87話
こんにちは。
昨日久々に飲酒しましたが、昔と比べるとだいぶ弱くなってました。
不甲斐ない。
「この辺でいいかな」
ホールを出てからも暫く歩き、人気のない会議室の前で足を止めた黒守は、何の迷いもなく扉を開いて入室を促した。断る理由もないので、俺と唯笑は後に続いて適当な席に腰掛ける。
黒守は手馴れた手つきで防音結界、傍聴対策魔術、『伝達』魔術を展開して俺たちの方へ向き直ると、いきなり深々と頭を下げた。
「お、おい」
俺は意図も読めないしどう返したら良いか分からず狼狽え、とりあえず頭を上げさせようと声を上げた。唯笑も困惑しているが、黒守は頑なに頭をあげなかった。
やがて、黒守が言葉を発した。
『今まで、逃げててすまなかった』
『伝達』のはずなのに、どこかずっしり湿って響いたそれに、俺も唯笑も動きを止めた。
『兄貴……いや、兄さんは沢山の重荷を背負ってた。この国のこと、国民のこと、部下のこと、……恩師の忘れ形見のことまで』
『……』
『俺の精神が弱いばかりに、俺は君たちに酷い仕打ちをしてしまった。本来前線に立たなくていいお前たちに前線で戦わせてしまった。あの地獄に踏み入れさせて、苦しめてしまった。許されざる裏切りで、特に城月には幼子に鞭打つ非道でしかなかった』
『幼子って』
『否定などしてくれるな。もう過去は、兄さんの記録を見て理解した』
『だが、俺は昔から裏の人間だ。謝る必要など』
『城月。お前は絵空事を並べているが結論、自分で自分を救いたかったんだろ?その方法の一つとして、自分にとって『特別なだれか』の夢を叶えようとしているんじゃないか?』
……提督も俺の本心を知っていたのか。息を呑んだ。
黒守は続けた。
『俺は何も間違っているとは思っていない。自分のことなどよく分からないだろうさ』
『……』
確かに、俺はいまいち俺自身のことが理解できていない。
俺の正体を、世界の末路を知って、『実現』が併用された『心象魔術』の影響も相俟って冷え込んでいた心が、唯笑の言葉、表情、握った手の温もりで急速に溶かされていくようだった。『前回』、俺の異常さに気付かされて彼女が俺の『立派な人になって自分自身を救いたい』という願いを肯定してくれた時も、数年前に唯笑を守れず落ち込んでいた時に唯笑が正直に打ち明けて励ましてくれた時だって、俺の胸から形容し難い何かが込み上げていた。……今、それは益々大きくなっている。
その感情が何か、俺はまだ名前をつけることができないでいる。
思索にふける間にも黒守は語り続ける。
『正直、提督になる意思がお前になく、提督もお前に引き継がせる気がないと知って、俺は安心した。俺がやっと兄さんの覚悟を背負えるから。お前達も自分のために生きられるから』
『……けど、それじゃ弟くんの意思は?夢はどうなるの?残された仲間たちはどうするの?』
聞いていて居た堪れなくなった唯笑が口を挟むと、『そりゃ、惜しいとも』と黒守は即答した。悔しく、切なく、それでも決死の覚悟を固めたような顔つきだった。
『司くんは最高の役者だ。僕がどんなに無茶な演出をしても、誰より必死に練習を積み重ねて、完璧以上の演技をしてくれるし、本気でぶつかってきてくれる。愛さんは発想の天才だ。夢見がちだと非難されることもあるかもしれないが、少なくとも僕にとっては素晴らしい思いつきで、正しく対応できたならきっと世界は大きく変えられるだろう。宇海は律儀な部下だった。出会い方は割と最悪だったけれど、それでも僕を信じて今まで着いてきてくれた。彼女の作る機械なら、きっと使う人皆笑顔になれるとも。あの3人ならきっと、血に塗れた僕がいなくとも輝けるだろう』
『……』
『だから俺は、そんな彼らを利用しようとする人間が許せない。彼らを利用させない為に、俺は裏社会のルーラーになる』
『……裏社会の演出家になろうってか』
『そう。……裏でも、血に塗れたこの僕の魔術で、誰かを笑顔にできる』
だから、応援して欲しい。
そう言われても、『本当の心は?』という疑念が邪魔をして、何も言えずにいた。流れる沈黙が痛かった。
黒守は「その覚悟を伝えておきたかったんだ」と言い残して会議室を去り、俺たちも去ろうと席を立つと、端に置いてあったロッカーからガサゴソと慌ただしい音が聞こえた。思わず振り返ると、司が少し服装が乱れた状態でロッカーの入口付近に佇んでいた。
司は「お、おお!怜たちはこんなところにいたのか!奇遇だな、オレも声出しをしたいと思っていた!」と話すがあまりにも動揺しすぎている。
「で、実際は?」
「……流石に分かるか……」
観念したのか司はがっくりと肩を落とすと、「どこか物々しかったからな。後を追って、『隠蔽』でこっそりロッカーに隠れた。……とは言っても普段はショーでしか使わない。ましてやこんなに長時間『隠蔽』を使うことなど初めてだったから、制御を誤ってしまった」と眉を下げていた。
「なるほど」と一度納得したが、ふとある可能性が浮かんだ。
「話の内容は聞こえたのか?」
「怜、聞こえてるわけ無いでしょ。『伝達』で会話してたのに」
「|ああ、しっかり聞かせてもらったぞ《・・・・・・・・・・・・・・・・》」
俺の質問に唯笑が呆れ顔で話していたが、唯笑の予想に反した司の返答に「嘘、傍聴できたの!?」と驚いていた。
確かに、実力が高い魔術師の結界や魔術を上回るのは一般人には至難の業……不可能だとすら断定できる。そういったことを引き起こせる確率は双方の実力差に比例しているのが通説だ。
しかし、これをひっくり返す方法が1つだけ存在している。そしてその条件を司は満たしている。
最初は驚いていた唯笑も、司の方を暫く見ていて、「……ああ、でも志瑞くんなら不思議なことでもないか……」と納得していた。
そう。『容赦』で黒守の防音、傍聴対策を突破し、それどころか、聞き手としてという制限こそあれど『伝達』に一部干渉できてしまったのだろう。
……そして、それは黒守が司たちに隠そうとしていた秘密を明かしてしまったことに他ならない。
とはいっても、聞かれてしまったものは仕方ない。寧ろこちら側もあまり警戒していなかったのが悪い。黒守がこの事態を把握していない上に自身から説明する気は全くないと思われる―本人の性格上、聞かれたぐらいで説明するくらいなら最初から説明しているだろう―以上、俺が説明の責任を果たすべきだと俺は判断した。
「采和は……次のステージを終わったら引退するのか」
「ああ。他に提督になれる候補があまりいないことと、本人の意思で、そういうことになった」
「だが、しかし、怜なら」
司はそこで言葉を切って、諦めたように、「いや。采和はそれすら良しと思えなかったんだろうな」と納得した。
そして少しの間の沈黙が流れて、司は再度口を開いた。
「采和が裏でどう過ごしてきたか、どんな思いを抱えてきたか。俺には分からない。ただ、宇海もあんなに慕っているくらいだ。嘸かし、『優しい』魔術師だったんだろうな。あいつは、魔術で世界中の人々を笑顔にしたいと言っていた。そして、この数年間でその想いの深さ、強さは充分理解しているつもりだ。采和が裏で平和な世界を演出したら、きっと素晴らしい世の中になるだろう」
「そうだな」
「……間違いなく、なるよ」
俺は同意し、唯笑はまるでそうなる未来を知っているかのように強く頷いた。
司は続ける。
「采和が納得……覚悟しているのなら、オレはその背中を押すべき、なんだろうな。アイツにとって最後のショー。悔いのないように最高のステージにして、笑って送り出して、アイツの築き上げる平和な世界で夢を叶えるのが、アイツが一番満足する。……全く。そういうことならそうだと言えばいいのに。黙っていなくなるより、笑ってさよならと言えたほうが良いだろう?」
呆れたように笑って、「だが、難しいな」と真顔になった。
「感情で納得できる気がしない」
それは、司にしては珍しく、曇り空のような表情だった。
「オレが別のメンバーとショーをしていたり、そもそもオレがスターではない別の何かに憧れていた未来があるとして、そのどの未来でも、オレは彼奴と一緒に活動して、相棒のように支え合っている。今、ここにいるオレだって例外ではない。オレにとっては半身のような存在だ。……正直、これからも一緒に活動していくものだと思っていた」
「……」
「分かっている。彼奴はオレを、兄を、皆を想って裏に戻ろうとしている。今まで表で生きてきたオレにできることは、精々、表舞台で大活躍して、彼奴が裏に戻ってよかったって思えるようにすることくらいだと、理性では理解している。だが、それでも、オレは、采和が演出したステージで役者として輝きたい」
「……」
「まずは、采和の意思を尊重するとも。駄々をこねただけで、代案なんてこれぽちも浮かんでいないからな。……だが、怜。どうか教えてくれ。もし、その後にこの結末に納得できなかったら、オレ達はどうすればいい……?」
いつの間にか司は俺をまっすぐ、縋るような目で見つめていた。
それを思いついていたら俺が真っ先にやっているなんてこと、きっと司は気づいている。司は、自信満々な態度を普段とっているが、今こうして話してみれば、実際はきっとそんなことはなく、仮面をつけて『自分』を演じているだけの等身大の少年のように見えた。今まで相棒としていた仲間が傍からいなくなったら、自力で夢を叶えられるのか不安で仕方がないのかもしれない。
俺が返答に窮していると、今まで静かに聞いていた唯笑が答えた。
「大丈夫。君は、必ずその状況を打破できるよ」
「オレなんかにそんなことができるのか?どれだけ練習しても、全力を振り絞っても、オレは周りの人間に劣る」
「ううん。君だからこそできることがあるよ。そして、君のその強みに気づく人間はこれからもっと増える」
「……オレの力じゃどうにもならなかったら?」
「その時は、私達が力を貸すよ。私達だけじゃない、もっといろんな人が君の願いを叶えようとするから、君は君にできることを、全力で頑張って」
司は流れていた涙を拭って、「……ありがとう。頼んだぞ」と言って会議室を後にした。
「……代わりに答えてくれてありがとう。俺も何か言わないと、とは想っていたが、言葉を捜すので精一杯だった」
「あはは。私も正直、上手くわかんないや」
俺が礼を言えば、唯笑は複雑そうに頭を掻いて苦笑いをしていた。
そうだろうか。割と司の中ではベストアンサーだったように見えたが。
首を傾げていた俺に、「純粋な私の言葉ではないんだよね……いや、私も心からそう思ってはいるけど」と唯笑が話していた。
「じゃあそれは唯笑の気持ちだろ。それを上手く言語化するのに違う誰かの言葉を借りただけで」
「そうかなあ」
「そういうもんだろ」
とは言いつつも、今抱えている名前のないこの感情を言語化する時には他人の言葉を借りたくないのだから、不思議なものだ。なんというか……他人の言葉を借りた瞬間に、その気持ちが嘘になるような気がして怖い……のだと思う。
いつか、自分なりに言葉にできる日は来るだろうか。来ればいいと思う。
「……因みに、誰の言葉を借りたんだ?」
「綴ちゃん。綴ちゃんが一番、志瑞くんのこと理解してるじゃん?彼女が今の司くんに言いたいだろうなー、って言葉を綺麗にまとめてみた」
「ああ……なるほど」
なんとなく腑に落ちた。
この辺りでそろそろ戻ろう、と会議室を2人揃って後にした。
一応、なんとか酒は抜けたので、無事に研修には行けそうで一安心。




