目覚め
仕事部屋。
ストーブからパチパチと心地良い音が響く。
これを聞くと少しほっとする。
エマと二人。おしゃべりする時間はなかった。
エマがエドガー様を呪った術式を解く傍らで、私は古代文字をハンカチに刺繍していた。
一針一針、思いを込めて。念じながら。
呪いを解かなければ、エドガー様は目覚めない。
呪いを解く方法を見つけ出さなければ、ラウルはこのまま……。
不安がまた襲ってくる。
小さなため息が聞こえた。
「ノエル、休憩にしよう。焦ってはだめ。お茶、淹れて」
手元の針が止まっていた。
「待って。ストーブに薪を足すのが先」
火室を確認して、そっと扉を閉める。
エマが手を貸してくれたのは、リシャール様が好きな場所へ連れて行くと約束してくれたから。
それでもいい。
「歌劇に、美術館、カフェ……図書館もね」
私だって行きたい。もちろんラウルを連れて。
どんなに楽しいだろう。考えるだけで、胸が躍る。
外出を止める伯母も従妹もいない。
人に見られるのをためらっていた金目も、今では、私の誇りだ。
「エマ、ありがとう」
また? というエマのあきれ顔。もう何度お礼を言ったことか。
私ではとても成し遂げられない。エマの存在がありがたかった。
お茶を流し込み、針山に手を伸ばした。
エドガー様の私室へ入れてもらった。
じっと寝顔を見ていると、涙がこぼれる。
苦しそうに、眉間に皺を寄せている。
ずっと手を握っていたかった。
あなた様ならきっと私にそうしてくれたでしょう。
望まれるなら、毎夜、二人きりで夜空を眺めてもいいとさえ思ったこともある。
そんな幸せもあると。
結末はひとつじゃないと。
でも、そんな自分にもはっきりとわからない、曖昧な気持ちが、目の前に眠るこの方を不安にさせた。
『待つ』と言う言葉に、ずっと甘えてしまった。
保護区から離れに戻った時、私はすぐにエドガー様へ教えなかった。
あの時。
私はエドガー様よりラウルを選んでいたんだ。
たとえ、ラウルへの気持ちが報われないとしても。
今でもエドガー様は、私にとって、とても大事な人。
命を差出せと言われたら、迷うことはないくらいに。
冷たい頬に触れた。
一瞬、穏やかになる。
枕の下に、ハンカチを差し入れた。
「お目覚めまで、もう少しだけ時間をくださいね」
仕事部屋にこもり、ひと月。
エマがふいに立ち上がり、ふらりとソファに倒れ込んだ。
「……出来た……」
「見せて!」
机の上に広げられた羊皮紙に、呪いを打ち消す魔法陣が、びっしりと書き込まれていた。
「それを、エドガーの心臓の上に置いて。近しい者の魔力を流し続ければ、じき目覚める」
エマは兄リシャール様の魔力とは言わなかった。
私には魔力ではない力がある。それを使えば……。
「ラウル。もう少しで外に出られるよ」
石に口づけた。
封印されたラウルもまた、眠リ続けているようだった。
石を毎日、ストーブの火室に入れる。
薪には特別な古代文字を刻んである。
古来の呪いなら、焼き払う方法もあるとエマから聞いたからだ。
出来る事は全てやると決めていた。
熱くなっても湯たんぽには使わない。熱が冷めるまでは机の上に。
巾着に入れ、常に身につけていた。そして話しかけた。
「ラウル。今日はいつもよりはかどったよ」
返事はない。
「今日も平熱だね」
二日ほど前から、石は人肌ほどの温かさを保つようになった。
それに気づいたとき、クリスタ様の部屋へ、すぐに知らせに飛んで行った。
もうどちらが母親かわからないと言われたが、つい笑みがこぼれた。
――そして。
エマの魔法陣がエドガー様の心臓の真上に置かれた。
「ノエル。頑張って」
エマも人形に入って、王宮に来ていた。
ベッドの脇に座り、冷たいエドガー様の手を両手で包み込む。
「ーー!!」
私の指先が白くなっていく。痛いほどの冷気が伝わってきた。
感覚を失い、思わず手を離しそうになる。
今度はぎゅっと握りしめた。
負けない。
声に出さないように歌う。
これが私の力だ。
冷気が外に押し出され、空気に消えていく。そして指先がポワンと暖まる。その熱をエドガー様に移す。
それは三日三晩続いた。
睡魔と疲れに朦朧としても、歌い続け、決してエドガー様の手を離さなかった。
エドガー様が穏やかに寝息を立て始めると、ビリっと体を電気が走った。
ラウルからの合図だ!!
解術が進んでいる!!
あと少し!!
そこで、とうとう私の意識が薄れた。
目が覚めると、王宮で使っていた部屋に寝かされていた。
「ノエル……」
振り向くと、やつれたエドガー様が座っていた。
「エドガー様はまだお休みに……」
言い終わる前に、抱きしめられていた。
あんなにも安心して身をまかせていた腕の中は、今の私には息苦しい。
いつものようにポンポンと背をたたく。
離してくれない。
耳元で少しかすれた、優しい声が聞こえる。
「ありがとう。ノエル。君のおかげで回復したよ」
枕の下に入れた古代文字は『忘れる』。
あの舞踏会の日のことを、完全ではないが記憶から消した。
リシャール様と相談して決めた。
本人にはリシャール様の放った魔法の後遺症で倒れたと伝えてある。
「ラウルはまた何処かに消えたの? 君を置いて仕事でもないだろう」
呆れた奴だと言って、このまま王宮に留まるように言われる。
任命式が行われたのは、うっすら覚えているようだ。
「家に戻ります」
「実家?」
行き先を伝えると、エドガー様はぱっと腕を離した。
驚いた表情で私を見る。
「お話したいことがあります」
石を強く握りしめた。




