マヤと行く! 11
それから皐月くんは、ずっと颯爽先輩の面倒を見ていたのだ。最初のうちはまだ人間らしい所があったし、日に何時間かは人間に戻っていたので食事はその間にとっていた。しかし、昨日は一時間も人間の姿にはならなかったし、変化した時は完全なヒョウの姿になっていた。
しかも先輩は、姿が変わる度に全身に激痛が走るせいで、その度にのた打ち回って暴れるそうだった。だから室内が、あんなに荒らされていたのだ。
「それじゃあ、どうしてヒョウになったのかは先輩自身にも判らないのね」
「ああ、昼間の学校では変な物を見たらしいけど、それだけでヒョウになるとは考えにくいし」
変な物って、あのクジラの事よね。颯爽先輩は、蝶が見えたそうだけど。滝畑さんの黒い手の時と違って、ヒョウと蝶では全然違う。いや、それを言ったら、わたしなんてまだ何も変化が起きていない。マヤとエフェメラさんは、元々特殊な能力を持っていたからまた話は別だろうし。
「先輩が目覚めたわよ」
マヤの言葉に、わたし達は振り返った。先輩は寝室からエフェメラさんが持ってきた毛布にくるまって、青ざめていた。
「姉さん、大丈夫?」
皐月くんが、先輩の顔を覗き込んだ。
「大丈夫よ、シンちゃん」
シンちゃんと言われて、皐月くんは顔を赤くして下を向いた。そういえば、彼の話の中では、先輩が彼を何と呼んでいるかは語られなかった。多分、初対面の人達の前で先輩に呼ばれたのは初めてなのだろう。それどころか、皐月くん以外にこの部屋を訪ねる人はいなかったのではないか。
きっと二人はこの部屋で、誰にも頼らずに二人きりで長い時間を過ごしていたに違いない。皐月くんにとっても、家にいない時間の多い父親よりも先輩の方がよっぽど身近な家族なのだろう。
「傷はもう、大丈夫よ。私が怖いのは、傷を癒している時に自分の前世を見てしまったからなの。あの水のドームには、古の記憶を呼び覚ます効果もあるみたいね」
前世と聞いて、マヤがにっこりと笑って颯爽先輩に抱き着いた。
「やっぱり貴方も、エピクリマ大陸の人間の生まれ変わりだったのねっ!」
マヤに頬ずりされて、先輩は困った顔をした。
「いえ、私の前世は、エピなんとかじゃなくて、大陸の高地にあったキュンリャンという幻想郷の女王よ」
へえ、エピクリマ大陸の他にも伝説の国ってあったんだ。というか、怪奇現象が見えるのは皆エピクリマ大陸の人間の生まれ変わりとマヤが言っていたのは、見事に間違いだったわけだ。エフェメラさんが人間で無かった時点で、もう間違いだったわけだけど。
「まさか、エピクリマよりも古い幻想郷の女王様に会えるなんて思わなかったわあたしと和美は、実はエピクリマ大陸の双子の巫女だったのよ。よろしくね。」
前世の国の名前を聞いて、マヤは先輩の手を取って激しく握手をした。
「そういえばその国の女王って、ヒョウの頭をしていたんでしょ? FRマガジンに、ちゃんと書いてあったわ。そうか、正しい前世の姿に戻れなくて、ヒョウそのものの姿になったのね」
マヤは、本人にだけ判る独り言を呟いて、勝手に納得していた。
「私の思い出したキュンリャンは、一年中花が咲き誇り蝶が舞っている美しい国よ。そういえば、あの窓に映っていた蝶は、キュンリャンの蝶によく似ていたわ」
「それを見た事が、潜在意識にある前世の記憶を刺激してヒョウの姿に変化するきっかけになったのね。そうすると、エピクリマ大陸とキュンリャンで同じ蝶が生息していたという事ね。これは新発見よ」
マヤは大喜びだったが、話が脱線してしまった。先輩もそれを感じたのか、マヤの今の言葉は無視して話を進めた。
「このままだと、ヒョウから戻らなくなる日も遠くないかもしれない。そうなったら、一体どうすればいいのか……」
途方に暮れる先輩に対して、マヤは何も心配していない様子だった。
「先輩は、前世の姿を思い出したんでしょ? だったら大丈夫よ。ちゃんとした姿に戻れなかったのは、上手く前世をイメージ出来なかったからよ。今なら、ヒョウの頭になったり戻ったりも、自在に出来るはずよ。やってみて」
やってみてと言われても、先輩は困った顔をしただけだった。
「折角姉さんが元に戻ったのに、どうしてまたヒョウになれなんて言うのさ」
皐月くんの抗議も、当然だった。しかしマヤは、全く恐れ入ること無く平然と微笑んでいた。
「何を言ってんのよ。貴方の愛しいお姉さんを助ける為じゃないのよ。シンちゃん」
「なっ?」
マヤにからかわれて、皐月くんは顔を真っ赤にした。
「ヒョウになったお姉さんの面倒を一生見たいっていうなら、構わないわよ。でも、そんなのは本当にお姉さんを手に入れた事にはならないわよ」
マヤは、皐月くんの頭に手を置いて、乱暴に撫でた。
「どうして、先輩が人間に戻っている時間があったと思うのよ? それは、貴方のお蔭じゃないの」
マヤは、皐月くんと先輩の手を取って握手させた。
「前世の記憶がヒョウに変えたように、今世の思い出が先輩を人に戻したのよ。二人の絆を信じなさい」
マヤは、先輩のおでこに人差し指を突き立てた。
「しっかりイメージするのよ、颯爽先輩。ヒョウの頭をした女王の姿を」
マヤに促されて、先輩は目を閉じて意識を集中させた。すると、先輩の顔から白い毛が生え始めてきて、耳やひげまで出現した。マヤの言っていたヒョウの頭の女性に姿が変わるまで、ものの一分も掛からなかった。
「さあ、ここから元に戻るのよ」
先輩は、左手でも皐月くんの手を握り、両手に力を入れた。
「そう、この世界で一番大事な人の事を思えば、絶対に元の姿に戻れるわ」
先輩が皐月くんの手を握っている両手におでこを当てて、精神を集中させた。すると、みるみるうちにヒョウの頭部が、いつもの人間のものへと戻っていった。
「姉さんっ!」
皐月くんが、先輩に飛びついて抱きしめた。勢いで毛布がズレ落ちたのも構わずに、先輩も皐月くんを両腕で包み込んだ。
「心配かけて、ごめんね。でも、もう大丈夫よ」
颯爽先輩は、自分の胸の中で涙を流す皐月くんの頭を優しく撫でた。
先輩は、自分の意志で姿を変える事が出来るようになった。勿論、激痛もおきなくなっていた。ヒョウの頭になったり戻ったりは勿論、中間のヒョウ耳の状態でシッポをふりふりさせたりも出来るようになって、ついさっきまで人生最大のピンチだったのがウソみたいな状態だった。
もう、色々な意味で何の心配もない。わたし達は、マンションを後にする事にした。
「有り難う、世話になったわね」
先輩と皐月くんは、去っていくわたしたちの背中に並んでお辞儀した。何か、時代劇のラストシーンみたいで、照れくさい。それにわたし達は、先輩を助ける為に訪ねたわけじゃないし。
結局、颯爽先輩は殺人事件についてはシロだった。
エレベーターに乗った時に、エフェメラさんがわたしに向かって頭を下げた。
「マヤの言った通りだ。和美さんがいなかったら、颯爽先輩を誤って殺してしまっただろう。見くびって、すまなかった」
エフェメラさんに謝れると、こっちの方が申し訳ない気分になる。
「いえ、エフェメラさんだって、わたしを心配して言ったんだから、少しも怒ってないわよ。だから、顔を上げて」
わたしがエフェメラさんに右手を差し出すと、顔を上げたエフェメラさんがわたしの手を掴んで仲直りの握手をした。それを見たマヤが、わたし達の握手の上に右手を乗せた。
「これから平岩部長の家に行くのに、あたしはもう何も恐れる事はなくなったわ」
マヤは、わたし達を信頼している。誰かに頼られた事なんて無かったわたしには、それはとても嬉しい事だった。その信頼をわたしは絶対に裏切りたくなかった。
エレベーターが一階に到着すると、マヤが真っ先に玄関に進んだ。
「エフェメラ、平岩部長の家はどっちなの?」
颯爽先輩の部屋で、予期せぬ事態に時間を費やしたわたし達は、エフェメラさんに案内されて先を急いだ。




