ああ勇者よ!婚約破棄をスルーされるとは情けない!
「ククク、勇者一行よ、なかなかやるではないか……だが、我に立ち向かったのは間違いだったな」
魔王は一声吠えると背ほどもある大きな杖を振りかざして、呪文を唱え始めた。
禍々しい魔力が渦を巻いて、魔王の周囲に集まりだす。
まずい! あれは暗黒魔法じゃないか。当たったらひとたまりもないぞ!
「みんな! 私の後ろに!」
聖騎士ランスロットが、聖なる光を宿す大盾を構えて、眩しい笑顔を向けてくる。
さすが聖騎士、こんな修羅場でも爽やかだ。
皆で一斉にランスロットの背後へと避難する。
「魔王の魔法なんか、アタシが相殺しちゃうにゃん!」
賢者マリンにゃんは、頭の上の猫耳をピクピクさせながら呪文に集中し始めた。
そんなマリンにゃんの隣では、踊り子ブッチャーが「うっす!」とドスの利いた一声を放ち、2本の肉切り包丁を手に華麗にデバフの舞いを舞い始める。
筋肉モリモリ、強面なブッチャーが繰り出す舞踊は、魔王にもしっかりと効いていて頼もしい限りだ。
「魔王の思う通りにはさせませんわ! サンクチュアリ!」
純白のローブ姿の聖女リリアンヌ様が、床一面に大きな魔法陣を描き出し、俺たちは清らかな光で包まれる。
とたんに疲れが吹き飛んで、傷が跡形もなく消えていく。
聖女って、すごい……。
リリアンヌ様は聖女というだけでなく、この国の王女様だ。
腰まである金髪はサラサラで、クールビューティーな顔立ち。
世界中の王侯貴族から、結婚を申し込まれていたのも分かる。
だがもう、リリアンヌ様には婚約者がいるのだ。
聖剣に選ばれし勇者、そいつが婚約者だ。
そんでもって、その勇者ってのが俺なんだよなー。
つまり、リリアンヌ様の婚約者は俺ってわけ。
嘘みたいだけど本当の話。
辺境の漁村に生まれ育った俺がなぜか勇者と人々から呼ばれて、今では仲間と一緒に魔王討伐の旅をしているなんてなぁ。
ことの始まりは、俺の王都見物だ。
俺が18歳になったとき、親父が成人した記念に、旅でもしてこいと長期休暇をくれたんだ。
親父は村長をやっていて、村の若いのが18歳になったら、皆に長期休暇を与えている。
俺は親父がくれた旅費を浮かせて、その分、村のみんなに土産でも買おうと思って、そのとき募集していた隣国の勇者試験に応募してみることにしたんだよ。
王宮の中庭には大きな岩が置いてあって、その岩に刺さった勇者の剣を引き抜いてみせるのが勇者試験だ。
国王様が勇者を探しているらしく、この試験に参加すると、王宮がある王都までの旅費が支給されるのだ。
俺の村から見ればここは隣の王国なので、ほんとは俺には適用されないんだろうけど、そのへんは取引のある隣国の村の役人に上手いことやってもらった。
これで旅費が丸々浮いた!と喜んで王都見物をして、とりあえず勇者試験を受けてみたら……勇者の剣を岩から引き抜いてしまったというわけ。
「万歳! 勇者様だ!」
「もうこれで魔王に苦しまなくてすむ!」
俺が驚いている間に、あれよあれよと話は進み、王様の前に引っ張り出されて、俺は勇者になった。
慌てて親父に手紙を書き、事の次第を報告した。
漁師の俺が、勇者なんてものをやっていいものだろうか?
親父は例によって、いい加減な返事を返してきた。
——なにごとも経験だ。勇者でもなんでも、やってみればいい。
——土産は、『王都饅頭』で頼む。
親父からの許可も出て、俺は勇者をやってみることにした。
なんでも勇者は旅に出て、魔王の眷属をぶちのめしていかないといけないらしい。
俺も漁師として働いていたから、それなりに体力には自信はある。
漁に必要な剣、槍、弓の扱いも、親父にはまだ敵わないが、まあまあいける。
魔法もだいたい使えるかな。
なにしろ漁師という仕事は、危険がつきものなのだ。
だから剣も使うし、魔法もこなせる。そういうのが当たりまえの仕事だ。
そのおかげか、勇者になって魔王軍と戦うようになってから、戦いで困ったことはない。
魔族を片っ端から、ぶっ飛ばしてきた。
そういえば、この辺りの国々の言葉を話せるのにも、驚かれたなぁ。
これも漁師をやっていたせいだ。
漁師は漁に出かけて、金銀財宝、人間を持ち帰ってくるのが主な仕事だ。
たまには魚も獲ってくるけど、それは漁師の本来の仕事じゃない。
片手間のおやつ仕事。皆、魚を獲るのをそう呼んでたなぁ。
漁で持ち帰ってきた人間たちは、客人として手厚くもてなされる。
そういった客人は暇らしく、俺みたいな子供に言葉を教えて暇つぶしをしていた。
そういうわけで、小さい頃から客人たちから色んな言葉を習っていた俺は、この辺の国の言葉を自由に話せる。
「おい、勇者! 戦いの最中にボケっとするとは、いい度胸だな」
魔王が魔法を練り上げ終わったようだ。
まるで生きているように蠢く、漆黒の魔法をこちらに向かって投げつけようとしている。
これは思った以上に凶悪な魔法だ。
聖騎士ランスロットの防御魔法『光の盾』
賢者マリンにゃんの相殺魔法『ノーカンだにゃん』
踊り子ブッチャーのデバフ魔法『死地遊戯』
聖女リリアンヌ様の回復補助魔法『サンクチュアリ』
4人の総力を挙げた反撃でも、魔王のこの魔法に立ち向かうことは困難だろう。
漁師としての俺の勘がそう告げている。
それならば――。
最前列で皆を守っている聖騎士ランスロットの前へと出る。
「おい! なにをやっているんだ、フィン!」
ランスロットが慌てたように声をかけてくるが、それには答えず、手に持っていた剣を腰の鞘にしまう。
「フィン様? なにをなさるおつもりです!?」
「危ないにゃん!」
「――フンッ♪」
背後で俺のことを心配する声がし、同時に能力値を上げるバフがかかった。
「これの極悪さに気づいたか、勇者め……だが、もう遅い! ごりゃぁああ!」
俺は魔王が投げつけた漆黒の魔法の塊から目をそらさず、迫りくるそれに、背中に背負った大剣を一気に引き抜いて叩きつけた。
――ゴゴゴッ!ザスッ!
俺の一撃は魔王の魔法の塊を切り捨てた。
「なにっ!? 我が暗黒殺界の一撃を……」
魔王が唖然としている。今の魔法攻撃は暗黒殺界というのか……なんだか格好いい。
俺も自分の必殺技に名前をつけるべきかもしれない。
暗黒殺界は名前負けしない、恐るべき魔法攻撃だった。少しでもタイミングが合わなければ、俺がやられていた。
だが俺は昔から、こちらに向かってくる物を弾き飛ばすのが得意なのだ。
漁に行けば、狙いをつけた船から弓矢や砲弾、それに魔法攻撃が雨あられとばかりに降り注ぐからな。
そういうのを弾き飛ばし、こちらの船を守るのは、見習い漁師の仕事なのだ。
「フィン! 大丈夫か!」
「今、回復します!」
「さすが勇者だにゃん!」
「――フンッフンッ♪」
気遣いや称賛の言葉に混じり、回復魔法とバフ魔法が飛んでくる。
「みんな、大丈夫か?」
そう聞いた俺の目の前に、ふわっと一羽の灰色フクロウが舞い降りてきた。
「ホッホー!」
「フクロウ?」
「こんなところに、なぜフクロウが?」
「あ、そいつは俺宛だ」
こいつは、俺の親父が飼ってるフクロウのゼンゲだ。
その足には、紙を細長く折ったものが結ばれている。
「ゼンゲ、お前、こんな遠くまで来たのか。ということは急ぎの手紙か」
親父は鳥に魔法をかけて手紙を送るのが得意だ。
特に、このフクロウのゼンゲは、どんな場所にでも手紙を届ける凄腕の配達人、いや配達フクロウなんだよ。
何事だろうと俺はゼンゲの脚に結ばれた手紙を外して読んでみる。
——フィン、元気か?
勇者が聖女と婚約したと噂で聞いた。
まさか、おまえのことじゃないよな?
詳しく話してなかったが、実は王家とウチは仲が良くない。
つまり、王女でもある聖女と婚約するのは、ちと拙いのだ。
なので、もしお前が聖女と婚約しているなら、早々に婚約を解消しろ。
魔王を倒してからだと、お前は勇者として祭り上げられ、婚約もなかったことにはできないだろう。
だから、魔王を倒す前に聖女との婚約を破棄するのだ。
ええ? 俺んちと王家は仲良くないんだ?
ウチみたいな漁師の家と王家が仲良くしてる方が変だと思うが……。
だが親父がフクロウのゼンゲを飛ばしてまで知らせてきたんだ。きっと重要なことなんだろう。
それに……実は俺みたいな漁師に、リリアンヌ様はもったいないと思ってたんだ。
リリアンヌ様も、俺のことをあまり良くは思っていないのが見え見えだ。
話しかけても嬉しそうじゃないし、睨みつけられることすらある。
だから、俺はリリアンヌ様から嫌われている。
俺が勇者の剣を抜いてしまい、国王が勇者として認めたので、聖女として、王女として、しょうがなく婚約者をやっている……そんな感じなんだろうな。
俺はほんのしばらくの間だったが、リリアンヌ様の近くで過ごせて幸せだった。
あとは本物の王子様に任せよう。俺みたいな漁師とじゃ、きっと上手くいかない。
魔王討伐ももう少しで叶う。そのあと、俺は故郷に戻り、また漁師をやるつもりだ。
俺は聖女様に婚約破棄を告げることを決意した。
親父は魔王を倒す前に婚約破棄しろと言っている。確かに、魔王を倒した後では婚約破棄しにくいだろうな。
はぁ……。
リリアンヌ様ともう会えなくなるかもしれないと思うと、辛くて仕方ない。
だが、こんな素晴らしい人を、俺みたいな男が独占していいはずないんだ。
「まだ魔王は倒れていないからセーフだな」
「ホーッ!」
魔王がギロリとこちらを睨んだ気がするが、気が付かないふりで無視をする。
とにかくギリギリのところで間に合ってよかった。
俺は魔王の動向に注意を払いながら、リリアンヌ様の横に行って小声で話しかけた。
「あの、リリアンヌ様?」
聖女様は、小さな声でぶつぶつと次なる魔法の呪文を唱えながら、俺に向かって「なに?」という顔を向けてくる。
「こんなときに、あれなんだが……」
俺の声が聞こえたのだろう、パーティメンバーの聖騎士ランスロット、賢者マリンにゃん、踊り子ブッチャーも不審げにチラチラと俺たちの方を見ている。
「えっと、リリアンヌ様と俺の婚約の件なんだけど、なかったことにさせて欲しい……」
リリアンヌ様は急に呪文の詠唱を止めて、口を小さく開けたまま大きく目を見開いて俺を見る。
「……なんですって?」
リリアンヌ様の凍りついたような表情に、俺はすごく焦った。
ちゃんと聞こえなかったのかもしれない。もいっかい言っとこう。
「婚約破棄したい」
「……」
リリアンヌ様は、なぜか凍りついてしまった。
それに、なぜなんだろう?
俺がリリアンヌ様に婚約破棄を申し出たとたんに、奇妙な静寂がこの場を支配している。
パーティメンバーはもちろんのこと、なぜか魔王までも息をひそめている。
不安になった俺は、辺りを見渡す。
慌てたように次々と、不自然に俺から視線をはずすパーティメンバーたち。
おい、魔王、なんでお前も視線をそらすんだよ!
どうしていいか分からなくなってあわあわしてると、凛とした鈴のようなリリアンヌ様の声が鳴り響いた。
「ランスロット、もっと魔王の攻撃をひきつけて! マリンは魔法で反撃! ぶっちゃ、敵の能力を落とすダンスをお願い!」
「任せろ!」
「分かったにゃ!」
「うっす!」
「——かかってくるがよい、小童どもよ、グハハハ!」
え? ちょっと待って。なんか俺、置いていかれてる気がする。
俺の申し出た婚約破棄が、綺麗にスルーされて、なかったことにされてる? なんでなんで?
「リ、リリアンヌ様? 婚約破棄ってことで、いいんだよな?」
焦って聞く俺に、リリアンヌ様は見向きもせずに、一言だけ返してきた。
「……うるさい」
ええ!? うるさい?
リリアンヌ様が、そんな言葉遣いするの初めて聞いた……。
リリアンヌ様は嫌いな俺からの婚約破棄に、喜んで応じてくれると思ったのに!
いったい、俺はどうすりゃいいの?
結局、あの後、魔王には逃げられた。
俺が予想外に婚約破棄をスルーされ、呆然としている間に、魔王の部下たちが駆けつけ、魔王たちは城から撤退していった。
あとを追うだけの余力はないという判断から追跡は断念し、拠点にしている近くの廃村に帰還することになったのだった。
※※※
拠点にしている廃村にある半分崩れ落ちた教会。
ふわふわの綿菓子みたいな金髪の神父が立っていた。
俺の肩にちょこんと止まっているフクロウのゼンゲを見て、少し驚いた顔をしたが、すぐににっこりと満面の笑みを向けてきた。
穴の開いた天井から、細く光が照らしていて、神父がまるで天使のようにみえる。
だが、こいつが天使みたいなのは、見た目だけだ。
さっそく、強烈な先制攻撃を放ってきた。
「ああ勇者よ、婚約破棄をスルーされるとは情けない。クククッ……」
片方だけ意地悪く釣り上げた唇が、本当に憎たらしい。
イケメンはなにをやってもイケメンかよ。
この神父の名は、ルカ・ヴェイル。
俺はルカと呼んでいる。
俺と同い年で、勇者パーティの手助けをするために、教会から派遣されているそうだ。
性格は悪いが、こいつはよく働くんだ。
その日の活動が終わって、皆が眠りにつく頃。
ルカは神父の黒いローブから、もっと動きやすい黒い細身の服に着替え、拠点をそっと出ていく。
帰ってくるのは決まって朝方だ。
たまに怪我をしているときもあるから、かなり危険なことをしているのだろう。
そんなルカのために、俺はこっそり回復魔法をかけてやっている。
表向き、俺は回復魔法を使えないことになっているが、実は使える。
というか、うちの村の漁師なら使えて当然の魔法なんだ。
村を出る時、親父から、回復魔法は他所では珍しい魔法なので内緒にしておけと助言された。
なので俺は自分の割り当てられた部屋で、ベッドに寝転がったまま、痛々しい歩き方で帰ってきたルカに回復魔法をかけてやっている。
俺みたいな田舎者とも気さくに接してくれるルカへの、せめてもの感謝の気持ちだ。
俺とタイプは全然違うが、歳が同じというのもあるのだろうか、なぜか気が合う。
気が合うせいだと思うが、ルカは俺にけっこう手厳しいことも平気で言ってくる。
今回のように……。
「おやおや、聞こえませんでしたか? ではもう一度、言いましょう。ああ勇者よ、婚約破棄をスルーされるとは情けない! ブフフッ」
吹き出すルカに、俺は慌てて反論する。
「ルカ、違うんだ!そうじゃない」
「なにが違うんですか。違わないでしょう?」
「いや、そうなんだが、でも違うんだ」
だいたい、なぜ俺がリリアンヌ様に婚約破棄を申し込んだことを、ルカは知っているんだ?
俺は魔王討伐から帰ってすぐ、この廃村の教会へと足を運んだのに。
「なぜルカが、俺の婚約破棄のことを知っている?」
俺がそう聞くと、ルカは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんなこと、もう、この拠点にいるもの全てが知っていますよ。国王陛下も今頃、耳にされた頃でしょう」
「ええっ! そんなに速く、知らせが届くのか……」
俺の肩に止まっていたゼンゲが、ぽとりと落ちたので、慌てて受け止めてやる。
そして、俺の懐で弱々しく丸まり「クゥ……」と鳴いて、うなだれた。
――そうか、きっと優秀な鳥がいて、密書を国王に運んでいるのだな。
ゼンゲに頼んだとしても、国王に手紙を届けるのは半日はかかるだろう。
やっぱり王国は侮れない。ゼンゲより優秀な鳥がいるとはな……。
俺はゼンゲを励ますように、優しく頭を撫でてやった。
「なに急に鳥の頭なんか撫でてるんだ? そんなに婚約破棄をスルーされて落ち込んでるのか……。さっき言ったことは冗談だよ、冗談。遠く離れた国王陛下に、お知らせするなど一ヶ月はかかるぞ」
え? 一ヶ月?
まさか、さすがにそこまでの時間はかからないだろう。
これはきっとルカなりの励ましなのかもしれない。
「そ、そうか……ゼンゲ、元気だせ」
「クゥ!」
冗談だと分かって、ゼンゲも元気を取り戻したようだ。
そんな俺達のことをクスクス笑いながら、ルカが種明かしをした。
「私がお前の婚約破棄がスルーされたことを知っているのは、聖女リリアンヌ様から直接聞いたからだよ。先程まで、ここにいらしたのだ」
聖女は教会所属だから、きっと魔王に上手く逃げられてしまったことを、ルカに報告に来たのだろう。
「だがなんでまた、戦闘中に婚約破棄なんてしようと思ったんだ?」
ルカにそう聞かれて、困ってしまった。
まさか、親父から魔王を倒す前に婚約破棄をしろと言われたとは言えないよな……。
しかも、俺の家と王家の仲が悪いなんて言ったら、頭がおかしいと思われる。
なにより、俺が親父の言うことには逆らわない、ファザコンだと思われるじゃないか。
それはなんか嫌だ。
確かにそういう面があるのはあるんだが、今回の場合は俺だけの話じゃすまない。俺の村全体に関わる話なんだ。
よし、俺が婚約破棄を言い出してもおかしくない理由を、ちゃんと言っておこう。
「——それは、俺がリリアンヌ様に嫌われているからだ……婚約を解消したほうがリリアンヌ様もお喜びだろう」
俺の返答を聞いて、それまでニヤニヤ笑っていたルカが真面目な顔になった。
「なに言ってんだ? お前」
え? なにって……どういうこと?
「あれだけ聖女様に惚れられてて、よくそんなことが言えるな?」
俺が聖女様に惚れられてる?
まさか……冗談きついぜ、ブラザー。
※※※
イケメン神父は、それから俺がいかに聖女様に好かれているか、大事にされているかを熱く語ってくれた。
まったく信じられない。
イケメンが、「はぁ……」とため息つく。ちょっと、あきらめ顔だ。
「確かにリリアンヌ様の態度は、少し、いえかなりツンデレなところがありますが……それにしても、勇者殿もかなり鈍い」
おかしいな。
俺は村でも感覚が鋭い方だったんだが。
俺の部屋がある独り者向けの宿舎は、泥棒が入り込めないことで有名だった。俺が全部、阻止していたせいなんだ。
だが、大都会の王都では、そんな田舎者の鋭さなど、お話にならないレベルということだろう。
「でも、婚約は破棄しないといけないんだ」
「なぜです?」
「それは……」
俺はもう一度、言葉に詰まった。
ルカはじっと俺を見た。
「言えない事情があるんですね?」
「まあ、ある」
「では、順番を変えればいいんじゃないですか?」
「そんなことができるのか?」
俺の不審げな顔が面白かったのか、ルカがクスクス笑いながら、俺の肩をバシバシ叩いてきた。
「実はな、親父に……リリアンヌ様と婚約はするなと言われているんだ」
「ほうほう! そのような指令が……なるほど、なるほど。詳しくお聞きしても?」
ルカが目を輝かせながら、詳しく話せとねだってくる。
そう言われてもなぁ。
これ以上は俺にも詳しく話せない。なにも知らないからな。なので、そう答えた。
「俺もよく分からないんだ。ただ俺の家とリリアンヌ様の家は、仲が良くないらしいんだ」
「ほほーう! 仲が良くないのですねぇ……それなら、婚約はいったん破棄しておいたほうがよさそうですね」
「だろう? それに俺の故郷は小さな漁師の村だ。そんなとこで、お姫様が暮らすなんて無理なことぐらい分かるだろう?」
ルカがなぜか黙った。
そして、こちらに聞こえないほど小さな声で、なにかぼそぼそと言っている。
「小さな漁師の村ねぇ……この王国の王都より大きいんですけど、王宮の中ばかりで分かってないんですね……」
「ん? なにか言ったか?」
「いえいえ、なんでもありませんよ……」
ルカがなぜか遠い目をしている。疲れてるんだな。
「それに——俺は漁師だしな。リリアンヌ様に贅沢な暮らしをさせてあげられない」
俺がこう言うと、またルカがボソボソ小声で言い始めた。
「——漁師ねぇ。このあたりの海を荒らしまくっている海賊一家を、漁師と呼ぶのには抵抗がありますよ……しかも、もう国と言っていい規模ですし」
「ん? 漁師がなんだって?」
「こちらの話です、お気になさらず。とにかく、あなたは聖女様が、お好きなんでしょう?」
「うっ、それは……」
ルカが探るような目でこちらを見てくるので、思わず目をそらしてしまう。
困ったな……上手く答えられない。
好きか嫌いかで言えば——たぶん好きなんだと思う。
金色の髪はいつもさらさらで、すごくいい匂いがする。
キリッとした顔もいいんだが、たまにうつむいて、何かをぼんやり考えているときは、ついつい見入ってしまう。
だけど——。
向こうは俺のことを嫌ってる。
これはもう、間違いない事実だ。
悲しい現実……ってやつ。
急に気分が落ち込んできた俺のことなど無視して、ルカが楽しげに言ってくる。
「勇者殿に、そのような顔をさせるなんて、リリアンヌ様も罪な御方ですねぇ。戦場での決死の婚約破棄もスルーされたのですから、ここは一度、婚約だけを破棄すればいいのです」
「婚約だけ?」
「ええ。婚約は破棄する。そのうえで、改めてリリアンヌ様に交際を申し込めばいい。婚約者としてではなく、ただ一人の男として、気持ちを伝えればいいのです」
「そんなことして、いいのか?」
「いいんですよ。どうせリリアンヌ様と別れたら、後悔と未練で冴えない人生を送ることになるんですから。勇者殿はそういうタイプですよ」
イケメンに、そうきっぱり言われると反論できない。
そうかな?と思ってしまう。
「だが親父がなんと言うか……」
「ファザコン勇者ですか。あなたらしい。クククッ」
ルカは、いい笑顔でうなずいている。
「親父殿の反対だけで、好きな女を諦めるというのは男として、どうなんでしょうね? それで立派な漁師と言えるんでしょうか?」
「立派な漁師……か」
そう言われると弱い。
俺は一度、深呼吸してから腹を決めた。
「そうだな、お前の言う通りだ。俺も最後に一回、1人の漁師として、リリアンヌ様に気持ちを伝えてみるよ」
「ええ、ええ。それがいいです。頑張ってください」
俺はルカに、アドバイスの礼を言ってから教会を出た。
どうせ断られる。
けれど、故郷に帰れば、もうリリアンヌ様に会うこともできない。
だったら、旅の記念に一度くらい、自分の正直な気持ちを伝えたい。
俺はそう考えて、この後どうするかを考え始めた。
※※※
勇者が教会から去るのを見送った後、ルカはため息をついた。
「まさかこんなことになるとは……」
神父ルカ・ヴェイル。それは仮の名であり、彼はリリアンヌの王国と敵対する帝国の工作員だった。
細かい事情は山ほどあるが、要するにルカは、勇者フィンが魔王を倒すと困る立場にいた。
神父として勇者一行に潜り込み、あの手この手で旅を遅らせてきたのも、そのためだ。
けれど今、少しだけ予定が変わった。
フィンが聖女リリアンヌに心を奪われ、魔王討伐どころではなくなるなら、それはそれで帝国にとって都合がいい。
「勇者殿は、自分のお父上が海賊王だとも思っていないようですし……少し抜けたところが、勇者殿らしいですね」
ルカは教会の入口を眺めて、ふっと笑った。
「本来ならすぐ帝国に報告すべきですが、私にこっそり回復魔法をかけてくれていましたからねぇ。少しだけ、時間の余裕をあげましょうか」
ルカは綺麗な顔をくしゃっとさせて、ころころと朗らかに笑った。
※※※
「困ったな……こんな廃村にリリアンヌ様を呼び出せるような場所がないぞ」
廃村の家々は半分以上が崩れているし、広場は瓦礫と砂ぼこりでいっぱいだ。
まだまともに二人で話せそうな荒れていない場所といえば、崩れそうになりながらも、原型を保っている教会の裏手にある墓地くらいだった。
「しょうがない、墓地にするか……」
俺は従者にリリアンヌ様に手紙を渡してもらうことにした。
そして、墓地でリリアンヌ様を待った。
しばらくすると、リリアンヌ様がやって来た。
長い金色の髪が、夕方の光を受けて淡く輝いている。
今日はあれだけ魔王と戦ったというのに、顔に疲れはなかった。
ただ、表情は険しい。
あたりを見回しながら、不審そうに眉を寄せている。
俺は軽く手を挙げて、声をかけた。
「リリアンヌ様! こちらです!」
リリアンヌ様が、すぐにこちらに気づいた。
しかし近づいてはこない。胸の前で腕を組み、顔を横へプイッと向けた。
もしかして、機嫌悪い?
なんか怒ってるな。
俺は慌てて駆け寄った。
「リリアンヌ様、なにかご不満でも?」
俺がそういうとリリアンヌ様から、冷たい視線を返されてしまった。
それでも俺の目線はつい、優美なカーブを描く、長いまつ毛に引き寄せられてしまう。
「フィン様、なにかご不満でも?ではありませんわ。なぜ私が墓地に呼び出されなくてはならないのです?」
「すいません……他に場所がなくて。ここはまだ瓦礫もないですし」
リリアンヌ様は、ちらりと周囲を見渡してから、なにかぶつぶつと言っている。
「初めてフィン様から呼び出されたと思ったら墓場なんて……コホン、まあ事情は分かりましたわ」
納得はしていないが、怒りは収めてくれたらしい。よかった。
「それで、何事ですの?」
一度、スルーされている婚約破棄を、もう一度持ち出すのは気まずいが仕方ない。
「——魔王と戦ってた時にも言ったが、実は俺との婚約を破棄して欲しいんだ」
リリアンヌ様の眉がぴくりと動いた。
「まだ、そんなことを言っているのですか? そんなこと、できるわけがないでしょう? 私たちの婚約は国王陛下の命によってなされたものです。私たちだけで解消できるものではないのです」
「分かってる。だがこちらも事情があって……俺の親父に、リリアンヌ様との婚約を反対されてしまったんだ」
「まあ、フィン様のお父様に?」
リリアンヌ様の声色が一瞬で変わった。こちらの事情を詳しく話せば、リリアンヌ様も分かってくれるかもしれない。
「俺も知らなかったんだけど、俺の家とリリアンヌ様の家は、あまり仲が良くないみたいなんだ」
リリアンヌ様が黙り込んだ。
その顔から、さっきまであった不機嫌さを含んだ感情が消えている。
その厳しさをはらんだ表情は、リリアンヌ様がハイクラスの魔法の呪文を唱えているときに似ている。
真剣なその表情に、俺は息を止めたまま見つめるしかなかった。
※※※
そのとき、フィンの目の前で沈黙していた聖女リリアンヌは、必死に考えていた。
考えているのは、息を詰めて自分を見つめている青年、勇者フィンのことだ。
リリアンヌは今でも覚えている。
王宮の中庭で、彼が勇者の剣を軽々と引き抜いた瞬間を。
無造作に銀髪を束ねた青年が、岩から剣を引き抜き、高く掲げる。その姿を見た瞬間、リリアンヌの胸に稲妻が落ちた。
勇者誕生の騒ぎのあと、聖女であり王女であるリリアンヌは、フィンと婚約することになった。
その場では必死に冷静さを装っていたが、本当は踊り出したいくらい嬉しかった。
そんなフィンに、魔王と戦っている最中、突然婚約破棄を申し出られた。
あのときはショックのあまり思考が止まり、無視するしかなかった。
フィンには他に好きな女性がいるのかもしれない。そんなことまで考えて、知らない誰かに嫉妬すらした。
だが、そうではなかった。
フィンが婚約破棄を持ち出したのは、父親が反対したからなのだ。
正直、王国の辺境に住む漁師の反対など、王女としては大きな問題ではない。
けれど、その漁師がフィンの父親なら話は変わる。
フィンの妻になる者として、決して軽んじていい相手ではない。
(フィン様のお父様なら、私にとっても義理のお父様となられる御方。下手な対応は……できませんわね)
王国や教会の意向も大事だが、なによりフィンに嫌われたくない。
リリアンヌは決心した。
(ここは一旦、フィン様の言う通りに、二人の間では婚約を白紙に戻しておきましょう。正式な手続きは後になりますが、婚約は家と家のつながりでもあります。魔王討伐後、フィン様のお父様に結婚のご承諾をいただきにまいりましょう。そして今度こそ、婚約を勝ち取るのです!)
リリアンヌは居住まいを正し、優雅にフィンへと微笑みかけた。
「フィン様のお父様のご心配なさるお気持ち、理解できますわ。正式な手続きは後になりますが、私たちの間では一旦、婚約は白紙に戻しましょう」
※※※
「一旦、婚約は白紙に戻しましょう」
リリアンヌ様が、そう言ってくれて俺は心底、安堵した。
だが問題はここからだ。
彼女に俺の気持ちを伝えなくてはいけない。
だが、どうやって?
村にも若い女性はたくさんいたが、漁師が多い。漁師をやっていなくても、漁に関わる仕事を皆、やっている。
正直、リリアンヌ様の強さは、村の女性たちに比べると、ほどほどだろうか。
村の女性たちは、強い漁師たちに夢中で、俺なんか相手にされなかった。
だから、恋人もいなかったし、愛の告白とやらも、したことがない。
もっと、兄貴分の漁師たちの話を聞いておけばよかった……。
いや、ルカが言っていたな。
壁ドンでもすればいいと。
うちの村では壁ドンは禁止されている。
以前、村の中で壁ドンをした漁師がいた。そのせいで腕をついた家は全壊し、余波で周囲の家も倒れ、村の中に瓦礫でできた一本道ができてしまった。
その一本道の端にあったのが、俺の住んでいた独り者の漁師向け宿舎だった。
たまたま壁際にいた俺がなんとか衝撃を止めたので、宿舎の先にある家は破壊されずに済んだが、あれは間一髪で、本当に危なかった。
そんなことがあって、村長でもある親父は、村の中での壁ドン禁止令を敷いた。
ただ、若い漁師たちは納得しなかった。誰もが一度は壁ドンをしてみたかったのだ。
そこで親父は、近くの鉱山の斜面なら壁ドンをしてもいい、ということにした。
力の余った若い漁師たちの壁ドンで、鉱山を採掘しようと考えたのだ。
この親父の考えは上手くいき、若い漁師たちも壁ドンができて満足、親父たちも鉱山の採掘の手間が省けて満足となった。
さすが親父だ。
壁ドンすら、村のために役立ててしまう。
それほどの被害が壁ドンで出るはずなのに、王国では禁止されていないというのが不思議だ。
だが、ここはすでに魔王に破壊された廃村だ。多少の被害は出てもいいということなんだろう。
とはいえ、壁ドンには壁が必要だ。
ここは墓地だし、壁は教会の壁しかない。そこまでは少し距離がある。
なら、壁ドンなしで告白しよう。
リリアンヌ様の前に立って、お慕い申し上げていますとはっきり言う。
漁師の根性を見せるんだ。
きっとリリアンヌ様には、嫌がられるか、拒絶されるかになると思う。
だが、俺は告白した後は、村に帰るつもりだ。
魔王を倒しきれなかったのは心残りだが、倒してしまうと、リリアンヌ様は俺とまた婚約しなくてはいけなくなる。
他の国も勇者を探していると聞く。
きっと魔王は、他の立派な勇者が倒してくれるだろう。
「よし、いくぞ!」
「フィン様? 今からお出かけするのですか?」
俺は両手で頬を叩いて気合を入れた。そしてリリアンヌ様へと一歩、歩み寄った。
俺の方を訝しげに見ていたリリアンヌ様が、俺が一歩近づくのに合わせて、一歩、下がった。
「フィン様、なんですの?」
リリアンヌ様の顔が緊張している。頬が赤くなっているから、もしかして近寄りすぎて激怒されているのかもしれない。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
俺は覚悟を決めて、もう一歩進んだ。
「フィ、フィン様?」
リリアンヌ様が、また一歩下がる。
リリアンヌ様の顔は、ますます赤くなっている。
俺は気にせず、さらに一歩近づいた。
するとリリアンヌ様も、さらに下がった。
俺が一歩出る。
リリアンヌ様が一歩下がる。
俺がまた一歩出る。
リリアンヌ様も、また下がる。
妙な緊張感があたりに漂い、俺もリリアンヌ様も無言のまま時は過ぎ——
「「あっ!」」
——リリアンヌ様の背中が教会の壁にトンッと当たった。
「な、なんですの?フィン様、魔王にでも魅入られましたか?」
リリアンヌ様が何か言っているが、目の前の彼女の可愛さに緊張しまくっていて、耳を素通りしてしまう。
可愛い!可愛すぎる!
こんなにリリアンヌ様を近くで見たのは初めてだ。
つぶらな瞳……長いまつ毛……陶器のような肌……。
それに、この状況。
壁だ、壁があるっ!
これは、この教会に祀られた女神様の采配ではないだろうか?
きっと、哀れな俺に、壁ドンをして華麗に砕け散れと、そう激を飛ばして下さっているに違いない!
「女神ぁー! ありがとうございますっ!」
「えっ? 女神様? えっ?」
戸惑うリリアンヌ様は、それはもう可愛らしく、今まで見たこともない表情をされている。
顔が真っ赤になられて、かなりお怒りのご様子だが、ここまで来て止めることはできない。
「うおおおお!」
俺は気合を入れて、両手を大きく上げた。
それを見たリリアンヌ様の目が、大きく見開かれる。
そして、リリアンヌ様の体から神々しい、黄金の輝きが溢れ出した。
俺はその眩い輝きに負けじと両手を振り下ろし、リリアンヌ様の顔の横の壁に手をつこうとした。
「リリアンヌ様、好きですー!」
「わ、わたくしも、す、すきぃー!」
「えっ?」
リリアンヌ様が何かを口走っているが、緊張しているせいか、よく聞こえない。
そして、俺の手が教会の壁につくのと同時に、リリアンヌ様がするりと俺に抱きついてきたのだ!
「!?」
そして、リリアンヌ様の放っていた輝きが俺の体に流れ込んできた。この温かい、力が体の底から沸き上がる感じ。これは……。
「こ、これは……神聖魔法奥義、最強のバフ魔法……『女神の微笑み』」
リリアンヌ様から溢れ出る『女神の微笑み』の輝きは俺の腕へと流れ、教会の壁に当たっている俺の手へとたどり着いた。
——ピシピシピシ
教会の壁に俺の手を伝って、黄金色に輝く亀裂が走る。
そして——
——ゴゴゴゴゴゴッ!
教会が内側から眩い光を放ちながら、崩れ落ち始めた。
教会のてっぺんに備え付けられた古い鐘は崩壊に合わせるように、ガラン、ゴロン、ガランと高らかに鳴り響く。
「キャアー!」
「リリアンヌ様ッ!」
俺がリリアンヌ様を教会の崩壊から守ろうと抱きしめている間に、教会は崩れながら、俺たちがいる場所の反対側へと倒れていった。
——ドシャーン!ガガガガッ!
倒れた教会は道を挟んで建っていた廃屋を次々と押し潰していく。廃屋はさらに隣の廃屋へと倒れ込み、それがまた別の廃屋を巻き込み、村中に土埃と鈍い破壊音が響く。
破壊の連鎖は村を囲っていた貧相な石垣にまで届き、一瞬にして、まとめて崩れ落ちた。
その崩れた石垣の下の地面に亀裂が走った。
——ゴゴゴッ!メキッ、メキメキッ!
大地が割れる音がし、亀裂はそのまま村の外へ走っていく。
乾いた荒野を割り、大岩を砕き、丘を越え、しばらくすると遠くに連なる山の腹にまで届いた。
さすがにそこで止まるかと思ったが、リリアンヌ様の渾身の『女神の微笑み』は、甘くはなかった。
山の一部が、まるで巨大な刃で切られたように裂け、鋭い谷を作っていく。
そのころになって、村にいた護衛の兵士や神官たちが飛び出してきた。
「敵襲か!?」
「魔王軍が攻めてきたのか!」
「ああ、女神様、お守りください……」
村の中は、戦闘態勢をとる者や、恐怖のあまり、その場で座り込んでしまう者などで騒然としてきた。
そんな中——
「もうしわけ……ございません……私、我を忘れてしまい……魔法が勝手に……」
俺の腕の中で、リリアンヌ様が恥じらいを見せながら、なにか言っている。だが、それに答えている余裕は俺にはなかった。
亀裂の入った山のその向こう、かなり離れたその先。
雷が弾けるような音に合わせて、背筋の凍るような叫び声が聞こえたからだ。
それは聞く者の心臓を直接掴んで、握りつぶしてくるような叫び声だった。
『グオオオオオオオオオオッーー!!』
地響きのような声が長く続き、それがようやく途絶えた時、俺はあることに気がついた。
「ん? 魔王の波動が……消えている……?」
俺の言葉に、それまでしがみついていたリリアンヌ様も、ハッとした顔をした。
「……! 本当ですわ! 魔王の邪悪な魂が……消えております!」
思わぬことに、思わず抱き合ったまま見つめ合う形のまま唖然としていると、元教会だった瓦礫から、ヒョコっとルカが顔をのぞかせた。
「これはこれは……お邪魔しちゃってすいません。ですが先程の不気味な叫び声は、なんだろうと思いましてね」
俺とリリアンヌ様は、飛び跳ねるようにして互いに離れた。
そんな俺達を気にもせず、ルカはスタスタと事務的に近づいてきた。
いつもなら軽口のひとつくらいは叩くのに、ルカの表情は深刻だ。
「魔王領に入ってから、ずっと感じていた邪悪な波動が、先ほどから感じられないんですよ。どういうことでしょうか?」
俺とリリアンヌ様は顔を見合わせ、うなずき合って、ルカに重大な事実を明かすことにした。
「神父、実はな、魔王の波動が消えたんだ。魔王はもう、消滅していると思う」
「まさか! そんなことが……」
「神父、本当ですわよ。私も魔王の魂の消滅を感じ取りましたの。もう、魔王はこの世界にいませんわ」
「聖女様まで……では、魔王の消滅は事実なのですね……いったい、なぜ魔王は消滅してしまったんでしょう? それに、この村の建物の崩壊、地面の亀裂が入って、山まで割れたようになっているのは、なにが起こったんです?」
「ああ、それは俺が壁——」
「な、なんでもありませんわ! きっと魔王が消滅したせいです!」
一瞬の沈黙が落ちた。
ルカは俺と、教会の壁だったものをチラリと見て、小さくうなずき、なぜか憐れむような視線を寄越した。
「きっと聖女様のおっしゃるとおりなのでしょう。ですが、私は役目として魔王が本当に消滅したのか、確認せねばなりません」
リリアンヌ様もそれに続いた。
「私もすぐに、お父様、いえ国王陛下と教会へ、報告の手紙を書かなければなりませんわ」
さっきまで頬を真っ赤にして、目を潤ませて俺に怒っていたリリアンヌ様だったが、今は完全に王女、そして聖女の顔に戻っている。
「では、私は急ぎますので……」
リリアンヌ様はそう言って歩き出しかけたが、ふと足を止めた。
そして、ほんの少しだけ振り返る。
「フィン様。その……報告が終わりましたら、必ず戻ってまいります。先ほどの件も、きちんとお話ししなくてはなりませんから」
「先ほどの件?」
「なんでもありませんわ! とにかく、またあとで!」
ルカとリリアンヌ様はそう言うと、サッサと墓地から出ていってしまった。
俺は——ぽつんと墓地に残されてしまった。
※※※
ルカとリリアンヌ様が去った墓地は、妙に静けさを感じさせてくれる。
「さて、これからどうする……どうも魔王の奴、俺の壁ドンで消滅してしまったみたいだしな」
魔王と直接、戦ったことがあるので、その強さは理解している。
俺の壁ドンでアイツを倒せるはずがない。
リリアンヌ様の神聖魔法『女神の微笑み』が俺の壁ドンに乗って、魔王を消滅させたのだ。
「本当の勇者は、リリアンヌ様だったってことだな……」
魔王消滅の知らせを聞いたのだろう。教会の近くで、仲間たちが騒いでいるのが聞こえる。
「魔王の気配が……消えた? まさか、本当に……?」
「すごいにゃん! 魔王も消えたけど、この村もなくなってるにゃん!」
「うっす! うっす!」
ランスロットの張りのある声、マリンにゃんの跳ねるような声、ブッチャーの妙に景気のいい声が、瓦礫の向こうから入り混じって聞こえてきた。
その楽しげな声を聞くと、なんだか逆に寂しくなってきた。
「俺はやはり……村に帰ろう。リリアンヌ様にも、気持ちを伝えられた。最後に抱きつかれたのは、漁師が素手でやり合うときのタックルみたいなものだろう。あれだけのハイレベルなバフ魔法で威力を底上げしても、俺に対してはまったく効かなかったが、拒絶の意志だけは痛いほど伝わってきた……」
皆が騒いでいる間に、こっそり村を出ようと歩き出した。その時、ふと崩れた教会の方に目をやると、祀られていた女神像と目が合った気がした。
女神像は俺の壁ドンのせいで、土台が傾いており、今にも倒れそうになっている。
「……とりあえず、女神様の像だけは直していこう。俺のせいだしな」
俺は、崩れた教会の方へ歩き出した。
村に帰ったら、まず村特産のエールが飲みたい。
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