マヤと行く! 6
事情を説明しにくい事もあって、まだ母さんには電話の一つもしていなかった。かなり心配しているのは判っているけど、もし事件をわたし達の手で早いうちに解決出来るのならそうしたい。
九月とはいえ、まだまだ日が落ちる時間は遅い。朱色の空の下で、わたし達は手近な路地裏に入り込んだ。ここは事件現場のすぐ近くで、振り返れば黄色いテープで飾られた立ち入り禁止となっている路地も見える。
「今夜中には、この辺りの路地を全部回るんだからね、グズグズしないで」
ペットボトルを取り出して、マヤは先に進んだ。何故かこの路地は石や瓦礫が散らばっていて、わたしの引いているカートの車輪が一々引っかかってしまう。
「待ってよ、マヤ」
結局、ポリタンクを掴んでカートごと持ち上げた方が早いという結論に達して、わたしはそれを実行して小走りでマヤを追い駆けた。
わたしは、殺人犯にしろ宇宙人にしろ、人殺しと戦う事ばかりを心配していた。大変な事を見逃していたと思い知ったのは、路地に入って五分後だった。
薄暗い路地裏は、人気も無い寂しい場所だった。
「なんか、いいよね。こういう雰囲気」
マヤは、輝く茜色の縞模様に彩られた景色の中を、踊るように駆けぬけて行った。リュックの水が十キロもあるとは思えない程の軽やかさだ。やっぱりわたしが好きになった少女は、何をやらせても絵になる。まあ、わたしの欲目じゃないかと言われれば反論できないんだけど。
そんな事を考えていたら、転倒してしまった。
「あいたたた。一体、なによ……!」
足元を見て、わたしは驚いた。黒い手が地面から伸びて、わたしの足を掴んでいるのだ。しかも、もう一本の手がサバイバルナイフを振りかざしてこっちに迫っていた。
「マヤッ!」
わたしが叫ぶよりも早く、水のビームがナイフを持っていた黒い手を貫通した。指を三本失った黒い手は、ビックリしたように慌てて、地面の中に引っ込んで消えた。血とか体液といったものを全く出さない所を見ると、やはり生物ではないのだろう。
わたしは、カートに縛ってあった果物ナイフを引き抜いて、足を握っている黒い手に突き刺した。わたしの足から離れた黒い手は、闇雲に踊るように暴れだした。いや、踊っているのではない。地面に潜って隠れようとしているのに、手首に刺さったナイフが邪魔で思うように潜れないでいるのだ。
「和美っ! 大丈夫!?」
マヤが、ペットボトルを振り回しながら駆け寄って来た。
「今よッ!」
その一言だけで何をすべきか察したマヤが、ペットボトルの口を黒い手に向けた。高圧で発射された数発の水の弾丸は、黒い手に次々と穴を空けた。穴という穴から黒い煙を噴き出して、黒い手は小刻みに震えていた。黒い手は、噴出した煙の量に反比例して小さくなっていき、最後は僅かな黒い灰だけを残して消滅してしまった。
「どうやら、倒せたみたいね」
マヤ灰の前にしゃがむと、空のペットボトルにそれを集めだした。宇宙人と戦った記念品にでもするつもりだろうか。
「だけど、どうして黒い手がまた出たの? 滝畑さんの仕業ってことはないわよね」
「彼女は関係なさそうね。やっぱり宇宙人が犯人だったのよ」
マヤが、とても嬉しそうに笑った。わたしの方は、まだ状況の整理が出来なかった。
結局、わたしの周りで起きている様々な事件は、どれも一つに繋がっているという事らしい。だとすると、その大本は何なのだろうか。まさか本当に宇宙人とかエピクリマ大陸とかじゃないでしょうね。
灰を集めていたマヤが、ペットボトルを投げ捨ててリュックから懐中電灯と水の入ったペットボトルを取り出した。懐中電灯をわたしに投げたマヤは、地面に落ちていたサバイバルナイフを拾い上げた。果物ナイフは、黒い手と一緒に破壊されたのだ。
「和美は、ライトをお願い」
この懐中電灯は、単一電池を四本も使う大型でかなり明るそうだった。懐中電灯のスイッチを入れると、期待を裏切らない明るさを頼りに、わたしは用心深く周囲を見回した。
マヤのキャンバスを破った時は、黒い手が壁から生えていた。周囲がフェンスに囲まれていた屋上と違って、ここなら黒い手は横からも上からも襲って来るだろう。しかもここは、壁同士が近距離で向かい合っている路地裏だ。つまりわたし達は、のこのこと敵のホームに入り込んでしまったのだ。
これは、殺人犯の正体を只の人間だと思い込んだわたしの失策だ。今は、このピンチをマヤと一緒に切り抜けないと。すぐにでも逃げ出したい所だが、かなり路地の奥まで来てしまった。道順は憶えているけど、明るい所に出るまで逃げられるだろうか。
「マヤ、背後を取られないように注意しないと」
わたしの提案を理解したマヤは、こちらに背中を向けて後ずさった。わたしも、背中をマヤに向けて前方と上に注意しながらカートを引いて後ろに下がった。お互いの背中が触れ合う事で、背後からいきなり襲われる心配は無くなった。
「倒したのは左手だったから、後は右手だけよね」
そうであってほしいという気持ちを込めて、マヤに話しかけた。
「阿修羅とか千手観音でなければね」
「そ、それは言わないで」
わたしが最も恐れている事を、マヤはためらいも無く口にした。
「大丈夫よ。本当にそうなら、最初から一斉に襲って来る筈だから」
マヤのいう事も、確かだろう。この路地で囲まれたら、もう逃げられない。それをしないというなら、二本しかいない確率は高い。しかも、右手も指が三本ないのだから、相手は勝ち目がかなり薄い。黒い手は、もう襲ってこないかもしれない。
「あのね、マヤ」
黒い手が来ないようならもう帰ろうかと言いかけたとき、怪しげな音がした。しかもわたしの正面、帰り道の方から聞こえてくる。
ズルズル、ペチャ、ズズズズ。
あの黒い手は、あんな音を立ててなかった。わたしの見込みは、またも甘かった。敵は黒い手だけとは、限らないのだ。マヤも挟み撃ちの可能性を気にしながら、慎重に振り返った。
「まさか、新しい敵?」
黒い手が倒されたから、また違う何かが襲って来たのだろうか。どんなに見たく無くても、ちゃんと見なければ負けてしまう。路地裏で見た先輩の死体が、わたしの脳裏をよぎった。これ以上判断ミスをすれば、あんな風に殺されてしまうのだ。
異様な音の主が、次第に懐中電灯で照らされている範囲に入って来る。
「そ、そんな……」
そこにいたのは、指を失った右手だった。左手も無くなっていた。確かにそこまではわたしの予想した通りだった。出現した手も、一本だけだった。しかし、事態は悪くなっていた。黒い右手は、黒い体から生えていたのだ。勿論、足もある。さっきから聞こえていたのは、こいつの足音だったのだ。
「黒い手に、本体があったなんて!」
「宇宙人が出て来るのは、予想の範囲でしょ。驚かないの、和美」
いや、あれはマヤが思っているような宇宙人じゃないと思う、多分。
漆器のように艶のある黒い体の上には、まるでボウリングか砲丸のような黒い球体が頭部のように乗っていた。球体の中央には、同心円を描いた黒い模様が一つ浮かんでいるので、それが目かもしれない。目があるという事は、たとえ操っている人間がいたとしても、ここからは見えない遠い場所にいるかもしれないという事だ。
しかも、黒い体が持っている武器は、ナイフなんて可愛い物では無かった。戦争映画で見るような銃だ。
「でも、宇宙人がライフルなんて、使うの?」
「和美、あれはショットガンよ」
「ええっ!?」
ショットガンっていったら、弾が無数に広がる銃じゃないの。狭い路地では、ライフルよりも強力で確実だ。
「で、でも、ショットガンなら一発撃てば終わりよね? 片手じゃ弾を入れなおすのは大変だし」
「最初から銃を使わないって事も、弾が一発しかないからだと思うしね。問題は、その一発をどうするかよ」
相談している間にも、黒い体はこちらに銃口を向けてきた。
「和美! 灯りを投げて!」
自分が格好の的を持っている事をマヤに指摘されて、慌てて懐中電灯を黒い体に向かって投げつけた。ショットガンの銃口が、頭上で弧を描く懐中電灯の灯りに反射的に釣られて向きを変えた。
「今よっ!」
マヤのペットボトルから、水の弾丸が発射された。その攻撃は、やはりショットガンに集中した。
ダーンッ!
暴発したショットガンから、見当違いの方向に弾が発射された。わたしの頭上で雨どいが砕けて、破片が降り注いだ。
「うわっ」
敵から目を離すわけにはいかないわたしは、片手を頭上にかざして破片から身を守った。
「キエーイッ!」
意味の判らない奇声をあげたマヤは、リュックを黒い体に向かって投げつけた。そのリュックからは、水が振り撒かれている。事前にマヤがリュックを、サバイバルナイフで穴だらけにしていたのだ。大きな水の固まりも同然となっていたリュックは、マヤの水を操る力によって銃弾並みのスピードに加速されていた。
弾丸どころか砲弾となってリュックが衝突すると、黒い体は一瞬で粉砕された、上半身が吹っ飛ばされ、残った二本の足が地面に転がっているだけとなったのだ。
「ええ!?」
残された足の断面を見て、わたしは驚いた。そこから、砕けた機械や電子機器の残骸が顔を出していたのだ。黒い体の正体は、ロボットだった。
「これこそ、宇宙人の科学力で作られた証拠よ!」
マヤの笑い声が、路地裏に響いた。まあ、彼女ならそう言うんじゃないかとは思っていたけど。




