。父親の容赦のない一撃で、チナは壁に叩きつけられた。

 少女がなぜ殴られたのか、判らない。いや、理由なんてないのだ。何か外で不愉快な事があって、その欝憤を晴らす為に暴力を奮っているのだ。マヤにそっくりな彼女が痛い目に合うのは、見ていて心が痛む。

 畳の上に寝転がっている少女に、男は馬乗りになって怒鳴りながら何度も少女を殴っていた。殆どの言葉の意味は判らなかったが、自分で殴っといてお前のせいで手が痛くなったなどと手前勝手で頭の悪い因縁をつけていたのだけは何とか聞き取れた。

『これが、父親のする事なの?』

 しかし、そんな親が実際に目の前にいた。全ての親が子供のを愛しているわけじゃないのは判っている。どんなにつらくあたっていても何か理由があってやっているのだとという寝言も、いくら夢の中だからといってもわたしは言う気はない。しかし、それでも目の前の光景は酷かった。

 どんなに目を背けたくても、実体を持たないわたしには全周囲の景色が勝手に頭に入ってくるし目が無いので目を閉じる自由も無かった。ただ何も出来ずに成り行きを見続けるしかない。

 ようやく気が済んだのか、男は最後にチナを踏んづけてまた外に出て行った。部屋には、ボロボロになった少女が残された。

「……う」

 少女が、何かうめき声を上げていた。

「……がう、違う…」

 そのまま、呆然と見下ろしているとチナの言っている事がようやく聞き取れるようになった。

「こんなの、違う。私がいるべき所は、世界はこんなのとは違う」

 チナは、タンスにてをかけてゆっくりと置き上がった。しかし、まだふらつくみたいで、四つん這いになって居間から出た。

「きっと、本当にある筈よ。私を愛してくれる人がいる世界が……」

 ああ、そうなのか。チナにとって、この世界はとても残酷で現実だと認めたくはなかったのだ。チナにとっての本当の世界は、他にあった。

「私、帰る。本当の私がいる世界に」

 シンクの下の棚を開けると、チナは上半身を棚に突っこんだ。

「傷の手当てもしないで、なにをやってるの?」

 棚の中にいる上半身は、わたしの視点からは見えなかった。しかし、カリカリと何か文字を書いている音だけは聞こえていた。

「帰りたい。帰りたいよぉ」

 その嘆き声が、チナが何を書いているのかをわたしに教えた。彼女は、エピクリマ大陸の記憶をしたためているのだ。つらい時には、こうやって自分をなぐさめているのだろう。誰もいない筈の部屋でこんなにコソコソしているなんて、よっぽど父親が怖いに違いない。

 いきなり、玄関のドアが開いて、あの男が戻って来た。チナは、慌てて棚から顔を出して扉を閉めた。今度の男は、一人ではなかった。すぐには誰が父親か判らないほど個性のない同類たちを、何人か連れて来たのだ。

 恐怖に顔が引きつった少女は、痛みも忘れて必死に逃げ出そうとした。しかし、狭い部屋に彼女の逃げ場は無かった。居間向かってに走る少女の背中を、男は手加減せずに殴り飛ばした。畳の上に転倒した少女に、男たちは次々とのしかかる。

 少女の父親は、しわくちゃになっている札束を数えながらニヤニヤしていた。そして、泣き叫ぶ娘を放ってまた出かけて行った。これがどういう事なのかを知って、わたしは戦慄した。

『あの男、自分の娘を売ったんだ』

 きっと、あのお金はあいつの飲み代に変わるのだろう。あの男は、本当に自分の事しか考えていなかった。母親が見当たらないのは、きっと娘を置いて真っ先に逃げ出したのだろう。彼女の味方は、この世界にはいなかった。

 少女の毎日は、この生き地獄の繰り返しだったのだろう。エピクリマ大陸の記憶だけが心の支えだったなんて、悲しすぎる。

 華奢な体を深夜までずっと嬲られ続けた少女は、畳の上に裸で寝転がったままうわ言を繰り返していた。

「違う…違う…違う…」

 少女に出来るのは、この世界を否定する事だけだった。それで、一つ判った事があった。チナが平気でわたしを殺そうとしたり、ホムンクルスを殺したり出来るのは、否定している世界の住民の命なんて何にも感じていないからだ。

 そんなチナが父親達を殺さないでいるという事は、まだこの時は特別な能力に目覚めていないのだろう。現に今のわたしも、エピクリマ大陸の巫女の夢は見るけど特殊な能力は何もない。

 破り捨てられた服で体の汚れを吹いたチナは、タンスに向かってズルズルと畳の上を這いだした。新しい服を取り出して着替えると、更に何着か取り出した。

 少しは体力を取り戻したのか、チナはキッチンまで背中を丸めながら歩いて、また流しの下を開いた。エピクリマ大陸の話の続きを書くのかと思ったら、チナは紙束を取り出した。

 冷蔵庫の僅かな食べ物を取り出すと、チナはドアを開けて部屋から去って行った。彼女はもう、この部屋には帰って来ないに違いない。恐らくあの紙束が、彼女の家出を決意させるだけの力を与える程に書き溜められたのだろう。

 ただ一人わたしだけが部屋に取り残されると、誰もいない居間は次第に暗くなって何も見えなくなった。


            *


 どうしてこんな場所にいるのか、判らない。

 木魚の音が読経に合わせて鳴り響き、壁には白黒模様のクジラ幕が張られていた。そして部屋の奥には、菊の花があしらわれた写真が飾ってあった。そう、ここは葬式場だ。

 僧侶の後ろに座っているのは、茶色いブレザー姿の少女だった。見た目は中学生だったが、彼女には見覚えがあった。

『もしかして、マヤ?』

 高校に入った頃よりは短いが、髪が長いのでチナではないだろう。しかし、印象が全然違う。悲しい顔をして、写真を見上げているからだろう。

『すると、あの人がマヤの父さん?』

 写真の中で笑っていた男は長髪でほっそりとしていて、マヤに似ていない事もなかった。知らない人にマヤの母親と言ったら信じてしまいそうな美形だ。

 葬式の出席者は数人で、大人しかいなかった。マヤのクラスメートは、誰も来なかったのだ。どうやら、この頃から友達はいなかったのだろう。

『あれ? もしかして、ここって?』

 そうだ、ここはマヤの家だ。自分の家で葬式をするなんて、広い屋敷なだけの事はある。

 父親の知り合いと思われる大人たちとお坊さんが帰ると、マヤと背広姿の青年だけが屋敷に残った。霊柩車が来ない所を見ると、火葬は明日以降なのだろう。遺体を安置する余裕のある家ならではだ。

 不思議な事に、わたしの視点が徐々に動き出した。葬式場から外に出て、わたしの視界は庭で固定された。葬式が終わったのか、マヤ達が出てくるのが見えた。

 門前で客達を見送ったマヤ達は、庭にある噴水池のほとりで一休みしていた。あんな池は、わたしは知らない。既にこの時点で噴水は止まっているし、この後すぐに撤去されたのだろう。

 一見大理石のように見えるが表面処理が剥がれてモルタルが露出している個所のある噴水の縁石に腰かけて、マヤはくつろいでいた。

「ありがとう、先生。わたしだけじゃ、葬式も出来なかったわ」

 池の水を手ですくってマヤが戯れていると、先生とかいう人がマヤの背後にゆっくりと回った。清潔そうな外見の男は一見すると銀行員か営業マンみたいな感じだったが、多分クラスの担任か何かだろう。

『先生ですって? まさか、あの人は……』

 突然、マヤの両肩を掴んだ先生が、水面にマヤの顔を押し付けた。

「うぶぉっ!」

 何が起きたのか判らないマヤだったが、浅い水深に助けられて何とか底に手をついて抵抗していた。とっさの反射神経は、やはりマヤの身体能力の高さによるものだろう。

「ど、どうしでっ? ゴブッ」

 左手で踏ん張りながら、マヤは必死に右手を振り回した。しかし、圧倒的に不利な体勢では、空しい抵抗だった。

「お前は、ここで死ぬんだ! 父親の後を追ってな!」

 今まで優しかった男が、ついに本性を現したのだ。マヤはもう、父親を殺したのが誰かも判っただろう。

「今まで、必要な書類を全部代筆してやったんだ。遺書の筆跡も、これでごまかせる」

 マヤに親切にしていたのも、全て計画的な犯行だったのだ。完全犯罪の成功を確信した先生は、全てをベラベラとしゃべりだした。

 しかし、わたしは結果を知っているので、不安は全然なかった。この後、マヤは自分の力に目覚めるのだ。そして、マヤは先生を……。

「う、うううっ!」

 マヤが何か言おうとしていたが、先生は手加減を一切しなかった。マヤの手は、しばらくはばたついていたがだんだん動きが鈍くなり、とうとう動かなくなった。

『え、これで終わり?』

 これで死んだら、マヤがいなくなっちゃうじゃない。意外な結末に、わたしは言葉を失った。先生は、動かなくなったマヤを池の中に投げ捨てた。

 突然、水柱が吹き上がった。動いていない筈の噴水が水を吐き出したので、先生は驚いて尻もちをついた。

 水の中から、マヤが立ち上がった。どうやら、今になって水を操れるようになったらしい。水でベットリと顔に張り付いた髪の毛の隙間から、マヤの目が光った。

「先生、あなただったんですね」

 父親の仇を知ったマヤの周囲で、水柱が次々に上がった。どうやら、今度こそ予想通りの展開になりそうだ。

 先生は、真っ二つになった。水の柱が氷の剣となって、避ける暇も無く振り下ろされたのだ。全てが終わって、どうしようかマヤは困っていた。死体の処分もそうだが、その場のノリで殺してしまったせいで先生の動機は聞けずじまいになっていた。それが余計に、マヤの心を動揺させていた。

「そんな、どうしてこんな事が出来たの?」

 様々な事に頭を痛めたマヤは、一番最後に自分が常識外の力を使っていた事実に気が付いた。そして、池の水に手を突っ込んで意識を集中した。

 水面が渦を巻いたり霧が吹き出したりするのを繰り返していたマヤは、段々と楽しくなったらしく、死体そっちのけで水で遊びだした。

 マヤの作りだした霧が庭中にたちこめて、わたしは白い壁に囲まれて何も見えなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ