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石になった元婚約者のお世話係になりました  作者: ななこ


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同居生活始まりました

 涙が乾いて顔がカピカピ。こんなに泣いたのは母が亡くなった以来かしら。顔を洗ったらすっきりした。お湯をケチらずに使えるって最高。


 それにこれからは毎日、昨日の売れ残りじゃない、ふわふわ焼きたてパンが食べられる。出がらしでないお茶も贅沢この上ない。香りが鼻を抜ける。


 この仕事を請けて本当に良かった。そう。これはあくまでも仕事。好んで自分を裏切った奴の家に住んで、世話なんてしたくない。


「ここに座ってて。寝ててかな。どっちでもいいわ。好きにして」


 知らないうちに石から瘴気が漏れ出していたら大変。そばに置いて見張ることにした。


「この前集めた書類は。これだね。細っかい字ね。それにずいぶんと個性的」


 右上がりの少し角張った文字。そういえば初めて見た。


 つい石に話しかけてしまう。ラウルといっても石だし。勝手にしゃべっても誰にも迷惑はかからない。


「古代文字はいつ見ても不思議。読むと言うより謎解きに近いよね」


 絵のような文字ひとつひとつに意味がある。それもひとつじゃない。パズルのように当てはめて、想像して、つなげて文にする。一行読むのも時間がかかる。


「一文字目は魔獣。次は汚れた又は臭い。続いて息、空気、透明。どれかな。うーん。合わせて瘴気かな?」


 研究テーマは『魔獣の瘴気』らしい。これは表紙。まだまだ先は長い。


 石の世話もしなくてはならない。昨日描いた変な顔を台所に行ってブラシでゴシゴシと擦る。


「あら。これはラウルの後頭部にある傷跡みたいじゃない。石にも同じような傷がつくなんて偶然かしら。今日からこれを目印にしよう」


 昨日は気付かずに後頭部に顔を描いてた。


「おっ。昨日よりいい感じに描けたわ。猫のひげも描いちゃお」


 石ころもなんだか可愛く見えてくる。


 出会った頃はラウルを格好いいなと思ってたけど、今思えば全然好みじゃなかった。笑顔だって胡散臭かった。さらさらの黒髪も優しそうだなんて思った緑の瞳も大嫌い。エドガー様みたいな少し癖のある金髪に青い瞳の方が断然格好いいに決まってる。だって王子様だもの。


「また泣いてるの? 男ならしゃんとしなさいよ」


 インクが滲む。返事はもちろんない。小箱から出してペーパーウェイト代わりに書類の端に置いた。古代文字を読みだしたが、どうも気になる。見られている気がする。


「あっち向いてなさい」


 向きを変えて、これで良しとまた古代文字を解き始めた。


 窓から差し込む日差しについうとうとしてしまう。なのに穏やかな時間を邪魔する声が階下からする。聞こえないふりをするが声がだんだん近づいてくる。仕方がない。少し相手するか。この部屋には誰も入れたくない。


「マリエッタ、勝手に入ってこないで」


「お姉様、いるなら返事くらいしてよ」


 シワのついたワンピースに磨いてない靴。化粧だけは完璧。


「聞いてよ。クリスタ様から呼び出されたからお茶会かと思ってやって来たのに、お小言ばかり。1時間もよ」


 何を言われたか想像はつく。


「身だしなみやマナーがなってないとか。伯爵家に嫁ぎたいなら勉強しろだなんて。私は妊婦なのよ。もっと大事に扱ってくれてもいいのに」


「話はそれだけ? 私はクリスタ様から渡されたマナー本も領地経営学も女主人の心構え手引き書も、家事をこなしながらすべて読み終わりマスターしました」


 マナーは亡くなった母に仕込まれていたからさほど苦労はなかったけど、他は睡眠時間を削って毎晩読み込んだ。クリスタ様の最終試験に合格した時、ラウルはすごく褒めてくれた。あんなにがんばったのに結局は無駄に終わったけど。


「私は妊婦なの! ストレスは一番悪いってお母様が言ってたわ」


「なら早く帰ってベッドに入りなさい! そしてもうここには来ないで!」


「言われなくてもすぐに帰ります。石はどこ? わ・た・しの婚約者に会わせてよ」


 何もそこまで強調して言わなくてもいいじゃない。仕事部屋から小箱を持ってきて見せてやった。


「どうぞ。お手にとって、じっくりと愛でたらいいわ」


「嫌よ。ビリリって来たら痛そうだもの」


 魔力もないくせに何を怖がっているのよ。小箱をのぞくだけなんて、婚約者が聞いて呆れるわ。


「酷い。勝手に悪戯書きしないでよ。こんなことだと思ったわ。これから毎日お風呂に入れて、この布で磨いてお手入れしてちょうだい」


「はぁ? 水かけて置いておけばすぐに乾くわよ。外に転がってる石ころじゃないのよ。汚れないわ」


「お姉様は彼のお世話係なんでしょう。頼んだからね」


 マリエッタは宣言通りすぐに帰ったがひどく疲れた。あ~甘い物でも食べたい。そうだわ。台所に材料があったはず。


「小麦粉も砂糖も高級品! バターもこんなに! これならいくらでも作れるわ」


 実家で購入していた粉類は小石が混じっていた粗悪品。砂糖も湿気て売り物にならないものを格安で分けてもらっていた。バターはわずかしか買えない。


 焼くのはシンフォンケーキ。メレンゲ作りは体力勝負だけど材料が少なくて済む。貧乏な我が家で何度も作った得意料理。一度でいいからホールを独り占めしてみたかったのよね。


「逆さにして、後は冷ますだけ~」


 仕事に戻ろうとすると、今度はお客様がやって来た。



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