マヤになる! 14
それは、二日前の放課後の事だった。
部活動で校庭にいた滝畑さんは、ベンチで一休みしていた。エフェメラさんが気になっていた彼女は、美術部室をふと見上げて、見てしまったのだ。あの、奇妙な光景を。
「ええっ? あれって、外からも見えたの?」
「まあ、映っていたのはガラス窓だったからな。ステンドグラスみたいに、裏側からも見える人には見えたんだろう」
実際、わたし達も見ていたんだし、エフェメラさんの言葉に一応納得した。あれ? 何か忘れているような……。
「そうか、マヤが言っていた五人目って、滝畑さんだったのね」
「うん、校庭から部室が見えるんだもん、部室からも校庭が見えるのは当然でしょ。まあ彼女は、何か気になるようにチラチラ見てるだけだったけど」
窓際にいたのはマヤだけだったから、わたし達からは見えなかったのだ。
滝畑さんが見たのは、まさに巨大な黒い腕だった。そう、わたし達を襲った黒い手そっくりなのが、窓いっぱいに映っていたのだ。
ただ、屋内からあれを見たわたし達と違って、外から美術部を見た滝畑さんは、あれが前衛芸術か何かだと思ってそんなに驚かなかったらしい。そういえば、わたしが部室から見下ろした校庭は平穏そのもので、誰もビックリしていなかった。
その日の事はこれで終わりで、事態が大きく動いたのは次の日だった。
滝畑さんは、入学式の頃からエフェメラさんの事が好きだった。だけど、その気持ちを内に秘めたまま本人に伝えることが出来なかった。
エフェメラさん自身は、社交的で誰とでもすぐに打ち解けていた。滝畑さんも、何度かクラスメート達と一緒にエフェメラさんを囲んでお昼を共にしていた。だけど、それだけでは彼女の心は満たされなかった。
自分は、エフェメラさんからはただ一緒にいるクラスメートの一人というだけの存在ではないのかと、不安ばかりがつのった。
だから彼女は、二学期になったら自分を変えようと思ったのだ。
そして、二学期に入って最初の昼休み。滝畑さんは意を決して、エフェメラさんを誘ったのだ。自分は、他のクラスメートみたいにアイドルとしてのエフェメラさんの取り巻きをしているんじゃない。本当に友達になりたいんだと、伝えたかったのだ。
しかし、その気持ちはエフェメラさんに伝わる事は無かった。それだけなら、明日再チャレンジしようと思うだけですんだろう。所が、エフェメラさんはマヤを追って教室を出て行ったのだ。
昨日からキャンバスと思われる包みを持っていたマヤは、今朝はエフェメラさんにキャンバスを渡していた。傍目には、マヤが夏休みの間に美術部に入部したと思うだろう。それでお昼まで一緒になるなんて、予期せぬ出来事だった。
この学園は、別に複数の部を掛け持つ事は禁止されていない。しかし滝畑さんは、ラクロス部のホープとして部員達の期待を背負っている。その期待を裏切ってまで美術部にも入ることは出来なかった。
自分がしたくても出来ない事を、気楽な帰宅部だったマヤには簡単に出来た。元々、エフェメラさんの母国語が話せるマヤは気になっていたが、とうとう我慢できない程に気持ちが高ぶったのだ。
滝畑さんが席を立ち上がって振り返ると、そこには白い包みに入ったキャンバスがあった。それは、マヤとエフェメラさんを繋ぐ絆を象徴する物だった。
あんなもの、無くなってしまえばいい。
「黒くなってしまえばいいのに……」
何故、そんな事を呟いたのか、本人にも判らない。それどころか、これが自分の声なのかさえも判然としない。
雑談やゲームに夢中になっているクラスメート達は、彼女の変化に気付いていない。第一、教室の一番前にいる彼女と一番後ろに置いてあるキャンバスはあまりにも離れていて、何の関係があるように見えよう。
『黒くなれ、黒くなれ、黒くなれ!』
自分の心の中で、奇妙な言葉が繰り返し木霊した。どうしていいのか判らないまま、彼女はその言葉を復唱させられた。
「黒くなれ、黒くなれ、黒くなれ……」
『黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!』
突然、キャンバスが破れて、黒い手が突き出された。不思議な事に、あの美術部の窓に映った黒い腕によく似ていた。
「ひぃっ」
クラスメートにも聞こえない小さい悲鳴をあげた滝畑さんは、腰を抜かして自分の席に着いた。
教室に戻って来たエフェメラさんは、キャンバスに開いた穴をみて驚いた。当然のようにエフェメラさんはクラスメート達に聞いて回り、滝畑さんも尋ねられた。しかし、自分がキャンバスを破ったなどと白状する事は出来なかった。
「だって、言えるわけないじゃない! 私が黒い手を出現させて、キャンバスを破ったなんて!」
エフェメラさんが信じなければ、変な人だと思われる。信じれば、怪しい力の持ち主だと見られてしまう。滝畑さんの気持ちも、判らない事は無い。
それに、あんな物を自分が出したなんて、本人が一番信じたくないだろうし。
しかし、キャンバスを破った事は、彼女にとって逆効果だった。エフェメラさんがみんなの前でマヤに謝罪した上に、放課後もマヤと何か相談していたのを見たからだ。
確かに、滝畑さんはわたし達と同じ列なので一緒に掃除をしていた。だから、教室を出る時に机を囲んでいるのが見えたのだ。
部活に遅刻するわけにはいかなかったので、詳しくうかがう事は出来なかったが、キャンバスの件について話しているらしい事は判っていた。
しかも今度は、何故かわたしまで一緒にいた。どういう事なのか知りたくても、わたし達に直接聞く事は出来なかった。
暗欝な気持ちを抱えたまま、滝畑さんは一日を終えた。
『黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!』
そんな声をベッドの中で聞きながら、彼女は眠りに付いたのだった。
次の日、昼休みが始まると同時にマヤとわたしは何処かに消えたので、今日こそエフェメラさんを誘おうと滝畑さんは決意を新たにした。
しかし、結果は昨日と同じだった。用事かあると言って、エフェメラさんは席を立ったのだ。しかも、昼食らしきものを手に持って。
それでも諦め切れなかった滝畑さんは、お弁当を持ってエフェメラさんを探し回った。そして、旧校舎の美術部室まで来た時、何か硬いものが落ちる音が階段から聞こえて来た。
音の正体は、カッターナイフだった。どうしてそんな物が落ちてきたのか不思議に思っていると、また上から音が聞こえて来た。
怖くなった滝畑さんだったけど、それでも気になって屋上まで上った。そこで彼女が見たのは、床に落ちている二振り目のカッターナイフと、お昼をとっているわたし達だった。
自分が一番信じたくなかった景色が、彼女の目の前にあった。それでも滝畑さんは、今日は四人でお昼を取ろうと声をかけるつもりだった。決定的瞬間を目撃するまでは。
わたしとエフェメラさんがお弁当の交換をするのを、滝畑さんは見たのだ。彼女が今までしたくても出来なかった事を、わたしがいとも簡単に実行していたのだ。
彼女の気持ちは、昨日よりも更に高ぶった。そこでまた、あの声が頭の中で響き渡った。
『黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!』
彼女の両手には、カッターナイフが握られていた。親指に力を込めると、カチカチと音を立ててカッターの刃が飛び出した。
『黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!』
気が付くと、カッターナイフは手の中から消えていた。目の前には、カッターを握った二本の黒い手があった。
わたし達に向かって滑って行く黒い手を、滝畑さんは怯えながら見送ったのだった。




