還る場所
森を抜け大きな湖に着いた。
ドガールは目を覚ますと袋の中で出せと暴れていたが、今は体を折り曲げ、恐怖で震えているのがわかる。もうこれは自分の手に負えない。これほどの狂気。瘴気の元を取り込めば結界を張った石でも一瞬で粉々だ。
魔獣に憧れ、誰よりも上に立とうとした痴れ者。地上に降り立った時から魔獣もこの世の一部でしかない。種族をまとめる者がいたとしても、空気や水と同じで上も下もない。動物だけじゃない。植物もだ。どれかひとつ欠けてもいけない。
地中に埋めたかったが穴を掘る力もなく、湖に入り袋ごと湖へ引きずり入れた。じきに深い水底へ沈み、二度と姿を現すことはない。
少し軽くなった体で湖面をゆらゆらと漂う。巾着の中にいるようだ。見上げた夜空に金色に輝く満月が浮かぶ。
指で笑った君の顔を描こうとしたけど案外難しい。
人の書いた神話と魔獣に伝わる口伝は少し違う。金目の乙女は月の女神の化身と教えられた。眠れ眠れと歌い、荒ぶる者を鎮め、疲れた者を癒やし、生きとし生けるもの全てに安らぎを与える。それも正直どこまでが本当かはわからないが、魔獣は金目の乙女が紡ぎ出す歌が好き。これは幾度も見た光景だ。
それを耳にしたら喧嘩をしていてもそこでお終い。あるものは遠吠えで仲間に耳を澄ませと知らせ、母魔獣は子にあれが何か教える。寝転がり腹を見せるものも多い。歌が終わってもしばらく皆、余韻に浸る。
でも僕の耳はいいはずなのに歌を聴いても効果がないのが残念。金目に生まれた全員が君みたいに純真無垢な魂を持っているとは限らないからね。本当に困ったもんだ。
糸が切れるまでここにいようか。魔獣達が生れた場所。そして終わる場所。どこで終わりを迎えてもここへ還る。やり残したことはあるが、きっと彼女が気づいてやり遂げてくれる。エドガーが手助けするだろう。
バシャバシャっと水音が静寂を破った。
「袋の中で暴れるなよ。面倒だ」
「殺せ。それとも、そんなこともできない弱虫か」
ほざけ。人は平気で同じ人も魔獣も動物も殺めるが、魔獣は人を殺めたリなどしない。穢れがたまったら魔力が使えなくなる。僕の望みを叶えるためのひとつの手段にはなるが、使いたくはない。
「何故だろうな。魔獣がお前を見ているぞ」
「それはどんな姿だ?」
「元はぶちの入った雌犬だ」
彷徨い歩くのは未練を残した魂。今にも消え入りそうな白い影がじっと袋を見つめている。
「そうか。追い払っておいてくれ」
聞いてやる義理はない。化け物になってもまだ乳が恋しいとは笑わせてくれる。無視した。
あれの近づく気配がした。母が寄越したのか二人仲良くお出ましには驚いたが、リシャールも可愛い弟に全て打ち明けたんだろう。もう戻らないと糸が切れかかっている。帽子もほどいて使おうとしたがそれは止めた。最後のプレゼントだけは手放せない。
「いたいた。おーい。もう色々ばれてんぞ」
「ばらしたのはお前だろう」
「ラウル、その姿は」
「エドガー、上手くやってくれたんだな」
「それが…」
「戻る」
隻腕となったラウルの影は石に吸い込まれていった。
「おい。人の話は最後まで聞けよ。ノエルはお前を追ってここの何処かにいるはずだ。探してくれ」
弱い光がエドガーの頭上で霧散した。
「さっきの団子はないのか?」
「兄上、あっても石では口にできないでしょう」
「こいつならわからんぞ。石のくせに茶は飲むし、酒は浴びるわのラウル様だぞ」
『くだらないことまでしゃべるな』
「おっ。やっぱ愛情印たっぷりの石に入ると違うね~」
『はぁ。北へ向って歩け。少し休ませろ』
切り落とした左腕がドロドロに溶けきるまではもう少し時間がかかりそうだ。その間は休める。
「ラウルは石の中で何をしているんだろう」
「さぁな。最後の伝言は『金目の乙女に会いに行く』だ。ノエルちゃんが罠にかけた犯人かと思ったが違った。他に金目の乙女がいるって事だな」
「他に伝言は?」
「七つの面を持つ魔獣が現れたら確実に仕留めろ。姿を変えて、泣いて命乞いしようが容赦するな」
これも渡されたと懐から出した紙には古代文字が書かれていた。灰になるまで焼き尽くしたら、ひとつかみでいいからこれにのせて欲しい。発動は自動。
「これはあの地下室からドガールを転移させた時にラウルが使っていた魔法陣と同じだと思う」
「ここは魔獣の墓場なのか? ここまで来る途中に見た影も、あそこにいる白い影からも生気は感じられない」
「こんな場所は神話にはなかった。でもさ、この湖は保護区にあるのと似ていない? 雰囲気はまるで違うけど」
「まるで合わせ鏡のようだな。ラウルは元いた場所に魔獣達を移しただけと言っていたが、生ある魔獣は保護区へ、たぶん命つきた魔獣ははここに送り込んでいたんだろう」
「ラウルが<ここにはない場所>を支配しているのかな」
「だとしたら似合わないことしてるよな。虫も殺さぬいい男代表。婚約者の手すら握れない奥手で、代わりに絵姿をすり切れるまで毎日撫でるようなキモイ奴。魔獣よけの銀の腕輪を着けさせたのは、実は自分避けじゃないのか?」
「兄上。上。上を見て!」
エドガーがとっさに防壁を張る。
「待て! 早まるな! おい! 僕も入れてくれ! ぎゃー!!!」
雷鳴とともに真っ黒な雷雲からリシャールめがけて放電された。




