浄化の乙女
シャルルは私を抱き上げたまま、どんなに頼んでも、もがいても下ろしてくれない。このまま任命式の会場まで行く気かしら。本人に知れたらただではすまないよ。
「お願いだから、下ろして」
「だめです。下ろした途端にエドガーがあなたをかっさらっていくからね」
「さらうなんて物騒な事言わないでよ」
「あなたはラウル様の奥様でしょう。他の男に指先でも触れさせることはできない」
「奥様? 違うわ。もう婚約者でもないよ。ラウルの身の潔白は証明されたけど、私には婚約者に戻れる資格はないし。急に立ち止まってどうしたの? 下ろすなら早くして」
まだ婚姻届けは出されていなかったのか。今度は資格って何? ノエルがまた訳のわからないことを言っている。
「クリスタ様をお義母様と呼んでいたから、もう届けが済んでいるのかと思っていました」
「嫁でも、養女でもないですけど、お母様とお呼びしていいと言ってくださったんです!」
そういうことだったのか。紛らわしい。母はノエルをとても気に入っていて、家に迎える日を楽しみにしていた。本当に婚約が破棄されたとしても手放したくなかったんだな。
石の中で聞いてはいたが僕は破棄を認めていない。最後の日まで僕の婚約者はノエルだ。それくらいは許されるだろう。
その日はもうじきやってくる。月が血の色に染まるその夜は最大限の魔力を行使できる。それまでに全魔力を戻す必要があるが、それもノエルや魔獣達のおかげで浄化がすすみ、あとは魔力を限界までため込むだけ。
「あのさ。結婚するのに、好き愛してるの他に必要なものってあるの? 資格試験はないよね」
「恋多きモテ猿さんにはなくても私にはあります。ラウルをどんなに好きで愛していても、信じ切れなかった自分が許せないんです」
ドサッ。
「痛い! 急に腕を離さないでよ。せっかくの高級ドレスが汚れたら、あなたに弁償してもらうからね。ねぇ、聞いてる?」
ノエルが僕を好きで愛してるって言った。言った。言った。……。今のは聞き間違えではない!
「僕もノエルを愛してる。すぐに教会に行こう」
「あなた、頭は大丈夫? これからラウルの魔術師長任命式じゃない。仕事しなさいよ」
「結婚式の方が僕には最重要。立会人は肉親なら一人でもいいんだっけ。母上に同行を願おう」
「この馬鹿お猿! マリエッタはどうするのよ。浮気は許さないわよ。それよりも子猿ちゃんに会った? 父親ならなおのことしっかりなさい」
そうだった。まだ本人だと伝えそびれていた。結婚式まで代理と思われたら困る。
「おいラウル、遅いから迎えに来てやったぞ。激甘バカップルが来たって聞いたけど、お前らだったか。で? 今は喧嘩中なの?」
盛装されたリシャール様はシャルル様とお呼びした方がいいのかしら。ふふ。シャルル同士仲良くしてくださいな。
「シャルル殿下、いいところに来てくださいました。このお馬鹿さんはお預けします。私はクリスタお母様と一緒に後ろから見ています」
「ノエルちゃん、ちょっと待って! 行っちゃったよ」
ノエルは別の馬車に乗ってやって来た母の元へさっさと行ってしまった。会場までエスコートすらできなかった。
「僕も何か気に障ることしたかな。あれには苦労するねえ」
リシャールに肩を叩かれた。慰めのつもりかも知れないが、勘違いさせたのはお前もだからな。
「エドガー。お前はすぐに戻れ。南塔の奴らが探していたぞ」
「兄上、ノエルを一人にできないし、大事な話があるんだ」
「エドガー。今は南塔の団長と第二王子の役目が優先。話なら後にしろ。ノエルちゃんにはクリスタ様がついている。問題ないな」
「わかりました。祝いの席も設けましたので楽しみにしてください。ではお先に」
エドガーは大人しく兄王子に従ってくれたが、ノエルに何を話す気だ。きっとろくでもない事だろうな。生真面目。そういう奴が思いつめると何をするかわからない。事と次第によってはノエルを渡すことなどできない。
彼女が手を添えていた左腕をさすると、感覚が少しだけ戻っていた。角を無くした腕の代わりにして魔術で動かしていた。何も感じていなかったのに今は薄い皮膚に被われ、体内に残る瘴気が血液となって流れ始めた。これで確信した。ノエルは自覚なしに触れたものを浄化している。
浄化は神業に近い。ノエルに魔力がないのでなく、別の力があるんだ。魔獣よけの銀の腕輪がなくても、触れることをためらってしまう、清らかな存在。ノエルは歴代の金目の乙女の中でも希有な存在<浄化の乙女>だ。
マリエッタがノエルの下着を離さなかったのは、人に戻ろうと本能で求めていたんだろう。長く肌に直接身につけていた下着だから、浄化の作用が働いたのではないか。あの時は笑ってごめん。着古しならなおさら効果が高かったんだろう。君の下着はあの赤い布とは正反対の性質をもった、いわば聖なる癒やしの布ってところかな。だからってもう絶対に盗ませはしない。
そういえばユーグ様の奥方も浄化魔法を得意としていたはずだ。あの人形は今はノエルが持っている。いずれ何の役に立つのだろうか。
「腕を再生したのか。超高難度の魔術だよな。さすがだよ」
「人と違って杖をつく魔獣はいないからな。怪我した魔獣の治癒も役割だから、僕には必須魔術なんだよ」
「エドガーが焦る気持ちもわかるよ。どうしたってお前には勝てない」
「種族が違うんだ。勝ち負けはないだろう。それより連れ出された魔獣の行き先がわかった」
「エドガーに妙な動きはなかったぞ。まだ足止めして見張るか?」
「もういい。本人に直接聞くだけさ」
あっ。母上がじっとこっちを睨んでいる。これはまずいな。今度こそ完璧にエスコートしてみせる。




