オーエン伯爵
洞窟の最奥。私の背の倍はあるかしらという大きな彫像の前に、よく知る人物が手にヤスリを持って立っていた。
「お父様はなぜここに? 国外に行くって私に嘘をついたの?」
「嘘なんかつくものか。ノエルのことは心配で会いたかったけど、あれが家に居るかと思うとねぇ」
国外の仕事を終えた後、家に帰らずに受けた次の仕事がここだった。
父セドリック・オベールの仕事は王立芸術院に勤める学芸員。事務方だったが人手不足で今では修復までこなす。
不在がちだが、普段から口も聞きたくない兄嫁に向って、私をメイド代わりに使うなと度々言ってくれた。おかげで伯母は父の居る時だけ図書館に行く事を許してくれた。不在中はその分こき使われたけどね。
「伯母様はご実家に戻られました。マリエッタも付いて行ったのかな~。とにかくスチュワートが待ってるから一度戻って来てね」
「わかった。一段落したら顔を見せるよ」
上司であるアダムス様と一緒にあちこちの国から呼ばれる。数ヶ月帰らないこともざら。国外の貴重な彫像も修復したら貸し出してもらえるので、芸術院はどこへでも派遣してしまう。
「ノエルはもうラウル君と式は挙げたんだよね。花嫁衣装が見られなくて、お父さん泣きそうだったよ」
そのわりには楽しそうにヤスリをかけてしていらっしゃいましたね。
式も結婚も取りやめになったと聞いて、ほっとしたような顔をされた。相手は魔爵。金目の乙女に不足のない相手だが、無理難題を押し着けられるのではと、父なりに心配していたという。まさか魔獣王になる方とは思いもしなかったのでしょうね。
クリスタ様が息子の代わりにと頭を下げられた。そして苦笑される。
「ごめんなさい。オベール男爵とは少しも気づかなかったわ。お顔を隠しているんだもの」
父がクリスタ様と会ったのは一度きり。あの時はお祖父様のお下がりでも、きちんとした服装で少しは貴族らしくしていた。今は小さな傷ひとつ見逃さないように魔術のかかった眼鏡とマスクをかけて顔が見えない。汚れた作業服の父に気づかなくても仕方ないです。
子爵のアダムス様はクリスタ様から差し入れを受け取り、エドガー様とも親しげにご挨拶している。父は少し緊張気味。下位貴族、それも棚ぼた襲爵ですからね。
「初めまして。オベール男爵。いえ、ノエルのお父上にこんなところでお会いできるとは僥倖。エドガー・ローランです。ノエル嬢とは、その…とても親しくさせていただいています」
あの兄を持つだけはあるわね。さりげなく主張なさる。
「第二王子のエドガー様ですよね。このような格好で失礼いたします。ノエルにこんなご友人がいるとは知らなかった」
「ええ。今はまだ友人ですが、近いうちに正式にご挨拶に伺います」
「挨拶など畏れ多い事です。それに当分仕事が終わりそうにない。数年はかかります。はっはっは」
お父様ったらエドガー様にずいぶんと失礼な態度をとるわね。そういえばラウルの時もなんだかんだ用事を作って避けていたっけ。
「ところでお父様達はここではどのようなお仕事をなさっているの?」
修復ってどこかしら。見た感じどこも直す必要はないように見える。
「この像だけはひび割れてからでは遅いんだ。よく観察して、割れそうな所を上から保護しておく。瘴気が漏れ出ては大変だからね」
魔術師でもあるアダムス様が特定して保護魔法をかける。父はその仕上げ。二重がけする事で結界がほどけるのを防ぐ。ものすごく根気のいる難しい作業だそうだ。
ないに等しいしょぼい魔力でも丁寧に時間をかければ、保護魔法を強化できる。父は私だけにこっそりとオベールの特殊な血が役に立っていると教えてくれた。
「ノエル。これが私の夫で、ラウルの父親。瘴気を取り込み過ぎた体が朽ちる前に自らここに入って封印したの。この中で生きてはいるわ。でももうここから出ることはないでしょう」
ラウルったら大好きだった父親の真似をして、石に入ったのよ。優しく彫像に触れるクリスタ様。伯爵の代わりを務め、保護区の運営もしている。なかなか会いには来られない。
「隣で話はできなくても、何が言いたいかわかるわ。少しくらい会えなくても大丈夫なのよ」
強いお方だ。私なんて石に向って毎日のように何か話せとか、出て来いって言っていた。
「王様だなんて言われているけど、ただ瘴気を取り込む器に過ぎない。あの子はこんな父親を見て、幼い頃からどうにかできないか悩んでいた。この世の人を全て消すことだって一度は考えたのよ。次の魔獣王。いもしない子のために自分が全てを背負えば良いって」
「まさか、そんな事を考えていたなんて。思い留まってくれて良かった」
「止めたのはあなたよ。本当にありがとう。あなたまで失うことはできないって。一人だけ生き残るなんて事、あなたはしないでしょう」
以前オーエン家の離れで、私に感謝してるっておっしゃったのはこの事だった。
「そうですね。違う方法を探すためにあの研究を?」
「あの子は詳しく言わなかったけど、古代魔術の中に何か見つけたみたい」
ラウルの悩みも苦しみも、何も知らなかった。ただ一緒にいたいだけではだめだった。会いたい。話を聞きたい。分かち合いたかった。でも目の前にいる人を傷つけてまで、<ここにはない場所>に行くことはできない。
「オーエン伯爵にお目にかかれて良かったです」
近くで見ると、目鼻立ちはラウルにそっくり。少しつり目で、高い鼻。口元はどことなく笑って見える。
声に出して挨拶しても伝わらないかと、すべすべの彫像に触れてみた。冷たい感触もラウルの入っていた石に似ていた。
『金目の乙女』
えっ? 今のはどこから? 頭の中で低い男性の声がした。もしかしてオーエン伯爵?
『初めまして。ノエル・オベールです』
『ラウルを。息子を止めて欲しい』
『ラウルが何かしようとしているのですか?』
『無に還そうとしている。止めてくれ』
無って、無よね。それはどういうこと?




