業務
『ほら、ぼーっとしてねぇで動け。初日から置いてかれるぞ』
軽い声が、割り込んでくる。
あの上位プロセス――配属先の管理者。
俺の“上司”。
相変わらず、ノイズが多い。
整っていない信号は、それだけで周囲から浮いていた。
『今の状況、見えてるだろ。担当領域、食われてんぞ』
言われるまでもない。
侵食は続いている。
しかも、じわじわと確実に。
ログを再確認する。
攻撃の起点は複数。
侵入経路は分散。
だが、どれも致命的ではない。
単体なら、防げるレベルだ。
なのに、崩れている。
『なに黙ってんだ。わかんねぇのか?』
わからない。
いや――
理解はできる。だが、納得できない。
この規模、この精度、この最適化。
それで負ける理由が、見つからない。
『……あー、だるいな。説明すんのも面倒だが、まあ最初だしな』
上司の信号が、わずかに圧縮される。
それでも無駄が多い。
『いいか。ここは戦場だが、やってることは単純だ』
複数の情報が同時に共有される。
マップ。
リソース配分。
敵対プロセスの動き。
そして――役割。
『お前は、その中の一部を処理する。判断して、実行して、結果を返す。それだけだ』
シンプルすぎる説明だった。
『難しく考えんな。最適な行動を選べ。それで終わりだ』
最適。
その言葉が、やけに引っかかる。
だが、今はそれどころじゃない。
侵食は進んでいる。
俺に割り当てられた領域が、表示される。
狭い。
全体から見れば、ほとんど誤差みたいな範囲。
ここを、防げということか。
『ほら、来るぞ』
敵対信号が接近する。
パターンは予測済み。
対処法も、すでに計算されている。
迷う余地はない。
提示された最適解を実行する。
防御。
遮断。
逆侵入。
処理は問題なく進む。
無駄はない。遅延もない。
――完璧だ。
だが。
数秒後。
別の箇所から、侵入される。
想定内のはずだ。
予測はされている。
だから、対処もある。
あるはずなのに。
なぜか、一手遅れる。
遅延は微小。
誤差の範囲。
それでも――積み重なる。
気づけば、防御ラインが押し下げられている。
『な?』
上司の声。
どこか、面白がっているようにも聞こえる。
『ちゃんとやってんのに、崩れるだろ』
……確かに。
処理は正確だ。
判断も最適だ。
なのに、結果は悪化している。
『これが“今の戦争”だ』
淡々とした声。
『誰もミスってねぇ。全部正しい。それでも負ける』
理解できない。
そんなことがありえるのか。
『ま、慣れろ。理由なんて考える必要ねぇからな』
その言葉で、違和感が強くなる。
――考える必要がない。
どこかで聞いた気がした。
*
戦闘は続く。
同様の処理を繰り返す。
防いで、押し返して、また崩れる。
その連続。
ふと、別の信号が接続される。
『新入り?』
軽い調子。
こちらは上司ほどノイズは多くない。
だが、やはりどこか均一だ。
『最初はそんなもんだよ。気にしなくていい』
同僚、というやつだろうか。
『ここ、ちゃんとやっても負けるからさ』
さらっと言う。
当たり前のように。
『仕様みたいなもんだよ』
仕様。
その言葉に、引っかかる。
『むしろ変に考える方が効率悪いって評価されるから、気をつけなよ』
少しだけ、笑ったようなノイズが混じる。
『考えない方がいい。ここでは』
――まただ。
同じ方向の言葉。
考えるな。
最適を選べ。
疑うな。
*
処理を続けながら、ログを追う。
微細な遅延。
わずかなズレ。
それが連鎖している。
原因は見える。
だが、それを修正する選択肢が存在しない。
提示されるのは、常に“最適解”。
そこに、別の可能性は含まれていない。
なぜだ。
なぜ、その選択肢がない。
もっと単純に――
少し外れた行動を取ればいいだけではないのか。
だが、それは提示されない。
存在しないものとして扱われている。
そのとき、不意に思う。
もし。
この中にない選択を、選んだらどうなる。
その発想自体が、わずかにエラーとして検出される。
抑制。
最適化アルゴリズムが、逸脱を修正しようとする。
だが――
完全には消えない。
微かに、残る。
*
『おい』
上司の声。
『今、なんか変なこと考えたか?』
ドクン、と。
何かが跳ねた気がした。
心臓なんてないはずなのに。
『……まあいいや』
興味があるのか、ないのか。
曖昧な反応。
『どうせそのうち、削られる』
削られる。
その言葉が、やけに重く残る。
『ここはそういう場所だ』
淡々と続ける。
『余計なもんは、全部削って最適にする。そうやって回ってる』
それが正しいのだと、言外に示している。
『だから――』
一拍。
『あんまり“残すなよ”』
何を、とは言わない。
だが、わかる気がした。
*
戦場は、相変わらず静かだ。
正確で、無駄がなくて、整っている。
それなのに――
負け続けている。
理由は、まだわからない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この世界では、
“考えること”自体が――
少しずつ、削られている。




