黙したまま石は語る
静かに母の説教を聞いていた。一言でも返したら大変な事になるのは学習済み。返せもしないが。
「女性の髪に絡みつくなんて。気づかれずにとるの大変だったのよ。もしノエルがお風呂に入る時はどうするつもりだったの? まさか着替えやあれこれを見てないでしょうね」
最低と言われても反論のしようがない。自由に動きまわることもできない。話せるならとっくに色々と誤解を解いて回っている。
「それにしてもすごい数の古代文字が書かれているわね。『浄化』『浄化』……。『夜』『寝る』は何? 夜においたでもしたの? もうこの馬鹿息子!」
浄化と書かれる前は、毎日ゴシゴシと清めた水で洗ってくれた。早く出てこいと言いながらも、無事なのか教えてと指でノックされた。扉なんてないのに。突然コンロの上で真っ赤に焼かれた時は焦ったが、それも結果的にはにじみ出た瘴気を焼き払ってくれた。
その上、彼女と添い寝? 寝相がよくないのはわかったし、僕には生き地獄だったよ。だって裾がめくれたってどうにもできないんだから。
今の僕はどんな顔を描かれているの? 帽子も服も君が笑顔でいてくれるなら、いくらでも着せ替えしてくれ。
常に彼女の声が、鼓動が聞こえた。子守歌のようなそれは暗闇の中でも僕を安心させ、正気を保つことができた。巾着はゆりかご。たぶん母の胎内よりも居心地がいい。このまま出ずにいようか。
ここにいるのは僕一人じゃない。解放してくれと対話しようにももう瘴気に飲まれ、ドロドロに溶けかかっている。僕もこのままでは同じようになるだろう。混じり合ってひとつになればもう戻ることはできない。目の前にいる人を消し去るしかないのはわかっている。でもそれは僕にとって難しい。失うのが怖い。
この冷たい容れ物に『浄化』と書かれてから、瘴気は薄れ魔力も戻ってきた。それでもまだ迷っている。
君はすごいね。ざらざらの石に複雑な古代文字をいとも簡単に写し書きしてしまった。誰もそんな方法は思いつかないよ。穢れた僕には触れることもできない尊い存在。でも君がもし望むなら僕は……。そんなことができるだろうか。
「あら。本当に眠ったのかしら。石の中でも夢を見るの? 本当に夢ばかり見て。叶うといいわね」
人がそれを受け入れることは難しいだろう。それは魔獣も同じだ。
***
「クリスタ様、おはようございます」
「おはよう。よく眠れたかしら」
「はい。でも今夜からまた眠れなくなりそうですね」
エドガー様と食堂の席に着くと、私の前にあれが置かれた。
「忘れ物が届いたの。お世話よろしくね」
「ノエル、それは僕が預かろうか?」
「いえ。私の仕事ですから。それよりも髪が…」
エドガー様のわずかにはねた髪を直す。口の端に付いてるかもしれないソースをナプキンで拭い、お茶のお代わりを注ぐ。
「お砂糖はひとつでしたね」
エドガー様がにっこり笑ってくれた。今朝も眩しいです。
「あら。まるで新婚さんみたいね」
そうかなと照れたエドガー様が私の腰を抱く。
「ふふ。誠実で優しい方が隣にいてくださって、いつも感謝しています」
「見せつけてくれるわね。妬けちゃうわ」
その後もエドガー様と一緒にちびっ子魔獣にミルクをあげて、ラルゴの様子を見に行った。
「あんなに虐げられても人を恐れないのは、優しい君に出会えたからかな」
「初めて会った時から、なぜか親しみを感じます。ラルゴはマリエッタのことも好きみたいで、もし無事な姿で見つかったら会わせてあげたい」
またねと手を振ると、牙をむき出しにして笑ってくれた。
「クリスタ様が特別に案内してくださる場所があるとか。楽しみです」
「危険な場所じゃないだろうね。紐の用意を」
赤い糸ならもう結ばれてるはずなのに、信用ないのね。魔法で強化された紐で繋がれました。
クリスタ様とクリークさんに案内されたのは、母と過ごした森の家だった。
「まさか保護区内にあったなんて。私が一番訪れたかった場所です」
「ラウルがあなたと婚約した後に見つけたの。素敵な所ね」
新婚旅行はここへ来るはずだったのよと言われても、マリエッタは虫も動物も嫌いで、喜ばないと思う。それにここは母と私の家。勝手に滞在先にしないで欲しい。
「エドガー様だけにお見せしたいものがあります。クリスタ様、少し預かってください」
巾着を外して、エドガー様の背を押して家の中へ。扉を閉めて一番奥の部屋へ引っ張って行った。大人しくついてきたエドガー様が小声で何を企んでるのと言う。ばれてましたね。
「ノエル。なぜ2人に? クリスタ様に内緒なのかな?」
「紐でつながれているからですわ。そうでなければ私一人で行くところでした」
「石をクリスタ様に預けたってことはまた危険と隣り合わせか。よし。お供しよう」
失礼しますと腕を組んで、行き先を告げた。廃村。その名はオベール村。




