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ああ、呆ける。

あの女との出会いが頭から離れない。

また連絡する、その言葉が反芻される

人間を滅ぼしたいから手伝ってほしいなんて漠然とした馬鹿げた話だ、何かしら裏があるのは間違いない。

それなのに、もう一度会って話せたら、なんて。

我ながら気色悪い。

もう、連絡しないでくれ。

その思いも虚しく、スマホから通知音が鳴った。



繁華街、特に夜の店が集まる場所。

女は体を売り、それを男が金で買う、気色悪い場所。

一度、興味本位で足を踏み入れたこともあるが、いい思い出になるはずもなかった。

下品な看板がギラギラと光り、そこに群がる羽虫にも劣る人間たちが、その光よりも汚くギラつく目で性欲を満たす場所。

顔を背け、キャッチを避け歩くことで精一杯だった。

ただ、酷く嫌悪していた。

この苛立ちは、俺に性交経験がない故の嫉妬だとは思いたくはない。

いや、嫉妬でもいい。

善くあるために、これほど強烈な嫌悪感を忘れたくはない。


そんな場所に、そんな俺が呼び出された。

隣で黒羽怜が歩き、俺をどこかへ導いていく。

何のために呼び出したのか、それを聞くこともなく、ただ、予定もなく友人と会った時のように。


それにしても、男の下卑た声、女の甲高い笑い声が耳障りだ。


「ここは素敵な場所だと思わない?」


「どこが」


「本当の社会性が現れるんだもの。金が正義の世界。ここに来れば、真昼に綺麗事や愛を叫ぶ輩の騒音が綺麗さっぱり消え去る。先生は、こういう場所は嫌い?」


「嫌いだ。この欺瞞は許し難い」


「欺瞞?」


「あんたの言う通り、昼から夜へ、この場所は地続きなんだ。それなのに、夜が明ければ誰もが偽の人間性を纏う。

女を買い漁る男はまともな社会人へ、男から金を巻き上げた女は、その穢れた手で飯を炊く。ここが現代人の本質なのに、目を逸らしている」


「なぜ、それが許せないの?本質に誠実なものなんて、人間社会に存在しないのに。それとも、あなたの手に届かないものだから、見下して唾を吐かないと耐えられないのかしら」


「……そうだ。これは俺個人の感情だ。脳内がピンク色の薄汚いジジイが偉そうにしているのも、売女が清純そうに取り繕っているのも、全部、殺したくなる」


「先生は汚れることを恐れ何も経験せず純粋なままでいようとする赤ん坊ね。だから、生み出す言葉が誰にも届かない、誰も救えない。ただの泣き声でしかないんだもの」


反論できる材料はない。

それは紛れもない事実だから。


「反論しないの?」


「正論だろ」


「そうかもしれないけど、だからこそ助けたくなる。相手の言い分も理解し否定せず受け入れてしまって、悲しくて息苦しそうなんだもの。泣き止ませないといけないなんて思ってしまう」


ああ。

この女の言うことを信じて赤子のように甘えられたら、どれだけ幸せだろうか。


「なぁ、あんたは俺に何を期待しているんだ?誰かに助けを求める方法も、無邪気に笑う方法も忘れてしまったのに」


「忘れた?人と関わることから逃げているだけでしょ?」


「……弱者を虐めて楽しいか?」


「虐めているわけじゃない。自分自身が一番理解しているでしょ」


見透かされたようで不快な気持ちと、このまま、どこまでも俺を惑わす存在であってほしいという気持ちが同居している。

彼女には、俺の考えが及ばない不思議な存在であってほしいのだ。


「まぁ、いいや。目的の場所は、もうそろそろだから」


俺は何も言えず、周りの目を気にしながら彼女を頼りに進むしかなかった。

俺はとことん臆病なのだろう。

人並みに心のどこかで女を求めつつ、女を金で買う場所に来てしまえば、この世界を異質なものとして除去するしか自分を保てない。

自信が欲しかった。

どんな世界でも、自分らしく歩ける自信を。



「なんだ、ここは」


「見ればわかるでしょ」


スーツを着た男達が写る看板、シックな見た目の入り口。

これは、見紛うことなきホストクラブ。


「こういうのが趣味だったのか」


「冗談。とにかく、ついてきて」


入り口前のキャッチに声をかけた黒羽は二言三言、言葉を交わし、店の扉が開く。

置いていかれないよう彼女の後に着くも、そのまま問題なく店内へと足を踏み入れることができた。


「いつもの席で」


「かしこまりました」


スタッフに一言声をかけ、薄暗い中、奥に進む黒羽。

明らかに客としての訪問ではない様子に謎が深まるが、今の俺には席に着く客とホストらに視線を向けないよう努め、彼女の後ろを歩く他ない。

そして、行き着いたのは店内の隅にあるテーブル席。


「さあ、座って」


促されるままソファに腰を下ろすと、彼女も隣に着く。

居心地の悪さを感じた俺はすぐに疑問を呈する。


「どうして、こんな所に」


「社会勉強、と言えばいいかな。低知能の女をその気にさせ金を貢がせる。実際に、こういう光景を先生に見せたかった」


意図が読めない。

俺に何を求めているのだろう。


「どう?あれらは全く別の生き物、将来のことすら考えることをしない理性を無くした獣たちだけど、思うところはない?」


彼女の視線が店内の客らに向けられ、俺も様子を見る。

薄暗くはっきりとは見えないが、キャバドレスを着た水商売の女や如何にも病んでいそうなフリル多めの服装の女など、判を押したような連中が、中身のない会話に興じている。


「こんなものを見せて、何になる」


「先生は、もっと人間の醜悪さを目の当たりにした方がいい。それでも、希望を見出せるなら、それはより一層輝くから。そして、光が強ければ強いほど、より影は強くなる」


瞬間、思考を巡らせ、彼女が人間の滅亡を願っていたことを思い出す。

俺という試金石を通じて、自分の意志を、より強固にしようとしているのか。


「買い被りすぎだ」


「さあ、どうでしょう。それより、この場所に来て、先生はどう思う?感想を聞いてみたいな」


本当に、よくわからない女だ。


「まぁ、馬鹿げているな。金を貢いで得られるのは一時の快楽だけだ。そう言えば、似たような物は溢れているが、ここは消費する金の桁が違う」


「でも、そうやって生きていくしかない。誰かと繋がるために何かを差し出して擦り減っていく。そして、もう後戻りできなくなって、こう思うの。こんなはずじゃなかったって。独りでいても結局は同じだけどね」


そうだ。

人間は孤独に耐えられないようにできている。

孤独の恐怖、悲嘆はどこまでも平等だ。


「この場所は孤独がよく見える。無関心、無責任な親に育てられた女たちが、未来に広がる人生の豊かさを犠牲に、お姫様になれる場所」


「そのためなら、人間としての尊厳を捨てて身体を売れるのか?」


「馬鹿。その尊厳が身に付かなかったから、ここにいるの。

あなたが思っている以上に、この社会には人間とは思えないような生き物が存在するの」


「怜ちゃん久しぶりじゃ〜ん!」


唐突に会話を遮る声が聞こえる。


「連絡もなしに来るなんて珍しいじゃん」


現れたのは紛うことなきホスト。

ボリュームのある金髪に厚化粧、甘ったるい香水の匂いが不快だ。

彼は遠慮なく、黒羽の隣に座る。


「で、この人、誰よ」


「友達よ」


「へぇ」


値踏みするような視線、この上なく不快だ。


「なんでまた、ここに連れてきたわけ?」


「う〜ん。あっ、そうそう、この人、未だに童貞なの。モテる秘訣を教えてあげてほしくて」


先程の話が本当なら、彼女は俺にこの光景を見せたかっただけだろう。

咄嗟についた嘘だろうが、なんと迷惑な嘘だろう。


「なるほどね。確かに、非モテ代表みたいな感じだな。とりあえず、行動したかしてないかだな。行動しなけりゃモテ非モテの分岐点にすら立てない」


「手当たり次第に手を出して、何人もの女を泣かしてきたわけだ」


「恋だって涙の数だけ強くなんだわ。お兄さん、いかにも草食系っぽいけど、女は強い男に惹かれるんだぜ。相手の都合じゃなく自分の都合で動ける男にな」


「そうやって自己肯定感が低い女をコントロールして食い物にするんだな。つまんねぇな、もっと上等なもんが出てくると思っていたが」


この場所への嫌悪感も相まってか、喧嘩腰になってしまう。


「あんたさぁ、そんなことを言って、どうしたいわけ?」


「吐き出したいだけさ。こんなの、精神衰弱者の依存性を利用して金儲けする低俗な仕事だってな。機能しない福祉の代わりに馬鹿女をケアをして巣立たせるならいいんだが、お前らが撒き散らすのは、より悪化し救えなくなった女と性病だけだ。不快だから文句の一つや二つ、言いたくなるだろ?」


理解しているのかしていないのか、彼は絶句している。


「そんな顔するなよ。自立した女に相手されない負け犬。そういう意味では、俺とあんたは同じだな。仲良くしようぜ。お前らの大好きな傷の舐め合いをしながらな」


「ずいぶん、俺らが気に食わないようだな」


噛みつかれると思いきや、彼らホストの皮を脱ぎ捨てたような様子を見せる。


「お前みたいな情けない奴が嫉妬で噛みつきたくなる気持ちもわかるし俺らがクズだってことは自覚してるさ。でも、金を稼げばクズでも成功者として認められる社会が悪くね?人間を作るのは環境だろ?」


こいつは、ただの馬鹿ではないのか。


「それに、俺らが社会にとって害になるような言い振りだけど、そうでもないんだぜ。重度の障害者なら人形みたいに好き勝手に印象操作して施設に押し込めば済む話だが、ここにいる奴らはそうもいかない。なまじ意思がある分、厄介だ。普通と異常の間にいる中途半端な奴が持つ軽度な障害でも、善性に働いたなら、もう、親ですら関わりたくない形になる。だから、ここは姥捨山として、必要悪として機能しているんだ」


面白い。


「放っておけばいい。わざわざ、居場所を作る義理もないだろ」


「そいつらも、生きているんだぜ。ここは、そいつらが生きていける場所なんだ。体を売って心を擦り減らして、そんな夢のない人生の女に、夢のある現実を提供するんだ」


「本音は?」


「ま、金だな。あと、やっぱり俺らはクズなんだわ。学生の頃からまともな教育を受けず、やることといったら馬鹿女とヤるだけ。ここは、その延長線上さ」


「……そうだろ。金だなんだと見栄を張っても、何にもなりゃしない」


くだらない。


「何かある人生を送る人間なんて一握りだろ。俺らみたいな凡人は今が楽しけりゃ、それでいい。お前みたいに何もなさそうなのに、わざわざ禁欲して苦しむなんて、よっぽど馬鹿げてる」


これなら、怒り俺を貶して追い出してくれた方がよかった。

こんなクズに、見透かされたくはなかった。


「変な顔するなよ。所詮、他人の言うことだ。見て見ぬ振りをして、関わらなきゃいいだけだ。誰だって、そうやって自分の都合のいい世界に閉じこもって孤独を謳歌しているだろ」


「そうもいかないのが、先生だから」


黒羽が口を挟む。


「先生は子供だからね。自分が生きる世界に醜い部分があると泣いちゃうの」


「そりゃあ、自分の人生を生きていないからなんじゃないの?」


「それでいい。そういう人間が、他者を変えることができる」


好き勝手に言われているが、ほとんど耳に入らない。

苛立ち、自分に言い聞かせる慰めの言葉を探す。


攻撃的な人間のクズが受け身的な人間のクズを食う。

そのサイクルで出来上がった世界。

質が悪いのは、これらが増殖していくということだ。

一昔前は淘汰されたクズが、多様性を盾に社会で地位を獲得していく。

賢く保守的な人間が減る一方で、こいつらが幅を利かせていく。

だから、このままでいい。この場所に、ここに生きる人間に腹が立ったままでいい。


「まぁ、酒の一杯くらい飲んでいってくれよ。邪魔したな」


その頃にはもう、黒羽が何故、このような扱いをされているのか等、気になる点を質問する気力も残っていなかった。


「どうしたの、黙りこくって」


「……多様性って何だろうな」


「そんなことを考えてたの?昔は闇に葬られたものが、それによって暴かれるようになったんだから、欺瞞を許さない先生にとっては喜ばしいことなんじゃないの?」


「それを善くしようとするならまだしも、暴かれて、金や性欲に利用されて終わりじゃないか」


夢も希望もありはしない。


「だから、誰もが早い段階で気づかなければならなかったんでしょ。逃げてもいいという言葉が普通のものとなった時代で、競走のレールから外れることがどれだけ不幸をもたらすか。逃げた先に希望があるなんて、よほど運が良くないとあり得ない。戦わなければならなかった。社会の歯車となるとしても、まともに生きようとしなければならなかった」


「逃げ道は、狡猾な生き物が設置した罠への入り口、か」


「どう?この社会を滅茶苦茶にしてやりたくない?その算段は立てているの」


俺に何を求めている。

どうして、そんなことを真顔で言える。


「うるさい。まだ、この世には何かあるはずなんだ。俺みたいな人間でも、夢を見れる希望が。生まれてから一度も、幸せと思える時はなかったんだ。だから、何かを見つけないと」


「失礼します」


その時、店員が酒を運んでくる。

そして、テーブルに置かれた二つのグラス。

黒羽は一つを手に取り、口をつける。


「……人類はもう一度、自滅の遺伝子によって原初に立ち返る」


「は?」


「自滅の遺伝子、それは、知、無限の可能性を持つ知恵。際限のない発展を目指し、人間の手に余るものを生み出してしまう性。お金、ネットワーク、核、その他諸々、既に人間では制御できないもので溢れている。それらは発展し続け、自然を喰らい、自然のサイクルから外れたゴミの山の上で人々は呼吸困難に陥り死に至る。遠い未来で楽園を創る可能性を秘めていたとしても、そこへ辿り着く前に滅びる。過ちに気づいて戻ろうとしても、戻れない。便利さを知る、快楽を知る、そうなれば戻れない。知るということは、釣り針のかえしのような力を持っている。そもそも、知能を捨てなければ楽園になんて幻想なんだけどね。それでも、あなたは人間の可能性を肯定する?醜い世界の希望を夢見る?」


そんなもの、決まっている、はずだ。


「自滅の遺伝子を書き換えるのもまた、人間だ」


横目で黒羽を盗み見ると、彼女は一瞬、微笑んだように見えた。


「まだ、見えていないみたい。その瞳の光を、黒で塗り潰さないとね」


「さっきから何を」


「これから、いろんな景色を見せてあげる。絶望に染まるまで」

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