名を呼んで
投げ出された石は、地に着くたびに跳ね上がり、屋敷から少しでも遠くへ離れようとした。
『ほら。もう一本の腕もあげようか。それとも足? つま先はもう君に食べられちゃってないけどね』
『全部よ。指一本も残さずに全てをちょうだい』
ドロドロとした腕が伸ばされ僕の体をなぞる。触れられたところが溶けていく……。怖気がする。この感覚には慣れない。
『ちょっと失礼するよ』
エマの体に腕を突っ込んで記憶を探る。
やはり小さな家にノエルが来ていた。……お茶会? エマの楽しそうな様子は初めて見る。君も笑っているね。その笑顔は僕だけに見せて欲しい。そして二人で隠された屋敷へ向った。あの老いぼれの駄犬め。ノエルを古代の禁術で人形に変えたか。そんなもの!
「ラウル! 石を割るぞ。中からも頼む」
「何やってたんだ。遅いぞ! 内と外、同時に行く。3、2、1 !!!」
「良いもの持ってきてやったのに。うわぁ~」
爆発音がした。石は割れたはずだが、どうなったのか見えない。辺りが暗闇に包まれた。
結界を張って瘴気を避ける。闇の中、バチバチと光が弾けた。始まったな。さて、あいつの隠す正体を見てやろう。恐怖はない。絶対に救い出して、ネタにして笑ってやるさ。
***
外が急に暗くなった。今、雷が落ちたか。これは急がないと。人形の耳を塞ぎ、目が外に向かないように寝かせた。
「ノエルはここに入ってくれる? 落とさないから安心して」
柔らかな布にくるんでくれた。巾着に入れて運んでくれるみたい。
おっ~。これは心地いい。表地と裏地の間に綿を入れて、裏地は贅沢にシルクを使った。少しこすれて薄くなった部分もあるけど、この陶器の体も傷つかない仕様。自分が入るとは思わなかったけど、丁寧に仕上げて良かった。
急に体が揺すぶられた。もう落とさないって言っ……。
「あれ、元に戻っている?」
頭にエドガー様のハンカチが乗っている。
「ノエル!」
良かったと抱きしめてくれた。エドガー様のギュッは私を安心させるが、ポンポンと背を叩いた。早く石を追いかけたい。
「あいつが解術したのか。僕が解読して戻したかったのに」
「エドガー様」
もう一度ポンポン。まだ私をしっかりと抱いて離してくれない。また紐まで出してきました! それも前より太いし、短い。足元に転移魔法陣が現れる。待って!
「後生です。最後にもう一度だけラウルに会わせてください。ビンタの一発くらいお見舞いしないと!」
「何馬鹿なことを言ってるの。だめだ。僕はラウルと君を連れ帰ると約束した」
「それでもお願いします。もう二度と言いつけには背きませんから!」
窓の外を見てため息をつかれたが、何度もお願いしたら、渋々承知してくれた。遠目にだけだよと、紐を結わえたまま外に出る。仕方ありません。信用されるような良い子ちゃんではありませんでしたから。
遠くに大きな魔獣が見える。あれがラウル?
リシャール様がいくつもの魔法陣を展開させている。
「兄上、今はどのような状況ですか?」
「来ちゃったの? もう少し下がって。石を割った途端に瘴気がものすごい勢いで噴き出してきた。それを全部ラウルが吸い込んだ、と思う。で、僕はドロドロの彼女を奴から引き剥がして、地に還そうとしている。いや、天に還すのかな」
手に負えない。お前も手伝えとつながれた紐は一瞬で断ち切られた。そしてリシャール様は私が巻き込まれないように結界を張ってくれた。
「あいつに少しでも情があるなら、見ないでやってくれ」
もう見ちゃいました。ラウルと思われる魔獣は異様な姿だった。あなたが隠していたのはこれ? 驚きはしたけど、少しも怖いとも醜いとも思わなかった。
蛇、狼、猿、魚、カラス、ネズミ、隠れているのは鹿かな? 体中に浮き出た獣達が獰猛な口を開けて、ドロドロを飲み込んでいく。自分めがけて魔法を繰り出すラウル。飲み込みきれないドロドロが足元に溜まり、ラウルが沈んでいく。
「あの面は妬み、欲望、恐怖、絶望、殺意、裏切り。魔獣達が吐き出す瘴気を魔獣の王は全てを引き受けている。そうやって土に還し、まっさらな魂をもった魔獣が生れる」
まだ王でもないのに。マークスがつぶやく。ラウルから目が離せないのに、とても気になる。
「王様になるには、儀式とかあるんですが?」
「金目の乙女なら魂に刻まれてるだろう」
魂に。目をつぶって見た。何も浮かばない。
「兄上、魔法は効いてるはずなのに、埒が明かない」
「面をひとつづつ確実に潰すぞ。まず蛇からだ」
お二人が組み上げた巨大な魔法陣が頭上と足元に現れた。
『怖い。お願い、やめて』
女の子のすすり泣きが聞こえる。
『ずっと苦しかった。でも今の僕は幸せだよ。だってもう僕の代わりにエマが瘴気を吸ってくれる』
ラウルの甘い声が聞こえる。本音とは思えない。エマが言わせているに違いない。
『彼だけが私を救ってくれるの。そして彼も救いを求めていた。だからこのままにして。お願いだから、私達を消さないで』
許しを請うような涙声に耳を傾けてしまう。まやかしとわかっていても、エドガー様の魔法陣は発動することなく霧散した。
「馬鹿! もう一度行くぞ!!!」
攻撃すればするほどドロドロが増える。ラウルを助けようとしてるのに、悪意にとられているのかな。
ふと頭の中で優しい旋律が聞こえた。こんな状況なのに、自分でも驚くほど心が凪いだ。
『眠れ……眠れ……』
魔獣達がどんどん集まってくる。そしてドロドロを一口づつ飲み込むと、あくびをして寝転がる。
『眠れ……眠れ……』
ドロドロが固まってきた。
『眠れ……眠れ……』
あら、マークスも舟をこぎ始めた。最後にラウルの体に張り付いた獣達も口と目を閉じた。
『眠れ……眠れ……』
そうよ。みんないい子に安らかに眠って。
ラウルとエマの姿が少しづつ見えてきた。エマはまだラウルにすがりついている。いい加減に退いてよ!
『…呼んで。僕の名を呼んで』
かすかに聞こえたラウルの声。
「ラウル……違う。王の名はルーラー」
ラウルの姿が変わっていく。




