マヤと行く! 2
見慣れない灰色のセダンを校舎の駐車場で見かけたのは、三時間目の音楽の直後だった。音楽室からの移動中に、エフェメラさんが階段の窓の前で立ち止まったので、何かと思ってわたしも窓の外を見たのだ。
エフェメラさんは、マヤにだけ判るように母国語で何か言った。マヤも何か言い返していたが、勿論わたしには理解出来ない。
しかし、他人事ではないような気がして、マヤに何の話をしたのか尋ねてみた。
「あれって、覆面パトカーよ。ナンバーで判るって」
それを聞いて、わたしはドキッとした。まさか、昨日の路地裏でのわたしの姿を目撃されていたの?
とても恐くなったわたしは、今すぐにでも逃げたくなったが、何処に逃げればいいのかも判らなかった。
結局、不安な気持ちを胸に抱えたまま、四時間目を過ごした。大きな変化があったのは、昼休みに入ってからだった。
突然、校内放送でマヤが呼び出されたのだ。それも校長室に。
何事かと思ってクラスメート達は、マヤに注目した。マヤはといえば、弁当箱と教室のスピーカーを見比べて何か考えていた。お昼と呼び出しのどちらを取るべきかで迷っていたのは、明らかだった。
するとマヤは、自分の席に座って弁当箱を広げだした。あろう事か、お昼の方をマヤは選んだのだ。
「ちょっとマヤ。流石にそれはまずいわよ」
「大丈夫、美味しいから」
たまりかねて注意しても、マヤは弁当の話しかしなかった。それでも、急いで食べているだけましだろう。
結局、マヤは弁当を全部食べてから校長室に向かった。自発的にではない。待ちかねたミツル先生が教室に乗り込んで、マヤの腕を掴んで連れて行ったのだ。
どうしてマヤが連れて行かれたのかを考えて、わたしは大事な事を思い出した。
わたしが昨日落としたイヤリングは、元々はマヤが買った物だ。老舗の貴金属店で売られていた高級品だから、特定するのに一晩もかからなかったのだろう。警察が購入者を調べて回れば、マヤ以外購入者はイヤリングを両方持っているのがすぐに判るに違いない。
わたしがイヤリングを落としたばかりに、マヤが疑われているのだ。クラスメート達も、口々にマヤが何かやったのだと言っていた。
日頃から単独行動の多いマヤには、アリバイがあるとは思えない。家にいたとしても、家族の証言ではアリバイにはならないし。
このままだと、本当にマヤが犯人にされてしまいかねない。
わたしは成す術も無く、呆然と教室の前の廊下に立ち竦んでマヤが見えなくなった廊下を眺めていた。そんなわたしの肩を、後ろから誰かがポンと叩いた。振り返ると、エフェメラさんがわたしを見ていた。彼女の目は、わたしを責めているみたいだった。
「どうして行かないんだ?」
「え?」
エフェメラさんは、まるで全てを見透かしているようだった。目を背けたくなったのに、金縛りにかかったみたいに、わたしはエフェメラさんから目を離せなくなっていた。
「和美さんは、何もしなければ、どうなるのか知っているんだろう? だったら、どうしてそうしないんだ?
その言葉に、わたしはの胸は大きく一回鼓動した。
そうだ、どうすればいいのかなんて、決まっていた。本当の事を、言えばいいだけだ。何をわたしは恐れているんだろう。
わたしが一番恐れなければいけないのは、マヤを失ってしまう事に決まっている。
「有難う! エフェメラさん!」
わたしは、校長室に向かって駆け出していた。
校長室に続く廊下では、男の先生が二人、野次馬を追い払っていた。野次馬でないわたしは、そんなものに構わずに先に進んだ。先生が一人、わたしの腕を掴もうとたが、間に割って入った人がいた。わたしを追っていたらしい、エフェメラさんだった。
エフェメラさんは、先生達のネクタイを両手で一本ずつ掴んで引き回した。
只でさえ目立つ優等生の蛮行に、野次馬達が群がった。最早、わたしの方には誰も注目していない。
「和美さん! 早く行くんだ!」
エフェメラさんの厚意を無駄にしない為にも、わたしは目的地へと急いだ。
校長室の前につくと、わたしは乱れた呼吸を整えた。扉の向うから、マヤの声が聞こえて来た。
「そうよ、これはキャトルミューティレーションよ! いえ、人間が被害にあったのだから、ヒューマンミューティレーションなのよ!」
どうやらマヤは、相変わらず宇宙人の仕業だと思っているらしい。それでも、マヤの主張を聞けば、殺人事件の話題なのは明らかだった。このままでは、マヤの立場が益々悪くなってしまう。もう、一刻の猶予も無い。
わたしは、軽くノックをすると鍵のかかっているのも構わずに扉を開けようと、激しくノブを揺すった。
向うからちょっと待てという声がしたので手を止めると、鍵の外れる音がした。勢い良くドアを引くと、わたしは校長室に飛び込んで叫んだ。
「マヤは無関係です! 殺人現場にいたのは、わたしです!」
校長室では、マヤがミツル先生と並んでソファーに座っていた。テーブルを挟んでマヤの向かいには、校長先生と警察と思われる見知らぬ人がいた。
「や、八尾さん?」
ミツル先生が事態を飲み込めないうちに、わたしはマヤの横まで駆け寄った。
テーブルの上にはインスタントカメラで撮った写真が何枚か置いてあった。他の写真には目もくれず、わたしはビニール袋に入ったイヤリングの写真を手に撮った。
「このイヤリングは、わたしのです! わたしが、路地裏で昨日落としたんです!」
わたしは、手にした写真を刑事らしき人に突きつけながら叫んだ。
これで、言うべき事は全部言った。これから大変な事になるのは漠然とだけど判っていたし、自分がこれからどうなるのか不安で胸が一杯だった。
だけど、マヤの前で嘘を吐かなかった事だけは、わたしの心の唯一の救いになっていた。
大変な迷惑をかけられたマヤは、わたしをどうおもっているのだろうか? それが一番の不安だったわたしは、横目でマヤをちらっと見た。
マヤは、笑っていた。楽しいというよりは、何か嬉しい事があったというような、そんな優しい笑顔だった。こんな状況だというのに、わたしはその笑顔に見惚れてしまった。
「和美……」
マヤが、笑顔のままわたしを呼んだ。
「もう、ここには用は無いわ。行きましょう」
テーブルの上に置かれた湯飲みを取って、マヤが立ち上がった。
「待て! まだ話は終ってないぞ!」
刑事が立ち上がって、マヤをまた座らせようとした。
「邪魔しないでよ」
そう言うとマヤは、湯飲みをひっくり返して中のお茶をぶちまけた。
マヤの行動にも驚いたが、その後に起こった現象にはもっと驚いた。
お茶がこぼれたと思ったら、そのお茶を中心に白い煙が吹き上がったのだ。いや、煙にしては何の臭いも無かったし湿っぽかった。これは、湯気だった。信じられない事に、お茶の水分が一瞬で湯気になったのだ。
「これに似たような事が、どこかであったような……?」
それが、先日の焼却炉を使ったスチームオーブンだと、少し考えて思い至った。マヤは本当に、火を一切使う事なく蒸気を出す事が出来たのだ。流石に今回は、そこまで高温にはなっておらず、生温かい程度だったが。
「え? まさかそれって、超能力!?」
わたしは二学期に入ってから今まで、不思議な出来事を何度も体験していた筈だった。それなのに、どうして今までマヤに特別な力があるという事に思い至らなかったのだろうか?
視界が、完全に白一色に覆われた。何かカチャカチャ音が聞こえるのは、マヤが先生達のお茶や花ビンの水まで蒸気に変えているからだろう。
たとえ蒸気とはいえ、これだけの量だ。天上の煙感知器が、蒸気を火事と誤認して鳴り響いた。
「きゃ!」
誰かが、わたしの手を引っ張った。この手の感触は、間違いなくマヤだ。わたしは、マヤに引かれるままに走り出した。途中で、刑事らしい人の短い悲鳴が聞こえた。恐らくマヤを逃すまいと扉の前で待ち構えて、逆にマヤに倒されたのだろう。
校長室を飛び出した後、廊下の手洗い場に向かってマヤは全力疾走した。水さえあれば、マヤは無敵だった。
廊下に水をぶちまけたマヤは、廊下を蒸気で満たした上に違う超能力を重ねて発揮したのだ。
「喰らいなさい!」
マヤの撒き散らした水が、テニスボールサイズの透明な球体になって何発も発射された。蒸気で視界が悪い所に飛び道具で攻撃されたのだから、刑事も先生もたまった物ではないだろう。格闘技の心得のある筈の刑事をマヤがさっき倒せたのも、恐らくこの力を使ったからに違いない。
マヤの能力は『水を自在に操る力』なのだろう。蒸気まで発生させて操れるのだから、水分子と言った方がいいかもしれない。
「あはははは!」
笑いながら、マヤが走り出した。わたしも遅れまいと、慌てて追い駆けた。




