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俺が紡いだ言葉には一文の値打ちもない。

夜の帳が外界との繋がりを断つ頃、自宅の一室で諦観の念に苛まれながら作業机に項垂れる。

虫の声が満ちた部屋、窓の外から届く月明かりはモニターの光に掻き消され、本来であれば響くはずのタイピング音も鳴らず、枯れた空気が漂う。


俺は小説家だった。

出来損ないの脳みそだということを自覚せず、他人より多少、文章力が高いという理由だけで若い頃から憧れた職業。

元来、社会不適合者であった俺は、そこに活路を見出した。


何度も公募に落ちた後、ウェブに投稿した吐き捨てる場所を探していた言葉で紡いだ物語が、とある出版社の編集者の目に留まったため、少なからず才能があると勘違いしてしまった。

それがなければ諦めて別の人生を歩めたかもしれないのに、出版に至った一作目は誰にも響くこともなかった。

闇夜に浮かぶ一筋の光は幻に過ぎなかったのだ。

当初は溢れていた自信や希望も、二束三文の消耗品として消費されるだけの物語を生み出し続ける度に底をついていた。


そして、これでは駄目だと方向転換してジャンルを一変させた直近の作品は路傍の石となった。

俺の言葉はノイズにすらならなかった。


いや、むしろ喜ぶべきなのだ。

面白いものが流行るのでなく流行ったものが面白く、消費者はイナゴのように流行りものに群がり食し、糞をして次の物へと移る短いサイクルを繰り返す、その循環から弾かれたこの状況を。

他者と話題を共有するためだけの手段と化した作品群から逸れたことを誇ろう。

いや、止めよう。

負けの美学は負け犬の遠吠えだ。

結果だ。

結果を出さねば、どんな言葉も空虚だ。

この世はそれが全てだ。

そこら中に転がる結果を出せずに傷を舐め合う輩に成り果てるわけにはいかない。


しかし、そう焦るほど、腰の浮いた浅い物語が幾つも生まれ消えていく。

出来上がったのは日雇いバイトとたまのライター業で食い繋ぎ執筆を続ける、無駄に年齢を重ねたろくでなし。

絶望が心臓の縁を撫でる。

早く、楽になれと。



某居酒屋。

明るく照らされた店内に人々の騒がしい声、対面には大学以来の友人、佐伯亮介が座っている。

大学の文学部で知り合い、残されたわずかな青春もそっちのけで現実には役立たない下らない哲学的な話をしながらだらだらと過ごしていた仲だ。

妙に馬が合い、俺にとっては唯一の友人として社会に出た後も付き合いを続けている。


「そういえば」


ある程度食と酒が進んだところで、亮介はいつもの台詞を吐く。


「女、できたか?」


「またかよ。俺はな、それどころじゃないんだ」


「小説か?まぁ、それはいいけどよ。いつの時代だろうと結婚さえすりゃある程度の世間体は保てるんだ。いつまでもふらふらしてんなよ」


「前も言ったけど、俺は人間にとって最も重要なことを追い求めているんだ」


アルコールの効果もあり、スラスラとくだらない本音が飛び出す。

それを聞くと亮介は嫌らしいニヤつき顔になる。


「よぉく覚えてるぜ。絶対的な生まれた意味がないということは、人は何度も間違えるために生まれたのだ。テンプレートから取り零される人間がいなくなるよう、最大多数の幸福を叶えるために、何度も間違えるために人は絶対的な意味を捨て自由な知恵を手に入れたのだ、と」


「茶化すなよ」


「そんなつもりはねぇよ。でも、そこら辺の馬鹿だけしか感動しないだろ、そんなもん」


いや、それは間違いだ。

俺の言葉は馬鹿にすら届きはしなかった。


「どんな時代でもどんな国でも、人間が行き着く幸福は、金を稼いで飽きるまで女を抱いて、その後にいい家庭を築く、結局それなんだよ」


「それで出来上がったのが、この醜い世界だろ?」


「動物が作る世界に醜いもクソもあるか。自然に生きる動物を見習えよ。生まれた場所でありのままにただ生きる、それでいいんだ。お前もそうやって生きて、才能があれば自然と頭角が現れるだろ」


「それは恵まれた環境を手に入れたやつの結果論だろ。それにな、俺という動物には生きやすい場所なんてないんだ」


「いつまでガキみたいなことを言ってんだ。大人は皆、生きづらい環境で我慢しながら生きてんだ。それに、そう断言できるほど行動してないだろ。地球全土を踏みしめて全てを経験したなら理解できるが、引きこもりが言える台詞じゃない。大体な、世の中で苦しんでいる人間は生活圏に何かしらの問題があるだけで、そこから離れりゃ大抵のことは解決するんだ。いや、お前のその苦しみは結局、孤独によるもんだろ?だから、女っていう場所を見つけりゃ解決するんだ」


相変わらず、亮介は酒が入ると饒舌になる。


「なんでも女に結びつけるなよ。それに、俺が自分の都合のために女を利用するような不誠実な男に見えるか?」


「んなもん言い出したら終わりだろうが。一人で生きてるつもりなのか?持ちつ持たれつ、人間関係なんてそんなもんだ。それとも何か?お前はまだ愛だの恋だの言うつもりか?」


「悪いかよ。でもな、自然の話を持ち出すなら、群れから逸れた奴が現れるのも当然だろ?」


「なら、苦しそうな顔をするなよ。俺だって、危機感も持たずヘラヘラしている奴には何も言わねぇよ。でも、お前は違う。いつも、こんなにもつらいんです、って顔をしてやがる。誰かが救ってくれる訳でもないのに」


確かに、こいつの立場なら俺の存在は不快だろう。


「普通になれば、その顔が余計に歪むってことぐらい、わかるだろ?」


「誰だって普通を演じて生きてんだ。お前は自分を社会不適合者だと思って、そこから逃げてるだけだ。いや、そんな面倒なことはどうでもいいんだ。とりあえず、ソープへ行け。童貞を拗らせ過ぎて女が酸っぱい葡萄に見えてんだろうが、話はそこからだ」


「女が甘いことぐらい知っとるわい」


互いにゲラゲラと笑いを浮かべる。


「まったく、100人の医者がお前を診たら、こう言うぜ。セックスが足りないってな」


「そんなに特別なもんかね」


「お前にとって、何かが変わるきっかけにはなるだろ。茶化さないで真面目に聞いてくれよ。お前には自分じゃない他者とありのままで関わる必要があるんだ」


声色を正してこちらを見据える亮介。


「人は、誰かに対してありのままでぶつからなければ生きていけないようにできてるんだ。男女の仲だとか、そういうんじゃない。俺にも周りと一定の距離を置いて過ごす時間もあったが、虚しさが募るだけだったんだ。気づけば、今のお前みたいに生きるとはなんぞや、なんてことを考えちまう。そんなことを考える暇もないくらい、人と関わるべきなんだ。そうしてようやく自分の輪郭が見えてくる。お前が言う無限の可能性を目の前にして、自分が何をできるのか見えてくる」


「何ができるかぐらい、わかってるつもりだ。金だろ。小説で一発当てて、そんで無限の可能性を持つ子供らの選択肢を広げるために寄付活動をするとか」


「いや、順番が逆なんだよ。金が先だ。そんなもんは金を稼いでから考えることなんだ。知ってるか?取らぬ狸の皮算用って言葉。先人は、お前みたいな愚者のことなんてお見通しなんだ」


「大人の代表みたいなことを言ってるけど、するってぇとなにかい?お前の人生はどこに出しても恥ずかしくないってぇのかい?」


「そりゃそうだ。飯食って仕事して金稼いで、たまには嫁のだらしねぇケツを揉む、それ以上の人生があるか?俺らみたいな普通以下の人間にとって、それ以上があるか?」


自分に言い聞かせるような台詞。

だが、酒の席で、それを指摘するのは野暮だ。


「ちげぇねぇ」


「ああ、ちげぇねぇよ。これで、いいんだ」


これの繰り返し。

亮介は感情を吐露しつつ、俺を社会の底辺として自分を慰める。

俺は対価としてタダ飯を食う。

こんな所で、共に酒を飲んでくだを巻いている時点で大した違いはないというのに。



帰路、酒気と共に人の流れに逆らいながら、繁華街を背に住宅街へと向かう。

この街は都会にもなりきれず、地方都市のような整い方もせず、タワマンの近くに木造のアパートが建つような中途半端な場所だ。


喧しい。

人々の喧騒が嫌に耳につく。

思わず、馬鹿面を引っ提げて騒ぐ若者やジジババどもに悪態をつきそうになる。

わかっている。

俺よりもよっぽど、彼らの方がまともな生き方をしていると。

他人を見下そうという考えがよぎった時点で、俺の人生は自信もない、ろくでもないものだと。

俺も、あいつらと同じ様に欲望を解放させ馬鹿騒ぎできればいいのに。

引き篭もりで童貞のまま育った理性が感情の発露を強く抑制する。


全てが虚構であれば、どれほど救われただろうか。

だが、質が悪いことに、この、目の前の人生は本物なのだ。

まだ俺の本当の人生は始まっていないなんて事はなく、生まれてから現在まで、その全てが本物。

その事実から目を背けようと背けまいと、それは後悔と姿を変えて頭にこびりつく。


繁華街を離れるとすぐに闇が出迎え、頼りない街灯がチカチカと音を立てる。


亮介は、野心家だった。

大学在学中、具体的な目的もなく起業した彼はとにかく金を稼ぐことに躍起になっていた。

企業の飼い犬にはならないと意気込み、せどり、デジタルコンテンツ販売など、出来る限りのことを行い自由を手に入れようとしていた。

周りの非難を浴びながらも、ただ実直に、純粋に。


しかし、それでも届かなかった。

孤独な戦い、悲しいほど、人脈にも運にも恵まれなかった。

俺は友人でありながら共に戦わなかった。

彼が、金の奴隷に思えたからだ。

金の引力に惹かれ、生きるために稼ぐのではなく、稼ぐために生きる、醜い生き物に。

今にして思えば逆、金に支配されないために彼は戦っていたのだ。

しかし、負けた。

結果、そこそこの商社で、そこそこの働きで、そこそこの人生を送ることとなった。


これが、この世の条理。

クズが名誉を手にすることもあれば努力家が地を這うこともある。

生まれ持った才能だけでどこまでも行けることもあれば、生まれた環境によってどこにも行けないこともある。

止まない雨もある、明けない夜もある。

不平等、不公平、いや、平等も公平も人間が定めたもの、この星には、そもそもそんなものは存在しない。


だから、もう、この社会でどう生きるかなんて全く重要じゃないんだ。

どう生きようと理不尽に侵される世界であれば、勝者の影である敗者としての運命を背負ってしまったのであれば。


ただ、自分自身がどうあるべきか、その一点に希望を見出すしかない。

ただ、それを誇って生きるしかない。

例え、孤独だったとしても、悲嘆に暮れ傷を舐め合うよりは、よっぽど上等じゃないか。

だが、それでも、それでも、それでも。


そんな生き方に、価値はないのだ。


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