マヤになる! 3
それから一週間後、特に何事も無く合宿は終った。
マヤも、UFOを見て満足したのか、次の日からは見かけなかった。
わたしは、もうマヤの事は気にしないで行こうと決めた。いや、諦めたと言うべきだろう。どんなに羨ましくても手が届かないのでは、現実を受け入れるしかない。
わき目も振らずに勉強に励んだ合宿で、わたしは更に学力を伸ばした事を実感していた。その一方で、何か大きな物を失ったかのような脱力感もわたしの中にはあった。
出発地点と同じ公園に到着したバスから降りるたわたしは、どうにも気だるかったので近くにあったベンチに腰掛けてしばらく休息していた。
道路を隔てた十メートル先に、彼女はいた。
「銀墨さん?」
今日のマヤは、水色のブラウスに薄茶色のミニスカートをはいていた。そしてつばの広い若草色の帽子をかぶって、朱色のリボンを襟で蝶結びにしていた。
マヤにとってわたしは、雑踏の中の通行人の一人にすぎない。当然のようにわたしに気付く事も無く、彼女はデパートの中に入って行った。
どうしてなのか、わたしは彼女に続いてデパートに入った。それから何がしたいとか、特に考えてもいなかったのに。
エレベーターが中々来なかったので、マヤはまだ一階にいた。わたしは、エレベーターホールには行かずに、エスカレーターを駆け上った。
「マヤが行きそうな所って、どこ?」
ファッションには気を使っているようだし、一学期の事件から察するとマヤはオモチャも好きだ。今は昼時だったので、レストランも考えられた。結局わたしは、一階ごとに全力で駆け上がってマヤの降りたフロアを確認する事しか思いつかなかった。
紳士服売り場がある三階をスルーしたのは、我ながらいい判断だった。三回で止まったエレベーターを追い抜いたので、マヤが四階で降りるのが見えたのだ。
柱の陰に身を潜めたわたしは、マヤの行き先を目で追った。
「どうして、隠れなきゃいけないのよ?」
一体、何が後ろめたいというのだろう。自分に突っ込みを入れながらも、本当は自覚していた。自分はつまらない人間だから、マヤに面と向かって会う度胸がないのだと。
さっさと家に帰るべきだったのではと迷っていると、マヤが貴金属店に入って行った。
「この店って……」
そこは、銀座に本店がある有名な老舗で、セレブ御用達として知られていた。女子高生がファンシーショップに行くような感覚で入る店では、絶対にない。
しかし、マヤに全く迷いは無かった。貴金属店に入ったマヤは、数分後には包み紙を持って店から出てきた。初めから買う品を決めていたのか、それとも注文していた品を受け取りに来ていたのか、そう思える程に短時間しかマヤは店に居なかった。
包み紙の大きさは、片手に乗るくらいだった。箱の大きさも勘定に入れれば、マヤの買った品が指輪とかブローチ程度の大きさだというのは遠目でも判った。
よほど気がせいていたのか、マヤは歩きながら包装紙を破り、そのままこの階の婦人用トイレに入っていった。
わたしが、そうっと後をつけて中をうかがうと、マヤが鏡の前でイヤリングをつけているのが見えた。あの店でマヤが買ったのは、それで間違いないだろう。
銀色のイヤリングには、銀色の棒状の飾りが一本下がっていた。長さ十センチ程度。直径五ミリ程度のその飾りには装飾も模様もなく、シンプルだが上品な輝きを放っていた。
満足そうに鏡に向かってマヤは微笑んでいたが、わたしは妙な違和感を感じていた。その理由は、簡単だった。マヤは、右耳にしかイヤリングをつけていなかったのだ。一つしか買わなかったのだろうか?
わたしがいぶかしんでいると、用事が済んだマヤがトイレから出ようとしていた。慌てたわたしは、近くのアクセサリーショップに入って棚の裏に隠れた。
包み紙をトイレの入り口に置いてあるゴミ箱に投げ捨てた。その時のドサッという音は、只の包み紙にしては明らかに変だった。
エレベーターホールに向かうマヤの背中を見ながら、わたしはどうすべきか迷っていた。
このままマヤがエレベーターに乗るのを見送れば、彼女を見失ってしまうのは間違いなかった。それでもわたしは、あれを確認したかった。
トイレまで戻ってゴミ箱を覗くと、そこには包み紙がまだあった。急いでそれを拾い上げたわたしは、テキストの入ったカバンに詰め込んでその場から立ち去った。
わたしの家は、普通の二階建ての木造住宅だ。
「ただいまーっ」
玄関に入ったわたしは、疲れたから休むと居間のお母さんに言って、慌ただしく二階に上がって行った。
誰も居ない筈なのに、勉強部屋に入ったわたしはキョロキョロと辺りをうかがった。誰にも見られていないと確信したわたしは、椅子に座ると膝に乗せたカバンの中からアレを取り出した。そうだ、ゴミ箱にマヤが投げ捨てた包み紙だ。
わたしの思った通り、包み紙には中身が入っていた。さっきのマヤのように慌てて紙を破ると、中には青い小箱が入っていた。宝石箱のように布張りになっているそれが、イヤリングが入っていた箱なのは間違いない。
単なる直感だけで根拠の無い期待に胸を膨らましながら、わたしは小箱をゆっくりと開いた。そして、期待は真実になった。
「はあぁ」
中に入っていた物を見て、わたしは溜息をついた。小箱に入っていたのは、やはりイヤリングのもう片方だったのだ。
片方だけでも決して安くは無いそれを、マヤは何の迷いも無くゴミ箱に投げ捨てたのだ。
きっとマヤは、初めから右耳にだけイヤリングをつけるつもりだったのだろう。しかし、あんな高級な貴金属店では片方だけ売ってくれるわけが無かった。だからマヤは、二つセットでイヤリングを買って、いらない方はあっさり捨ててしまったのだ。
このイヤリングは左右対称のデザインになっていて、別にどっちの耳につけても問題ないように見えた。予備として左耳のイヤリングもとっておけたのに、マヤはそうしなかった。わたしも、そんな事はマヤがやるにはケチくさいと感じていた。本当はマヤの事なんて、わたしは全く判っていないというのに。
イヤリングを手にしたわたしは、当然のように誘惑にかられた。わたしも、これをつけてみたいと。
カバンを机に置く時間も惜しくて床に放ると、わたしは白い洋服ダンスを開いて鏡に耳を近づけた。
マヤと同じように右耳にイヤリングをつけると、それだけで胸の鼓動が早くなった。それは、今まで忘れていた大事な事を突然思い出したような、そんな感動だった。
だからわたしは、確信できた。わたしがやりたい事が、初めてやれたんだと。
自分の三つ編みを、ふいに邪魔に感じてわたしはほどき始めた。あの時のマヤは、ストレートの長髪だった。だからわたしも、少しでもそれに近づきたくなったのだ。
「こんなセーラー服なんかじゃ、似合うわけ無い」
そう思うと、着ていた制服もまるで拘束具のように欝陶しく感じて、いきなり脱ぎちらかした。わたしは今まで、ハンガーに掛けないで脱ぎ捨てた事なんて一度も無かったのに。
そんな事をしても無意味なのは、心の底では判っていた。わたしはマヤではないのだ。そんな事をしたからといって、マヤみたいにイヤリングが似合うわけではない。
それでもわたしは、止まらなかった。
ハンガーに吊るされた何着もの洋服を、わたしは鏡の前で次々と自分の体に押し付けた。しかし、何度繰り返しても結果は同じだった。何を試しても納得できないわたしは、制服と同じように洋服も次々と床に投げ捨て続けた。
何を着たって、わたしはマヤみたいに自分に満足して笑うことなんて出来ないのだ。
「和美! 何てことしてるの!」
突然の母さんの声に、わたしはビックリした。ドアを開ける音にも気付かなかったから、ノックもわたしには聞こえていなかったのだろう。
母さんが足元に気を取られているうちに、わたしはイヤリングを引き抜いてタンスにまだかかっている洋服のポケットにしまった。
「こんなに散らかして、さっさと片付けなさい!」
母さんの言う事も、もっともだろう。しかし、今のわたしはそんな事には構っていられなかった。
「後でちゃんと片すわよ」
わたしの言い草が気に入らなかったのか、母さんが怒った顔でわたしに詰め寄った。
「今すぐ片付けなさい!」
母さんに叱られたわたしの中で、何かがはじけた。次の瞬間には、わたしは両腕を思い切り母さんに向かって突き出した。
「もう、ほっといてよっ!!」
「和美っ?」
わたしに突き飛ばされた母さんは、呆気に取られた顔で絨毯の上に倒れていた。今まで一度も親に逆らった事が無いわたしのした事を理解できない母さんの腕を掴むと、わたしはドアを勢い良く開けて母さんを部屋から引きずり出した。
「もう、母さんは入ってこないでよ!」
そう言ってわたしは、勢い良くドアを閉めてノブを強く掴んだ。このドアには鍵がついていないので、開けられたくなかったら自力で抑えるしかなかった。
ドアの向こうで、母さんが必死にドアを叩いてくる。
「和美! どうしちゃったの!? 怒んないから出てきなさい!」
「あたしのことなんて判ってないくせに!」
ドアに向かって怒鳴ったわたしは、涙で目の前が歪んで見えた。わたしは、いつの間にか泣いていたのだ。
やがて、ドアの向こうが静かになって母さんが一階に下りていく足音が聞こえた。
母さんが根負けしたのを確信すると、急に脱力感が全身を支配した。
ベッドの上に倒れこんだわたしは、枕に顔を埋めながらうめく様な声を出して泣き続けた。これは八つ当たりなんだって、自分でも判っている。なんでわたしは、母さんにあんなことをしたのかと、後悔と自責の念でわたしの頭は一杯になっていた。
この日は、父さんが出張中だったのが幸いした。
日が沈んで部屋の中が暗くなると、わたしはいそいそと部屋の後片付けを始めた。
一階に降りると、キッチンの椅子に座っていた母さんが途方にくれた顔をしていたので、わたしはとりあえず御免なさいと謝った。
昼から何も食べていなかったわたしは、冷蔵庫からマーマレードとミルクを取り出すと、食パンと一緒にお盆に乗せて二階に戻った。




