「他に頼れる人がいないの……」? その常套句、うちの婚約者には効きません!
「セリーナ・ルクレティアに婚約者を奪われたの」
親友のその一言で、私の紅茶は、凍りついた午後の空気のように震えた。
私、ユーリア・ラインフェルトは、手にした紅茶を危うくテーブルにこぼしそうになる。視界が一瞬揺れて、世界が音を立てて崩れていくようだった。
──まさか。あの控えめな仮面の裏に、そんな毒が隠されていたなんて。
午後の光が差し込むカフェテリアの隅。静謐な空間に、紅茶の香りが静かに漂っていた。
声の主である親友、リリアーナ・エルヴェル侯爵令嬢は、茶器を手に、どこか達観したように微笑んでいた。
「なにがあったの?」
私の問いに、彼女はほんのわずか、唇の端を歪めた。
「セリーナ・ルクレティア……平民の出よ。でも、その魔法の才能を買われて、奨学金で学園に来てるらしいわ」
セリーナ・ルクレティア。
私と同じクラスの女子生徒。
控えめな微笑み、伏し目がちの長い睫毛。
誰かに助けを求めるような、弱々しい声が印象に残っている。
確かに、守ってやらなければと錯覚させる空気を纏った少女だった。
だが、リリアーナの次の言葉で、その印象は音もなく崩れていった。
「あの子が、彼に相談を持ちかけるようになったの。“私、誰にも頼れなくて……”って、涙を滲ませながら。……見事だったわ」
そこでリリアーナはひと呼吸置いた。まるで当時の光景を思い出しながら、慎重に言葉を選ぶように。
「最初はね、本当に悩んでいるのかと思ったの。婚約者のいる殿方と二人きりになるなんて、とも思ったけれど、彼女が彼にしか心を開けないというのなら……って」
リリアーナは目を伏せ、静かに言葉を継ぐ。
「でもね、彼、だんだん彼女とばかり過ごすようになって……ついに私、セリーナが彼と話しているところに出向いて、面と向かって伝えたの。“彼に相談するのを控えて頂戴”って。──そしたら、どうなったと思う?」
そう言って、リリアーナは微笑んだ。
けれど、その笑みは明らかに嘲りと哀しみが混ざっていた。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「彼は“君は冷たいから、彼女の苦しみなんて分からないんだろう!”……って。その声の大きさに、隣の席の令嬢が顔をしかめたくらいよ」
……馬鹿げている、と思った。
リリアーナは優秀で、毅然としていて、誠実な女性だ。
自分で決断し、自分で責任を持つ強さを持っている。
そんな彼女が、弱さを盾にした誰かと比較されて「冷たい」と非難され、捨てられたというのか。
「……彼はもう、貴族としての分別を失っているのでしょうね」
私の呟きに、リリアーナはかすかに笑った。
「滑稽よね。でも、もっと滑稽だったのはそのあと。セリーナは私に謝ったの。“ごめんなさい。私、彼しか頼れなくて……相談に乗っていただくうちに、好きになっちゃったんです“って」
その場面がありありと思い浮かんだ。
きっと、涙を浮かべて、胸に手をあてて、細い肩を震わせながら。いかにも哀れな乙女を演じていたに違いない。
「彼は寄り添っていたわ。私ではなく、セリーナに。私、もう呆れてしまって。“もう結構です”と告げたとき──彼女、嘲るように笑ったの。彼に見えないように、顔を伏せながら。“リリアーナ様の強さが羨ましいです。私にはないものだから......”って言いながら、彼の腕にくっついて」
勝ち誇った、確信犯の笑み。
もはや“無意識”などという言葉では片づけられない。
私は言葉を失った。
怒りよりも先に、呆れが込み上げてきた。
「私ね……自分で言うのも変だけど、彼の隣に立つことに少しは誇りを持っていたの。あのときまで、私は幸せだったのよ」
リリアーナがふっと目を伏せる。
その表情には、過去の未練ではなく、確かな決別の意志が滲んでいた。
「でも安心して。今はあんな男、願い下げよ」
そして、リリアーナは頬を赤らめる。
「婚約破棄のあと、公爵令息のユリウス・フォン・アルベリヒ様に求婚されたの。前から私のことを想ってくれてたみたい。“もう他の誰にも渡したくない”って──私、彼と婚約したわ」
ユリウス・フォン・アルベリヒ。
確か、学園でも優秀と評判の人物だ。物腰は穏やかで、容姿も申し分ない。彼女の元婚約者より、はるかに好ましい相手である。
彼女の顔は、幸福に満ちていた。
親友のそんな表情を見られたことが心から嬉しくて、私も思わず笑みをこぼす。
「でね、噂で聞いたの。セリーナと私の元婚約者、もう別れたんですって」
幸福そうだった顔から一転して、リリアーナは真剣な表情を見せる。
「忠告しておくわ、ユーリア。あの子は“誰かの婚約者”じゃなきゃ気が済まないの。次は、あなたの番かもしれない」
婚約者を奪われた親友の忠告。私はそれを、甘く見ていた。
──
リリアーナとの会話を終えた私は、胸にざわつきを抱えたまま学園の渡り廊下を歩いていた。
冷静なふりをしていたけれど、正直、まだ信じたくなかったのだ。
セリーナ・ルクレティアが、リリアーナの婚約者を奪ったなんて。
しかしその思いは、次の瞬間、音を立てて崩れた。
ふと、開いた扉の奥から、甲高い笑い声が漏れ聞こえてきた。人気の少ない備品倉庫の裏手。
私は無意識に足を止め、物陰に身を寄せた。
そこにいたのは、セリーナだった。
あの控えめな笑みはどこにもなく、彼女は薄ら笑いを浮かべ、取り巻きのような女生徒たちに囲まれていた。
「リリアーナ様? あの人、優等生ぶってるけど所詮見せかけよ。上品そうにしてるだけで、ちっとも可愛くないし?」
セリーナはくすくすと笑いながら、艶のある髪の毛をくるくると指に巻きつけている。
「だってぇ、知ってる? 彼女、殿方の前でさえ口元をぴしっと結んだままなのよ? “わたくしは完璧な令嬢です”って顔して。あれで誰が癒されるっていうのかしら」
「そうそう、あれはもう威圧感しかないわよね」
「息が詰まりそうって、男子たちも言ってた」
取り巻きたちは口々に相槌を打ち、セリーナはまるで舞台女優のように顔をしかめてみせた。
「それにね、彼女って、ちょぉっと私が殿方に話しかけただけで、“節度を持って”とか言ってくるのよ。なにそれ、嫉妬? 見苦しいわよねぇ?」
その言葉が、胸にざくりと刺さった。
リリアーナが嫉妬なんて、ありえない。そう思いたいのに、どこか冷たいものが胸をよぎる。
セリーナはさらに畳みかける。
「でもまあ、リリアーナ様は“自立した完璧なお嬢様”でいらっしゃるからぁ? 男の人から守られる可憐さなんて、持ち合わせてないものねぇ。そりゃ彼も私の方を選ぶわよ」
唇の端を吊り上げるその笑みは、優しさの皮をかぶった、薄ら寒い悪意そのものだった。
「私が“相談”しただけで、簡単に彼の心が動いちゃうんだもの。男なんてちょろいわよね」
それだけではない。彼女はリリアーナの元婚約者について、嘲るように言ったのだ。
「あの人? もう用済みよ。持ち上げたら勝手に舞い上がって、つまんなくなっちゃった」
セリーナは一瞬、思案するように唇に指を添える。
「次はぁ、アレクセイ様にしよっかな。ユーリア様の婚約者」
──アレクセイの名前がセリーナの口から出た瞬間、心臓がひやりと凍りついた。
「あの人、ちょっと難しそうだけど、でも静かで真面目な人ほどか弱い女が好きなのよ。ふふ、“私には、あなたしかいないんです”って言ったら……どうなると思う?」
彼があんな女に惑わされるはずがない。そう思いたいのに、不安が胸の奥を静かに蝕んでいく。
信じたいと頭では繰り返すのに、胸の奥では小さな囁きが否定を続けていた。
もしセリーナが本気で狙うなら、いずれアレクセイに“相談”を持ちかける日が来る。
私はそれからというもの、彼女の一挙手一投足に目が離せなくなっていた。
──
次の日の朝。
教室に入ると、数人の女子生徒がさっと視線をそらした。
あからさまに避けられているわけではない。でも、昨日までは交わしていた挨拶が、今日は空気のように通り過ぎていく。
それは教室全体ではなく、ごく一部の生徒たちだけ。なかにはいつも通りに微笑みかけてくれる子もいたし、ただ戸惑ったように私をうかがう者も多かった。
嫌われたわけではない。けれど、何かが崩れかけている――そんな感覚が胸に広がる。
(何か……?)
その時、セリーナの震える声が耳に届いた。
「……破れてる」
彼女の机の周囲には数人の生徒が集まり、ざわめきの中、セリーナは引き出しから何かをゆっくりと取り出していた。
花の刺繍があしらわれたレースのハンカチ。
以前、彼女が「自分で刺したの」と誇らしげに語っていたものだ。
中央には、まるで刃物で裂いたかのような鋭い切れ目が走っている。
引き出しを覗き込んだまま、セリーナは小さく息を呑み、震える手でそのハンカチを掲げた。
まるで、私が教室に入ってくる瞬間を、狙っていたかのように。
視線が刺さる。何かを囁き合う声。ちらちらと向けられる疑念。
「昨日、ユーリア様……セリーナ様の机のあたりに手を伸ばしていらっしゃいませんでした?」
「そうそう、ちょっと覗き込んでたの、見た気がする」
それは、昨日倉庫裏でセリーナと一緒にいた取り巻きたちの言葉だった。
もちろん、そんなことはしていない。ただ、自分の席に荷物を取りに行っただけ。
(……でも、誰も証明してくれない)
セリーナは、涙を浮かべた目でこちらを見た。
「お気に入りだったのに……。私、何か悪いことしたのかしら……」
泣き真似は完璧だった。声の震わせ方、涙の溜め方、仕草一つひとつが、まるで演劇の舞台のよう。
取り巻き以外の生徒たちまで、疑念の目を私に向け始める。
(芝居がかった女……。そんな薄汚い手で、私の大切なものを奪おうとしている――)
心の奥に、黒い感情が膨らんでいく。
しかし同時に、自分がそんなことを考えてしまうことが、たまらなく嫌だった。私は、誰かを疑い、憎しみを抱くような人間じゃなかったはずなのに。
放課後。階段の下で、誰かの悲鳴が上がった。
「きゃっ、セリーナ様!?」
見ると、彼女が下段にうずくまっていた。
足を押さえ、痛みに顔を歪めるセリーナ。
彼女が落ちた直後、偶然にも私はすぐ後ろを通りかかっていた。
「足をくじいたの?」
「大丈夫?」
「……ユーリア様、今そこにいたよね?」
誰もはっきりとは言わない。私が突き飛ばしたと明言する者は誰もいない。
それでも、「偶然よね」「たまたまでしょう?」という曖昧な言葉の裏に、疑念の種が見え隠れする。
セリーナは、訴えも否定もせず、ただ儚げに俯いたまま、沈黙していた。
その沈黙こそが、彼女の最大の武器だということを、私はもう知っている。
次の日には、すでに噂が尾ひれをつけていた。
「ユーリアがセリーナを突き飛ばしたらしい」と。
(……やっぱり、狙ってやってる)
だけど、証拠はどこにもない。セリーナは一言も私を責めていない。
ただ“可哀想な少女”を演じて、周囲の善意と正義感を巧妙に誘導しているだけ。
幸い、すべての生徒が噂を信じているわけではなかった。
「本当に? ユーリア様がそんなことを?」と眉をひそめる者もいれば、明言はしないまでも、私を信じるような眼差しを向けてくれる者もいる。
ただ、疑惑は沈黙よりも速く広がる。
信じたいと思う気持ちを、曖昧な空気がじわじわと塗り潰していく――それが恐ろしかった。
なによりも一番恐ろしいのは、その噂がアレクセイの耳に入ったら、ということ。
ここ数日、彼は公務で多忙を極め、顔を合わせることすら叶っていない。
いつもなら、朝に一通、夜に一通。どんなに忙しくとも、短い言葉でも必ず手紙をくれていたのに。
今は、たった一通。
しかもその文面は、“元気でいるか”という定型文のような一文が添えられただけだった。
『多忙につき、返事はまた改めて。体調を崩されぬよう』
それが、彼からの最後の文面だった。
──いつもは、もっと温かい言葉をくれていたのに。
「君が無事でよかった」「早く会いたい」「あとで詳しく話す」
そんな小さな一言だけでも、私の心は救われていたのに。
けれど今は、まるで私とのやり取りすら“義務”で済ませているかのような冷たさを感じてしまう。
彼の心が、ほんの少しでも揺れてしまっていたら。
そう思うたび、喉の奥が苦く締めつけられるようだった。
「最近、ユーリア様が少し……」
「アレクセイ様は、こんな陰湿な方と本当にご婚約されてるのかしら」
そんな噂が、私の知らぬところでひそやかに広まり始めている。
それがもし、アレクセイの耳に届いたとしたら。
(……彼が、信じてしまったら)
アレクセイは、正義を貫く人だ。
弱き者には手を差し伸べ、理不尽を見過ごすことを何より嫌う。
だからこそ、「婚約者がいじめをしている」などという言葉を聞いたなら──
彼は迷わず、私ではなくセリーナを庇うのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、指先がかすかに震えた。
口元を引き結ぶのに力が入り、ノートの角が握りしめた手のひらで折れていた。
(違う。そんな人じゃない。私は、彼を……)
信じている。
そう言い聞かせながらも、心の奥底でざらりとした不安が音もなく広がっていく。
誰にも訴えることができず、潔白を示す手段もない。
アレクセイともろくに言葉を交わせぬまま、静かに、しかし確実に、足元の地盤が崩れていくような感覚。
(このままでは……彼女に、私の大切なものを根こそぎ奪われてしまう)
それでも私は、かろうじて信じていた。
噂に流されず、目で真実を見てくれる人がまだいることを。
アレクセイも、簡単には私を疑わないと――信じたい。
けれどその想いは、すり抜ける砂のように儚かった。
胸の奥には、もう“もしも”では済まされない、確かな恐れが巣食っていた。
──
そして数日後、ついにその日が来た。
私は、学園の中庭で見てしまったのだ。
私の婚約者、アレクセイ・フォン・グランツ公爵令息と、セリーナ・ルクレティアが話している場面を。
アレクセイは、長身で寡黙な青年である。いつも私の傍に控え、必要以上に人に関心を向けぬ男だ。
今、セリーナはその彼に向かって、しおらしく首を垂れていた。
「その……私、最近、ユーリア様に嫌われてしまったみたいで……。なにか、いけないこと……したのかなって……」
セリーナは細い肩を震わせながら、涙を溜めた瞳を伏せる。だが、その涙はぽろぽろと音もなく落ち、瞳の奥にはかすかな笑みがちらついているように見えた。
声は震えているが、時折強張るその声色に、巧妙な演技の計算高さを感じさせた。
胸に手を当て、深く息を吸い込むその仕草さえ、どこかぎこちなく、舞台の台詞をなぞるかのようだった。
細い手が、アレクセイの袖をそっと掴む。
「ユーリア様に、嫌がらせを……ううっ、受けていて……っ。私、他に相談できる人がいなくて……」
出た、“相談できる人がいない”の常套句。
芝居がかった声と涙。哀れな少女を演じる姿。
まさに、リリアーナが語ったそのままだ。
彼女はそのまま、甘えるようにアレクセイに密着しようとする。その姿に、私は思わず踏み出しそうになった。
しかし──その瞬間、アレクセイは彼女の手を払った。
「触るな。虫唾が走る」
その声には、氷の刃のような冷たさが宿っていた。
「“あなただけが頼り”だの“他に誰もいない”だの、俺はそれを、この一週間で四度聞いた。相手はすべて別の男だったがな」
セリーナの顔が、みるみる青ざめていく。
「俺の婚約者は、お前のような陰湿な嘘をつく女じゃない。嫌がらせ? くだらない。彼女はそんな意味のない行為に興味など持たん。
──何より彼女は、誰よりも優しく、気高く、正しい」
その言葉に、私は思わず胸を押さえた。
信じてくれている。彼が、私を。
対して彼女は、まるで信じられないものを見ているような顔で、ただ唇を震わせていた。
その場に立ち尽くし、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
まるで、自分の涙の演技が効かなかった現実を受け入れられないようだった。
「あの、ちがっ……私、そんなつもりじゃ……」
混乱のあまり、いつもの柔らかな声音がかすれ、ついに声を荒げた彼女はもう、どこからどう見ても“哀れな少女”ではなかった。
セリーナは涙を滲ませ、再び手を伸ばす。
アレクセイの服の裾を掴もうとした。
だが、その指先が届く前に、彼ははっきりと一歩退いた。
「君の“助けて”は、他人を踏み台にするための言葉だ。俺の婚約者にその手を伸ばした時点で、君に未来はない」
セリーナは唇を噛んだ。
そして、静かに、しかし確実に、敗北を悟った。
周囲の視線が冷ややかに彼女を突き刺す。周囲の生徒の眉間に皺が寄り、クスクスという笑い声と共に陰口が漏れるのが聞こえた。
「次は誰の婚約者を狙うつもりかしら」
「“他に頼れる人がいない”って、また言うのね、きっと」
「演技が通じなかったら沈黙? ほんと、哀れ」
「……ッ……」
彼女はとうとう、何も言えなくなった。
静寂が降り、風の音だけが中庭の葉を揺らした。
そのままセリーナは小さく背を丸めると、踵を返し、どこかへと去っていった。
ふらつくような足取りだったが、誰も追いはしなかった。
彼女のその後は、誰も知らない。
私は、気づかれぬように物陰から身を引こうとした。
だが、アレクセイはすぐに私の気配を察し、振り返った。
「ユーリア!」
滅多に見せない笑顔で駆け寄ってくる姿は、まるで尻尾を振る大型犬のようであった。
私は思わず微笑む。
「彼女、放っておいていいの?」
「かまわない。ああいうタイプは他にも“運命の人”が山ほどいる。俺じゃなくてもすぐに誰かに泣きつくだろう」
それきり、彼はセリーナを一瞥もせず、私の手をそっと取った。
「俺は……君だけがいい。君が俺を信じてくれなくても、俺が君を信じているから」
彼の瞳が真っ直ぐに私を見つめて、胸の奥がじんわりと温かく満たされていく。
私は少し黙してから、そっと彼の手を握り返した。
「信じてるわ。最初からずっと」
アレクセイの顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。
次の瞬間、彼の手は、まるで宝物を扱うかのように私の手を包み込んでいた。
「……ユーリア、お願いだから聞いてくれ」
彼の声には、焦がれるような切実さが滲んでいた。
「俺は、君を誰にも渡したくない。君が笑えば嬉しいし、君が悲しめば胸が裂ける。俺はこの世界で、君だけに全てを懸けられると思ってるんだ」
その瞳は、いつになく真剣だった。
“誰にも渡したくない”……さっきまで、他人に奪われるかもしれないと怯えていた私の心に、その言葉が温かく染み渡る。
「俺の中には“君でなければならない理由”が山ほどある。優しさも、知性も、誇り高さも。君が俺の婚約者でいてくれること、それが、俺の誇りだ」
どこまでも真摯な声。耳に届くだけでなく、胸に直接語りかけてくるような響きだった。
「……だからずっと、俺の婚約者でいてくれるか?」
静かに問いかける言葉に、心の奥が強く揺さぶられる。
私は、目の前の彼をまっすぐに見つめ返した。
「ええ、あなたが望むなら。──ただし、他の女に隙を見せたら、すぐに婚約破棄よ」
「そんなこと絶対にしない! 断じて! 誓って!」
彼の必死な顔に、私はくすりと笑った。
「ああ、早く結婚したい!」
こんなにも真っ直ぐに、たった一人だけを見つめてくれる人を。
誰かに奪われる心配なんて、最初からいらなかった。
だって私の婚約者は、世界で一番、私を大切にしてくれるのだから。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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