第三十話:知らない匂いは、事件である
世界は、
匂いで出来ている。
だから分かる。
その日、
家の匂いが、
ほんの少しだけ歪んだ。
扉は閉まっている。
窓も、いつも通りだ。
それなのに、
外の匂いが混じっている。
新しい。
細い。
震えている。
これは、
事件だ。
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――飼い主視点――
玄関で、
少し迷っていた。
段ボール箱。
中から、小さな音。
拾ってしまった、
というより、
拾わざるを得なかった。
「……どうしよう」
視線の先には、
ミケがいる。
静かに、
こちらを見ている。
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――ミケ視点――
箱。
知らない箱。
だが、
ただの箱ではない。
中に、
生命の気配がある。
俺は、
一歩も動かない。
この距離は、
保留だ。
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――飼い主視点――
「ミケ、
ちょっとね……」
説明は、
いつも後付けだ。
箱を、
床に置く。
小さな鳴き声。
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――ミケ視点――
鳴いた。
高い。
割れやすい音。
未完成だ。
世界を、
まだ知らない声。
俺は、
目を細める。
これは敵ではない。
だが、
無害でもない。
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――飼い主視点――
そっと、
箱を開ける。
小さい。
思っていたより、
ずっと。
「大丈夫だよ」
誰に言ったのか、
分からない言葉。
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――ミケ視点――
見えた。
三色ではない。
俺とは違う模様。
震えている。
匂いが、
弱い。
俺は、
一歩、
後ろに下がる。
近づくのは、
まだ早い。
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――飼い主視点――
ミケが、
下がった。
怒ってはいない。
でも、
戸惑っている。
それが、
一番分かる。
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――ミケ視点――
この家は、
俺が知っている。
すべての音。
すべての影。
だが、
この匂いは、
地図にない。
世界地図が、
書き換えられようとしている。
俺は、
拒否しない。
だが、
許可も出さない。
保留。
それが、
最初の判断だ。
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――飼い主視点――
「今日は、
別の部屋で……」
隔離。
必要な措置。
それでも、
胸が痛む。
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――ミケ視点――
扉が閉まる。
匂いは、
完全には消えない。
消えない、
ということは、
続く、
ということだ。
俺は、
自分の場所に戻る。
だが、
眠れない。
世界が、
一段階、
増えたからだ。
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夜。
静かな家。
だが、
奥の部屋から、
かすかな音。
生きている証拠。
俺は、
聞いている。
聞いているだけだ。
知らない匂いは、
事件だ。
だが、
事件は、
いつか日常になる。
それを決めるのは、
時間と、
距離と、
俺だ。
世界征服とは、
世界が増えることに、
慣れることでもある。
ミケは、
まだ動かない。
だが、
もう一つの世界を、
確かに認識した。
今夜、
この家は、
二匹分の未来を持っている。




