兄弟
目覚めたら一人だった。あいつを選んだのか。わかってはいたがきついな。
「何て書いてあるかわからないよ」
ノエルが左手の甲に古代文字を書いていた。意識を失った無防備な僕を守るためのものだろう。右手には丸の中に笑った顔。実はね、石に書いていたおかしな顔を羨ましいと思っていたんだ。
「行っておいで。でも僕は諦めも悪いし、辛抱強いんだ。ずっと待ってる」
空だった魔力はわずかに戻っていた。あいつは底なしか? 魔獣達を解放するために使えと残したんだろう。
屋敷内は静かだった。クリスタ様と兄を呼んだ。
***
「反応ないな~」
リシャールが石に魔力をぶつけると素通りして、地面に穴が空いてしまった。
「危ないわね。ふさいでおいてよ。ラウルは石を出たのかしら。それにしてはまだ気配が残っているわよね」
「どういうこと? あいつは分離でもしているのか?」
「兄上。石はいいから早く檻を壊してください。クリスタ様も保護棟への転移準備いいですね」
「いつでもどうぞ。状態はいいわね。すぐに子ども達の元へ帰せるわ」
保護官たちも頷く。傷はついていない。母乳を出させるために餌も十分に与えていたのか丸々太っていた。
「この檻にかけた魔術はなんだ? 意味わからん。檻が壊せないなら、床下から逃すか」
その手があったか。でも檻から逃がしたところで30頭近くもいる魔獣が暴れ出したら一人じゃ対処できない。
「先に戻るわね。ああ、質問なら答えられないから。ラウルの行き先は私もわからない」
「クリスタ様の夫君、ラウルの父はもしや。いえ、これは独り言です」
クリスタ様に聞こえているはずなのに、否定も肯定もしない。予想は当たっているようだ。
「二人とも無理するんじゃないわよ。この先は人が入ってはいけない領域よ」
ノエルが戻ったら渡せと巾着を押し付けられた。
「すっからかんの僕にはどうしようもできないですよ。助けに行くどころか足手まといだ」
無理はするなと言っておきながら、クリスタ様から魔力回復に食べろと団子状のものをもらった。これは何かと聞くと、知らない方がいいと微笑まれる。怖くてそれ以上は追求しないことにして、口に入れると激辛。飲み込むと体が異常に熱くなる。全回復したが二度と口にしたくない。しばらく口内がしびれた。
***
クリスタが消えると兄弟二人だけになった。
「兄上は行き先を知っている?」
「なぜ僕に聞くのかな?」
「時折わずかに兄上から魔獣の気配がするからですよ」
いくらひた隠しにしていようが僕にはわかる。兄弟だからかな。
「いつから気づいていた? お前は本当に優秀だね」
幼い頃から五つ年上の兄に憧れていた。チビがついて回っても嫌がるどころか、来いよと誘ってくれる。それがいつの頃からだろう。自分を避けるようになった。ずっと転移魔法陣にのせて怖い思いをさせたせいかと思っていた。表向きは優しい兄のままだが、肝心な事は何ひとつ話してくれない。仲が悪いわけでもないのに僕も話さなくなった。
「数年前の魔獣を一掃しようとした北と南の合同討伐から帰ってきた後からですよ。もっと言えば副団長になったあたりかな」
「あれね。ドガールが放った魔術に魔獣だけでなく、魔術師も大勢巻き込まれた。手負いの魔獣が我を忘れて瘴気吐きまくって大暴れ。人を襲わないはずなのに囲まれた時は死ぬかと思ったよ」
「でも死なずに戻ってきた。助けたのはラウルだね」
「そうだ。奴の一声で魔獣達が退いた時は驚いたよ。たった一言でラウルに頭を垂れているんだ」
大人しくなった魔獣を狙ってドガールが魔術を放った瞬間、ラウルが魔術も使わずに魔獣たちを何処かに移した。見ていたのは僕だけ。結果的に全てドガールの手柄にされて魔術師長になった。
「あれにはしびれたね。僕は神話も読んでいないし、魔獣なんていて当たり前で大して興味もなかったが、自分から志願して副団長になり、あいつが何者なのか探った。隙ひとつ見せないあいつに吐かせる事ができなかったんだけど、ある日酒飲ませたらさ。すごく弱いんだ」
どうにか聞き出すことに成功したと笑う。魔獣には酒でいいのか。
「ラウルが魔獣達の頂点に立つ絶対的支配者」
「父親がその絶対的支配者。父親がいない今、魔獣の中で一番上にいることは間違えないがまだ支配者ではない。支配者になるには番いって言ってもいいのかな。金目の乙女が必要」
「ノエルと婚約したのはそれが目的? 許せないな」
「違うよ。あいつは支配者になろうなんてこれっぽっちも思っていないし、ノエルちゃんが長らく金目とは気づかなかったと言っていた。薄暗い図書館で夕日を浴びた彼女の後ろ姿に一目惚れしたって。古代文字なんて誰も読めないから、美術棚の文様に置いてあるだろ。まさか読むために探していたとは思わなかったと。声もかけられずに振り向くまで、毎日通ってたなんて信じられない」
わかる。彼女はそこにいるだけで空気を和らげる。少女のように無邪気に笑ったかと思えば、大人びた顔を見せる。あの静謐なたたずまいに惚れたのは僕だけじゃないってことか。次に会ったら夕方の散歩に誘おう。
「一人でにやけるの止めろ。話を戻すけどさ。僕は魔獣をもっと知りたいと思った。なら魔獣になるのはどうだろうって考えたのさ」
酔ったラウルの腕に噛みついて血を吸ってみたと。兄上らしいというか。ラウルも驚いただろうな。
「もう馴染むまでは気持ち悪いし、馴染んでも魔獣の力は何ひとつ使えないし、ただラウルにこき使われるだけになった」
一人王都でノエルの伯父の行方を追い、おかしくなった信者を保護してまわっていた。王位を僕に継がせようとしたのはこれが理由か。避けていたのは怪我でもした時に己の血に触れさせないため。話さなくなったのは、男兄弟なんてそんなものだろうと笑う。理由は他にあるだろうがそれ以上は聞かない。
「ということで。ラウル様の血を授かった僕ならどうにか追えるだろう。僕の魔法陣に乗る勇気は?」
「地の果てだろうがお供させてください」
足元に浮かんだ魔法陣の歪んだ線は無理矢理割り込んで整えると、隣でやるなと口笛を吹かれた。
右手の甲に口づけた。<ここにはない場所>に君がいるなら迎えに行くまでだ。




