マヤと行く! 10
マヤの攻撃も全く当たっていなかったが、これはエフェメラさんのフライデイに囲まれている中心からヒョウを出さないように威嚇するのが目的だからで、レーザーの方が確実なのだから間違った作戦ではない。即席タッグゆえの僅かなスキを見抜いて、囲まれそうになるたびに間一髪で抜け出すヒョウの判断力が素早いのだ。
しかし、エフェメラさんは全くあせっていなかった。彼女は元々冷静な正確というのもあったが、ベランダに回っていたフライデイで攻撃する機会を狙っていたのだ。その為にエフェメラさんは、このリビングからヒョウを出す事だけは阻止していた。そしてついに、マヤが攻撃のチャンスを作った。
「えい!」
マヤが発射した水の弾丸を、ヒョウはまた回避した。その瞬間、ヒョウは吼えながら転倒した。今マヤが発射した弾丸は、球体ではなく三角柱の形をしていたのだ。水で出来たプリズムに反射して、ベランダの死角からガラス越しに発射されたレーザーは、ヒョウの予測出来ない角度からの攻撃に成功したのだ。今まで連携プレーがうまく行ってなかったように見えたのも、相手の動きをパターン化させる為の芝居だったのだ。
「今よ!」
転倒したヒョウに、マヤ達が次々と水の弾丸とレーザーを命中させた。床に寝転んで動かなくなったヒョウにとどめを刺そうと、マヤ達は狙いを定めた。
「駄目っ!」
電話機を掴んだまま、わたしは倒れているヒョウの上に覆いかぶさった。
「和美!」
マヤが、とっさに水の球をプリズム状に変形させてわたしの周囲で宙に浮かせた。次の瞬間、一斉に発射されたフライデイのレーザーが次々と水のプリズムで屈折して、壁や天井に穴を開けた。
「そこをどくんだ、和美さん!」
エフェメラさんが、攻撃の邪魔をしたわたしに向かって怒鳴った。
「戦っちゃダメっ! この人は、颯爽先輩よ!」
「何だって?」
にわかには信じられないようだったが、エフェメラさんはわたしの話を聞こうと動きを止めた。わたしは、エフェメラさんに向けて電話機を突き出した。
「短縮番号の一番にかけたら、思った通り彼のケータイにつながったわ」
電話機からは、男の子の悲痛な声が聞こえて来た。
『ね、姉さんは無事なんですか!?』
男の子が誰なのか、エフェメラさんもすぐに理解した。
「そうか、保護者の息子に聞いたのか」
マヤ達がヒョウと戦っている間、わたしは彼にヒョウの正体が先輩ではないかと尋ねたのだ。ヒョウを誤って殺してしまう前に連絡がついて、本当に良かった。
マヤが、わたしの手から電話機をひったくった。
「お姉さんは生きているから、安心して」
全く不安の無いマヤの声を聞いて、少年は電話を切った。彼が絶対に安心していないのは、明らかだった。
「彼は皐月真一というそうです。今、こっちに向かっているそうですから、詳しい事は彼から直接聞きましょう」
わたしに電話機を返したマヤは、傷だらけだがまだ使えるソファーに先輩を寝かせると、何故か風呂場から水の入った洗面器を持って来た。
「エフェメラは毛布を持って来て。今から傷を治しますからね。一時間程度かかるから、先輩はじっとしてて下さい」
先輩には弱ってはいたが意識があるらしく、小さくうなりながら首を縦に振った。汲んで来た水で傷口でも洗うのかと思っていると、マヤはいきなり洗面器を先輩の頭上でひっくり返した。
「ええっ?」
慣れたと思っていても、いきなり予告もなしに行動するマヤにはやっぱり驚かされてしまう。洗面器からこぼれた水は、空中で透明な球体となって静止した。
「この惑星の命は、海から生まれた。水には、命を癒す力があるのよ」
そう言って洗面器を投げ捨てたマヤが目をつぶって水に手をかざすと、弾丸となって部屋中に撒き散らされていた水が無数の粒状となって浮き上がり出し、渦を巻いて水の球に集まりだした。二倍の大きさにふくらんだ水の球は、今度は薄く広がってドーム状に形を変えて先輩を包み込んだ。
ほんのりと青白く光っている水のドームの中で、苦しそうに唸っていた先輩は静かで浅い呼吸に変わっていた。マヤの作ったドームには、傷を癒す力があるのだろう。
ドームの中の先輩にも、わたしから見て判る変化が起きていた。体毛が徐々に透き通っていき、抜け落ちたりもしないで消えてなくなった。ヒョウの足も次第に形を変えて人間の手足へと戻っていった。顔も本来の端正な顔立ちへと戻り、雪のように白い長髪も生えるというよりもまとめて盛り上がるように蘇えった。
またたく間に全裸の美少女に戻った先輩の体の傷は、みるみるうちに小さくなって完全に見えなくなった。いつの間に眠ってしまったのか先輩は意識が無かったが、呼吸は確かにしていたのでわたしはホッとした。
保護者の家は近所にあったので、さっきの電話から皐月くんが来るまでに何分もかからなかった。まだ中学生だがわたしよりも背が少し高い皐月くんは、女の子みたいな長髪に線の細い体をしていて、ワイシャツ姿でなければ女子高生に間違えそうだ。
乱暴にドアを開けて部屋に飛び込んだ彼が最初に見たのは、もちろん治療中の颯爽先輩だった。
「姉さんっ!」
もうわたし達の姿も目に入っていない皐月くんは、先輩に駆け寄ろうとした。マヤの治療の邪魔をさせまいと、エフェメラさんがとっさに彼の腕をつかんだ。
「先輩は、じきに目が覚める。しばらく待て」
エフェメラさんはそう言ったが、それで皐月くんが大人しくなるわけがなかった。エフェメラさんの手を力ずくで振りほどこうとして、皐月くんは手足をジタバタさせてもがいている。わたしも両手を広げて少年の前に立ち、マヤの邪魔をさせまいとした。
「颯爽先輩を救うには、あなたの手助けが必要なの。だから今は、わたしの話しを聞いて下さい」
わたしを睨む少年の目を真っすぐに見つめて、彼の両肩にわたしは手をかけた。
「本当に、姉さんを救えるのか?」
皐月くんの問いかけに、わたしは黙って首を縦に振った。先輩を助けられるか、本当の所は自信があるわけじゃない。だけど、先輩を何とかしたいという気持ちだけは本当だ。
少しずつ落ち着きを取り戻した皐月くんは、暴れるのをやめて体の力を抜いた。それを感じたのか、エフェメラさんも皐月くんから手を放した。
「わたしは、八尾和美。彼女は、エフェメラさん。そして、先輩を治しているのが銀墨マヤよ。ねえ、皐月くん。まずは、先輩に何があったのかを、教えてくれない?」
わたしに促され、皐月くんは今までにあった事を話し出した。
*
皐月くんが言うには、始まりはやはり始業式の日の夕方だった。
母親が数年前に亡くなり、父親は深夜まで働いている皐月くんは、颯爽先輩の部屋で夕飯をとるのが日課だった。普段から先輩を姉さんと呼んでいるように、二人は本当の家族のような生活を小さい頃からしていた。
合鍵も自分用のIDカードも持っている皐月くんは、いつも通りに先輩の部屋のドアを開けようとした。ところが、ドアにはチェーンがかけられていて、中に入る事は出来なかった。
ドアの隙間から見た部屋の中は、やけに暗かった。カーテンが閉め切ってあるのか外の光は入っていなかったし、電気も点、いていなかった。内側からチェーンが掛かっているから、姉さんは帰っている筈だと皐月くんは考えた。
何がなんだか判らなかった皐月くんが姉さんのケータイに掛けてみると、部屋の中から着信音が聞こえてきた。しかし、すぐにケータイを切られたのか、着信音は鳴りやんで静かになった。
「姉さんっ! そこにいるんでしょうっ!? ドアを開けてっ!」
ドアを何度も叩いて呼びかけたけど、返事は全く返ってこなかった。そこで今度は、ダイニングキッチンにある電話に掛けてみた。しかし、姉さんは電話に出る事はなく、すぐに留守電に切り替わった。皐月くんは、姉さんが聞いていると信じて留守電にメッセージを残した。
「姉さん、僕はきっと会ってくれると信じているよ。だから、どんな事があっても僕は姉さんの味方なんだって、信じてよ」
さっきの大声とは対照的に、落ち着いた静かな声で皐月くんは留守電に話しかけた。
録音が終了するたびに、皐月くんは電話を掛けなおしてメッセージを伝え続けた。電話機が保存出来る容量が限界に達した頃、突然ドアのチェーンが切断された。
「えいっ!」
チェーンを切ったのは、勿論皐月くんだった。彼は留守電にメッセージを吹き込みながら、金物屋に行って工具を買っていたのだ。ドアに靴を挟んで半開きのままにして、中にいる姉さんに怪しまれないようにする念の入れようだった。口調が静かになったのも、ドアの外からの声が聞こえなくなっても不審に思われなくするためだったのだ。
「姉さんっ!」
チェーンを一発で切断する程に大きいニッパーを抱えて、皐月くんは部屋に飛び込んだ。部屋の明かりを点けて、辺りを見回す。
「姉さん! どこにいるのっ?」
リビングに入ると、テーブルとソファーがひっくり返っていた。胸騒ぎがした皐月くんは、隣の寝室の扉を開けようとした。
「ダメッ! 入らないでっ!」
ドアには鍵がついていなかったし、皐月くんの側からは引き開けるようになっていたのでドアに家具を置いたりしても意味はない。だから姉さんは、ドアの反対側でノブを握って開かないように必死で抵抗していたのだ。
「何故なんだ!? 姉さんっ!」
皐月くんは、僅かに出来たドアの隙間に裁ちバサミほどの大きさがあるニッパーを差し込んだ。テコの要領で強引にドアをこじあけると、腕を突っ込んでやっとドアを開ける事が出来た。
「姉さんっ!」
寝室に飛び込んだ皐月くんが見たのは、シーツにくるまってベッドの下に潜り込もうとする姉さんだった。
「いったい何してるんだよっ?」
シーツを掴んだ皐月くんは、無理やり引きはがした。
「嫌あっ!」
シーツの中から姉さんを見て、皐月くんは愕然とした。そこにいたのは、彼がよく知っている姉さんではなかったのだ。
「姉さん……?」
床にうずくまっている姉さんは、泣きそうな顔をしてガタガタと震えていた。
「嫌……見ないで……」
姉さんには、全身から白いヒョウ柄の毛が生え、耳や尻尾までついていたのだ。




